四国八十八ヶ所遍路

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 平成15年春、四国88ヶ所巡礼を中心に四国一周、そして高野山にお参りした。

 二週間の車によるお手軽なお遍路ではあったが、数珠を手に般若心経を唱え、寺々をまわることによって、うまくは表現できないが、なにがしかの得るものがあったような気がしている。

 高野山にて、暗闇のお堂の中でただ一人、一本のローソクにほのかに浮き出た阿闍梨様から授戒を受けたときには、なぜか目頭が熱くなったことを鮮明に覚えている。

 阿闍梨様から語りかけられた内容は、定かではないが、「山川草木すべてのものに仏性があり、人はそれらによって生かされている」「十善戒を守るように努める」というようなお話だったように記憶している。

 いつの日か、今度は歩いて廻りたいものである。そうすればまた違ったものが見えてくるにちがいない。

                                 南無大師遍照金剛

 
 

高野山、奥の院

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 弘法大師が入定されている御廟を中心とした奥の院は、大師信仰の中心聖地として、壇上伽藍とならんでもう一つの聖域である。拝殿でもある燈籠堂では、永遠の生命のシンボルたる不滅の火が燃えつづけている。

     虚空尽き、衆生つき、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん


 一の橋から中の橋を経て御廟まで、約2キロの表参道は、国の史跡でもある数十万基の墓碑群と老杉の巨木が立ち並び、大小さまざまな供養塔は、弘法大師の高野山が千数百年の歴史の中で、宗旨宗派を問わず広く尊崇を集めてきたことを示している。


     ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おわしますなる 


                           (御廟は撮影禁止につきパンフレットより) 

高野山、壇上伽藍

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 約1200年前、唐で学んだ真言密教を日本に伝えた弘法大師は、政治や世俗から離れた静かな環境のもとで修行する道場を高野の地に定め、その建設を朝廷に願い出た。嵯峨天皇は、願いを即座に許可しこの地を与えた。

 勅許を得た大師は高野山の峰々に囲まれた盆地を浄土と定め、この地方の地主神・丹生明神(丹生都比売大神)をを勧請する。これが高野山の歴史の始まりであり、壇上伽藍建設の第一歩である。

 高野山の中心部に位置する壇上伽藍は、弘仁7年(816)大師が建設に着手した本格的密教伽藍であり、大師の生前に完成は見なかったものの、その遺志は多くの弟子に受け継がれ、9世紀初頭には根本大塔、金堂など巨大木造建築物群が完成、インドから中国そして日本へと伝えられた真言密教は、ここ高野山壇上伽藍において花開いたのである。

 この伽藍は、東西に根本大塔と西塔を、中央に金堂、地主神(御社)を配している。根本大塔は胎蔵界、西塔は金剛界の世界を示し、両界の大日如来と四仏を安置している。

 根本大塔は、世界で初めて建設された木造多宝塔であるが、焼失、再建を繰り返し、現在の塔は、昭和12年再建されたものである。高さ48.5m、四方各25mまさに真言密教の根本である。

 西塔は、光考天皇の勅命で仁和3年(887)創建。現在の塔は後天保5年(1834)再建された。本尊の木造大日如来は、9世紀末期の作で高野山に現存する最古の仏像である。

 金堂は、弘仁10年(819)明神社建立の後、伽藍諸堂のうち最初に建設されるも、幾度となく焼失。現在の建物は昭和9年に再建。内部壁画は木村武山が描き、諸仏は高村光雲が伝統にもとづく様式で製作。


 壇上伽藍は、世界に例のない山上の宗教都市高野山の中心として、弘法大師以来の信仰が現代に受け継がれる歴史的な聖地である。
 

 

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 88ヶ所お遍路の旅もここが最後、結願の寺である。

 行基が御堂を建て、後に弘法大師が奥の院となっている岩窟で求聞持法を修め、大きな窪のそばに堂宇を立て、薬師如来を刻んで安置。唐の恵果阿闍梨から授かった錫杖を納めて結願寺と定めたと伝わる。

 女人の入山が早くから認められていたため、女人高野として大いに栄えたが、戦国時代の兵火により焼失。江戸時代に松平氏によって伽藍が再建された。明治33年の火災で再度焼失するも、その後の歴代住職によって再興された。

 本尊の薬師如来は、普通左手に薬壺を持っているいるのだが、ここの薬師如来は、ほら貝を持っているという珍しいものだそうである。残念ながら絶対秘仏で拝観できない。

 大師堂脇にある寶杖堂に、巡拝を終えたお遍路さんが金剛杖を奉納していく。この杖は柴灯大護摩で供養されるという。


      南無薬師 諸病なかれと 願いつつ 詣れる人は 大窪の寺

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 行基が柳の木で聖観世音菩薩を刻み、本尊として安置したのが開基という。後に入唐前の弘法大師が訪れ、唐での無事と成功を祈願し護摩修行を行い、修築したと伝えられている。

 度重なる戦乱により焼失したが、藩主松平頼重の厚い帰依をうけ、讃岐の国七観音随一といわれ、隆盛を極めた。

 この寺は、源義経の愛妾、静御前が義経亡き後剃髪し、尼になった寺として有名である。境内にその髪を埋めたという剃髪塚がある。

 山門の前に鎌倉時代の経憧が立つ。蒙古襲来に出征した将兵の霊を祭るため建てられたものである。


      あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えよ

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