北近畿の旅(10秋)

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 国道303号線八草トンネルをくぐれば美濃の国(岐阜県)です。今回(昨年10月)の日本一周の旅、最後の訪問地「谷汲山・華厳寺」を訪ねます。
 途中に美濃の正倉院といわれる仏教美術の宝庫「両界山・横蔵寺」がありますが、既に記事にしていますので今回はパスします。
 
 もとより谷汲山華厳寺も、再三訪ねていますが、今回の旅は西国三十三観音巡礼の旅を結願させる旅でもありました。西国三十三観音巡礼の旅は、平成16年(2004)4月、兵庫県の書写山・円教寺にお参りしたことに始まります。この時の旅は、日本一周の旅の一つ、山陽・山陰一周の旅の始まりに訪ねました。
 以来紀伊半島一周の旅や、中山道近江路歩きなどの途次に訪れ、あしかけ6年6カ月をかけて結願を迎えることができました。
 
 
 真直ぐ延びた参道を行きます。この参道の両側は桜並木となっていて、春には桜トンネルとなtります。
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 門前にある料理旅館の老舗「萬屋」です。万延元年の創業で、創業百数十年だそうです。
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 美濃国にある「谷汲さん」は、西国観音順礼第33番札所です。すなわち満願のお寺です。
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 運慶作と伝わる仁王像が安置されている仁王門には、2メートルを越える巨大草鞋が奉納されています。千羽鶴でしょうか、願いが込められています。あるいは願いがかないお礼参りに奉納したものでしょうか。
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 奉納のぼりがひるがえり、石段を上り詰めると・・・
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 線香の煙たなびく本堂です。飛鳥時代作の本尊十一面観世音菩薩(秘仏)や脇侍の毘沙門天立像が安置されています。お堂の下は戒壇めぐりとなっています。
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  延歴17年(798)会津の大口大領という人が、豊然(ぶねん)上人とともに堂を建て、十一面観音像を祀ったのが始まりと伝えます。堂の建設中、谷の岩穴から油が湧き出し、それを汲んで燈明に用いた…という話を伝え聞いた醍醐天皇が、「谷汲山」という山号を贈ったという。天慶7年(944)には朱雀天皇が勅願寺とし、花山法皇の巡幸も受けて隆盛を極めますが、その後兵火などによる衰退と再興を重ね、現在に至っています。
 
 
          木造毘沙門天立像(重文)です。像高168.2㎝、平安時代初期作。
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 満願を迎えた巡礼者でしょうか。
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 おいずる堂です。巡礼を終えた人々の笈摺や菅笠、金剛杖や草履などが積み上げられ奉納されています。花山法皇の笈摺も奉納されているとか。 
 
       今までは親と頼みし笈摺を 脱ぎて納むる美濃の谷汲
 
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 満願堂です。ここで満願達成を報告し、西国霊場巡りの結願を迎えます。 
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 本堂向拝の柱に掛けられた「精進落としの鯉」です。この鯉をなでることによって精進の日々から俗界に戻る習わしとか。左右にあり、阿吽の形です。 
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 巡礼を始めて6年半、長い年月を経たものです。もちろん西国三十三観音巡りだけを進めればもっと早く結願できたのでしょうが、日本一周の旅や、中山道歩きなどをしながらということもあります。それにしてもここまで無事たどり着けたのは、観音さまのお導きによるものに違いありません。  南無観世音菩薩 合掌                                                           
                                                             2010.10.16
 
 今回(昨年10月)の日本一周の旅もここで終了です。日本一周の旅の続きは、5月のゴールデンウィーク明けあたりになるのでしょうか。

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 日本一周の旅も福井県南条郡今庄、「板取宿」を訪ねたあと、栃ノ木峠を越え木之本宿(ここも古い町並みがありますが、前に記事にしていますので省略)を経由して美濃の国に入り、西国三十三観音結願の寺「谷汲山・華厳寺」を訪ねます。
 
 
 木之本を過ぎ、カーナビの指示通り進みますと狭い道に入りトンネルを抜けます。このトンネルは小型車しか通れない、もちろんすれ違えない狭いトンネルです。かなり運転に神経を使います。初めて通る道です。
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 昼食は、道の駅「河野」で買った越前名物「焼き鯖寿司」です。
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 今回の(昨年10月の)日本一周の旅も予定した行程の道半ばで挫折、残された越前〜加賀〜能登〜越中〜越後は次の機会に訪ねます。
 
 福井県最後の訪問地、福井県南条郡今庄にある板取宿を訪ねたあと、県境を越え岐阜県に入り、西国三十三観音霊場満願の地谷汲山華厳寺にお参りし、今回の日本一周の旅を終えます。
 
 
 
 戦国時代までの越前への陸路は、山中峠を越える古道(万葉道)と木ノ芽峠を越える北陸道(西近江路)だけでした。柴田勝家が「北ノ庄」に封じられ、信長の居城安土城に赴く最短距離として天正6年(1578)北国街道栃ノ木峠の大改修を行いました。以来人馬の往来は煩繁となり、板取宿を置き宿馬・人足も常備されました。
 慶長5年(1600)徳川家康により結城秀康が越前に封じられると、越前・近江の国境である栃ノ木峠下の板取をもっとも重要視し、関所としての口留番所を置き、往還の旅人を取り締まりました。
 
 
 木ノ芽峠、あるいは栃ノ木峠を下って来ると板取宿の入口です。
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 板取関所跡です。平屋建ての棟に、役人3人、足軽1人が常駐し、厳重な取り締まりをしていたとか。
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 板取宿は北国街道(東近江路)の玄関口として、あるいは近江・越前両国を結ぶ要の宿として発達します。幕末の頃の板取宿は、上板取(ここ)・下板取りあわせて旅籠7軒、茶屋3軒、問屋3軒あり、全部で53軒300人ほどでした。
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 今でも茅葺の建物が残っており、往時の雰囲気を色濃く残しています。
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 妻入り兜(かぶと)造り型民家というのだそうです。正面から見ると、兜の形にみえることから兜造りと呼ばれるとか。妻側の茅葺の屋根のすそを切り上げて、二階の採光と通風をよくしています。軒桁が美しく飾られていますね。
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 苔むした茅葺屋根に長年の風雪を感じます。往時を偲ぶ建物は、この茅葺妻入り兜造り型建物2棟と、茅葺妻入り入母屋造り建物2棟の4軒のみとなっています。しみじみと懐かしい郷愁を感じさせる建物群ですが、やがて滅びゆくものの美しさを十分に醸し出しています。
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 板取宿から栃ノ木峠方面に向かうのが北国街道。木ノ芽峠方面に向かうのが北陸道(西近江路)です。木ノ芽峠は、福井県の嶺北地方と嶺南地方を分ける峠で、道元禅師や明治天皇も越えた由緒ある峠です。
 峠には峠の茶屋(前川家)がありました。茶屋といっても旅人に湯茶を接待する茶屋でなく、代々峠を越える大名に湯茶を接待する「茶屋番」だったそうです。 
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 今庄宿の続きです。
 
 
 今庄宿が形成され始めたのは中世に入ってからで、江戸時代になると北国街道は幹線道路として整備され宿場としての形を整えます。
 
 北国街道は、京から大津、彦根、米原を経て福井県に入り、敦賀からここ今庄宿をへて武生、鯖江、福井そして金沢、富山、新潟まで続く全長520㎞に及ぶ街道です。江戸幕府によって整備が進められた東海道、中山道、甲州道、奥州道、日光道の五街道に次ぐ脇海道の一つです。
 
 越前各藩の江戸への参勤交代は、江戸への最短路であったこともあって、必ずといってよいほどここを利用し、また、商用や伊勢参りなどの旅人も増え、今庄宿は大いに繁栄しました。天保年間(1830〜44)には、戸数290戸、人口1300余人、本陣・脇本陣、問屋3軒、旅籠55軒、茶屋15軒、娼屋2軒などが軒を連ねていたそうです。
 
 
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 「北善酒造(北村善六家)」・・・福井藩第4代藩主のときの寛文元年(1661)に幕府から銀兌換の藩札の発行が認められ、福井藩内では藩札の使用が強制されました。福井藩の南端に位置する今庄宿では、旅人や商人が金銀を藩札に、あるいは藩札を金銀に両替するための御札場(あふだば)が設けられました。最初は北村太平家が、その後北村新平家が、つづいて西尾茂左衛門家が、また享保15年(1730)からはここ北村善六家が務めました。
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 今庄宿は北国街道に沿って、南(京側)から北へと上町・観音町・仲町・古町・新町の5町があり、その町並みは約1キロメートルに及びます。中心の仲町には、福井・加賀両藩の本陣や脇本陣、問屋や造り酒屋が集まり、高札場もありました。
 
「本陣跡」・・・大庄屋で宿場の指導的立場にあった後藤家が本陣を務めました。建坪は百坪、部屋数も20を数える大きな本陣で、明治11年の明治天皇北陸行幸のとき行在所となりますが、その後後藤家は移住し取り壊されます。
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 昭和8年に篤志家田中和吉氏によって本陣玉座に明治殿を築造、付近一帯が公園として整備されます。
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 「若狭屋」・・・江戸時代の純粋な旅籠(はたご)です。旅籠は一般人が泊まる宿ですが、初期は各自に食料を持参し薪代などを払う携帯でしたが、庶民の旅行が多くなると、食事を提供する形態に変わっていきます。
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 「堀口酒造」・・・4軒目の造り酒屋です。
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 「京藤甚五郎家」・・・今庄宿でひときわ異彩をはなつ家です。 塗籠の外壁と赤みの強い越前瓦の屋根の上に、卯建(うだつ)の上がっているところが特徴です。天保年間(1830〜44)頃の建物とか。厚い土壁や土戸に周囲が覆われた土蔵造りで、完全な防火構造となっています。
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 宿場内では脇本陣格の建物で、当時は造り酒屋でした。幕末時代水戸天狗党一行が宿泊し、造り酒屋であった当家の酒で風呂を沸かし入浴したというエピソードも伝わります。 
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 「問屋、旧右衛門佐跡」・・・問屋は近世宿役人の長で、宿駅業務を行いました。また荷主から委託された貨物を手数料をとって仲買人に売りさばいたり、荷主から貨物を買い取って売りさばいたりして繁盛しました。
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 「旧西尾茂佐衛門家御札場跡」・・・藩札の両替所
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  矩折(かねおり)・・・一般的には桝形といい、遠くを見通すことができないように造られています。敵の侵入の勢いを弱めるよう防御を考えた構造です。
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 今庄宿はここまでです。
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                                                                                                                     2010.10.16

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 南越前から帰宅を決め、河野浦から岐阜県揖斐郡に向かいます。途中、福井県南条郡南越前町今庄にある「今庄宿」を訪ねました。
 
 
 
 福井県の中央部に位置する今庄は、三方を山に囲まれた静かなところです。かって北陸と京を結ぶ道は、奈良時代の官道であった山中越えルート、木ノ芽峠を越える西近江路、そして戦国時代に整備された栃ノ木峠を越える北国街道がありますが、いずれもここ今庄を通ります。そうした背景から今庄は交通の要衝であり北陸の玄関口として大いに賑わいました。
 江戸時代には宿場としての整備が進み、越前で最も栄えた宿場町となりました。現在でも往時の面影を色濃く残しています。
 
 
 京都側からの入口に笏谷石で作られた道標が建っています。ここから今庄宿です。
 
     右京  つるが        道       左京  いせ   道
          巳可佐(わかさ)                江戸           と刻まれています。
 
 
 
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 宿場は遠くが見透すことができないようになっています。一般に桝形といいますが、このあたりでは矩折(かねおり)と呼んでいます。
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 上木戸のあったあたりに「南無妙法蓮華経」の名号碑も建っています。上は稲荷神社です。燧ヶ城址への登り口でもあります。
 燧ヶ城は、『平家物語』や『源平盛衰記』などで知られるお城で、数世紀にわたり戦略上の重要拠点でした。
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 造り酒屋「畠山酒造」で、銘酒「百貴船」を作っています。ここは永平寺御用達の酒屋さんとか。
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 卯建もあがっています。間口6間、切妻造り、桟瓦葺です。
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 名産「梅肉」と紅梅液を作ってる「高野由平老舗」。福井産梅を砂糖漬けした紅梅液・・・が人気とか。
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 「白駒酒造(京極本家)」、ここにも造り酒屋があります。宿場内には4軒の造り酒屋があり、当時の宿場の繁栄が偲ばれます。間口5間、切妻造り、桟瓦葺です。
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 「新羅神社」、その奥に観音堂、その奥にカタクリの群生地があるとか。かって新羅の名からして韓半島新羅から移住してきた人々によって今庄は開拓されたところと思われます。
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                                                                                                                      2010.10.16
 

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