朴思堂だより

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藤原一枝 先生

藤原一枝

1945年、のどかな愛媛県松山市に生まれ育つ。
小・中学生の4年間を北海道留萌市に暮す。
瀬戸内海や北海道の山野で遊びつつ,小学校時代から医師を目指していた。
愛媛県立松山南高等学校・国立岡山大学医学部卒業。
旧姓・三上。
大学卒業後は上京し,1971年に小児科医となり、
日赤中央病院(現・日赤医療センター),
国立小児病院(現・成育医療センター)を経て,
1974年から東京都立墨東病院に小児脳神経外科医として、長く勤務する。
1999年秋から、『藤原QOL研究所』代表。
誕生から死までの人間の暮らし全般について考える時間を確保した。
食育とコミュニケーションこそ,育児や義務教育の基本であるという立場で,
著述・講演を引き受ける。
生命科学の総合雑誌『ミクロスコピア』編集同人。
『いのちと芸術の集い』を、1989年から毎年カザルスホールで開催する
「ホモ・ルーデンスの会」を主宰。
絵本の作品に
雪のかえりみち』(岩崎書店/平成13年度児童福祉文化賞)、
まほうの夏』(岩崎書店)、
湯めぐり一番 道後の温泉』(藤原QOL研究所)、
ちょうかいちょうのキョウコちゃん』(偕成社)。
著書に
『おしゃべりな診察室』(講談社)、
『医者も驚く病気の話』(平凡社)、
『堺O-157 カイワレはこうして「犯人」にされた!』(悠飛社)、
『20世紀のすてきな女性たち 第3巻』(岩崎書店)などがある。

〜   〜   〜

藤原先生の心願により発行された「一麦」の本。

ありがとうございました。この本でのたくさんの出会いに感謝しています。

田村幸志郎氏

田村幸志郎氏
 昭和44年、山口市内に県下で初めての郊外型レストランを開店させた田村幸志郎氏が今月6日、亡くなった。81才だった。
 和菓子の町。外郎が名物の古い町で、洋菓子の製造を始めたのが昭和35年である。大きな成功を収め、社名は昭和、平成と市民に親しまれた。
 経営者として、経済人として、地方文化にも貢献してきた同氏だが、乾坤一滴の戦いを挑んだのは平成8年7月18日告示、8月4日投票の山口県知事選挙だっただろう。
 当時、現職は6選をうかがっていた。それに対し、職を辞して立候補を表明した前・出納長の後援会長を引受けたのである。商工会議所の副会頭、企業の経営者である。6選目指す現職へ大っぴらに対抗するのには余程の決断が必要だっただろう。
 文筆家である。選挙から4カ月後に出た同人誌「蒙談」23号に、「素人後援会長奮戦記」のサブタイトルで次のように書いた。(のち「長州と信州」に収録)
 『・・・勝利のダルマの眼入れ、報道インタビュ−など、今もってはっきり記憶に甦ってこない。唯、夢を見ているような一コマ、一コマである。私は涙の流れるのをこらえるのに懸命であった。思えば長い道のりであった。苦悩多き、茨の毎日の連続であったのである』
 次の情景を読めば、同氏の心境が分かる。
 『・・・4月2日、出納長は辞任された。通常ならば、県三役が退職して県庁を去る時は、多くの職員が玄関前に出て見送り、花束を贈呈し、その労をねぎらうのが普通のことであるという。しかし、誰にも見送られず、唯一人淋しく県庁をあとにしたのである。退職の辞令も人事担当者が自宅へ届けるという異例の処置であった』
 その前・出納長支持の先頭に立った同氏への風当たりの強さを想像できる。結局、現職は立たず、代わりに大臣経験のある代議士を推したが、選挙は大差がついた。
 氏は信州人である。理性的といわれる県民性だが、この時は長く住み着いた長州人の激しさが勝ったのかも知れない。
 氏には複数の著作があるが、平成4年にそれまで新聞、各種会報に掲載した文章をまとめた「清涼」が処女出版だろう。
 推薦文を書いているのは氏が尊敬する地元、老舗百貨店の社長だ。
 本のあとがきによれば、推薦者はこう評したという。『君は所詮、信州人だよ。未だに青臭い書生気質の域を脱していない。そんなところに君の経営者としての障害があり、限界があるのであろう・・・』
 田村氏は、『まさにご指摘の通りである』、と同意している。

 長く馴染まれた店舗はなくなり、“グリンパ−ク”の社名も消えてしまった。しかし、数冊の著書は永遠に読み継がれてゆく。信州の“書生気質”が長州に残した生の記録でもある。

天命庵 大徳寺輝昭様

書画、歌、舞、講演、作家など多彩な表現活動を展開/2000年3月取材

無償で救う人の悩み

活動の場世界に広がる


http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/iihanashi/daitokuji.jpg

氷川神社で奇跡的な体験

書画、歌、舞、講演と日本各地で活躍されている大徳寺昭輝さん(本名・伊藤幸長、三十六歳)は、大変数奇な人生の持ち主なのである。

明治時代、食肉業で財をなした伊藤家の四代目の後継ぎとして多くの従業員やお手伝いさんに囲まれ、砂場や滑り台、ゴーカートまである広いお屋敷の中でお金というものを手に取ったこともなく、全くの「箱入り」状態で幼年期を過ごした。

その生活が一変したのは中学三年生の時である。
家業が破産し、一家五人は狭い長屋で肩を寄せ合うようにして暮らし始めた。

しかし、小さい時から、世間知らずのお坊ちゃんでおっとりと育った彼にとっては、その生活が新鮮で温かくうれしかったと話す。「母はとても明るく気丈で、世間の人が『あれが伊藤の奥様よ。今何をやってると思う』と、わざと聞こえるように話しているのを聞いても、『噂をしてくださるのはありがたいことよ』と毅然としていました。その時、母は自分たちの元の会社で働いていたのです」

貧しいながらも楽しい高校生活を送り、大学入試を前にした十八歳の大晦日。近くの氷川神社にお参りをした彼の身に、常識では考えられない出来事が起こったのである。

その日から三日間、赤い着物を着た見知らぬおばあさんが夢枕に立って「おぢばに来なさい。天理に来なさい」と真剣な顔で呼びかけた。

その頃、お母さんは天理教の娘さんと親交があったので「天理」とは奈良県の地名で「おぢば」とはその天理教の本部のことだということが分かった。

「母はいつも私を信じて私の願いを聞き入れてくれる人でしたので、そのご縁で私は夢に出てくるおばあさんの言葉に従って初めて天理に行くことになったのです」

天理教の本部に行くと奥の御殿で夢に出てきたおばあさんが待っていた。隣の人に誰ですかと尋ねたが、その人には何も見えない。

ところが、彼には赤い衣を着たきれいなおばあさんが壇上から降りてきて、目の前でにっこり笑って「よく来たね」といった声まではっきり聞こえたのである。

しかし、その時は夢の約束を果たしたという安堵感だけで受験のためにすぐに東京に戻った。

ところが、受験前のある日、いつもの神社で柏手を打ち、合格の祈願をして手を合わせていると、急に血の気が引き、心臓の鼓動が大きくなって、その場に倒れそうになった。

そして、別の声が彼の口から出てきて「我は元の神である。約束の年限が来た。お前を神の社(やしろ)として貰い受ける」という言葉を発したのである。

この日から食べ物は一切受けつけず、体は小刻みに震え続け、血を吐くような苦しみが三日三晩続いた。それが治まった時、天理教の教祖・中山みきが示したという教義を、老婆の声で語り始めたという。

「神の社になれと言われても当時十八歳の私には何がなんだか分かりませんでした。言葉が勝手に出てきてしまうのです。父は私が気が違ったといって怒鳴りましたが、母はかぼってくれました」

結局、彼はその後、天理教の修養科に進み、東京に戻ってからは親神様の命ずるままに従って多くの人に神の言葉を取りつぎ、迷っている人の相談に無償で乗るという「おたすけ」の道に入ることになる。

「『おたすけ』ではお金は取るなという親神様の命令でしたが、母は脳溢血で倒れた父の看病で一家の生活は長男である私の肩にかかっていました。生活は苦しくアルバイトをしながら家族を支えるのは正直言って大変なものでした」

勤めていたコンビニから残り物のお弁当を貰って帰り、皆で分け合って食べたこともあったという。


芹沢光治良さんが作品に

そして、ほどなく元日本ペンクラブの会長で「巴里に死す」や「人間の運命」などの作品で有名な芹沢光治良さんと運命の出会いをすることになるのである。

晩年の芹沢さんが、九十六歳で亡くなるまでに毎年一冊ずつ書き上げた「神の微笑」全八冊は、大徳寺さんの存在なしには完成しなかったと言える。

天界と地上界の関わりを見事なまでに書き表し人々を魅了したその作品の中に出てくる「神の言葉を取りつぐ伊藤青年」こそが大徳寺さんその人なのである。

こうしてさまざまな紆余曲折の後、大徳寺さんは天理教という組織からも離れ、神奈川県湯河原にある天命庵で毎月八のつく日に訪れる一人一人に丁寧に神の言葉を取りついで「おたすけ」をしている。

 天命庵の維持費や生計は毎年東京の鳩居室で開かれる書画の個展の他に、各地で開くコンサート活動などで賄っている。しかし、大徳寺さんは、どんなに多くの人が彼の話に引かれて集まってきても決して組織を持とうとほしない。

近頃はその作品や講演が海外でも高く評価さればじめ、大徳寺さんの活動の湯は大きく世界に広がり出している。 (宮崎みどり).


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この人の話

人間は「偉大な力」によって生かされている

私は神様の御用をして報酬を頂こうと思っていません。これは人助けなのですから。それに、もう「宗教団体の時代」ではないのです。あまりにも大きな組織や団体を作ってしまうと、その維持費や運営に心を奪われてしまって、心の成長が妨げられてしまいます。

私は小さいときから不思議とお経を読むことが好きで、誰に教わったということはないのですが、庭の草木や花々、烏、風やお日様と話をするちょっと風変わりな子どもでした。

今多くの人たちは見えるものしか見ようとしません。直接触れられるものしか感じようとしません。旅をしても、景色や建物、あるいは温泉だとかスポーツ施設が完備しているとかいう肉体の喜びばかりに目が奪われています。

けれどもその場所にじっとたたずんで、心を澄ましてみれば、きっと何か別のものが感じられるはずなのです。それは、霊視とか超能力というものではないのです。そこの自然が、そこに築かれた歴史が、それぞれの人に何かをきっと語りかけてくるはずなのです。このことは誰にもできることです。

キリスト教がイエスを神に祭り上げたり、その教えを言葉や論理で捉えようとして、真の教えをゆがめていったように、仏教もまた教団ができるにつれて釈迦の本当の教えを取り違えていきました。

大きな伽藍を建て、黄金の仏を刻み、信者からたくさんの寄付を募ることによって初めて立派な仏の世界が築かれると錯覚しています。伽藍には、教えを伝える僧がいて始めて拠り所となるのです。人を救おうという者がいて初めて意味をなすのです。

この数年、釈迦やイエスの教えを取り違えた宗教者たちが、多くの若者に間違った教えを説いています。私は決して非難しているのではありません。「神とともに歩む」。そのことを多くの人は誤解しています。

神の啓示を受けた者はあたかもスーパーマンか超人のように思うでしょうが、それは間違いです。本当に神の啓示を受けた者は、神の豊かで偉大な力が、あらゆる万物に働いていること、自分がその力によって生かされていることを知り、自分の無力を悟るのです。

今こそ一人一人が魂の救いの世界が本当にあることを信じて立ち上がってもらいたいのです。その意味ではすべての人が神懸かって生きてほしいと思っています。これからも、どんな人の中にもある「神の光」を見つけ出し、育てるお手伝いをしていきたいと思っています。

江渡狭嶺(えと てきれい)
 1880.11.13(明治13)1944.12.15(昭和19)
◇思想家。本名は幸三郎。青森県五戸の人。
 1910(明治43)東京世田谷に百性愛道場を開く。牛欄寮を開き寮生を育成。
 わたくし(森信三)が東京で接した東京人のうちで、先きに述べたような臭味を持たない今一人の人に出逢ったが、それは他ならぬ江渡秋嶺氏だったのである。ではどうしてわたくしが、氏のような「野の思想家」を知ったかというに、それは先に述べた京都の福田武雄氏ご夫妻を通してである。そこでわたくしは秋十月上京するや間もなく、上高井戸なる氏の家をお訪ねしたのである。
 氏は青森県五戸の旧家の出であるが、東京帝大の法科二年に在学中に、トルストイの思想に触れるや、人間は額に汗して食ってゆく農民の生活こそ、真実の生活であるというトルストイの信条に心打たれて、大学を中退して武蔵野に入り、一小作百姓として終始せられたのである。わたくしがお訪ねした時通された荒壁の八畳の離れこそ、氏のいわゆる「百姓愛道場」だったのである。わたくしは、半年の東京滞在中に三たび氏を訪ねたが、二度目はわたくしが、研究所へ提出する報告を書くために帰郷しないといったら、「ではわたしの処で年越しをしなさい」ということで、おコトバに甘えて参上したのである。
 年越しソバは、故里の青森から送られたソバ粉で、氏と夫人とで打たれた生粋の品であったし、また元日の朝は、家中の人が「孝経」を読むことになっていて、わたくしもそれに加わったのである。そして最後に三月に入ってお訣れに伺った時には、「もう哲学のことはあなたに委せてよいと思うから、わしはこれから道元の精神を、農道の上に生かすことにしたいと思う」といわれた。そしてそのことは、その後出た氏の最後の著書「地涌のすがた」の中にも書かれていて、その中にM氏とあるのが、即ちわたくしのことなのである。(森信三全集第森信三全集第25207頁から巻207頁から)

上嶋先生へ

上嶋 様

こんにちは。昨日、ネットで中村佐喜雄先生の追悼文集を読ませていただきました。

私は若い頃、中村先生が斑鳩小学校にお勤めの時、先生をお訪ねして教室で一晩

泊めていただきました。その夜、たくさんのお話をお聞きしました。

今月末に奈良へ旅をするのですが、ふと、中村先生お元気でお過ごしかなあと思い

ネットで先生のお名前を書き込み(中村先生のことを調べたのは初めてでした)

先生が平成9年に亡くなられたことを知りました。驚きでした。

先生は90歳近くになっておられるけど、お元気でお過ごしだろうなあと思っていました。

久しぶりに先生にお会いしたいなあ、そんな思いが沸き上がり調べさせていただいたのです。

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