朴思堂だより

打てば響く世界を朴の木の下で思う

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十八歳の孤児、 卯一の一生から学ぶ   九月十二日(金)

  九日の日には、 作家・神渡良平先生のお話しを皆さんに聞いて貰いました。素晴らしい内容のお話しでした。 村上和徳先生は、 幾度か号泣したと言っていましたけども、私も三度ほど涙を誘われてしまいました。 神渡先生は、 私と同じ団塊世代です。九州大学医学部を中退されたと言ってました。 当時は、 全国的に学生運動が行われていましたから、そこで神渡先生は色々と考えるところがあったのでしょうね。 鹿児島から期待されて九州大学医学部へ入学したのですから、中途で大学を辞めるとなった時は、 ご両親はどれほどのショックだったでしょう。その話も興味深かったですね。
  神渡先生は、 大学を中退してからジャーナリストへの道に進み、新聞記者として働き盛りの三十八歳の時に脳梗塞になり、 人生のどん底に落ち込んでしまいました。その苦衷の内をお話しくださった時には、 引き込まれましたね。 そして、 そこから這い上がっていこうとされた自分との闘いは、感動的でした。 人間の生き方について。 随分と教えられました。 神渡先生は、「僕の人生は一体何だったのだろうか」 と真剣に考えられた。 人生には、 そうした苦境に立つ時があるものです。今までの自分の人生は一体何だったんだろうか、 とどん底に陥ったようになる時もあるものです。人生には、 色んな事があります。 常に順風満帆とはなかなかいきません。 でも、神渡先生は、 そこから、 自分にも生きて果たすべき使命があると感得し、 生まれ変わっていきました。それは、 「人生はたった一回しか許されていない。 一回しかないからこそ、取りこぼしてはならない。 取りこぼさないためには、 自分の経験の範囲内で、ああしよう、 こうしようと考えるのでなく、 人生の先輩達があるいは苦しみ、あるいは途方にくれてつかみ取り、 花も実もある人生を築いていった知恵を学び、活用できなければいけないのではないか……」 と気付きました。 それから神渡先生は、ものの見方が変わり、 本の読み方も変わったそうです。 人生を取りこぼしてはならないという思いが一貫した存在となったというのです。
  作家・神渡良平先生は、 そうした視点から色んな人の、 色んな人生を眺め、執筆活動をされました。 勿論、 死の淵から自分の人生を眺めた経験がおありです。それだけに、 神渡先生の人物論は、 人の心を打つものがあるのだと思います。順風満帆に人生を過ごしてきた人であれば、 通り過ぎてしまうようなことも、先生の目から見たら、 とてつもなく貴重で、 大切な人生の試金石のような体験として見出すことができたのだと思います。だからこそ、 この度のような感動を呼ぶお話しができるのだと思いました。 特に、津田卯一という人の話しには、 溢れるように涙が流れました。 その大要を紹介します。
  お母さんは、 うどん屋で奉公している中に、 出入りのお客さんと仲良くなって懐妊した。それを知ったその男は、彼女から遠ざかっていった。 結局、 お母さんは、 母体が危ないよといわれながらも、「自分が死んでもこの子だけは何とかこの世に送り出して欲しい」とお医者さんに頼み、 お腹に宿した子を産んだ。 名前は、卯一と付けられた。お母さんは、 お医者さんの言う通りに、 産んだ後に息を引き取った。産まれた子に困ったうどん屋の主人は、人に預けて育てた。 それを七歳になったら引き取り、前をさせた。 学校には行かせたが、いじめられてばかりいて、 ろくな事はなかった。そればかりでなく、店の主人からはいつも殴られた。ちょっと早めに学校に行くと、朝の仕事を怠けたと言って殴られ、ちょっと遅れて帰ると、遊んできたなと言われては殴られた。食べるものも、お客の食べ残ししか与えられなかった。
十四歳の時に、卯一は家を飛び出した。そして、神社の賽銭泥棒になった。でも、ついに警察に捕まり、少年院に送られたが、肺病にかかって、病院に入れられた。戦前、肺病は不治の病だった。あと十日の命というときに、一燈園の三上和志さんとい人がその病院に講演に行き、院長をはじめ看護師さん、 検査技師、医療事務員、患者さんが話しを聞いた。ベットから離れられない患者さんは、スピーカーを通して聞いた。みんな、三上さんの話しを、涙を流しながら聞いた。 感動した院長さんは、「私の病院には少年院から預かっている十八歳になる結核患者がいます。体は悪く<あと十日も持つかという状態です。 この少年に三上先生の話しをきかせてやりたいのです。でも、 両親も身寄りもなく、非常にひねくれていて、 素直に話を聞いてくれるかどうかわかりません。重体で病室からは一歩も出られないので、 こちらから病室に出向くしかないのですが、今日のような話しをたとえ二十分でも三十分でも聞かせてやりたいのです。 少しでも素直な気持ちになってくれれば……」。三上さんは躊躇したが、 話しをしてみることにした。 三上さんは、 病室を訪ねて行った。色々と問答をしたが、 卯一は心を開かなかった。 諦めて部屋を出ようとしたら、意外にも卯一は燃えるような目で、 ジッと三上さんを見つめていた。 人恋しさと孤独な目だった。三上さんは、 ベットのところまで引き返し、 顔を背けている卯一の顔をのぞき見た。すると、 涙が頬を濡らしていた。 三上さんは、 今晩はここに泊まると心に決めた。勿論、 院長は反対した。 感染するかも知れないからだ。 しかし、 「今日一日真であれば、明日死んでも満足です」 と言い切ると、 院長は去っていった。 三上さんは、「今晩一晩看病させてもらうよ」 と卯一に言うと、 「もの好きな奴やな」 と言いながらも顔を向けた。それから、 卯一から色んな身の上話しを聞いた。 卯一と三上さんの心の交流が始まった。卯一は「一度でいいから、お父っつぁんと呼んでいいかい」 と言った。 「ああ、いいよ。 わしでよかったら、 返事するぞ」。
  卯一は、 ちょっと言いかけると咳き込むが、 とうとう「お父っつぁん!」 と言った。 「おう、 ここにいるぞ」 と答えると、 卯一の目から涙がこぼれた。
どれほどにこの言葉を言いたかったのであろうか。返事が返ってくると、 卯一はもう一度 「お父っつぁん」 と言った。 「卯一、何だ。 お父っつぁんはここにいるぞ」 と肩を抱きしめた。 卯一は、 大声で泣いた。
  この後の様子が神渡良平著 『下座に生きる』 (致知出版社刊)の最初のページに、 次のように書かれています。

「おっさん、 昨日、 病院の人たちに話しをしたというてたな」
「ああ」
「おれにも何か話してくれ」
「聞くかい?」
「うん、 聞かせてくれ」
「今朝は高校に話しにいかにゃならんので、 長い話しはできんが……。 卯一、 お前は何のために生まれてきたか知っとるか」
「何じゃ、 そんなことか。 男と女がいちゃいちゃしたら、 こどもができらあ」
「そんなことじゃなくて、 生まれてきた意味だよ」
「そんなこと、 わかるけ。 腹が減ったら、 飯を食うだけさ」
「飯を食うだけじゃ、 寂しかないか。 それだけじゃないぞ、 人生は」
「……」
「誰かの役に立って、 ありがとうと言われたら、 うれしいと思うだろ。 あれだよ、あれ。 お前が昨夜から何も食べていないという女の子に、 パンをやったとき、その子はお兄ちゃん、 ありがとうと言っておいしそうに食べたろ。 それを見て、お前はうれしかったろ。 誰かのお役に立てたとき、 人はうれしいんだ。 お前、いままで誰かの役に立ったかい」
「おれは駄目だ」
「どうしてだ」
「おれはもうじき死ぬんだよ。 命がないんだ。 人の役に立てって言ったって、 いまさら何ができるんだ」
泣き顔だ。
「できる、 できる。 まだまだできるぞ」
「起きあがることもできないおれに何ができるというんだ」
「なあ、 卯一。 お前、 ここの院長先生やみんなによくしてもらって死んでいける。 だから、 みんなに感謝して死んでいくんだ。 憎まれ口をたたくのではなく、 邪魔にならないように死んでいくんだ。 それがせめてもの恩返しだ」
そして、彼は、「わかった」 と言い、「これまでは気に入らないことがあると、院長の馬鹿野郎、殺せ!って怒鳴っていた。 これからは止める。言わないことにするよ」と言いました。そして、最後にこうも言いいました。
「おっさん、いま高等学校に行くと言ったな。 中学校や小学校にも行くのか?」
「行くよ」
「そうしたら、子どもたちに言ってくれ。親は子どもに小言を言うだろうが、反抗するなって。おれって男がしみじみそう言ってたって」
「反抗したらいけないのか」
「いやな、 小言を言ってくれる人があるってうれしいことだよ。おれみたいに、言ってくれる人が誰もいないってのは寂しいもんだ。それに対して文句を言うってのは贅沢だよ」
「わかった。 わしは命が続くかぎり、お前が言ったことを言ってまわろう。お前も上手に死んでいけよ」
それから、 三上さんは、そろそろ行かなくちゃいけないと言って、 病室を出ようとしたら、卯一は、「おっさん、手を握らせてくれ」 と言って、三上さんの右手をしっかり握りました。冷たい手だったそうです。痩せこけているので骨が当たるのだそうです。
「それじゃ、 これで帰るぞ」
「もう行くのか」
と繰り返して、病室から去ると、部屋の中から
「おっさーん。 おっさーん」
と泣きじゃくる声が聞こえた。 母を呼ぶ子どもの声のように、
「おっさーん、 おっさーん」
といつまでもいつまでも聞こえていた。

卯一は、 三上さんが去ってから、その後を追うように、号泣したのです。寂しかったんでしょうね。
  その後、 卯一の病室へ診察に行った若い医師が、 院長室へ飛び込んできました。三上先生もまだ居ました。
「三上先生!津田卯一がたった今息を引き取りました」と言う。
「今朝、 私が診察に行くと、 いつになくニコッと笑うんです。おっ、 今朝はきげんが  よさそうだな、 と言いながら診察に取りかかろうとしましたら、反応がありませんでした」
死んでいたのだそうです。 そして、 はだけていた毛布を直そうとしたら、毛布の下で合掌していたという。 その若い医師は、
「あいつが、 ですよ。 ……信じられない……合掌していたんです」。
と涙声に変わっていました。 院長はうつむき、三上さんの顔はくしゃくしゃになっていました。 三上さんは、 あたかもそこにいる卯一に語りかけるように
「……卯一、 でかしたぞ。よくやった。 合掌して死んでいったなんて……お前、 すごいなあ……すごいぞ」
「わしも約束を忘れんぞ。 命のあるかぎり、 講演先でお前のことを語り、 死ぬ前日まで親御さんは大事にしろよと言って たと言うぞ」
と言って、 泣き崩れたそうです。 この話しの場面になった時、 会場の聴衆は、ほとんどの人が涙に濡れていました。感動しました。心が痛みました。私も、「卯一、 よくやった」 と、心の中で叫びました。会場の皆さんもそうだったと思います。それほどまでに心に迫るお話しでした。
 「ありがとう」 と言えるような、人と人の関係というのは、素晴らしいことです。そうありたいと、心から思います。この話しを聞かせていただき、私達はまだまだ幸せな道を歩かせていただいている、と感謝されました。それだけに、自分の親、家族、友達に、お互い様ありがとう」と言えるような生活をしていきましょう。 恵まれたこの出会いを大切にし、感謝して生きていける人となりましょう。皆さん一人一人が、自分の周りにいる人達を大切にし、人生を歩んでください。その人達のために何か役に立てる生き方をしていきましょう。
  今日は、先日、神渡良平先生から、心を打たれるお話しを、心洗われるお話しを聞かせていただいたことを思いだして、その感動を今一度共有化し、共感し合いたいと思い、お話しさせていただきました。皆さんも、自分の生き方をもう一度原点から見直す機会にしてださい。


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