朴思堂だより

打てば響く世界を朴の木の下で思う

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  ヌチドゥタカラ(命は宝)
              
 三十年前、沖縄県伊江島にある「ヌチドゥタカラの家」を訪ねた。ここにある「反戦平和資料館」を見学した時、身震いした。
 米軍が使用したカラの弾薬のおびただしい量、投下訓練した模擬爆弾、戦時中の粗末だった衣類や島の暮らし、目を覆いたくなるような白黒写真、壁に掲げられた命の言葉の数々。
 伊江島は、沖縄戦で島民の三分の一に当たる千五百人が命を奪われ、破壊つくされた島である。米軍によって奪い取られた土地を、島民の方々の非暴力の抵抗運動で少しずつ取り戻していった。
 当時、館長であった阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんにお会いしてお話を伺った。九十に近いお歳であったが、静かな語りの中に、多くの困難に立ち向かってこられた強い精神を感じた。
 阿波根さんは生涯を平和運動に捧げ、「沖縄のガンジー」と呼ばれたお方。ご自身、大切な息子さんを沖縄戦で亡くされた。
 揺るぎない信念で、訪れる方々に平和の尊さ、命の尊さをお話して下さっていた。
 二〇〇二年、百一歳で亡くなられた阿波根さんのメッセージが、資料館の壁に遺されている。
 
 「すべて剣を持つ国は剣で亡ぶ 
 基地をもつ国は基地で亡び
 核を持つ国は核で亡ぶ」
 
 二月八日、阿波根さんの精神を今こそ噛みしめたくて、三十年ぶりに伊江島を訪ねた。
 島のシンボル・城山(ぐすくやま・タッチュー)は、変わらぬ姿のまま迎えてくれた。反戦平和資料館では、阿波根さんの展示物紹介のお話が、音声として流されていた。
 あらためて、平和は私たち一人一人が創り
出すものであると学ばせていただいた。
 館長の謝花悦子さんとも懐かしい再会であった。手作りのお昼までご馳走になり、夕暮れまでたっぷりお話をお聞きした。
 資料館へは、今まで本土からも多くの高校生が修学旅行で来て、若い精神で戦争と平和というものを真剣に学んでくれたが、最近はほんとうに少なくなってしまったそうである。
 こういう施設にいると、この国の教育機関への圧力が切実に感じられる・・・と。
 沖縄の基地問題は、本土に住む私たちの直面する問題でもあるのだ。長野県内でも既にオスプレイが飛び始めているという現実。
 いつでも、いつまでも、おかしいことをおかしいと言えるわたしでありたいと切に思う。
 翌日、辺野古のキャンプシュワブ前に立った。じっとしていられなくてここへ来た。
 沖縄のおじい、おばあと共に座り、こみ上がる怒りの思いを、握った拳に込めた。
       二〇一九年二月十八日 記

田村幸志郎氏

田村幸志郎氏
 昭和44年、山口市内に県下で初めての郊外型レストランを開店させた田村幸志郎氏が今月6日、亡くなった。81才だった。
 和菓子の町。外郎が名物の古い町で、洋菓子の製造を始めたのが昭和35年である。大きな成功を収め、社名は昭和、平成と市民に親しまれた。
 経営者として、経済人として、地方文化にも貢献してきた同氏だが、乾坤一滴の戦いを挑んだのは平成8年7月18日告示、8月4日投票の山口県知事選挙だっただろう。
 当時、現職は6選をうかがっていた。それに対し、職を辞して立候補を表明した前・出納長の後援会長を引受けたのである。商工会議所の副会頭、企業の経営者である。6選目指す現職へ大っぴらに対抗するのには余程の決断が必要だっただろう。
 文筆家である。選挙から4カ月後に出た同人誌「蒙談」23号に、「素人後援会長奮戦記」のサブタイトルで次のように書いた。(のち「長州と信州」に収録)
 『・・・勝利のダルマの眼入れ、報道インタビュ−など、今もってはっきり記憶に甦ってこない。唯、夢を見ているような一コマ、一コマである。私は涙の流れるのをこらえるのに懸命であった。思えば長い道のりであった。苦悩多き、茨の毎日の連続であったのである』
 次の情景を読めば、同氏の心境が分かる。
 『・・・4月2日、出納長は辞任された。通常ならば、県三役が退職して県庁を去る時は、多くの職員が玄関前に出て見送り、花束を贈呈し、その労をねぎらうのが普通のことであるという。しかし、誰にも見送られず、唯一人淋しく県庁をあとにしたのである。退職の辞令も人事担当者が自宅へ届けるという異例の処置であった』
 その前・出納長支持の先頭に立った同氏への風当たりの強さを想像できる。結局、現職は立たず、代わりに大臣経験のある代議士を推したが、選挙は大差がついた。
 氏は信州人である。理性的といわれる県民性だが、この時は長く住み着いた長州人の激しさが勝ったのかも知れない。
 氏には複数の著作があるが、平成4年にそれまで新聞、各種会報に掲載した文章をまとめた「清涼」が処女出版だろう。
 推薦文を書いているのは氏が尊敬する地元、老舗百貨店の社長だ。
 本のあとがきによれば、推薦者はこう評したという。『君は所詮、信州人だよ。未だに青臭い書生気質の域を脱していない。そんなところに君の経営者としての障害があり、限界があるのであろう・・・』
 田村氏は、『まさにご指摘の通りである』、と同意している。

 長く馴染まれた店舗はなくなり、“グリンパ−ク”の社名も消えてしまった。しかし、数冊の著書は永遠に読み継がれてゆく。信州の“書生気質”が長州に残した生の記録でもある。

ある出会いから

   ある出会いから
               

仕事中、SBC信越放送を聞く機会が多い。
月曜から金曜までの平日、文化放送の「氷川きよし節」を聞いているが、きよしさんとアナウンサーの寺島尚正さんとの語りが楽しい。 歌あり、昔話、俳句、寸劇ありで、十分間が短く感じられる。
 きよしさんの「満天の瞳(ほし)」がなんともいい歌で、聞き惚れている。今まで「虹色のバイヨン」が大好きでよく聞いていたが、「満天の瞳」も長く聞きたい歌だ。歌詞の「愛されるよりも愛さなきゃ」ここがなんともいい表現!
 もう十年位前になるだろうか。氷川きよしさんのことで忘れられない思い出がある。
 東京駅で四国、高松までの夜行バスを待っている時、七十代後半と思われるご夫婦と話をする機会があった。
 お二人、リュックサックを背負い長椅子に座っていた。なんとなく親しみを感じたので、近くにいた奥さんに声をかけた。
 「高松へは旅行ですか?」
 「いえ、帰るんです」
 「そうですか、東京へは観光ですか?」
 その時、旦那さんが横からひと言
 「ライブですよ、ライブ。わたしは家内の付き添い!」

高松弁で表現できないのが残念であるが、
ちょっとぶっきらぼうな言い方だった。
 「ええー!高松から、すごいですねぇ。どなたのライブですか?」
 「あんた、誰のライブか分かりますか?」
 奥さんが、宿題を出す先生のように「ニヤリ」と、笑いながら聞いてきた。
 突然の質問に首をひねっていると
 「分かるわけないねー 」
 と、いたずらっぽい目でこっちを見てる。
 

ええーい、当てずっぽうに言おう

「ひかわきよしさん!ですか?」
「あれー、あんた、どうして分かったんかい。びっくりしたあー」
それから、バスの出発時間ぎりぎりまで、

まさに奥さんの「氷川きよし節」オンパレードだった。
 「この歳になっても、心ときめかせる歌手がいるって幸せだぁ〜」
 忘れられない一言である。
 高松発の夜行バスで昨日の朝、東京へ着き、昼間、西武球場での「氷川きよしコンサート」を聞き、ほんとうは今晩の日本武道館でのコンサートも聞きたかったそうである。

明日、高松で用事があるので今晩の夜行バスに乗らねばならない無念さを語られた。
 旦那さんは「もう、病気ですな!」と私に向かって言いながら、ご自身も氷川さんのファンであることを喜んでいるようであった。
 すごいなあ、氷川きよしさん。このような熟年のファンがおられるとは。氷川さんの歌も、歌声ももちろん素敵だけれど、氷川さんの惹きつける人間性そのものの表れなのだ。
 およそ十時間の高松までのバスの旅。お二人は仲良く並んで語り合っている。

きっと氷川きよしさんのライブの余韻に浸っておられるのだろう。「お二人いい夢を見られますように」祈るような思いで私も眠りについた。
 翌朝、七時少し前に高松駅前に着いた。バスから降りた後、短いお別れの挨拶をした。 リュックを背負ったご夫妻は並んで、高松の街の中に消えていった。

「いつか、氷川さんのライブで会えるといいですね」
 そう後ろ姿に呼びかけていた。
 
一人、小豆島へ向かうフェリーの中で「俄か氷川きよしファン」になっている自分が、なんだかとても嬉しかった。
 

謝花悦子さん

証言

タイトル番組名など氏名収録年月日
「阿波根昌鴻と共に生きて」戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2013年度「地方から見た戦後」
第1回 沖縄 “焦土の島”から“基地の島”へ
謝花 悦子さん2013年5月1日
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チャプター

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]
戦場となった伊江島04:52
弾薬運搬船爆発事故05:05
理想の農村を築こうとした阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)07:54
再起を期した戦後06:01
米軍に立ち向かった阿波根06:31
戦場と直結した伊江島02:43
ミサイル撤去再生中02:41
新たな訓練施設が伊江島に04:02
基地反対を訴え続けた阿波根昌鴻04:37
基地の中へ消えた土地03:20
阿波根の武器は カメラだった09:53

再生テキスト

阿波根は、「誰の許可を受けてここまでこの怖いものを小さい伊江島に持ってきたか」という事で驚いて聞きましたら、「村長の許可を受けて持ってきた」と言った。そうしたら、「ここには見てみると、調べてみたら、村長の土地は一坪もない。その一坪もない人が、これを侵す許可もする資格はない。これは私たち農民の土地である。土地を持っている農民に相談もなく、許可もなく、土地を持っていない人が、許可するという事は道理に合わない」と。「それはすぐ撤去しなければいけない事になっている」と。「撤去しなさい」と。「村長の許可をもらったというけども、あの人の土地はここにはないんだから。その人が許可する資格も権利もない。すぐ今撤去せよ」と言った。そうしたら、「実弾なので、荒くは扱えない。明日までは待ってください」と言って、「しかたがない」と言って、3日目には撤去させる行動になったわけですね。今のように車なんかないです。自転車の人もいたね。牛の人もいた。耕うん機がひとつあったね。そして真謝の飛行場から港まで、全区民がそのミサイルを前にして、そのミサイルの船が見えなくなるまで港で訴えるんですよ。そうして阿波根は、「これは伊江島には必要でない。沖縄にも必要じゃない。アメリカが必要となれば、すぐ伊江島から直行アメリカに向かって持って行きなさい」というような事をスピーカーで船が見えなくなるまで訴えられて、そうして村民も見えなくなるまで送り届けたという歴史というか行動がありましたね。

プロフィール

戦後、島の三分の二が米軍軍用地とされた伊江島で、土地返還を求める運動の先頭に立ち続けた阿波根昌鴻。謝花さんは、その運動を、阿波根が2002年に101歳で亡くなるまで支え続けた。阿波根と共に建設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の館長を務める。
1937年
沖縄県国頭郡伊江村に生まれる
1944年
本島・今帰仁村に疎開
1945年
伊江島の戦闘で父が戦死
1947年
伊江島に帰島

天命庵 大徳寺輝昭様

書画、歌、舞、講演、作家など多彩な表現活動を展開/2000年3月取材

無償で救う人の悩み

活動の場世界に広がる


http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/iihanashi/daitokuji.jpg

氷川神社で奇跡的な体験

書画、歌、舞、講演と日本各地で活躍されている大徳寺昭輝さん(本名・伊藤幸長、三十六歳)は、大変数奇な人生の持ち主なのである。

明治時代、食肉業で財をなした伊藤家の四代目の後継ぎとして多くの従業員やお手伝いさんに囲まれ、砂場や滑り台、ゴーカートまである広いお屋敷の中でお金というものを手に取ったこともなく、全くの「箱入り」状態で幼年期を過ごした。

その生活が一変したのは中学三年生の時である。
家業が破産し、一家五人は狭い長屋で肩を寄せ合うようにして暮らし始めた。

しかし、小さい時から、世間知らずのお坊ちゃんでおっとりと育った彼にとっては、その生活が新鮮で温かくうれしかったと話す。「母はとても明るく気丈で、世間の人が『あれが伊藤の奥様よ。今何をやってると思う』と、わざと聞こえるように話しているのを聞いても、『噂をしてくださるのはありがたいことよ』と毅然としていました。その時、母は自分たちの元の会社で働いていたのです」

貧しいながらも楽しい高校生活を送り、大学入試を前にした十八歳の大晦日。近くの氷川神社にお参りをした彼の身に、常識では考えられない出来事が起こったのである。

その日から三日間、赤い着物を着た見知らぬおばあさんが夢枕に立って「おぢばに来なさい。天理に来なさい」と真剣な顔で呼びかけた。

その頃、お母さんは天理教の娘さんと親交があったので「天理」とは奈良県の地名で「おぢば」とはその天理教の本部のことだということが分かった。

「母はいつも私を信じて私の願いを聞き入れてくれる人でしたので、そのご縁で私は夢に出てくるおばあさんの言葉に従って初めて天理に行くことになったのです」

天理教の本部に行くと奥の御殿で夢に出てきたおばあさんが待っていた。隣の人に誰ですかと尋ねたが、その人には何も見えない。

ところが、彼には赤い衣を着たきれいなおばあさんが壇上から降りてきて、目の前でにっこり笑って「よく来たね」といった声まではっきり聞こえたのである。

しかし、その時は夢の約束を果たしたという安堵感だけで受験のためにすぐに東京に戻った。

ところが、受験前のある日、いつもの神社で柏手を打ち、合格の祈願をして手を合わせていると、急に血の気が引き、心臓の鼓動が大きくなって、その場に倒れそうになった。

そして、別の声が彼の口から出てきて「我は元の神である。約束の年限が来た。お前を神の社(やしろ)として貰い受ける」という言葉を発したのである。

この日から食べ物は一切受けつけず、体は小刻みに震え続け、血を吐くような苦しみが三日三晩続いた。それが治まった時、天理教の教祖・中山みきが示したという教義を、老婆の声で語り始めたという。

「神の社になれと言われても当時十八歳の私には何がなんだか分かりませんでした。言葉が勝手に出てきてしまうのです。父は私が気が違ったといって怒鳴りましたが、母はかぼってくれました」

結局、彼はその後、天理教の修養科に進み、東京に戻ってからは親神様の命ずるままに従って多くの人に神の言葉を取りつぎ、迷っている人の相談に無償で乗るという「おたすけ」の道に入ることになる。

「『おたすけ』ではお金は取るなという親神様の命令でしたが、母は脳溢血で倒れた父の看病で一家の生活は長男である私の肩にかかっていました。生活は苦しくアルバイトをしながら家族を支えるのは正直言って大変なものでした」

勤めていたコンビニから残り物のお弁当を貰って帰り、皆で分け合って食べたこともあったという。


芹沢光治良さんが作品に

そして、ほどなく元日本ペンクラブの会長で「巴里に死す」や「人間の運命」などの作品で有名な芹沢光治良さんと運命の出会いをすることになるのである。

晩年の芹沢さんが、九十六歳で亡くなるまでに毎年一冊ずつ書き上げた「神の微笑」全八冊は、大徳寺さんの存在なしには完成しなかったと言える。

天界と地上界の関わりを見事なまでに書き表し人々を魅了したその作品の中に出てくる「神の言葉を取りつぐ伊藤青年」こそが大徳寺さんその人なのである。

こうしてさまざまな紆余曲折の後、大徳寺さんは天理教という組織からも離れ、神奈川県湯河原にある天命庵で毎月八のつく日に訪れる一人一人に丁寧に神の言葉を取りついで「おたすけ」をしている。

 天命庵の維持費や生計は毎年東京の鳩居室で開かれる書画の個展の他に、各地で開くコンサート活動などで賄っている。しかし、大徳寺さんは、どんなに多くの人が彼の話に引かれて集まってきても決して組織を持とうとほしない。

近頃はその作品や講演が海外でも高く評価さればじめ、大徳寺さんの活動の湯は大きく世界に広がり出している。 (宮崎みどり).


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この人の話

人間は「偉大な力」によって生かされている

私は神様の御用をして報酬を頂こうと思っていません。これは人助けなのですから。それに、もう「宗教団体の時代」ではないのです。あまりにも大きな組織や団体を作ってしまうと、その維持費や運営に心を奪われてしまって、心の成長が妨げられてしまいます。

私は小さいときから不思議とお経を読むことが好きで、誰に教わったということはないのですが、庭の草木や花々、烏、風やお日様と話をするちょっと風変わりな子どもでした。

今多くの人たちは見えるものしか見ようとしません。直接触れられるものしか感じようとしません。旅をしても、景色や建物、あるいは温泉だとかスポーツ施設が完備しているとかいう肉体の喜びばかりに目が奪われています。

けれどもその場所にじっとたたずんで、心を澄ましてみれば、きっと何か別のものが感じられるはずなのです。それは、霊視とか超能力というものではないのです。そこの自然が、そこに築かれた歴史が、それぞれの人に何かをきっと語りかけてくるはずなのです。このことは誰にもできることです。

キリスト教がイエスを神に祭り上げたり、その教えを言葉や論理で捉えようとして、真の教えをゆがめていったように、仏教もまた教団ができるにつれて釈迦の本当の教えを取り違えていきました。

大きな伽藍を建て、黄金の仏を刻み、信者からたくさんの寄付を募ることによって初めて立派な仏の世界が築かれると錯覚しています。伽藍には、教えを伝える僧がいて始めて拠り所となるのです。人を救おうという者がいて初めて意味をなすのです。

この数年、釈迦やイエスの教えを取り違えた宗教者たちが、多くの若者に間違った教えを説いています。私は決して非難しているのではありません。「神とともに歩む」。そのことを多くの人は誤解しています。

神の啓示を受けた者はあたかもスーパーマンか超人のように思うでしょうが、それは間違いです。本当に神の啓示を受けた者は、神の豊かで偉大な力が、あらゆる万物に働いていること、自分がその力によって生かされていることを知り、自分の無力を悟るのです。

今こそ一人一人が魂の救いの世界が本当にあることを信じて立ち上がってもらいたいのです。その意味ではすべての人が神懸かって生きてほしいと思っています。これからも、どんな人の中にもある「神の光」を見つけ出し、育てるお手伝いをしていきたいと思っています。


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