朴思堂だより

打てば響く世界を朴の木の下で思う

好きな自由律俳句

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自由律・転載

【層雲の先達者達とその代表句】

荻原井泉水(1884〜1976)
 たんぽぽたんぽぽ砂浜に春が目を開く
 太陽のしたにこれは淋しき薊が一本
 空を歩む朗々と月ひとり
 棹さして月のただ中
 わらやふるゆきつもる
 石のしたしさよしぐれけり
 花を花に来て花の中に坐り
 男と女あなさむざむと抱き合ふものか
 ほとももあらはに病む母見るも別れか
 美し骨壺 牡丹化られている

種田山頭火(1884〜1976)
 分け入っても分け入っても青い山
 まっすぐな道でさみしい
 うしろすがたのしぐれていくか
 ほろほろ酔うて木の葉ふる
 生死の中の雪ふりしきる
 鉄鉢の中へも霰
 雪へ雪ふるしづけさにをる
 てふてふひらひらいらかをこえた
 おちついて死ねそうな草萌ゆる
 もりもりもりあがる雲へ歩む

尾崎放哉(1885〜1925)
 せきをしてもひとり
 入れものが無い両手で受ける
 足のうら洗えば白くなる
 墓のうらに廻る
 こんなよい月を一人で見て寝る
 酔いのさめかけの星が出てゐる
 月夜の葦が折れとる
 障子あけて置く海も暮れきる
 肉がやせて来る太い骨である
 春の山のうしろから烟が出だした

秋山秋紅蓼(1885〜1966)
 静かに星が砂のごと湧きいづる空
 かぜがおばなのやまのかたちをふく
 夢の中の女が青い帯しめて来た朝
 夕べの富士の晴れてるを貧しく住む
 梅花無惨散って咲いて散り果てている

芹田鳳車(1885〜1954)
 月が夜どこかで硝子がこわれる
 草に寝れば空流る雲の音きこゆ
 一個の物体林檎が一つまあるく黙す
 さくらの花もさききった夜がひっそり
 真昼で止まった時計の時刻が海へ置いてある椅子

青木此君楼(1887〜1968)
 蜘蛛が巣をあむ月光にはりわたし
 語りつくしたよう小ぶりになっている雨
 一と足うしろへ牛がうごいた
 ならんで背も同じすずめ
 一と鉢の黄菊

木村緑平(1888〜1968)
 こくなに雀がゐる家で貧乏している
 雀が巣に入ったみんなだまってゐろよ
 すずめの春はひろい空が咲いている
 石も木の下がすずしい
 どちらが先に死ぬにしても蝉聴いている

内島北朗(1889〜1978)
 花らんまん陶窯を出し壺を抱く
 頭寒足熱今日の空晴れわたる
 わが壺に水を満たし笑う花の一枝を挿す
 窯の火窯をあふれる星空いっぱいの星
 窯に火を放ちことばなかりき

大越吾亦紅(1889〜1965)
 山で鳩鳴くむかしから人間いてさびしとおもう
 みるみる積る雪降りオルガンは寂かに聞えるもの
 山の兎の白くなりそうしててっぽうでうたれた
 親にそむく心麦踏みてやはらげり
 雲のうらに僅かに月が見えその程度の明るさの町

大橋裸木(1890〜1933)
 陽へ病む
 水にうけて親子三人の三つの桃
 春さきの水平線がすっとあるポスト
 涼む子のおそそがみえたりして涼しいかぎり
 清閑寺ならこうお行きやして春の白雲

野村朱鱗洞(1893〜1918)
 かがやきのきはみしら波うち返し
 はるの日の礼讃に或るは鉦打ち鈴を振り
 麦は正しく伸びてゆき列をつくりたり
 れうらんのはなのはるひをふらせ
 舟をのぼれば島人の墓が見えわたり

池原魚眠洞(1893〜1987)
 月の明るさは音のない海が動いている
 海がばさりともいわず夜が牡丹雪となる
 海が噛みつくように狂う音の二階へ急な階段
 いちにちうちにいて冬の日が部屋の中移ってゆく
 肩寄せて星の暗いのを春と思ってゆく道

栗林一石路(1894〜1961)
 シャツ雑草にぶっかけておく
 もう吸う血がない死顔を蚊がはなれてゆく
 鰯くろく焼けたら火を消せと妻
 いくさあらすな花菜風わたる日のにおい
 銭がころげておちつけば音のさびしい灯

家木松郎
 雨にぬれて花びら心もち発熱する
 鏡の底の詩人と話す少女の首
 波から咲いた梅か月は航海する
 未明の杉少女指よりインキ流し
 風が消え村が消え一月の細身の鴉

小澤武二(1896〜1966)
 絵の消えた絵馬がかかっていた
 土むずがゆく芽を出し芽を出し
 さつと光りてまた風が草を渡るなり
 死顔に化粧する紅が見あたらない
 二人語れば向日葵やゝに廻りけり

河本緑石(1897〜1933)
 冬の夕焼さびしい指が生えた
 あらうみのやねやね
 蛍一つ二つゐる闇へ子を失うてゐる
 迷いあぐんだ街角で枯木になる
 私の胸に黒い夜沼の蛇だ

中原紫童(1899〜1963)
 めおとごと終り夜のさゐさゐと雨ふるや
 蛍一つ戸にすがりこの家喪にをる
 水の上に出て鯉の尾ひれ春うごく
 うまのまつ毛のさみしさは春のゆきふる
 さくらちる人形はいつも硝子の中

牧山牧句人(1897〜1967)
 一点の不安を女が花を買いたい気持
 音感をそのロマンスグレイとはそんな人新刊書
 麦畑の畝の整然と青い拳銃をうつ
 月と美しい空気が冬は目を病んでいる
 灰皿にして貝殻のすいがらのべに

船木月々紅(1897〜1969)
 神は冬をつくりたもう一本の枯葦
 月が静かにさしよればフラスコにある球面
 ハーモニカの音階細長い光を蛍がひく
 四ツの方向から四人が昇って来て絶頂に金色の十字架をたてる
 水の上に浮いて夏の月がやがて水底に沈んでゆくようす

巣山鳴雨(1902〜1982)
 二階から魚屋の魚見えて秋に入る雨
 心にも花散りいそぐまこと春なり
 いちにち風がなく日ぐれて白いにわとり
 炭は炎おさめている椿一輪の赤
 秋が空からそして窓から皿には柿

関口父草(1902〜1999)
 一草一仏とおもう花の白さよ
 冬がざらざらななかまどでごわす
 風がどぎつく鋭く研ぎしもの持ち
 浪がしらほのかにも荒海の暗さなり
 こごえてこごえはてて月のでている枝という枝

海藤抱壺(1902〜1940)
 皿に赤い心臓が深夜の桃
 日に日に薬の紙を手にして三羽の鶴
 クリストの齢なるこそ女に触れぬ我身こそ
 窓に、私の空はいつも横にある
 夢の中の私も病んでねてゐた

橋本夢道(1903〜1974)
 無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ
 妻よ五十年吾と面白かったと言いなさい
 妻よたった十日余りの兵隊に来た烈しい俺の性欲が銃口を磨いている
 精虫四万の子宮へ浮游する夜をみつめている
 妻をはなれて妻がこいしい夜の大阪の灯や河

和田光利(1903〜1991)
 額しろき馬の額あげて夏山幾重
 麦は刈るべし最上の川の押しゆくひかり
 白馬の狂いしづまり緋牡丹の花
 絶巓はさびしにんげんふたり坐る余地なし
 その蛇を打ち樹液したたる枝

井上三喜夫(1904〜1990)
 すずめのあとからすずめがきて うめのえだ
 なんでもない そらが うつくしい ばかり
 わたしは かぜに なりたい 春のかぜに
 かがし かがし これで人の子教えにゆくか
 あさり いまはふたをとじ自分を思っている

松尾あつゆき(1908〜1985)
 すべなし地に置けば子にむらがる蠅(原爆句抄)
 とんぼう、子を焼く木ひろうてくる
 ほのお、兄をなかによりそうて火になる
 かぜ、子らに火をつけてたばこ一本
 外には二つ、壕の内にも月さしてくるなきがら

筒井茎吉(1907〜1996) 
 岸壁の瞑い灯は鯖のぬれて青い雨
 剃刀の感触が鏡のなかの百合の匂いとなる
 酔うた月の裏町のりんごは野性的に囓るべし
 訪ねて雨のさくらの枝が表札のうすらいだ文字
 諍いのあとの冬の苺に添えた楊子

岡野宵火(1916〜1951)
 くちづけ、しろいはなしろくくれている
 かさのなかもはなしがあってゆく
 骨壺のおもみいだき膝におきそうして、おる
 わかれてしまえば月にひらひら遠くなりゆく
 べにのついたすいさしが煙って宵になったばかり

平松星童(1926〜1987)
 なみだふきながららくがきしている
 あいたいとだけびしょびしょのハガキがいちまい
 遠い祭がきこえる金魚水の中で寂しい花火になる
 裸馬に裸の少年水にぬれ月にぬれていく
 ぽっくり死なれてみればまことに冬がおてんきつづき

飯島翆壺洞(1940〜1983) 
 私の内なる丘の春霞に蒼き鹿立てり
 月夜の海がけものの骨あらっている
 美しいけもの罠に陥ち枯野雪ふる
 塚累々ひとの墓うまの墓ちょうの墓
 春の日暮れへ行方不明になった機関車

住宅顕信(1961〜1987)
 若さとはこんな淋しい春なのか
 夜が淋しくて誰かが笑いはじめた
 春風の重い扉だ
 ずぶぬれて犬ころ
 とんぼ、薄い羽の夏を病んでいる

山頭火さ〜ん

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昭和11年5月9日、山頭火さんは甲州(山梨県)から野辺山を越え
佐久に入り、鼻顔(はなずら)稲荷横のこの急坂を上り
 
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関口江畔(こうはん)老・父草さん親子の住む無相庵に着いた。
 
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ここで
 
    風かをる しなののくにの水のよろしさ
 
の句を詠んだ。
 
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      おお、浅間!初めて観るが懐かしい姿
 
と、旅日記に記す。
 
無相庵裏のリンゴ園から見た浅間山
山頭火さんはここから浅間を見つめたことだろう。
信州佐久へ、この日初めて山頭火さんが泊まった。
 
 
 
 

木の芽草の芽

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  木の芽草の芽あるきつづける

               山頭火


犬たちとの散歩コースは、今芽吹きの季節を迎えた。
自由律の俳人、種田山頭火さんは、昭和初期この地を訪れ、佐久の平尾富士や八ヶ岳、浅間山を仰ぎつつ岩子鉱泉への道を歩いた。
芽吹きの季節はこころが浮き立つ、なにもかも喜びで満ちてくる。そんな時、ふと、山頭火さんの孤独を思う。
背には山頭火さんが子供の時に自死したお母さんの位牌を負い、旅から旅を続けた日々。

「木の芽よ 草の芽よ」と、おそらく呼び掛けたであろうその人の寂しさを思う。

生きるため、生き続けるために句作を続け、歩き続けた山頭火さん。
この季節になるといつもこの句がこみ上がり、山頭火さんに「歩け歩けよ」と呼ばれる気がするのである。

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