朴思堂だより

打てば響く世界を朴の木の下で思う

坂村真民先生

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

なやめるS子に

   なやめるS子に


だまされてよくなり
    
       悪くなっては駄目

いじめられてよくなり

       いじけてしまっては駄目

ふまれておきあがり

       倒れてしまっては駄目

いつも心は燃えていよう

       消えてしまっては駄目

いつも瞳は済んでいよう

       濁ってしまっては駄目



〜   〜   〜   〜

1986年 3月24、25、26日の3日間
NHKラジオ「人生読本」で
真民先生がSさんのこの詩を朗読され
Sさんのことを紹介されていた

お一人お一人との出会いに心を込められ
そこから生まれる先生の詩
真民先生は「一会五百生」
と言われた
一人の人間に会うためには
五百回の生まれ変わりが必要と

なんと尊い私の生よ
真民先生にめぐり逢うことができた
私の 命よ
感謝して 私は私を作っていこう

坂村真民先生ご命日に

イメージ 1
 
                                             浅間山
 
 
今日は真民先生のご命日
あの日からちょうど10年になる
 
先生から戴いた
たくさんのお手紙お葉書を拝見しながら
先生との30年のご縁をかみしめています。
 
結婚記念に作らせていただいた詩集「たんぽぽの唄」に
もったいないほどの序文をいただき
お礼方々新婚旅行でお訪ねした折に
道後温泉の宿の手配までして下さいました。
あの時の懐かしい思い出を綴った「朴の木に寄せて」
今日あらためて掲載させていただき真民先生を偲びます。
 
〜    〜    〜
 
     朴の木に寄せて


 浅間が 好き

 そう言って私の許へ嫁いできた おまえ

 長い歳月は

 つるりとまろやかだった足の裏でさえ  

 いくつもの皺をしのび寄らせた 


 子の成長 気丈だった母の認知症

 喜びと かなしみと

 とまどいの交叉する日暮らしの中

 おまえはいつも微笑んで

 私と子どもたちを支えてくれた

 これからも織りなす家族の日々

 二人の心の日記に

 今日は特別大きな字で

 ありがとう と綴っておこう



庭に朴の木がある。私たちの結婚記念に植えた木である。現在高さ十数メートル、見事な大木になった。
この木を記念樹にと思い立ったのは、尊敬する詩人・坂村真民さんの詩を読んでからである。朴の木を愛される真民さんのお心を知るにつけ、このまっすぐに伸びる天上的な姿を私も心の芯としよう、そう決めたのである。

新婚旅行先も四国松山の隣町、砥部町の真民さん訪問であった。
結婚のご挨拶の後、二時間あまりお話を伺い失礼させていただこうとすると
「今晩はどちらにお泊りですか?」と尋ねられた。
「夜行で長野へ帰ります」とお話しすると
「あんたは男だからそれでいいかも知れんが、新婚旅行に来て奥さんが気の毒だ。せっかくの松山、道後温泉でゆっくり泊まりなさい。私の教え子が勤めているホテルに連絡してあげるよ」

思いがけず真民さんに宿まで手配していただいた。家内には「クスッ」と笑われ、今でも「ああ、坊ちゃんゆかりの道後温泉、いいお湯だったこと」なんてのろけられるのである。
さだまさしさんの「関白宣言」よろしく「よーし、結婚生活は亭主関白でいくぞー」と決め込んでいたのだが、道後のお湯に浸かりすぎたのか、初々しい家内の色気に当たったのか、あの夜以来すっかり腑抜けになり、家内の尻に敷かれっぱなしの私である。

子供たちの成長と共に、朴の木も大きくなった。毎年次から次へとたくさんの花を見せてくれる。香りもいい。幹に抱きつき思いも込める。まっすぐな枝を仰いでいると、心が透き通って言葉があふれてくる。
苦労をかけ通しの家内へ「ありがとう」の言葉を添えて、感謝の一編を綴ってみた。


 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
                                 鎌倉・杉本寺 十一面観音菩薩像
 
 
 
   
部屋の壁に曹洞宗宗務庁発行の大きなポスターが貼ってある。
 
鎌倉杉本寺の十一面観音菩薩像が中央に写っていて右上方に
 
一篇の詩が書いてある。
 
 
 
死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなることがある
そんな時お寺を訪ね
わたしはひとり
仏陀の前に坐ってくる
力わき明日を思うこころが
出てくるまで坐ってくる
       
                   坂村真民・詩
 
私が初めて詩人・坂村真民さんの詩に触れたのは、このポスター
 
からであった。
 
佐久市内山にある禅寺・正安寺での青年学級座禅会に参加した。
 
ご住職、塚田耕雲老師に指導を受け、二泊三日の禅体験であった。
 
応接間の壁にポスターが貼られていた。何気なく見ていると、スーと
 
詩が心の中に沁みとおってきた。
 
私は引き込まれるように見つめ口ずさんだ。
 
たまたま近くにおられた老師が声を掛けて下さった。
 
「君はこのポスター気にいったかい?」
 
「はい、観音様のお顔もすてきですが、この詩がとてもいいです」
 
そうお応えすると
 
「その詩を作ったのは坂村真民さんというすばらしい仏教詩人だよ。
 
気にいったらこのポスター持っていっていいよ」
 
老師はそう言いながら、ポスターを外してくるくると丸めて紙に包んで
 
下さった。
 
あれから何十年、このポスターは今も私の部屋に掲げてあるのである。
 
引っ越しや、張りなおしでだいぶ傷んできているポスターだが、真民先生
 
との最初のご縁を結んで下さった貴重なポスターである。
 
 
先生の詩に出会って数年後
 
初めて訪ねた松山の隣、砥部町の坂村真民先生のお宅。
 
真民先生との初めての邂逅。この日を私は生涯忘れない。
 
翌年、新婚旅行で再び砥部町の真民先生のお宅訪問。
 
新たな人生の出発に貴重なお話を戴いた私たち二人であった。
 
 
坂村真民先生の著書に「生きてゆく力がなくなる時」という随筆集があるが
 
私にとってかけがえのない座右の書である。
 
 
 

こころの旅・四国へ

 
  こころの旅・四国へ
 
 今年2月20日から22日まで2泊3日で四国巡りをした。家内と二人揃っての四国への旅は、新婚旅行以来35年ぶりであった。
 佐久平駅午前6時24分発の新幹線あさま号で東京へ、東海道新幹線のぞみ号に乗り換えて岡山に向かう。途中、富士山がとても良く見え、それだけでだいぶ徳をした思いだ。カメラのシャッターを疲れるほど押した。子供のようにはしゃぐ私を見て、家内はもう呆れている。
 名古屋、米原を過ぎ列車は滋賀県内へ。二十歳の頃、この地で学んだ日々が懐かしい。近江富士、比叡山、比良山、そして大きな大きな琵琶湖。ここは私の第二のふるさとである。
 神戸を過ぎ姫路城が見える。お色直しをした姫路城を初めて見た。なんと美しい姿であろう。きれいになった天守閣へぜひ登って見たい。
 岡山到着11時10分。ここから宇野線・瀬戸大橋線で四国へ入る。新婚旅行の時は、岡山から宇高連絡船のフェリーで高松へ渡ったのだ。
「連絡船内で食べた讃岐うどんがとっても美味かったね」と家内は時々言う。私はその味がどんなだったかすっかり忘れたが「ああ、うまかったなあ」と言って家内に合わせている。
 「人間ってすごいね。こんなに大きな橋を作ってしまうんだもの・・・」初めて瀬戸大橋を見て渡って、実感している家内だった。瀬戸内の美しさにみとれて、行き交う大小の船にも呼びかけたくなる。
 「ああ、四国よ、こんにちは。久しぶりだね」
 2月下旬は長野ではまだ氷点下なのに、さすがに南国である。田畑のみどりが鮮やかだ。菜の花も咲いている。気持ちもほかほかしてくる。
 午後2時15分松山駅に着く。佐久から8時間の列車旅であった。駅前のレンタカーを予約してあったので、手続きを済ませ一路、砥部町へ向かった。私は何度も松山へ来ていたが、市内を車で走るのは初めてであった。
 松山城や路面電車の風景が心を躍らす。30分ほどで砥部町へ着く。
 「坂村真民記念館」はすぐに見つかった。もっと山間に建っているのかなと思っていたが、静かな家並みの続く街中の記念館であった。
 真民先生の娘さん、真美子さんは用事で出かけておられた。1時間ほどで戻られるとお聞きしたので、先に「砥部焼伝統産業会館」を見学させていただいた。
 砥部焼の歴史的作品から、現代の作品まで、大小様ざま。それはそれは見事な展示作品であった。砥部焼が好きな私は、もう食い入るように一点一点じっくり見て歩いた。
 2階の展示場に、青芳窯・森元青芳さんの青芳人形がたくさん展示してあった。なんとも微笑ましいお顔としぐさ。我が家にも、たくさん青芳人形が飾ってあるが、砥部の町で見る人形は格別にいい。
 坂村真民先生との願いによって作られた「念ずれば花ひらく人形」。私が「念ずれば花ひらく人形」に出会ったのは、阪神大震災のあと間もなくのことだった。
 避難所になっていた東灘区にある養護学校へ、一燈園の石川洋先生とご一緒に炊き出しのお手伝いに参加させていただいた。その帰路に寄せていただいた大津の三井寺・遊心庵でこのお人形に初めて出会ったのだ。
 庵主様の、岡部善恵(ぜんね)さまは「すてきでしょう、このお人形」と宝物のように私に見せて下さった。
 いつの日か私も「念ずれば花ひらく人形」を私の部屋の祈りの間に飾りたい・・・・
そんな願いが生じ、ずっと思っていた。それから10年が過ぎた頃、不思議な縁で我が家に「念ずれば花ひらく人形」が来て下さった。
 「念ずれば」は合掌のお姿、「花」は手に花を掲げ、「ひらく」は両手を合わせてひろげている仕草。三体の人形でひとつ。今は、毎朝の祈りの中心にいてくださるのである。
 1時間が瞬く間に過ぎ、再び坂村真民記念館に向かった。館長の西澤孝治さんと真美子さんは待っていて下さった。昨年、東京の「相田みつを美術館」での「坂村真民展」でお会いした折に「真民先生の記念館をお訪ねします」と、お約束してあったのだ。
  記念館は東北の大震災の翌年、2012年3月11日に開館した。3月11日の開館にも大きな意味が込められている。
 真美子さんに案内していただきながら、真民先生の掛け軸や額に入った詩墨を見させていただく。家内は、真民先生のこんなにたくさんの詩墨に触れるのは初めてであった。
  
 
 

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事