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 今回の(昨年10月の)日本一周の旅も予定した行程の道半ばで挫折、残された越前〜加賀〜能登〜越中〜越後は次の機会に訪ねます。
 
 福井県最後の訪問地、福井県南条郡今庄にある板取宿を訪ねたあと、県境を越え岐阜県に入り、西国三十三観音霊場満願の地谷汲山華厳寺にお参りし、今回の日本一周の旅を終えます。
 
 
 
 戦国時代までの越前への陸路は、山中峠を越える古道(万葉道)と木ノ芽峠を越える北陸道(西近江路)だけでした。柴田勝家が「北ノ庄」に封じられ、信長の居城安土城に赴く最短距離として天正6年(1578)北国街道栃ノ木峠の大改修を行いました。以来人馬の往来は煩繁となり、板取宿を置き宿馬・人足も常備されました。
 慶長5年(1600)徳川家康により結城秀康が越前に封じられると、越前・近江の国境である栃ノ木峠下の板取をもっとも重要視し、関所としての口留番所を置き、往還の旅人を取り締まりました。
 
 
 木ノ芽峠、あるいは栃ノ木峠を下って来ると板取宿の入口です。
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 板取関所跡です。平屋建ての棟に、役人3人、足軽1人が常駐し、厳重な取り締まりをしていたとか。
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 板取宿は北国街道(東近江路)の玄関口として、あるいは近江・越前両国を結ぶ要の宿として発達します。幕末の頃の板取宿は、上板取(ここ)・下板取りあわせて旅籠7軒、茶屋3軒、問屋3軒あり、全部で53軒300人ほどでした。
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 今でも茅葺の建物が残っており、往時の雰囲気を色濃く残しています。
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 妻入り兜(かぶと)造り型民家というのだそうです。正面から見ると、兜の形にみえることから兜造りと呼ばれるとか。妻側の茅葺の屋根のすそを切り上げて、二階の採光と通風をよくしています。軒桁が美しく飾られていますね。
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 苔むした茅葺屋根に長年の風雪を感じます。往時を偲ぶ建物は、この茅葺妻入り兜造り型建物2棟と、茅葺妻入り入母屋造り建物2棟の4軒のみとなっています。しみじみと懐かしい郷愁を感じさせる建物群ですが、やがて滅びゆくものの美しさを十分に醸し出しています。
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 板取宿から栃ノ木峠方面に向かうのが北国街道。木ノ芽峠方面に向かうのが北陸道(西近江路)です。木ノ芽峠は、福井県の嶺北地方と嶺南地方を分ける峠で、道元禅師や明治天皇も越えた由緒ある峠です。
 峠には峠の茶屋(前川家)がありました。茶屋といっても旅人に湯茶を接待する茶屋でなく、代々峠を越える大名に湯茶を接待する「茶屋番」だったそうです。 
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                                                            2010.10.16

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