源三さん
生涯にたった一度だけ
あなたにお会いしましたね
あれは私が二十代初めの頃
源三さんの最初の詩集
わが恵み汝に足れり 出版の記事が
新聞に載った日
詩集が欲しくて
坂城町の源三さんのお宅を訪ねました
源三さんと 一瞬の挨拶をかわしましたね
あれから何十年
源三さんの信仰の源
坂城栄光教会を初めて訪ねましたよ
その日 日曜礼拝があり
初めて讃美歌を歌い
源三さんへの祈りを込めました
お母さんと共に神さまの愛を
いっぱい詩に託されましたね
あなたの祈りの詩
わたしもかみしめて生きていきますよ
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源三さんの詩から
しゃべれない書けない
私の まばたきを見て
一字一字拾って
詩を書いてもらう
一つの詩を書くのに
十分 二十分 三十分
いもうとの愛と忍耐によって
一つ二つ三つの詩が生まれる
神さまに
愛されて
生かされている
喜びと感謝を
詩に歌い続ける
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種をまく 町のポストに
種をまく よろこびの種を
種は芽を出し 花を咲かせる
種は やがて我が家のポストに
ストンと ここちよい音をたてて生えてくる
町のポストと 我が家のポスト
遠くて近い よろこびのポスト
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山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓の落日
映画「望郷の鐘」を見た
中国残留孤児の父と慕われた
山本慈昭師の生きざま
人間とは 国家とは何なのか
深く考えさせられる映画であった
伯母(母の姉)が開拓保健婦として
4歳の長男を連れて
満州、中和鎮信濃村に入植したのは
昭和15年8月だった
敗戦後の 伯母の壮絶な満州逃避行は
伯母が亡くなってから
その手記で知った
生前 伯母は満州でのことは
何一つ語ってくれなかった
いや 語ってもらっても
こちら(私)がそれを受け止めるだけの
内容がなかった
伯母には
語ること以上に沈黙の真実があったのだ
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なやめるS子に
だまされてよくなり
悪くなっては駄目
いじめられてよくなり
いじけてしまっては駄目
ふまれておきあがり
倒れてしまっては駄目
いつも心は燃えていよう
消えてしまっては駄目
いつも瞳は済んでいよう
濁ってしまっては駄目
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1986年 3月24、25、26日の3日間
NHKラジオ「人生読本」で
真民先生がSさんのこの詩を朗読され
Sさんのことを紹介されていた
お一人お一人との出会いに心を込められ
そこから生まれる先生の詩
真民先生は「一会五百生」
と言われた
一人の人間に会うためには
五百回の生まれ変わりが必要と
なんと尊い私の生よ
真民先生にめぐり逢うことができた
私の 命よ
感謝して 私は私を作っていこう
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良寛と童
良寛さんの持つ手毬に
陽が射し まるで宝石のよう
良寛さん 子供たちに
あそぼう あそぼう と慕われ
少し照れて いいお顔
岡山県 玉島・円通寺
良寛さんが若き日に修行したお寺
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