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戦争と平和

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謝花悦子さん

証言

タイトル番組名など氏名収録年月日
「阿波根昌鴻と共に生きて」戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2013年度「地方から見た戦後」
第1回 沖縄 “焦土の島”から“基地の島”へ
謝花 悦子さん2013年5月1日
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チャプター

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戦場となった伊江島04:52
弾薬運搬船爆発事故05:05
理想の農村を築こうとした阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)07:54
再起を期した戦後06:01
米軍に立ち向かった阿波根06:31
戦場と直結した伊江島02:43
ミサイル撤去再生中02:41
新たな訓練施設が伊江島に04:02
基地反対を訴え続けた阿波根昌鴻04:37
基地の中へ消えた土地03:20
阿波根の武器は カメラだった09:53

再生テキスト

阿波根は、「誰の許可を受けてここまでこの怖いものを小さい伊江島に持ってきたか」という事で驚いて聞きましたら、「村長の許可を受けて持ってきた」と言った。そうしたら、「ここには見てみると、調べてみたら、村長の土地は一坪もない。その一坪もない人が、これを侵す許可もする資格はない。これは私たち農民の土地である。土地を持っている農民に相談もなく、許可もなく、土地を持っていない人が、許可するという事は道理に合わない」と。「それはすぐ撤去しなければいけない事になっている」と。「撤去しなさい」と。「村長の許可をもらったというけども、あの人の土地はここにはないんだから。その人が許可する資格も権利もない。すぐ今撤去せよ」と言った。そうしたら、「実弾なので、荒くは扱えない。明日までは待ってください」と言って、「しかたがない」と言って、3日目には撤去させる行動になったわけですね。今のように車なんかないです。自転車の人もいたね。牛の人もいた。耕うん機がひとつあったね。そして真謝の飛行場から港まで、全区民がそのミサイルを前にして、そのミサイルの船が見えなくなるまで港で訴えるんですよ。そうして阿波根は、「これは伊江島には必要でない。沖縄にも必要じゃない。アメリカが必要となれば、すぐ伊江島から直行アメリカに向かって持って行きなさい」というような事をスピーカーで船が見えなくなるまで訴えられて、そうして村民も見えなくなるまで送り届けたという歴史というか行動がありましたね。

プロフィール

戦後、島の三分の二が米軍軍用地とされた伊江島で、土地返還を求める運動の先頭に立ち続けた阿波根昌鴻。謝花さんは、その運動を、阿波根が2002年に101歳で亡くなるまで支え続けた。阿波根と共に建設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の館長を務める。
1937年
沖縄県国頭郡伊江村に生まれる
1944年
本島・今帰仁村に疎開
1945年
伊江島の戦闘で父が戦死
1947年
伊江島に帰島
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                 山本慈昭   望郷の鐘   満蒙開拓の落日      

映画「望郷の鐘」を見た
中国残留孤児の父と慕われた
山本慈昭師の生きざま
人間とは 国家とは何なのか
深く考えさせられる映画であった

伯母(母の姉)が開拓保健婦として
4歳の長男を連れて
満州、中和鎮信濃村に入植したのは
昭和15年8月だった
敗戦後の 伯母の壮絶な満州逃避行は
伯母が亡くなってから
その手記で知った

生前 伯母は満州でのことは
何一つ語ってくれなかった
いや 語ってもらっても
こちら(私)がそれを受け止めるだけの
内容がなかった

伯母には
語ること以上に沈黙の真実があったのだ



   軍隊を持たない国・先人に学びたい (上伊那・Tさん・79歳)の投稿文より
 
 
 
世界には軍隊を持たない国が30近くあるようです。その国はいつ攻められるかと
 
おびえているのでしょうか。
 
「軍隊がないから攻められることはない」と、むしろ安心していると聞きます。軍隊は
 
軍隊を呼びます。軍隊を持たないことが国を守ることに通じるという発想が現実に
 
あるのです。
 
同様に考え、戦争放棄を唱えているのが日本国憲法9条です。憲法作成過程をた
 
どるとGHQの示した草案には9条の条項が入っていなかったと聞きます。入れたの
 
は時の首相、幣原喜重郎とも言われています。日本の過去や将来を見据え「無防
 
は何よりの防御」と見抜き、決断したと思います。
 
米国の押しつけでなく、日本人によって書き込まれたといいます。先人による宝物
 
の9条をむざむざと捨てるわけにはいきません。
 
「攻められたらどうする」とよく言いますが、現在、国同士の戦争は考えにくくなって
 
います。国を守るのに「無防備」という方法があることに気付き、先人の心に思いを
 
はせ学びたいと思います。
 
 
〜   〜   〜   〜
 
Tさんの投稿文を読んで「ずっともやもやしていた思いが晴れた気持ちでいっぱいに
 
なりました」と、投稿された飯田市のYさん。ほんとうにそうですね。
 
今国会の強硬な採決。権力者の奢りと傲慢さを忘れないように、肝に銘じて生きま
 
しょうね。
 
 
 
 
 
 

無言館へ

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         あなたを知らない    窪島誠一郎


  遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ

  私はあなたを知らない

  知っているのは あなたが遺した たった一枚の絵だ


  あなたの絵は 朱い血の色にそまっているが

  それは人の身体を流れる血ではなく

  あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼け色

  あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ


  どうか恨まないでほしい

  どうか咽かないでほしい

  愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に

  今ようやく 五十年も経って たどりついたことを


  どうか許してほしい

  五十年を生きた私たちのだれもが

  これまで一度として

  あなたの絵のせつない叫びに 耳を傾けなかったことを


  遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ

  私はあなたを知らない

  知っているのは あなたが遺した たった一枚の絵だ

  その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ  
 
 
 
家内の実家から15分ほどの所に無言館はある。折に触れここを訪ねている。
 
戦後70年ということもあり、小さな子供さんを連れたご夫婦や、多くの方が館内におられた。
 
画学生の方々が多く自画像を描かれているが、じっと見つめていると何かしらの「問い」を
 
投げかけられる。それは、ご自身への生への問いかけであろうが、今生きている私達への
 
問いかけでもある。
 
私は私の自画像をしっかり描けているのか・・・大切な宿題をいただいた無言館であった。
 


 

前事不忘 後事之師

旧満州・撫順郊外

平頂山(へいちょうざん)遺骨記念館

ここを訪ねたのは8年前

記念館に入る前の道に

大きなアーチに


  前事不忘 後事之師


の文字がが書かれてあった


1932年9月16日

平頂山の麓で何があったか


平頂山事件

どんなに日本軍による戦争を

アジア解放の礎ごとき

美化しようとしても

この建物の中の光景を目にしたら

一瞬に吹っ飛ぶことだろう


  前事不忘 後事之師


かつてお参りした靖国で

戦死した叔父に無言で問いかけたことは

まさにこの八字の真言だった

そしてあらためて

「叔父さん、叔父さんの魂はここにはいないよね」

そう、語りかけた私だった



http://homepage3.nifty.com/dokugasu/kaihou09/kaihou095.html

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