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小池勇助 隊長

糸満の戦跡14 糸洲壕 ・・・小池勇助少佐の決断

2012年03月23日 | 博士の研究日記
 国道329号線を南下、何部病院の先からバイパスに入りしばらく行くと左側に畑が広がります。その畑の中、糸満市伊敷に自然壕の糸洲壕があります。1944年10月10日、十・十空襲の際に糸州の住民達がこの壕に避難しました。壕には出入り口が2箇所ありそれぞれウッカーガマ、ウンジャーガマと呼ばれています。
 1945年5月27日、戦況の悪化に伴い、豊見城城址にあった第24師団第二野戦病院(山3487部隊小池隊)は糸洲壕に移動してきます。この第二野戦病院には私立積徳高等女学校の女生徒25名が学徒動員されていました。移動にあたっては、歩ける者は部隊に帰し、重傷患者は「処置する」よう命令されました。
 しかし軍医は「本来なら患者を治してやるべき医者が、例え戦争中でも命を奪うのは忍びない」と、患者一人一人に励ましの声をかけ、枕元に水や乾パンと手榴弾を置いて別れたということです。
 この長野県出身の軍医・小池勇助隊長は戦時中にあって命の尊さを説く珍しい軍人であり、最期まで学徒隊を守り犠牲を最小限に抑えた人物でした。

糸洲壕の上に立つ鎮魂の碑
 第二野戦病院小池隊は糸洲壕に避難したものの艦砲射撃が激しくなり、衛生兵や学徒隊・傷病兵は壕の奥へと移動していくことになります。壕の中は広いのですが、中には水量豊富な川が流れており洞窟内は濡れた状態で、学徒隊の足袋は乾くことが無く足がふやけてしまい歩くのも困難になったということです。
 6月17日に壕の周囲は米軍が取り囲み、壕は馬乗り攻撃を受けます。壕の上からボーリングし穴を開けガソリンを流し込んで火をつけたり、ガス弾を打ち込んだりする攻撃です。
 衛生兵たちは切り込み隊に任命され、夜になると闇夜に紛れて米軍へ奇襲を行いました。
 衛生兵が少なくなるにつれ、学徒隊の仕事はますます多くなっていきました。
 こうした中、小池隊長の元に野戦病院の解散命令が届きます。この解散命令とは実際には「玉砕せよ」という命令です。しかし今解散したら学徒隊を戦場に放り出すことになる。小池隊長は学徒隊の命と軍命の狭間で悩みましたが、こんな状況の元で少女たちを放り出すことは出来ない、と解散命令を握りつぶし壕の中で解散の時期を探ることにしたのです。

糸洲壕への入り口
 6月26日になって、沖縄守備隊第三十二軍牛島中将・長参謀自決の報を受け、小池隊長は日本軍の敗北を知ります。そこで小池隊長は危険が少なくなったと判断し積徳学徒隊に解散命令を出します。
 解散にあたって小池隊長は学徒隊を集め、次のような話をしたということです。
「日本は戦争に負けました。長い間、軍に協力してくださりご苦労だった。負ける戦だと分かっていれば、君たちを預からなかった。親御さんに何とお詫びしたらいいか、本当に申し訳ない」と謝罪し、頭を下げました。
 米軍に捕らえられるくらいなら自決を選ぶと言う少女たちに対しては、
「捕虜になることは恥ではない、本当の恥は死ぬことだ。決して死んではいけない。必ず生きて家族のもとに帰りなさい。そして凄惨な戦争の最後を、銃後の国民に語り伝えてください」と訓示し、一人一人握手をし、学徒隊を送り出しました。
 解散命令が、沖縄戦の戦闘が終了した後のことであったために、学徒隊25名のうち、戦争の犠牲となったのは3名で、22名が生還しました。
 解散の翌日、恐怖のため糸洲壕から遠く離れることができなかった学徒隊の一人の少女が壕に戻り、服毒自決した小池隊長の変わり果てた姿を発見します。
 なぜ常々「決して死んではいけない」と諭していた小池隊長が自決したのかは明らかでありません。軍人として命令を握りつぶした責任を取ったのでしょうか?
 いずれにしても沖縄戦において、命を尊ぶ考えを持った軍人が日本軍にいたという事実を知っておかねばなりません。
 

東井義雄先生の詩

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 目がさめてみたら     東井義雄

 目がさめてみたら
 生きていた
 死なずに
 生きていた
 生きるための
 一切の努力をなげすてて
 眠りこけていたわたしであったのに
 目がさめてみたら
 生きていた
 劫初以来
 一度もなかった
 まっさらな朝のどまんなかに
 生きていた いや
 生かされていた

〜   〜   〜   〜

東井義雄先生にお会いしたのは
28年前の6月だった
先生のご自坊 兵庫県但東町・東光寺で
生涯にたった一度だけの尊いお出会いであった

                                                                          


江渡狭嶺(えと てきれい)
 1880.11.13(明治13)1944.12.15(昭和19)
◇思想家。本名は幸三郎。青森県五戸の人。
 1910(明治43)東京世田谷に百性愛道場を開く。牛欄寮を開き寮生を育成。
 わたくし(森信三)が東京で接した東京人のうちで、先きに述べたような臭味を持たない今一人の人に出逢ったが、それは他ならぬ江渡秋嶺氏だったのである。ではどうしてわたくしが、氏のような「野の思想家」を知ったかというに、それは先に述べた京都の福田武雄氏ご夫妻を通してである。そこでわたくしは秋十月上京するや間もなく、上高井戸なる氏の家をお訪ねしたのである。
 氏は青森県五戸の旧家の出であるが、東京帝大の法科二年に在学中に、トルストイの思想に触れるや、人間は額に汗して食ってゆく農民の生活こそ、真実の生活であるというトルストイの信条に心打たれて、大学を中退して武蔵野に入り、一小作百姓として終始せられたのである。わたくしがお訪ねした時通された荒壁の八畳の離れこそ、氏のいわゆる「百姓愛道場」だったのである。わたくしは、半年の東京滞在中に三たび氏を訪ねたが、二度目はわたくしが、研究所へ提出する報告を書くために帰郷しないといったら、「ではわたしの処で年越しをしなさい」ということで、おコトバに甘えて参上したのである。
 年越しソバは、故里の青森から送られたソバ粉で、氏と夫人とで打たれた生粋の品であったし、また元日の朝は、家中の人が「孝経」を読むことになっていて、わたくしもそれに加わったのである。そして最後に三月に入ってお訣れに伺った時には、「もう哲学のことはあなたに委せてよいと思うから、わしはこれから道元の精神を、農道の上に生かすことにしたいと思う」といわれた。そしてそのことは、その後出た氏の最後の著書「地涌のすがた」の中にも書かれていて、その中にM氏とあるのが、即ちわたくしのことなのである。(森信三全集第森信三全集第25207頁から巻207頁から)
 NPO桜並木ネットワークホームページより転載させていただきました。


さくら並木ネットワークについて


3月11日。7年前の東日本大震災の大津波により多くの尊い命が失われた日です。3月10日のさくら並木宮城拠点は宮城県気仙沼市杉之下地区の杉ノ下慰霊碑にて、ご遺族と長野県の「見まもり観音さま 縁の会」の皆様とともに、鎮魂の桜を植樹しました。

宮城県気仙沼市杉之下地区・杉ノ下慰霊碑

杉ノ下地区は7年前の大津波により、地区人口の三分の一にあたる93名の住民がお亡くなりになったところです。犠牲となられた93名のお名前が刻まれている杉ノ下慰霊碑は、防災広場の完成により植樹した場所に移転してきました。
震災後から杉ノ下地区の皆様と心の交流を続けてきた「見まもり観音さま 縁の会」の皆様のご紹介により、さくら並木宮城拠点はこの防災広場の杉ノ下慰霊碑と隣接している杉ノ下八幡神社の植樹の準備を続けてきました。
3月10日の杉ノ下地区は肌寒い天気でしたが、前日に降った雨も止み植樹日和となりました。作業はご遺族と縁の会の皆様とともに、津波の犠牲となられた方達のことをおもい防災広場に18本、杉ノ下八幡神社に5本の桜を丁寧に植樹しました。
そして最後に曽洞宗大林寺増田住職様の法要。この桜が大きくなり、天国にいる杉ノ下地区の住民の皆様に届いてほしいと、心から願わずにはいられない日となりました。
3月11日は東北各地で様々な鎮魂の催しが開催されます。7年という歳月はご家族やご親戚を亡くされた方達の心が穏やかになるには時間が短く、東北沿岸部にはまだ震災の傷痕はいたるところに残っております。さくら並木ネットワークは、ささやかながら東北沿岸部の皆様のお気持ちに常に寄り添い、いつの日か一緒に笑いあえる日が来ることを願いながら歩みを進めるつもりです。
改めまして。
7年前の東日本大震災により尊い命を失われた皆様のご冥福をお祈りいたします。
追記
この杉ノ下地区植樹会の様子は、昨日のNHKの全国と地方ニュースで放映されました。下記サイトよりご覧いただけます。
🌸この杉ノ下地区植樹会は東日本大震災復興支援「JT NPO応援プロジェクト」の資金及び「見まもり観音さま 縁の会」の皆様のご寄付により実施いたしました。
ご協力感謝申し上げます。


🌸   🌸   🌸   🌸   🌸   🌸

3月10日〜11日、「桜植樹と見守り観音堂参拝の旅」に、佐久の和尚様方と総勢55名で参加させていただきました。
桜の植樹をさせていただいた気仙沼市波路上杉の下地区では、93名の方が津波の犠牲になられ、慰霊碑には
絆という題で、いのちの言葉が記されてありました。

   絆

あなたを忘れない
「ここに居れば大丈夫だ」
しかし、無常にも第一波で
下手から家や車が押し寄せ
そして、第二波、第三波が・・・
九十三名の尊い命と
すべての財産が海へと散った
あの一声が無上の無上の叫びに
私たちはあなたを忘れない
いままでありがとう
     こころやすらかに
           杉の下地区民一同

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