紀伊半島の旅(05秋)

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 日本一周の旅、紀伊半島編として、平成17年秋、一週間、1260キロの旅をした。この想い出を写真と文で綴ったものです。

根来寺・粉河寺

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 根来寺…新義真言宗総本山根来寺という。興教大師は弘法大師がに入定してから260年後、九州佐賀で生まれる。13歳で京都仁和寺に赴き出家得度を受ける。以来真言宗の奥義を修め高野山に大伝法院と蜜厳院を創建。弘法大師の流法を統合し衰えていた高野山を復興、真言宗中興の祖といわれている。
 教義上の対立から高野山を下り、新義真言宗の根来寺を創建した。

 室町時代末期には、寺院の建物は2700を数え、寺を守るための僧兵は3万人いたといわれる。ポルトガル人によって伝えられた銃を手に入れ、日本初の鉄砲集団を作り上げた。
 天正13年(1585)豊臣秀吉の根来攻めでほとんどを焼失、焼失を免れた大塔(国宝)、太子堂(重文)以外は江戸時代に復興されたもの。


 粉河寺…西国三十三観音第3番札所。奈良時代末宝亀元年(770)、千手観世音菩薩を本尊として創建。鎌倉時代は七堂伽藍が整い隆盛をきわめたが、豊臣秀吉の根来寺(上記参照)攻めにより全山焼失。江戸時代に再建された。
 本堂、千手堂、大門、中門が重要文化財に指定されている。

 

紀三井寺

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 唐の僧、為光上人によって開かれた。関西一の早咲き桜の名所として有名で、西国三十三観音2番札所である。
 和歌山城に近く、歴代藩主が訪れ、徳川家の繁栄を祈願した寺である。

 境内には日本の名水百選に選ばれた三つの井戸があり、寺名の由来となっている。この水を飲むと、煩悩を消し去り、仏の三昧に入ることができるといわれている。

 楼門をくぐると、231段の急な石段がある。この坂を結縁坂という。

 「江戸の豪商、紀ノ国屋文左衛門は、若い頃ここ紀州に住む貧しいけれど孝心篤い青年であった。
 ある日、母を背負って表坂を登っていたところ、草履の鼻緒が切れてしまった。困っていたところ玉津島神社の宮司の娘が通りかかり、すげ替えてくれたのをきっかけに二人は結ばれた。その後、宮司の出資金によって舟を仕立て、みかんと材木を江戸に送り、財をなしたという。

 紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった表坂は、それ以来「結縁坂」と呼ばれるようになった。


 紀三井寺は、多くの文学の舞台となっている。夏目漱石は『行人』に紀三井寺や和歌浦を登場させている。芭蕉も句を詠んでいる。

     見あぐれば 桜しもうて 紀三井寺     芭蕉

 

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道成寺

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 大宝元年(701)文武天皇の勅撰により、紀道成が創建。寺名はそこに由来するといわれる。開山は法相宗の高僧義淵と伝えられる。奈良時代には大規模な伽藍があり、『道成寺縁起』による絵解説法で信者を集めた。戦国時代には衰弱するが、徳川家の庇護を受け整備された。能や歌舞伎で有名な、安珍・清姫伝説の舞台でもある。

 安珍・清姫伝説…昔、熊野権現に参詣にきた旅の僧安珍が紀伊の国牟婁郡真砂の庄屋の家に泊めてもらった。その家の娘清姫が安珍に恋をし、夜半に寝床まで行って積極的に迫った。驚いた安珍は、「修行中の身なので、熊野からの帰りに寄るので待って欲しい」とその場は免れた。
 破戒を恐れた安珍は、清姫のもとを素通りし逃げた。それを知った清姫は追いかけ、道成寺に逃げ込んだ安珍は、寺僧の助けでかねの中に身を隠した。清姫も道成寺にやってきたが、その姿は大蛇と化していた。
 安珍の隠れた鐘を見つけた清姫は、その鐘に巻きつき炎をはいて鐘もろとも焼き払ってしまった。清姫は蛇体のまま入水して果てたという。

 娘道成寺…安珍・清姫の事件で鐘がなくなって400年後、鐘を再興し供養の法要を始めたとろ、清姫の怨霊が白拍子となって現れ、舞を奉納するといって鐘に近づき法要を妨害したと伝えられている。
 能や歌舞伎はこの話を主に扱っている。

   (注)清姫の墓は紀伊の国牟婁郡真砂にある。
 

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 闘鶏神社…弁慶の故郷と伝わる城下町田辺にある。弁慶の父といわれ、熊野水軍の統率者である熊野別当湛増が、源氏と平家のいずれに味方するかを、この神前で紅白の鶏を闘わせて占った故事が名の由来と伝わる。

 湛増指揮のもと弁慶を先頭に総勢2000余人、200余の舟に乗って壇ノ浦に向かい、源氏の勝利に大きく貢献した。時に、文治元年(1185)3月のことであった。


 高山寺…聖徳太子が創建したといわれる真言宗の古刹。熊野に向かう空海が立ち寄り、自らの像を刻んで安置したと伝わる。

 植物学、民俗学など多方面に才能を発揮した紀州の生んだ巨星、南方熊楠の墓がある。

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