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蓼科山
白樺湖 蓼科山
爽やかな初夏の風を受けて
高原はみどりそのもの
ふるさとの山々は碧く澄み
真実の歌をうたう
私も歌おう よろこびの歌を
ふしぎ不思議の世界で
人として生きている今の
よろこびの歌を
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こんにちは、ゲストさん
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蓼科山
白樺湖 蓼科山
爽やかな初夏の風を受けて
高原はみどりそのもの
ふるさとの山々は碧く澄み
真実の歌をうたう
私も歌おう よろこびの歌を
ふしぎ不思議の世界で
人として生きている今の
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富弘美術館
命一式 星野富弘
新しい命一式ありがとうございます
大切に使わせて頂いておりますが
大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり
申し訳なく思っております
いつもあなたが見ていて下さるのですし
使いこめば良い味も出て来ることでしょうから
安心して思い切り使って
行きたく思っております
〜 〜 〜 〜
3年ぶりの富弘美術館は
雨上がりの爽やかな空気に包まれていた
開館間もない時間であったので
見学者もほとんどなく
1時間半じっくりと星野さんの詩画に触れた
初めて「風の旅」の本に触れ
星野さんを訪ねた31年前の あの日
その後の 佐久での「花の詩画展」開催と・・・
あわただしくも 懐かしい思い出をかみしめての
美術館 再訪であった |
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しかりべつ湖コタン 行きたい旅
今年6月に然別の湖畔の宿・ホテル福原へ泊まった。
この湖畔で、小宮山量平さん(理論社創業)は、学生時代に五十数日間を過ごされたと自伝小説「千曲川」で知った。
それ以来、懐かしい北海道の地に、新たに「然別」への思いが強く加わった。
然別湖は7年ぶり2度目の訪問であったが、湖畔で泊まったのは初めてであった。神秘の湖・・・・しかりべつ。
然別湖に映る天望山(唇山)の美しさ。
部屋の窓から夜の湖面を飽きることなく見つめていた私に、量平さんの、あのにこやかなお顔が呼びかけてくる
「自分の足で立ち、自分の頭で考えていますか!」と。
小宮山量平さんの若き日の精神形成の源に、ここ然別での貴重な日々があったのですね。
(以下は、然別湖公式webサイトより転載させていただきました。)
http://www.nature-center.jp/kotan/images/message01-2016.png
しかりべつ湖コタン最新情報 ★しかりべつ湖コタン 会期のお知らせ
2016年のしかりべつ湖コタンは下記日程で開催いたします。
2016年1月28日〜3月21日
★開設しました。
11月1日 2016しかりべつ湖コタン公式webサイトを立ち上げました。
今年のしかりべつ湖コタンもご期待ください。
イベント等に関する報告など、確定したものから随時このサイトにて報告いたします。
★コタン建設ボランティアスタッフの受け入れについて
今年も実行委員会では、コタン建設に従事する建設ボランティアスタッフを大募集しています。詳細は下記リンクをご参照ください。
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しかりべつ湖コタン最新情報 ★しかりべつ湖コタン 会期のお知らせ
2016年のしかりべつ湖コタンは下記日程で開催いたします。
2016年1月28日〜3月21日
★開設しました。
11月1日 2016しかりべつ湖コタン公式webサイトを立ち上げました。
今年のしかりべつ湖コタンもご期待ください。
イベント等に関する報告など、確定したものから随時このサイトにて報告いたします。
★コタン建設ボランティアスタッフの受け入れについて
今年も実行委員会では、コタン建設に従事する建設ボランティアスタッフを大募集しています。詳細は下記リンクをご参照ください。
http://www.nature-center.jp/kotan/images/funtou-botan.png
然別湖の建設作業日誌へリンクしています。(FC2ブログへ飛びます)どうぞご覧ください。 |
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小海線にちょうど列車が来ました。
南佐久郡小海町馬流・困民党散華の地
諏訪神社境内の秩父事件戦死者の墓地 秩父事件百十周年顕彰碑 1994年建碑
世の圧政と困窮からの
解放をめざし果敢に
戦いぬいた 秩父困民党
百十年経た 今
われわれは 佐久に
起ちあがりし農民の
強靭な精神と崇高な
志と人間愛に学び
後世に伝えん
困民党志士の
遺志を永遠に
〜 〜 〜
私が大切にしている橋本義夫さんの 「おぢいさんたちへの手紙」
おぢいさんたちへの手紙 橋本義夫
塩野のおぢいさん
小池のおぢいさん
須長のおぢいさん
この声が聞こえますか
この会が見えますか
70年の昔、時の政府の過酷な政策で紙幣の整理が強行され、米の値段が半額以
下となり、農民たちの借金は倍額以上の負担となり、ご一新以来80年間、最もひど
い苦しみをなめさせられました。
おぢいさんたちは、隠居の年数(とし)でありながら止むなく、平民の友、百姓の友と
して起ち、この人々を救うために努力し、町田克敬さんを「借金調べ」に当たらせま
した。ところが官憲は町田さんを捕え、丹精して書き上げた堆高(うずたか)い帳面
を押収してしまいました。
ここに至り、町田さんを救い、借金支払い延期嘆願のために、おぢいさんたちと多く
の農民たちは、ここヒヨドリ山に行進しました。
警察に着いて嘆願すると、官憲はおぢいさんたちを捕えて「兇徒聚衆罪」で監獄に
押し込み、塩野のおぢいさんは6年半、小池のおぢいさんはなおつながれて4年後
に牢屋で亡くなってしまいました。
おぢいさんたちは多くの財を失い、家は倒れ、子供たちにも不幸が長く続きました。
それなのに感謝する人は無く、かえって冷笑さえ浴びました。そして落ち目の人を
白目視し、茶化した事ばかりが、まことしやかに伝えられました。
かくておぢいさんたちの骨は枯れ、ささやかな墓は藪の中に埋もれ、或いは墓石す
らも建たず、泥足にふみにじられ、つばをはきかけられた70年間の歳月が続きまし
た。
塩野のおぢいさん
小池のおぢいさん
須長のおぢいさん
おぢいさんたちは長い長い世の冷酷な仕打ちによくもたえられましたなあ。おぢいさ
んたちの義挙(こと)を炉辺で聞いた少年の私ですら、湧きあがる怒りを押さえるこ
とができませんでした。
「自由民権」を看板に騒いだ連中は、世に出て偉くなり、尊敬されました。然るにお
ぢいさんたちの老いの身を忘れ、下心なく多くの農民のために真底つくした事が埋
もれ朽ち果てることは私には、どうしても解せぬことでした。これで万事終わるなら
この世に、真実も正義もありません。
敗戦後、おぢいさんたちの義挙(こと)が世の鑑(かがみ)である−の判定を公言し
得る時になりました。
70年の今日、おぢいさんたちに勝利の日がようやく訪れました。
塩野のおぢいさん バンザイ!
小池のおぢいさん バンザイ!
須長のおぢいさん バンザイ!
この多くの人々の声を聞き、眼で見ておいででしょう。
塩野のおぢいさん ありがとう
小池のおぢいさん ありがとう
須長のおぢいさん ありがとう
1953年1月25日 困民党70年祭
未見の孫、会の小使 橋本義夫
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