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青梅街道を走り、青梅宿に寄り道です。
青梅街道は、新宿から青梅、大菩薩峠を経て甲州に至る街道で、慶長8年(1603)江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として整備されます。甲州街道より2里ほど短く、甲州街道の裏街道として庶民の旅客にも大いに利用されました。その間に9つの宿場があり、青梅宿もその一つです。JR青梅駅前付近に旧宿場はありましたが、今ではわずかにその面影を残すだけです。
その中の一つ旧稲葉家住宅です。稲葉家は、江戸時代に青梅宿の町年寄りを務めた家柄で、材木商を営み、また青梅縞などの仲買いなどで商人として活躍したそうです。
街道沿いに蔵造り二階建ての母屋が建てられ、裏手に土蔵が建てられています。母屋の表部分は、店舗として商業活動の場で、奥が生活の場でした。
母屋は江戸時代後期の建築で、宿場町の雰囲気を色濃く残しています。
2011.10.19 |
ぶらり旅
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大菩薩嶺を登り、雲峰寺を訪ねたあと国道411号線(青梅街道)をへて埼玉に向かいます。少し早い時間ですが山梨県北都留郡丹波山村にある丹波山温泉(たばやまおんせん)「のめこい湯」に入ります。
丹波山温泉は、清流丹波川にかかる吊り橋を渡っていく情緒ある温泉です。「のめっこい」とは、丹波山村の方言で、「ツルツル」「スベスベ」といった意味だそうです。
ゆったりお湯につかれば、疲れた身体も心もほぐされてゆきます。
泉質・・・単純硫黄泉(アルカリ性低張性高温泉)
泉温・・・43.3℃
和風大浴場とローマ大浴場があり、それぞれ露天風呂が付いていて、男女日替わりで楽しめます。
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温泉内のお食事処で遅めの昼食です。秋の味覚「きのこ蕎麦」をいただきました。
2011.10.19 |
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大菩薩嶺に登った後、麓の登山口にある雲峰寺を訪ねます。
このお寺は、裂石山雲峰寺と称し臨済宗妙心寺派のお寺です。寺伝によれば創建は天平17年(745)、僧行基がこの地で修行ししていたところ、雷鳴が轟き大岩を砕き割り十一面観音が出現したそうです。行基はその姿を写しとり、萩の木に刻み一庵を設けて観音像を安置したことが始まりとされます。
当初は天台宗の寺院でしたが、甲斐源氏による武運長久の祈願寺として崇敬され、禅宗に改宗されます。武田家の本拠「躑躅ヶ崎館(府中)」の鬼門鎮守の祈願所として庇護され、永禄元年(1553)には武田信玄も武運長久の祈願を行っています。
天正10年(1582)織田信長の甲斐侵攻により、武田勝頼が自刃。その折り、家臣たちが武田家再興を期して武田家の家宝である御旗を秘かにこのお寺に納めたと伝えられます。(宝物殿に展示)
歴史あるお寺だけあって、大河ドラマ『武田信玄』や映画『影武者』のロケ地にもなり、また作家中里介山が長編小説『大菩薩峠』執筆のためしばらく滞在したとか。
仁王門(重文)・・・室町時代後期に建てられた三間一戸八脚単層門、入母屋造り茅葺です。
本堂(重文)・・・室町時代後期に建てられたもので、単層入母屋造り檜皮葺き、唐破風向拝付き。武田信虎が再建したと伝わります。
本堂の奥にわずかに見えるのが書院(重文)・・・正徳6年(1716)に建てられたもので、単層寄棟造り茅葺です。
庫裏(重文)・・・室町時代後期にたてられたもので、単層切妻造り妻入り茅葺です。
平成8年に新築された宝物殿です。
日本最古の「日の丸の御旗」・・・天喜4年(1056)後冷泉天皇から清和源氏源頼義へ下賜され、頼義三男の新羅三郎義光から武田家に代々伝わったものとされています。
孫子の旗(風林火山の旗)・・・武田軍の軍旗。「疾如風(はやきこと風の如く)、徐如林(静かなること林の如く)、侵掠如火(侵略すること火の如し)、不動如山(動かざること山の如し)
諏訪神号旗・・・武田信玄は諏訪明神を深く信仰していました。風林火山の旗とともに武田軍の軍旗として使用され3種類の諏訪神号旗のうち、「諏訪法性旗」です。
2011.10.19
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旧中山道武州路(鴻巣〜桶川〜上尾〜大宮〜浦和)を歩き、川越の町を散策し。甲州の西沢渓谷をハイキングし、帰路についています。甲州街道を一路西に向かいます。下諏訪の町に入り旦過の湯(たんがのゆ)に入りました。下諏訪は旧中山道の宿場であり、諏訪大社下社の門前町でもあり、そして温泉町でもあります。
ここは、旧中山道歩きのときたびたび入り、記事にもしましたが、明るいうちに入ったのは久しぶりです。
「旦過の湯」は、鎌倉時代近くにある慈雲寺を訪れる修行僧のために建てられた旦過寮が始まりとか。下諏訪温泉の共同浴場の中でも、特に熱いと評判のところです。
シャガール風のタイル絵があったりして、昔の町の銭湯を思わせます。源泉は、1号・2号泉の混合泉で、噴出温度は58.8度だそうです。パイピングで冷やされ、ライオンの湯口から吐き出される源泉は、50℃弱ぐらいとか。一応右側の湯船が47℃、左側に流れ込んでくる間に少し冷め46℃位とされてますが、そのときの外気温や室温などによって違いがあります。この時の体感温度は、もう少し高いように思われました。
入るときにはかなりの勇気がいります。 シャワーで十分身体を慣らした後、ゆっくり入りますが、それでも私の場合、100数えるぐらいしか入っていられません(左側です)。 一旦湯船から出て再度チャレンジです。右側(1℃位熱い)には足首まで入れたことがありますが、入ったことはありません。地元の人は、かけ湯ををしてザブンと入ります。そして結構長時間入っています。湯船からあがると、茹でダコのように身体中真っ赤です。
お湯は無色透明、スッキリとしたお湯です。ナトリュウム・カルシュウムー硫酸塩・塩化物泉です。
もちろん源泉掛け流し、加温はもとより加水もしてありません。洗い場に流されているのも源泉です。
疲れや老廃物が身体から全部抜け出て、湯あがり後は身体がスカッとします。これはもう快感です。この温泉は、ほんと癖になります。
シャンプーもリンスもタオルもありませんが、なにせ入湯料が220円というのがまたいいですね。
2011.08.04 |
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伊豆熱川の温泉を楽しんだ翌日は城ヶ崎海岸を散策です。
伊豆急、黒船列車で城ヶ崎海岸口まで移動です。
城ヶ崎海岸は、約4千年前に大室山が噴火したとき流れ出した溶岩が、海の浸食作用で削られてできた雄大な溶岩岩石海岸です。
門脇灯台展望台からの展望、紺碧の海です。
浸食による景観が素晴らしい。
はるか伊豆大島、雲に覆われています。
城ヶ崎名所「門脇吊橋」と「門脇灯台」です。 奇岩が続きます。
幕末、沼津藩水野氏が、黒船の来襲に備え四門の大砲を備え付けた砲台跡があります。
「ぼら納屋」です。このあたりのぼら漁業は、徳川幕府の保護のもとに紀州家直営で操業され、ボ羅が回遊する頃ホラ貝や旗を合図に勇壮に出漁した根拠地です。ここで捕れたぼらは、江戸城にも献上されたとか。
この建物は、寛永3年(1626)に紀伊家が建築し、そのごたびたび改築されてきた建物です。今は磯料理が味わえる休憩所となっています。
富戸港です。
このあたり、スキューバーダイビングのメッカ。冷えた体を温める温泉の船です。
南国の花も咲いてます。
2011.06.28 |



