鳳山雑記帳

平昌五輪は無事に日本に帰りつくまでがオリンピックですよ。選手も負けフラグを立ててる場合ではない。

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石川数正出奔の謎

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 最近思うところあって懐かしの大河ドラマ「徳川家康」総集編を見返してます。このドラマ、ジャリタレなど一切出ず玄人受けする配役で私が一押しする大河ドラマなんですが、なかでも家康の重臣石川数正役の江原真二郎が出色ですね!


 ところで石川数正って誰?っていう人がいると思うので簡単に紹介すると、

【石川数正】1533年〜1593年

 家康が今川家の人質の時代から近侍として仕え、徳川家では主に外交を担当。織田徳川同盟や桶狭間以降の対今川氏との交渉で活躍。

 三河一向一揆の時も、父康正が家康に反旗を翻す中、浄土宗に改宗してまで徳川家に残り家康を支える。家康の信頼も厚く酒井忠次と共に家老に任ぜられ家康の嫡子信康の後見人、信康の切腹後は岡崎城代を務めた。

 秀吉と家康が直接対峙した小牧長久手戦後の外交交渉で、秀吉との和平論者であった数正は主戦論が幅をきかす徳川家中で孤立。謎の出奔を遂げる。

 秀吉からは重用され信濃松本十万石を与えられた。



 武骨者ばかりの徳川家中で、真に徳川家の将来を憂い苦悩する石川数正を江原真二郎が熱演しています。こういうインテリ役をやらせたら天下一品ですね。そういえば明智光秀役もなんかのドラマでやってましたが似合っていました。



 で、本題に入ります。数正出奔の理由には古来からいくつも言われています。

 /正の能力を買った秀吉に引き抜かれた。

 外交問題で一人だけ和平を主張した数正は身の危険を感じて出奔した。

 8絽人を務めた信康の切腹で、家康との関係が冷え切っていた。

 ぜ分があえて裏切り者の汚名を受けることで主戦論の徳川家中に冷や水を浴びせ、秀吉との合戦を避けた。


 など色々言われています。他の小説では,多いんですがこの大河ドラマの原作者、山岡荘八はだ發鬚箸辰討い泙后

 初めは私も,鉢△△襪い廊が複合した理由かと考えてきたんですが、このドラマを見てしまうとだ發眷柴世任るんですよね。

 
 実話かどうか知りませんが、感動的なエピソードがあります。ある時信長から賜った鯉を徳川家の家臣が誤って殺してしまい、途方にくれているところに通りかかった数正は、生きてる鯉まで合わせて調理し家臣に食べさせてしまいます。
 とうぜん、烈火の如く怒る信長を想像して、真っ蒼になった家康が数正を手討ちにしようとしますが、

「いくら信長様からの賜りものとはいえ、たかが鯉一匹とお家のために命をかけている家来の命とどちらが重いか分からぬ主君では、あまりにも情けなさすぎます。
 以後このような馬鹿げたことがなきよう、この数正が残りの鯉を調理したまでのことです。むろん主君の命に逆らった罪は罪。数正、喜んで殿に斬られますが、今後はこのような事が無きようお願い申し上げる」
と諫言します。

 座って静かに後ろを向く数正をどうしても斬れない家康。最後には主従とも涙を流して家康が謝りました。「二度とこのようなことをしない」と約束して。


 このような立派な人物が、利だけのために秀吉に転ぶでしょうか?私はだ發鬚箸蠅燭い任垢諭さらに裏切り者のはずの数正の子の康長も所領を安堵されていますしね。ただその後の大久保長安事件に連座して改易にはなりましたが…。


 多分に心情的なものですが(江原真二郎の演技が良すぎたので)、私は石川数正忠臣説を支持します!

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歴史のミステリーですね。

私も4が有力だと思います。

傑作○です。

2008/12/22(月) 午前 3:48 近野滋之 返信する

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自分も4だと思ってます。 一応松平譜代の名門だし、3とかだったら平岩とか鳥居あたりも冷遇されると思いますしね。
1は、秀吉の調略なら出奔させないだろうし・・。
うーん、ミステリアスです。 本人の遺書とか手紙とかが残ってたら面白いのにね。

2008/12/22(月) 午前 7:12 [ レフティ ] 返信する

自分は3と1に一票ずつ。「(信康を)何も殺さずともよいものを・・・」という思いがあったと考えるほうがより自然のように思います。1は「渡りに船」だったのでは、と。この信康切腹事件について、家康はある頃から影武者と入れ替わっていて、信康はその影武者に疎まれたのだ、という説もあります。で、それを数正だけが知っていて、話が違う、とばかりに出奔したのだと。これだと確かに筋が通りますし、ファンタジーとしても面白いです。

2008/12/22(月) 午前 7:35 [ 教景 ] 返信する

近野さん、江原真二郎の演技力で私もい鮨笋靴泙后

2008/12/22(月) 午後 1:34 [ 鳳山 ] 返信する

レフティさん、三河武士団の団結力はすごいものがありますからね。数正も三河武士。い鮨笋靴燭い任垢諭

2008/12/22(月) 午後 1:36 [ 鳳山 ] 返信する

norikage1506さん、通説では,鉢が有力ですね。影武者説はいろいろ言われてますが、確かに説得力あるんですよね。歴史のミステリーです。

2008/12/22(月) 午後 1:38 [ 鳳山 ] 返信する

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私もい任后C聾技芦呂竜事をTBポチさせてください。
松平は風光明媚なひなびた山郷です。

2008/12/22(月) 午後 11:06 熱田北条 返信する

熱田北条さん、山の中の一土豪にすぎなかった松平党がやがては天下を統一するのですから歴史はロマンですね!

2008/12/22(月) 午後 11:50 [ 鳳山 ] 返信する

4と言いたいところですが、3の説も若干捨て難いかと。
信康と築山殿が本当に武田に通じていたなら、数正も絡んでいたかなと。

2008/12/23(火) 午前 0:25 [ arafuka1582 ] 返信する

arafuka1582さん、たしかに説は捨てがたいんですよね。ただ首謀者は大賀弥四郎とされていますから数正は、もしかしたらそれを黙認してたのか?わたしは忠臣説ですから全く知らなかったと取りますが。歴史の謎ですね!

2008/12/23(火) 午前 0:54 [ 鳳山 ] 返信する

い如亜

\癲曾┻箸 人様の家臣を やたら欲しがるから 秀吉の心情としてはアリ

石川は 数正が出奔以後も 一族は残ってて

石川家成なんかは京都留守居の一人(文禄年間)だったりと それなりのポストにいるから

↓は ちょっと考えずらいかなぁ

ただ出奔後の石川数正の系列に対する徳川家臣たちの眼は 穏当ではなかったようです

2010/3/28(日) 午後 4:30 [ - ] 返信する

太閤秀吉の死後に 徳川家康が政略結婚をして石田三成が糾弾する年に

石川息子と 大久保長安の娘が結婚するんです

家康は家格の釣りあわない小大名との政略結婚には

家臣の子供を使いました(有力大名は自分の養女にしてから結婚)

で 石川康長も 徳川に帰順することを願ったのですが

徳川の譜代家臣たちが 数正の石川と親族になるのを拒否したんです

困った家康は 旧武田で新参の大久保長安の娘に白羽の矢を立てた

当時 家康の長安に対する重用度が うかがえるけど

代官を処分するのがクセ?の家康にしてみれば

後年のために 代官をリストラするときに都合が良い組み合わせとも言えます

石川家自体は 系統が続くから 「数正の忠義」が 家康には重荷だったかもですね

鯉の逸話 典型的なメンドクサイ三河武士の話だ^^ポチ!

2010/3/28(日) 午後 4:40 [ - ] 返信する

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保科媛さん、たしかに三河武士はめんどくさい(爆)。

2010/3/28(日) 午後 5:44 [ 鳳山 ] 返信する

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石川氏=信康ライン、酒井氏=反信康ラインがあったと言われています。徳川家の後継者争いが、石川氏と酒井氏の主導権争いとなり、酒井氏により石川氏=信康ラインの壊滅が、石川氏の徳川家での政治的な居場所を失墜させ、石川氏の秀吉走りとなったと推測される論客の方もいらっしゃいますね。

2010/9/5(日) 午後 9:35 [ - ] 返信する

ky・uhさん、そういう側面はあったと思います。

2010/9/6(月) 午前 2:25 [ 鳳山 ] 返信する

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