朴思堂だより

打てば響く世界を朴の木の下で思う

八木重吉さん

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心の歌

  重吉の妻なりし今のわが妻よ ためらはずその墓に手を置け

  われのなき後ならめども 妻死なば骨分けてここにも埋めやりたし

  コスモスの地に乱れ伏す季(とき)にして 十字彫りたる君の墓子らの墓

歌人・吉野秀雄さんの歌である。重吉とは詩人八木重吉さんである。お二人の妻となられた吉野登美子さんは、1999年2月に94歳で亡くなられた。
昭和のはじめ、夫重吉さんと二人のお子さんを結核で相次いで亡くし、失意の中で生き抜かれた登美子さん。戦争中、空襲の度に防空壕へ持って入るものは、重吉さんの詩稿を詰めた古いバスケット一つであったという。命がけで守った詩稿をいつの日にか詩集にしたいと願い続けた。やがて後に夫となられた吉野秀雄さんの尽力で「定本・八木重吉詩集」が世にでたのである。

吉野秀雄さんの著書「やわらかな心」で、先の歌を作られた前後の様子を知り身を震わせた。貧しくとも、詩歌に生きるものの真摯な姿をそこに見たのである。
古書店で「定本・八木重吉詩集」を手にしたのは、二十歳の時であった。家でじっと読むことができず、列車で直江津へ行き海を見ながら詩集を読んだ。

その後、吉野登美子さんの「琴はしずかに―八木重吉の妻として」を書店で購入し、手紙に感想を書いて送ったところ、思いがけず登美子さんからご返事をもらい、それを縁に文通をさせていただくようになった。
妻、幼い子らと鎌倉のご自宅をお訪ねし、登美子さんに一人一人抱っこしていただいたことが、つい先日のように思える。
重吉さんのご命日「茶の花忌」で、いつもにこやかで美しい登美子さんにお会いできることが喜びであった。晩年、入院生活を続けておられたが、お見舞いに伺った折に拝見した笑顔と合掌のお姿が忘れられない。

亡くなられた年の4月、町田市の八木重吉生家で分骨式が行われ参列させていただいた。あいにくの雨模様ではあったがたくさんの方が集まり故人を偲んだ。重吉さんと二人のお子さんと並んで建立された登美子さんの墓碑。娘と一緒に献花させていただいた時、吉野秀雄さんの歌が心に響いた。

  骨分けてここにも埋めてやりたし

人間として生まれたことはなんてすばらしいことか。それを学ばせていただいた吉野さんの歌は、今でも私の大きな心の支えになっている。


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