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日々精進 これ行なり

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本年度、30周年を迎えた『曹洞宗新潟県大三宗務所青年会』

記念事業としまして、11月21日上越文化会館にて
アルボムッレ・スマナサーラ長老からお話をして頂く事になりました。

このお方は、現在日本で活動しているスリランカの上座部仏教(テーラワーダ仏教)の僧侶で、
スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老です。
上座仏教の教義、およびヴィパッサナー瞑想を普及活動しておられます。

当日は「ブッタの教えと禅の心−スマナサーラ長老、道元禅師を語る−」
と言う事で瞑想を中心に上座部仏教の布教・教化に取り組んでこられた立場から
道元禅師の只管打坐の思想をどのように捉えているのかなどのお話を頂きます。

聴講料金は無料ですが、チケット予約制です。
現在約600枚出ております。
会場は約1500人収容可能ですので、まだまだ余裕があります。
是非とも多くの方のご来場をお待ちしております。


連絡先
曹洞宗新潟県第三宗務所青年会
080-4141-4493
又は 普済寺清水
090-1113-2603

転載元転載元: うちのお寺

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挨拶

挨拶(あいさつ)

 「一言、ご挨拶を申し述べます」−儀式などのときに、よく聞かれる言葉です。挨拶状などという手紙が来たりもします。ちょっとすごんで「挨拶してやるぞ」とか、冷たく「ご挨拶ですね」とか、挨拶は今では日常用語になってしまいました。
 しかし、挨拶という言葉は、もともと仏教語なのです。挨は「押す」こと。拶は「せまる」という意味から、挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。禅家では、「一挨一拶(いちあいいつさつ)」といって、師匠が門下の僧に、または修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。これが挨拶なのです。

 そこから転じて、現在のように、やさしく、応答とか返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになりました。

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アイウエオ

 電話番号帳、辞書、名簿。みなアイウエオ順に並んでいます。昔は、順序符号に「いろは」順を使うことが多かったようですが、最近は「アイウエオ」順が普通になりました。
 この「五十音図」が仏教語という訳ではありませんが、『広辞苑』に「国語音に存する縦横相通の原理を悉曇(しったん)の知識によって整理して成ったものか。また、悉曇より出たもの、漢字音の反切のために作られたものなど、その発生については諸説ある」とあります。

 悉曇とはインドの言葉のサンスクリット語(梵語)の文字のことで、仏教経典にも用いられたものです。だから、悉曇学は仏教者の学問でもあります。

 五十音図は梵語の母音の中からアイウエオをとり、それに子音の同じものを同行、韻の同じものを同段として、アカサタナハマヤラワの順で配列していますが、これは梵語の配列とよく似て、悉曇の影響を窺わせます。

 「いろは」といい「アイウエオ」といい、やはり、日本文化の底には仏教が流れていますね。

 バレンタインデーに、女性が愛する人にチョコレートを贈るようになったのは、いつからのことなのでしょうか。とにかく、街には愛のチョコレートがあふれています。
 歌謡曲にも愛はよくうたわれています。「愛なくて歌謡曲なし」という人もいるくらいです。

 この愛が仏教語です。仏教では「一切苦悩を説くに愛を根本と為す」と『涅槃経』にあるように、愛は迷いや貧(むさぼ)りの根源となる悪の心の働きをいいます。のどが渇いたときに水を欲しがるような本能的な欲望で、貧り執着する根本的な煩悩を指します。

 愛欲、愛着、渇愛などの熟語は、そのような意味をもっています。

 一方、仏教では、このような煩悩にけがされた染汚(ぜんま)愛ばかりでなく、「和顔愛語」のように、けがれていない愛も説かれています。仏菩薩が衆生を哀憐する法愛がそれなのですが、この場合には、たいてい「慈悲」と呼ばれているようです。

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坐禅修行

結跏趺坐(けっかふざ)
 右の足を左の股の上に乗せ、
 左の足を右の股に乗せる姿勢
で背筋を伸ばし、右の手を左の足に、
左の手を右の掌の上に置き、
両手の親指の面の相を支える。
半眼の目で三尺前をみつめ
肩の力をぬいて下腹に気をみたす。

これが坐禅ですが、
最近は雲水にかぎらずストレスの多い現代人が
禅道場の門を仰ぐケースがみられる。

釈迦は生死の苦悩を脱却するために
6年間山にこもって修行した。
禅宗の開祖 達磨大師は面壁九年。
そしていま、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の各宗は
専門の禅道場で日夜修行にはげんでいる。

私達は自分の悩み苦しみから脱出せんがために
禅を手段とする考えに陥りがちだが、
大乗仏教の思想から生まれた禅修行は、
本来より高い次元を出発点とする。
「衆生は無辺なれど誓って度せんことを願う」
「煩悩は無量なれど誓って断ぜんことを願う」
「法門は無尽なれど誓って学ばんことを願う」
「仏道は無上なれど誓って成ぜんことを願う」
これは「四弘誓願」とよび、
『坐禅儀』に説かれる仏教の真髄である。
ゆめゆめ自分一人の安心のために坐禅をしてはならない、
と言うことである。

転載元転載元: うちのお寺

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