ハウエバー稲川のパチンコ島通信

コミュニケーションツールとしてのブログに期待しています。いろいろと意見交換したり、交流を広めたりしたいですね。

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パチンコ敗者復活

今回はパチンコ島ではなく、その名前の元になったパチンコ敗者復活について。

第11回ウルトラクイズについてはいろいろな意見があると思うけど、第1週の特に成田のジャンケンから敗者復活、そしてグアムのベッド争奪クイズに至るくだりについては、たいへんおもしろいと思う。やってる自分としては、その前日に寝ていなかったこともあって最後はへろへろになっているが、とにもかくにも、敗者復活が東京以外で行われたのは、これが唯一のことなのだ。

・・・・・

挑戦7年目にしてようやく後楽園(注:第11回までは後楽園球場だったので、僕らは国内第一次予選のことを後楽園と言うことが多かった)を勝ち抜けた僕だったが、成田のジャンケンでいきなり負けてしまい、奈落の底に突き落とされる。敗者復活に一縷の望みを託したが、僕ら敗者を乗せて成田を飛び立った飛行機が名古屋空港に着陸したときには、もはやあきらめざるをえなかった。
なにしろ挑戦者をグアムに運ぶ飛行機は、もう成田を飛び立ってしまっていて、タイムマシンでもない限り乗ることはできない。名古屋縦断ミニトラクイズなんてのも全くのジョークで(実際途中まではジョークだった)、今年の敗者復活はもうない、まあ岐阜県出身で当時大阪に住んでいた僕にとっては、旅費がだいぶ助かったということだけがプラスのように思えた。

名古屋市内をバス2台で巡り、名鉄上飯田駅に着いた僕たちは、徳光さんと一緒にここから電車に乗ることに。電車を待つ間、我々一行を珍しそうにみつめる近くの住人と徳光さんとのやりとり、ここで配られた「天むす」を食べながらの電車での移動。それはそれで不思議ながらも楽しいひとときだった。まあ、それだけでもいい思い出になったことだろう。

ところが、名鉄小牧駅(今の地下駅ではなく旧駅舎)で降りた我々を待っていたのは、前代未聞のパチンコを使った敗者復活戦だった!

今から思うと、僕はここを勝つべくして勝ったように感じている。
まずはほとんど地元といっていい名古屋での敗者復活戦、そしてパチンコ。両親が共働きだった僕は祖母に育てられたが、この祖母が近所でも有名なギャンブルばあちゃんであり、僕は物心ついたときにはすでにパチンコ屋にいた。当然のごとく当時の僕にとってパチンコは趣味のひとつだった。
また、クイズが始まる前に、場所が名古屋だけになんとなく「えびふりゃあ」が出題されるような気がしていた。
そして案の定、第1問がずばり予想通り。200発のパチンコ玉を持った僕は店内に向かう。このとき店内にはすでに相当数の人がいたが、あとから考えるとこれらの人たちは全てサクラだったのだろう。
僕が座った台は奥のほうの台だったが、実はこのときにも一つのドラマがあった。最初に座ろうとした台は、なぜか一瞬ためらった後に座るのをやめて、反対側の島の台に座ったのだが、その後僕が最初に座ろうとした台に座った僕の大学の後輩は、200発の玉をすって再びクイズに戻っているのである。

また、これはネタバレになるが、実はこのときのパチンコ台は、777(当時のフィーバー台は777だけ、もしくは777と333が大当たり)と3つそろわなくても、そのうち2つだけそろうだけで大当たりになるよう調整されていた(と思う)。プレイを始めて最初の回転で数字が2つそろったとき、いきなりワイドアタッカーが開いたので、「少しずつでも玉を拾わないと、なかなか2000発にならないもんな」といったんは思ったのだが、一向に終了する気配がない。結局はそのまま15Rまで開きっぱなし。当時は15Rで2100発くらいの出球だったから、そのままでも勝ち抜けしたと思うが、そのまま続けたら、次の回転でふたたび2つ数字がそろって大当たり(つまり、テレビで777とそろっていたのは僕の台ではない)。結局はもうドル箱に入りきらないところまで入れて計測器にもっていったところ、3499発の大勝利となった。これでもダントツの1抜けだったわけだから、まさに圧勝である。決勝よりも、このときのほうが会心の勝利だった。
僕を育ててくれたギャンブルばあちゃんは、この1年ほど前に病気で亡くなっていた。テレビで僕の圧勝劇をみた親戚の人たちは、「おばあちゃんの霊がついている」と本気で思ったと言う。

このときにもらった「名古屋の敗者復活者」のたすきは、縁が金の布地で飾られていて、相当気に入っていた。グアムのドロンコを勝ち抜けた夜にはみんなで踊りに行ったときにこのたすきをつけていったら、外国人たちに大うけした。その後は僕のトレードマークのようになったんだけど、パチンコ島に埋めてきてしまったのは本当に残念だ。実は収録後に回収しようと思っていたんだけど、撮影のどさくさで忘れてしまった。5年後に再訪したときに探したが、みつからなかった。無理もない。味噌汁を飲んでいたほうに埋めていたのならともかく、岩礁のほうに埋めたのでは、そのまま流されてしまうか、土砂に埋まってしまったのだろう。
ちなみにこのたすきを名古屋でもらったのは7人。そのうち僕のたすきはパチンコ島で失われ、飯田さんと岡田さんのたすきはグアムで泥にまみれた。しかしながら、深夜のブーブーゲートで敗退した残りの4人は、無傷でこのたすきを国内に持ち帰ったはず。

「誰かゆずってくれないかなあ」

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・パチンコ敗者復活戦:今でこそパチンコを題材にしたバラエティー番組やバラエティーのコーナーは少なからずありますが、当時は全くなかったですから。そう考えるとウルトラクイズの先見の明にはいつも驚かされます。
あと、グァムの深夜クイズも復活側の圧勝でしたね。

2007/6/8(金) 午後 8:40 [ Y.S.NAVY ]

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初めて投稿いたしますああああです。
稲川さんに是非お尋ねしたいのですが、
敗者復活者機のへーパーテスト結果発表は口頭で発表したのでしょうか。深夜なのでゲートは設置できないのではないでしょうか。分からないと思いますが、その失格者は別のホテルで宿泊して翌朝帰国したのでしょうか。

2007/6/27(水) 午前 0:40 [ ああああ ]

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名古屋の敗者復活組のブーブーゲートは、飛行機のタラップを降りたところではなく、飛行場のターミナルの中に設置されていました。そこで勝ち抜けた僕たち3人は深夜ベッド争奪クイズの会場に連れて行かれ(注:ホテルの喫茶ルームで長時間待たされ、このときはまだクイズがあるとは夢にも思わなかった)、ブーブーゲートで失格になった4人とは別れ別れになってしまいました。その4人がその後どうしたのかは……想像におまかせします。

2007/6/27(水) 午前 1:24 [ how*ve*44* ]

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稲川さん親切に答えてくださってありがとうございます。
再度お聞きしたいのですが、
ペーパーテスト合格条件の勝者便の平均点は始める前にあらかじめ引率者が教えてくれるのでしょうか。
その敗者復活者機がグアムに到着したのは何時頃だったのでしょうか。ペーパーテスト結果発表の時に福留さんはいらっしゃらなかったのでしょうか。総合第1位であることを教えてくださったのでしょうか。
個人的に思うのですがパチンコ敗者復活者数を7名のところを10名から20名程度に増やしたほうがいいと思うのですがいかがでしょうか。

2007/6/27(水) 午後 3:36 [ ああああ ]

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勝者機の合格平均点が何点だったかは教えてもらっていません。それどころか、合否判定の直前まで、合格基準が勝者の平均点以上だとは聞かされませんでした。
ちなみに敗者復活組を引率していたのは増田アナで、増田アナは某大学クイズ研出身だったこともあってか、ペーパークイズの最中にやたらと僕に話しかけてくるので、相当ペースを乱してしまいました。総合第1位の結果は、ブーブーゲートのところで待っていた留さんに聞いたような気がします。
グアムに僕たちが到着したのはたぶん真夜中の12時近く、その後ホテルに移動してベッド争奪クイズがあったのは、午前1時半くらいのことだったと思います。僕は思い切りへろへろで、早押しで飯田さんに負けてしまいました。

2007/6/27(水) 午後 4:25 [ how*ve*44* ]

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稲川さん本当にありがとうございます。
さて、最終的にこの深夜トレードクイズが終了して勝者組の方と合流したのは何時頃だったでしょうか。そのトレードクイズの事は勝者組の方々は全員知っていたのでしょうか。
稲川さんを含めた3名の方はその後どうしていたのでしょうか。
ウルトラクイズの歴史の中で奇襲クイズは色々ありましたがこの深夜トレードクイズも奇襲クイズに該当するのでしょうか。

2007/6/28(木) 午後 11:00 [ ああああ ]


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