朴思堂だより

打てば響く世界を朴の木の下で思う

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江渡狭嶺(えと てきれい)
 1880.11.13(明治13)1944.12.15(昭和19)
◇思想家。本名は幸三郎。青森県五戸の人。
 1910(明治43)東京世田谷に百性愛道場を開く。牛欄寮を開き寮生を育成。
 わたくし(森信三)が東京で接した東京人のうちで、先きに述べたような臭味を持たない今一人の人に出逢ったが、それは他ならぬ江渡秋嶺氏だったのである。ではどうしてわたくしが、氏のような「野の思想家」を知ったかというに、それは先に述べた京都の福田武雄氏ご夫妻を通してである。そこでわたくしは秋十月上京するや間もなく、上高井戸なる氏の家をお訪ねしたのである。
 氏は青森県五戸の旧家の出であるが、東京帝大の法科二年に在学中に、トルストイの思想に触れるや、人間は額に汗して食ってゆく農民の生活こそ、真実の生活であるというトルストイの信条に心打たれて、大学を中退して武蔵野に入り、一小作百姓として終始せられたのである。わたくしがお訪ねした時通された荒壁の八畳の離れこそ、氏のいわゆる「百姓愛道場」だったのである。わたくしは、半年の東京滞在中に三たび氏を訪ねたが、二度目はわたくしが、研究所へ提出する報告を書くために帰郷しないといったら、「ではわたしの処で年越しをしなさい」ということで、おコトバに甘えて参上したのである。
 年越しソバは、故里の青森から送られたソバ粉で、氏と夫人とで打たれた生粋の品であったし、また元日の朝は、家中の人が「孝経」を読むことになっていて、わたくしもそれに加わったのである。そして最後に三月に入ってお訣れに伺った時には、「もう哲学のことはあなたに委せてよいと思うから、わしはこれから道元の精神を、農道の上に生かすことにしたいと思う」といわれた。そしてそのことは、その後出た氏の最後の著書「地涌のすがた」の中にも書かれていて、その中にM氏とあるのが、即ちわたくしのことなのである。(森信三全集第森信三全集第25207頁から巻207頁から)

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