西国三十三観音巡礼

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 私の西国三十三観音巡礼は、平成16年(2004)4月、日本一周の旅(山陽・山陰の旅)の最初の訪問地書寫山・圓教寺を訪ねたことに始まります。
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 前年に四国一周し、そのおりに四国八十八ヶ所を廻ったこともあり、いずれ西国三十三所も順礼したいと思いたち、27番札所、書寫山・圓教寺で納経帳を求めたのです。
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 以来、紀伊半島一周の旅や、中山道近江路歩き、京の旅、南近畿の旅などの途次に訪れ、6年半をへて平成22年10月16日、谷汲山・華厳寺にて満願を迎えることができました。
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 無事満願できたのも、長きにわたり大過なくこられたのも、熱心にお願いすれば必ず応えてくれるという観音さまのお陰と思っています。          南無観世音菩薩 
 
 
 
 今なお、多くに人を引き付けてやまない西国三十三所の観音巡礼は、奈良時代の末、長谷寺の徳道上人がその礎を開いたとされています。人々が寺々を巡るようになったのは、平安時代の後半、花山法皇が再興してからのことといわれています。初めは修行僧や修験者などでしたが、室町時代も半ば過ぎると、徐々に庶民が講組織を作り、巡るようになります。江戸中期には庶民化もたかまり、順礼ブームが起こります。
 
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                                         花山法皇画像
 
 
 困ったとき、つらいとき、人々の心の支えになってきた観音さま。西国三十三所巡りは、そんな優しい観音さまに出会う旅です
 
 観音とは「観世音菩薩」のことで、紀元前一世紀頃から二世紀頃までに成立したとされるお経『法華経』の中に、慈悲深い観音さまの存在が説かれています。そこには私たちが困ったとき、観音さまがさまざまな姿に化身して救ってくださるとあり、その姿が三十三あることから、西国三十三所が設けられたと伝えられています。
 
 
 観世音菩薩にはさまざまな種類がありますが、西国三十三所の御本尊として祀られているのは、聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、准胝観音、如意輪観音、不空羂索観音の7つです。
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                               第5番紫雲山・葛井寺の本尊 十一面千手観音坐像(国宝)   
 
 
 
 
  霊場をお参りするときに、唱える歌を「御詠歌」といいます。そののびのびとしたメロディーは独得の哀愁を帯び、聞く人の心を打ちます。  
 
  その歴史は古く、西国三十三所を再興した花山法皇が、1番の青岸渡寺で詠まれたものが始まりといわれています。
 
        補陀洛や岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝津瀬
 
 観音さまの浄土(補陀洛)に打ち寄せている波の音は、熊野三社の那智の滝の音に呼応し、まるで観音さまの説法のように聞こえる。(頼富本宏訳)
 
 
 日本人の心に響く、御詠歌の旋律。巡礼者には道中の苦労を労わり、聞く人には安らぎを与えてくれます。              
                                                               
 日本一周の旅(大和・阪南、南近畿、北近畿)の帰りの、平成22年10月16日にお参りしました。今回の旅は日本一周の旅でありましたが、西国三十三観音順礼結願の旅でもありました。
 
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 美濃国にある谷汲山・華厳寺は、西国巡礼第33番札所。すなわち、満願のお寺です。桜並木を歩くこと約10分。
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  荘厳な仁王門が迎えてくれます。運慶作と伝わる仁王像や、2メートルを超える巨大草履などを見ながら門をくぐり境内に入ります。
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 108基の石灯籠が並ぶ参道を行くと、石段の両脇には、「南無十一面観世音菩薩」と書かれた奉納ののぼりがひるがえり、階段を登って本堂に向かいます。
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 線香の煙たなびく本堂には、飛鳥時代作の本尊十一面観世音菩薩(秘仏)が安置され、お堂の床下は戒壇巡りになっています。
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 延歴17年(798)会津の大口大領という人が豊然上人とともに堂を建て、十一面観音像を祀ったのが始まりと伝えます。堂の建設中、谷の岩穴から油が湧き出し、それを汲んで燈明に用いた、という話を伝え聞いた醍醐天皇が、「谷汲山」という山号を贈ったといいます。天慶7年(944)には朱雀天皇が勅願寺とし、花山法皇の巡幸も受けて隆盛を極めますが、兵火などによる衰退と再興を重ね現在に至ります。
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 巡礼者が万感の思いをかみしめる結願の霊場、花山法皇が巡幸の際に西国札所の満願所と定め、三首のご詠歌を奉納しました。
 
  世を照らす仏のしるしありければ まだともしびも消えぬなりけり・・・現在を表わす本堂のご詠歌
 
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 今までは親と頼みし笈摺(おいずる)を 脱ぎて納むる美濃の谷汲・・・未来を表わす笈摺堂のご詠歌
 
 笈摺堂にはたくさんの笈摺や杖が奉納されています。花山法皇の笈摺も奉納されているとか。
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 万世(よろずよ)の願いをここに納めおく 水は苔より出る谷汲・・・過去を表わす満願堂のご詠歌
 
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 本堂向拝の柱には、「精進落としの鯉」が掛けられています。この鯉をなでることで精進の日々から俗界に戻る習わしといいます。 
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 平成16年(2004)4月28日、播磨の国、書写山円教寺でスタートした西国三十三観音巡礼の旅も、6年半かけて無事満願を迎えることができました。・・・南無観世音菩薩
 
 谷汲山を後にします。
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                                                              2010.10.16
 日本一周の旅(北近畿の旅)の途次平成22年10月14日お参りしました。
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 青葉山は別名「若狭富士」と呼ばれるほどの美しい山です。唐の国から渡来した威光上人が、祖国の霊峰馬耳山にそっくりなこの山を発見し、中腹の松の木の下で経文を唱えたところ、馬頭観音を悟り、その場で草庵を結んだのが始まりとされています。
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       そのかみはいくよへぬらん便りをば 千歳もここに松の尾の寺
 
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 三面八臂の忿怒の形相をした馬頭観世音菩薩坐像(お前立) 胎内に威光上人が刻んだという像が納められています。
 その恐ろしい形相からは観音さまのイメージには程遠いですが、観音さまには慈悲の方便としての怒りの面もあります。
  西国三十三観音霊場の中で馬頭観音を本尊とするのはこのお寺だけです。
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                                                          2010.10.14
 日本一周の旅(南近畿の旅)の途次の平成22年10月12日に訪ねました。
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 播州清水寺は、標高552mの御嶽山山上にあり、昔は難所の一つでしたが、今では山上まで車で登れます。
 
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 石垣が続く参道を歩くと「池の禅尼(平清盛の義母)」が創建したという薬師堂があり・・・ 
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 池に沿って西国三十三観音巡礼札所の大講堂が建っています。
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 神亀2年(725)聖武天皇の勅願で行基が建立したと伝えられますが、現在の建物は大正6年に再建されたものです。
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 堂内正面内陣に、十一面千手観世音菩薩坐像が黄金に輝いています。
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     あはれみや普(あまね)き門(かど)の品々に なにをかなみのここ清水に
 
 
 今から1800年前の第12代景行天皇のとき、天竺(インド)から渡来したという法道仙人が、御嶽山に鎮護国家・豊作を祈願したのが始まりと伝えます。
 
 山上は水が乏しく、法道仙人が水神に祈願すると霊水が湧き出たことから清水寺と呼ばれるようになりました。「おかげの井戸」と呼ばれ、水面に顔を映すと3年は長生きするとの言い伝えがあります。
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 大講堂から北に石段を上ると推古天皇の勅願所として開かれた根本中堂が建っています。法道仙人が自ら刻んだと伝わる十一面千手観世音菩薩像(秘仏)が安置されているそうです。 
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 聖武天皇や源頼朝などの帰依により隆盛しますが、大正2年に発生した山火事によって伽藍が焼失、現在の堂宇5棟は、大正6年以降に再建されたものです。
 
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 日本一周の旅の途次の平成22年10月11日訪れました。
 
 
 花山院は、西国巡礼を世に広めた花山法皇が隠棲したところです。阿弥陀ヶ峰の山上にあって、麓から急こう配の坂を登ります。このあたり「琴弾坂」といい、花山法皇を慕って都から女官たちが訪ねてきたが、女人禁制としたため尼となって山麓に草庵を結び暮らしたとといいます。
 その女官たちが花山法皇を慰めるため琴を弾いたという場所です。
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 こぶりですがそれなりの風格のある山門です。
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 法道仙人が開いたというお寺ですが、花山法皇が隠棲し、寛弘5年(1008)41歳の若さで崩御されます。花山法皇が崩御された後、菩提を弔うお寺となりました。
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 花山法皇は安和元年(968)冷泉天皇の第一皇子として生まれ。17歳の若さで天皇に即位しますが、藤原家の陰謀により退位出家し法皇となります。
 
 花山法皇は書写山の性空上人を尋ね、その後熊野那智の滝で千日籠り修行します。そんなある日熊野権現が現われ三十三所の宝印のことを告げたといいます。
 
 …三十三所の宝印とは、奈良時代徳道上人が急な病で亡くなり、冥途の入口で閻魔大王に会います。「お前は地獄に来るのはまだ早い。娑婆に戻って人々を地獄に来させないように三十三所の観音霊場を広めなさい」といわれ、閻魔大王から三十三所の宝印を預かったのです。
 娑婆に戻った徳道上人は養老2年(718)頃巡礼を進める活動をしますが、当時の人々には受け入れられず、やむなく宝塚にある中山寺(第24番札所)の石棺の中に埋めたのです。…
 
 お告げを受けた花山法皇は中山寺から宝印を掘り出し、西国巡礼の旅に出たのです。熊野を出発し、紀伊、和泉、河内、丹波、山城、摂津、播磨、近江。そして美濃の谷汲山で旅を終えます。
 順礼再興の旅の途中数々の歌を詠み、これが御詠歌の始まりといわれています。
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      有馬富士ふもとの霧は海に似て 波かときけば小野の松風
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 境内から有馬富士が遠望できます。
 
 
 花山法皇の御廟所
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 山麓で暮らした女官たち十二妃の墓。
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