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田村幸志郎氏
昭和44年、山口市内に県下で初めての郊外型レストランを開店させた田村幸志郎氏が今月6日、亡くなった。81才だった。和菓子の町。外郎が名物の古い町で、洋菓子の製造を始めたのが昭和35年である。大きな成功を収め、社名は昭和、平成と市民に親しまれた。 経営者として、経済人として、地方文化にも貢献してきた同氏だが、乾坤一滴の戦いを挑んだのは平成8年7月18日告示、8月4日投票の山口県知事選挙だっただろう。 当時、現職は6選をうかがっていた。それに対し、職を辞して立候補を表明した前・出納長の後援会長を引受けたのである。商工会議所の副会頭、企業の経営者である。6選目指す現職へ大っぴらに対抗するのには余程の決断が必要だっただろう。 文筆家である。選挙から4カ月後に出た同人誌「蒙談」23号に、「素人後援会長奮戦記」のサブタイトルで次のように書いた。(のち「長州と信州」に収録) 『・・・勝利のダルマの眼入れ、報道インタビュ−など、今もってはっきり記憶に甦ってこない。唯、夢を見ているような一コマ、一コマである。私は涙の流れるのをこらえるのに懸命であった。思えば長い道のりであった。苦悩多き、茨の毎日の連続であったのである』 次の情景を読めば、同氏の心境が分かる。 『・・・4月2日、出納長は辞任された。通常ならば、県三役が退職して県庁を去る時は、多くの職員が玄関前に出て見送り、花束を贈呈し、その労をねぎらうのが普通のことであるという。しかし、誰にも見送られず、唯一人淋しく県庁をあとにしたのである。退職の辞令も人事担当者が自宅へ届けるという異例の処置であった』 その前・出納長支持の先頭に立った同氏への風当たりの強さを想像できる。結局、現職は立たず、代わりに大臣経験のある代議士を推したが、選挙は大差がついた。 氏は信州人である。理性的といわれる県民性だが、この時は長く住み着いた長州人の激しさが勝ったのかも知れない。 氏には複数の著作があるが、平成4年にそれまで新聞、各種会報に掲載した文章をまとめた「清涼」が処女出版だろう。 推薦文を書いているのは氏が尊敬する地元、老舗百貨店の社長だ。 本のあとがきによれば、推薦者はこう評したという。『君は所詮、信州人だよ。未だに青臭い書生気質の域を脱していない。そんなところに君の経営者としての障害があり、限界があるのであろう・・・』 田村氏は、『まさにご指摘の通りである』、と同意している。 長く馴染まれた店舗はなくなり、“グリンパ−ク”の社名も消えてしまった。しかし、数冊の著書は永遠に読み継がれてゆく。信州の“書生気質”が長州に残した生の記録でもある。 |

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