山海図絵(伊豆の追憶)大正14年 不染 鉄
いい人になろう
いい人になろう いい人になろう
佐久までの帰りの車中
私はくりかえし そう口ずさんでいた
うっすらと浮かんだ熱いものに
来し方の日々を重ね合わせ
いい人になろう いい心になろう
そう口ずさんでいた
長野市にある、お茶ぐら「ゆいまある」で10月7日、倉石美子さんの「不染鉄先生の思い出」のお話があった。
私は1週間前まで、画家・不染鉄(ふせんてつ)さんという方を全く知らなかった。
9月30日、信濃美術館が開館50年で閉館取壊しになると知り、思い出のいっぱいある美術館を見ておきたいと、最終日に美術館を訪ねたのである。
途中、「ゆいまある」でお昼のカレーをいただいた。その時、吉本さんから「来週、こういう会があるよ」と教えていただいたのが、お話の会であった。
不染鉄画伯の「山海図絵」伊豆の追憶
このポスターの絵に、心を奪われた。
「この絵に会いたい」閃いた一瞬の思い。
吉本さんは、30年前に不染鉄画伯を偲ぶ会を何度か開き、今回スライド化してある不染画伯からの倉石さん宛ての絵ハガキを、スライド上映しながらお話をお聞きするということであった。
「まだ、参加できますか?」吉本さんにそう問いかけると
「これ、定員20人の最後の1枚」
そう言って、番号20の引換券を渡して下さった。嬉しい。
そこへ一人の女性がお店に入ってこられた。
「こちらが倉石さんだよ、今度不染さんの話をして下さる・・・」
人と人の出会いはこんなにも不思議なものなのか。たった今、不染鉄画伯を知り、来週のお話の会の参加を決めたところへ倉石さんが現れ、ご挨拶できる不思議さ。
ああ、ここだな。私は瞬時に亀井勝一郎先生のお言葉を思い出していた。
「人生とは邂逅である」まさに、まさに。
10月7日午後2時からコーヒータイム。ゆったりした思いで倉石さんのお話を待つ。
倉石さんのお話が始まった。不染鉄先生への尊敬と、多くの方に不染先生を知っていただきたいとの心のこもったお話だった。
倉石さんが東京の女子大生であった二十歳の頃、偶然に偶然が重なって、当時奈良にお住まいであった不染先生の許を、友人と一緒にお訪ねしたのが最初の出会いであった。
不染ワールドと仰るほどの衝撃を受けられた倉石さん。不染先生との魂の出会いがすでにその時あったのですね。
それから結婚されるまでの間に七十数通の絵ハガキが届き、その後も届いた絵ハガキの枚数は百枚以上あるという。
「あなたという存在が的になってこの絵ハガキが描ける」
倉石さんは、私宛に描いて下さっている絵ハガキであるけれど、本当は先生ご自身の魂に向かって、全身全霊で描かれているんだと思われたそうである。
「あなたとは僕の良心のみでお付き合いするよ」と言われ、真摯な先生のお姿を大切にされておられるのだ。
薬師寺管長の高田好胤師、数学者、岡潔先生との出会いのお話も印象的で、女子大時代の恩師、周郷先生の
「生きているふりをしているだけでは、本当に生きていることにはならない」
特に心に染み込むお言葉であった。
二部はスライド上映で、不染先生の絵ハガキを、倉石さんが朗読と解説をして下さった。
初めて見る不染先生の絵ハガキの画と、文面。魂に触れるとはこのようなことなのか。
忘れられない絵ハガキがある。葉を落とした柿の木に実がたわわになっている。余白のはがき一ぱいに文が書かれている。
「いろいろなことがある。つまりはいい人になろうと思う。秋がくる、落ち葉になる、菊が咲く、いいひとになろう。芝居を見る、テレビを見る、つまりはいい人になろう。お金がくる、画をかく、つまりはいい人になろう。
いい人になろう、とてもとても、しん切な人になろう。朝目がさめる、すがすがしい、いい人になろう。
うれしいことがある、少し困るような事がある。つまりはいい人になろうと思うと、すべては一ぺんにかいけつする。朝も夜も、毎日毎日いい人になろうと思う。
とてもこの世は楽しくなる。此頃、画がよくなった。心がよくなったからだ。
いい人になろう、いい人になろう、いい人になろう、いい人になろう。
こんなハガキを書くとうれしくなる。あなたの花嫁姿の写真を見る。字には書けない美しい心の人になろうねえ。きっといい赤ちゃんが生まれる。体に気をつけて、食べるものに気をつけて。それからそれから、くれぐれも心に気をつけて。
その心が赤ちゃんの心になる」
倉石さんの、お優しい表情とお言葉が会場いっぱいに広がって、お集まりのみなさんどんなに心豊かになったことでしょう。
倉石さんは最後にこのように言われた。
「不染先生は幻の画家と言われていますが、
まごころの画家だと思っています。」
不染鉄先生より託された思い、倉石さん、私の心にもしっかりと届きましたよ。
11月まで開催の奈良県立美術館「不染鉄」展で、不染鉄先生の魂の絵画に会ってきます。