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近くに住んでいたSさんがこんな話をしてくれた。
それは太平洋戦争中、Sさんが中国へ出征していた時の出来事
だった。
来る日も、来る日も行軍を続けていた夕暮れ、小高い丘の上で
連隊は休憩した。疲れ切った体を大地にどっかりとおろし、西
の空を見つめた。そこには、今まさに沈もうとしていた太陽さ
んがあった。
「ああ きれいだなあー」
Sさんは思わずつぶやいた。と、その時となりに並んで腰をおろ
していた戦友が
「ん だぁ〜」
と、ゆっくり応えたという。それから何も語らず、黙ってじっと
変わりゆく夕焼け空の美しさに見とれていた。
他の戦友も声も発せずに空を仰いでいたが、生死の間のほんの束
の間安らぎは、みなそれぞれにふるさとの父、母、妻、子供たち・・
心寄せる人への想いにくれていたことだろう。
Sさんは終戦後、印刷工場を地元で営んできた。あれから何十年
仕事の関係でたくさんの言葉に出会ってきたが、秋田なまりの
戦友の、あのひとことに優る言葉には会っていないと言った。
「ん だぁ〜」
Sさんの思いには遥か及ばないが、青春のひと時を過ごした秋田
への懐かしさは、この言葉によってふつふつと湧き上がってくる
のである。
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