ハウエバー稲川のパチンコ島通信

コミュニケーションツールとしてのブログに期待しています。いろいろと意見交換したり、交流を広めたりしたいですね。

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(前回のつづき)

ロサンゼルスで勝ち残りが一気に半分の12人になってしまった翌日、本来ならばパームスプリングスに移動するこの日、僕たちは本場のディズニーランドへ連れて行ってもらい、思い切り遊ばせてもらった。
ディズニーランドを後にしたのは、もう夕方も近い頃だったと思う。僕たちを乗せたバスは一路東へと向かい、すっかり日が落ちた頃に、その日泊まるホテルに着いた。

夜だったのでどんなところに建っているのかはよくわからなかったのだが、このホテルのスケールは異様に大きかった。上にではない。平面的に大きいのだ。フロントでチェックインして自分の部屋の鍵を手渡された僕は、その部屋へと向かったのだが、その部屋というのが完全に別棟になっていて、フロントのある建物をでて外を歩くこと5分余り(10分くらいだったかも?)。到着したその部屋も、ものすごい広い部屋が2部屋つづきになっていて、しかもバスルームもとにかく広かった。日本だったら高級ホテルのスイートルームといった感じで、1泊何十万円もするんじゃなかろうか。
この広い部屋に1人(注:ふつうは2人1室なのだが、この日は端数がでたのか1人だった)なので、とにかく落ち着かなかった上、夜遅くに到着したのに翌日の集合時間も早かったので、せっかくの部屋もゆっくりと満喫することはできなかった。

翌日。朝に集合場所であるフロントに向かうときになって、初めてこのホテルがゴルフ場の隣に建っているホテルだとわかった。帰国してから知ったことだが、たしか「ミッションヒルズ」とか言って、アメリカの女子プロゴルフの4大タイトルの一つ、ナビスコ・ダイナショアの行われているゴルフ場とそのホテルだった。

バスに乗った僕たちは、アイマスクをはめさせられた。そして、どれくらい経ったろう。ようやくアイマスクをはずした僕たちのまわり、窓の外に広がっていた風景は、何百基もあるかと思われる風力発電機の群れ「ウインドファーム」の風景だ。
バスを降りてからがまたたいへんだった。とにかく常時風速20mくらいの風が吹いているところだ。砂も思い切り舞い上がっている。そんな中を、重い荷物を持って、自分の解答席まで歩いていくのだ。

そしてルール発表。
僕たちが留さんに促がされて振り向くと、ウルトラクイズのスタッフの中でも若手(つまり下っ端)のスタッフ、体格もあまりよくない岸さんが、パラシュートをつけてふらふらよたよたと蛇行を繰り返しながら、僕たちのいた解答席までやってきた。

「強風駆け込み大声クイズ」

体力と持続力のない僕にとっては鬼門の、体力がものを言うクイズだった。実際にパラシュートをつけてみると、風の抵抗が半端ではない。

「俺の体力では、全力疾走で3回くらいが限界だな」

まるで、アストロ球団・宇野球一のスカイラブ投法(注:1試合に2球が限度)のようなことを感じた僕は、ここでの敗者が12人中1人しかいないこともあって、あまり他の挑戦者と解答を争わないようにしようと考えた。つまり、極端な話、自分だけがわかる問題だけ走ろうとした。
だから、実戦で「東京だよおっかさん」の問題がでたときは、ほとんど全員が走っているが、僕だけはぴくりとも動いていない。
もっともオンエアでチェックしてみると、結局は自信がなかったのか、相当むだな動きをしている。「ふいご」の問題を宇田川と争ったときなどは、定番のクイズ問題なのでとりあえず走ってみたが、答を思い出せずに途中で走り負けたふりをしてもいる。やっぱりここでもさえない戦いに変わりはない。

ここで僕が勝ち抜けたのは、結局5番目だった。もちろん勝ち抜けたのはほっとしたが、その勝ち方には可もなし不可もなし。次のデビルスタワーにはどうしても行きたかったので、デビルスタワーへの期待だけが膨らんでいた。

・・・・・

パームスプリングスからデビルスタワーへは、いったんロサンゼルスに戻り、ここから空路デンバー空港へ(デンバー空港は国内線の乗り継ぎによく使われる空港らしい)、そこで乗り換え、ラピッドシティ空港に降り立った。ラピッドシティはこのあたりの中心都市ではあるが、アメリカの典型的な田舎町といった感じのところだった。市内にはこれといった高級ホテルがないらしく、市内では1番の、しかしながら日本で言えば地方都市の駅前にあるシティホテルといった感じのところに泊まった。

翌日。バスで2時間ほども乗っていただろうか。州境を越えてワイオミング州に入った僕たちは、映画「未知との遭遇」の舞台として有名な(というかそれぐらいしか知らないが)、デビルスタワーに降り立った。
正直、「未知との遭遇」でのイメージから、相当おどろおどろしいところをイメージしていたんだが、実際のそこは、まるで奈良の若草山のようにのんびりと明るい場所だった。
到着する直前の2〜3分間、バスに乗っていて急に「その場でかがめ。窓の外を見るな」と言われたので何事かと思っていたが、その理由はすぐにわかった。バスの横をこの日のゲストであるインディアンたちが通っていたのだ。

そしてルール発表=クイズ開始。
ここでのクイズは、ウルトラクイズの代名詞のひとつ「バラまきクイズ」だった。

バラまきクイズでは、最初の問題以後は常にクイズを読む時間のラグがある(ハズレの場合はタイムラグが少ないが)ので、並び順がほとんど変わらない。だから最初にどこにつけるかがたいへん重要だ。
そのため、体力的には全く劣っている僕だったが、最初だけは全力疾走で問題を取りに行き、そして一番手前にあった封筒を手にすると、一直線にまた全力疾走で戻ってきた。

「狙い通り一番に解答席に戻り、クイズに答えることができる。まずは順調な滑り出しだ」

そう思ったのもつかの間、ここでも大失態を演じることになるのである。


(今回はまったりとした展開だったなあと思いつつ次回へ。「その7」くらいまでいきそう?)

(前回のつづき)

第11回ウルトラクイズは、アメリカ本土に渡った人数が異常に多い回だった。
ハワイを終えた時点での挑戦者は残り24人。例年の約2倍も残っている。いつもの年なら、アメリカ本土に渡ってからは各チェックポイントで1人ないしは2人しか落ちなくなるので、そこそこ勝ち残る自信はあった。だが、この人数では今後どうなるのか予想もつかない。

僕はウルトラクイズの再招集の前、会社の上司と「ハワイまでにしておこうな」という約束をしていた(「成田までの短くて長い3週間」参照)から、ハワイを勝ち残ったら、ただちに上司に電話してこのまま行くことを宣言するつもりでいた。そしてそれはそのまま「自分が敗退すること=帰国してただちに辞表を提出すること」を意味していた。
だが、僕はここでは会社に電話しなかった。まだ即敗退の危機が去っていないことと、幸いにして有給休暇6日間をフルに使えば次のロサンゼルスまで持ちそうなことの2つがその理由だ。

そしていよいよアメリカ本土上陸。
僕らが連れて行かれたのは、どこだかわからない荒涼とした広場だった。本物そっくりにつくられた(とはいっても戦車ファンの僕からはひと目で偽物とわかる)戦車が何台も登場し、激しいアクションが披露された後、クイズのルールが発表される。
1対1のロシアンルーレットクイズ。2つの解答席のまわりには、5台(だっけ?)の戦車が配置され、それぞれに番号がつけられている。まずは増田アナが挑戦者にはみえない位置にある2つの回転盤をまわし、当たり番号(戦車)を2つ選ぶ。そして早押しクイズを出題し、正解した挑戦者は番号を一つ選んで目の前の蛸壺へ。もしその番号(戦車)が当たりならば、戦車が発砲してただちに勝ち抜けが決定。もしはずれならば解答席に戻り、改めて早押しクイズを出題する、というものだった。ちなみに、お手つき・誤答をした場合は1回休み(つまりその次の出題は相手だけに解答権がある)、そして気になる対戦相手は、挑戦者24人の番号(注:後楽園を勝ち残った100人には1〜100の固有の番号が与えられ、この番号はずっと変わらない)の、小さいほうと大きいほうから順に1人ずつでていく形と決められた。
そして、ここで留さんから強烈な一言。「ここでは敗者復活はありえない」との言葉に、僕の(たぶん僕以外も)緊張感は頂点に達した。

オンエアをみた人や、ビデオを持っている人の中には、僕がロサンゼルスでは全くでてこない(つまり対戦部分がカットされている)ことを、不思議に思っている人がいるかもしれない。もちろん、ここでは12組もの対戦があるため、ここで敗退してしまう人を優先したと思えなくもない。だが、僕にはわかっている。ここで僕が登場していない理由、それは、あまりに無様な戦いぶりだったからに違いない。

僕はここでは掛村と対戦した。だが、最初の問題をいきなり早とちりで誤答し、掛村をフリーにしてしまう。幸い次の問題を彼がスルーしたため、戦車発砲の危機を迎えることもなく第3問へ。ところが、なんと同じことを計3回も繰り返してしまった。僕が誤答、掛村スルー、僕誤答、掛村スルー、僕誤答、掛村スルーと、正解が全くでないままに6問が経過したのだ。掛村がたまたま3問連続でスルーしたから敗退せずに済んだが、ふつうならば確実にここで僕は敗退していただろう。現にここでは多くの番狂わせが起きている。実力的には24人中の上位にいると思われた何人かが、敗者復活で救済されることもなく散っていった。
そして第7問、思い切り解答ポイントを遅らせた僕はようやく正解し、「1番」をコールして蛸壺に潜る。結果は大当たり。これ以下はないくらいの無様な戦いぶりで勝ち抜けを決定した。

勝ち抜け12人が決定したとき、他の勝ち残りの挑戦者たちは、半数もの仲間が去っていくことにショックを受けてか、バンザイに力がなかった。
だが、僕だけは別の意味で大ショックだった。みんなを引っ張るどころではない。こんな調子でやっていけるのか。「あまり強くない」どころではない。「全然弱い」としかみえない状態だった。

その日の夜、残りの挑戦者が12人になり、有給休暇も残り1日となった夜、僕は意を決して会社の上司に電話をした。もう逃げることはできない。

「このまま行きます。申しわけありません」

「わかった。今後は定期的に電話連絡を入れるように。」

上司(課長)の声は驚くほど穏やかだった。だが、それゆえ逆に僕ははっきりと自覚した。

「これで帰ったらすぐに辞表をださなくてはならない」

全く調子の上がらない戦いぶり。そして辞表覚悟のプレッシャー。不安ばかりが先に立つ夜だった。


(このままだとカンクンまであと2回はかかるな・・・と思いつつ、つづく)

ついにこの話を書くのか。ひょっとしたらウルトラファンの夢を壊すことになってしまうかもしれないな。でも、第11回の僕の戦いの中では、これも重要なファクターのひとつだし……
ということで、今回はおっかなびっくりで書きます。実は以前に1回書き始めて中断した話です。自分でも考え直すようなことがあれば、すぐに削除してしまいますので、そのときはご容赦ください。

・・・・・(例によって本文敬称略)

ウルトラクイズのスタッフは、ときとしてとても罪つくりなことをする。番組をより盛り上げ、よりおもしろくするためにだ。
もちろん、クイズドキュメンタリーを標榜するウルトラクイズのこと、そして正統派クイズ番組たるウルトラクイズのこと、さすがに、クイズの出題や答を事前に教えたりといった、いわゆるやらせをすることは一切ない。しかし、それ以外の許容範囲ぎりぎりのところでは、いろいろと仕掛けをしてくる。方々で噂されていた、女性挑戦者が勝ち残っているときに早押しクイズが中盤に差し掛かってくると、とたんに生活や料理の問題が多くなるといった出題操作なんかは、実際に行われたことが何度もあるのだろう。

ウルトラクイズの旅行中、スタッフはたいへん多忙である。あるチェックポイントでクイズが終了して勝者敗者が決定すると、引き続き罰ゲームを収録し、機材を撤収してホテルに帰る。それからはホテルの一室に集合して収録したばかりのビデオを流し、どの問題のどのポイントで誰が答えたか、正解したか不正解だったかが細かくチェックされる。中には、実際に解答した挑戦者だけでなく、解答権を得られないまでも、ボタンを押している挑戦者も、その問題の答を知っていた可能性が高いと判断されてチェックされる。成田からグアムに向かう飛行機の中で行われる400問ペーパークイズも、実は挑戦者一人ひとりの実力や得意分野・不得意分野を分析するための重要な基本資料になるという。
こうして、挑戦者一人ひとりの個性や実力は、しだいにまる裸にされていくわけだ。

僕は出題の操作なんかは、出題者側に選択権があり、ある程度は許容範囲内だと思っている。アンフェアな部分はあるかもしれないが、クイズ王をめざす以上は、それくらいの壁は乗り越えていかなくてはならないんだろうとも思う。ウルトラクイズがクイズドキュメンタリーを標榜しているとはいえ、当然のことながら企画段階でコンセプトやイメージ、めざすべき方向性は設定されているわけだし、それに近づけたいと思うスタッフの気持ちは理解できる。僕も今はイベント屋の端くれなので、もしウルトラクイズを企画する側に立てば、同じような仕掛けを行うかもしれない。

でも、第11回ウルトラクイズでのスタッフの仕掛けは、僕にとっては相当つらいものだった。そしてその結果が、カンクンでの日の出タイムショックの大暴走につながるのである。

・・・・・

暑さと疲労でたいへん過酷だったハワイの綱引きクイズが終わった夜、勝ち残った24人の僕たち挑戦者は、珍しく夕食を留さんはじめスタッフとご一緒した。名目は懇親会だったと思う。

そして、宴たけなわとなった頃、僕と高橋(充成)の2人は留さんに呼ばれ、他の挑戦者とは離れた席で、3人だけで話をした。
留さんは気さくに、しかしながら語気を強めて僕たち2人に言った。

「今回の挑戦者にはクイズの経験者が少ない。稲川と高橋(充)がみんなを引っ張っていけ!」

第11回ウルトラクイズの元々のコンセプトが「過去10回のウルトラクイズを超える」ものだったということはすでに述べた。そのために歴代クイズ王を使ったクイズが予定されていた。しかし、勝ち残った挑戦者たちを見渡したとき、スタッフの間には相当な不安があったのだろう。全体的なクイズの実力そのものについても不安があったと思うが、たぶんそれ以上に不安だったのは「闘争心の欠如」だったのではないだろうか。
クイズ未経験者が大多数を占める中、しだいに挑戦者が脱落して別れが続くウルトラクイズの形式が、すでに仲間意識が芽生えていた挑戦者たちには大きな重荷になって、ともすれば肝心のクイズでも真剣さや闘争心をなくしてしまう危険があった。その結果、フィルムがまわっている最も重要な時間を、たいへんつまらないものにしてしまう可能性があった。それを察知したスタッフが、大陸に渡って本格的なサバイバルクイズが始まる前のこの夜、なんとか打開しようとしたのではないだろうか。

留さんのこの激励に、僕と高橋(充)は気持ちが引き締まる思いだった。そして自分たちの重要な人生の1ページとなるであろう第11回ウルトラクイズを、よりよいものとして記録し残すためにも、思い切り頑張っていこうと考えた。

しかし、スタッフの仕掛けはこれだけではなかった。
僕と高橋(充)に言った言葉とは裏腹に、僕と高橋以外のみんなのところ、とりわけ機内トップの高橋(麻)と実力者の宇田川を中心とするグループの席に行った留さんは、全く反対の言葉で、みんなを叱咤激励したのだった。

「稲川はあまり強くない。だからおまえらも頑張れ。」

第11回ウルトラクイズにおいて、「クイズ経験者対未経験者」「稲川・高橋(充)対宇田川・高橋(麻)」の構図が、深く静かにできあがった瞬間だった。そして、そのことを僕が知ったのは、それからずっと後のことだった。

(スターウォーズ中盤のような暗さを漂わせながら・・・つづく。しかも来週に)

※(注)誤解のないように言っておきますが、僕らはクイズのライバル関係になったというだけで、ふだんはふつうに楽しく交流していました。ご心配なく。

(つづき・・・といっても今回はどちらかというと前々回のつづきかな?)

・・・・・

第11回ウルトラクイズの準決勝は、第1回ウルトラクイズのクイズ王・松尾清三さんとの1対1の早押しクイズとなった。
留さんの「まずは5本勝負、松尾さんとやってみたいと思う人、手を挙げて」の呼びかけに、僕は迷うことなく手を挙げる。この場面、どうしても自分が最初に手を挙げなくてはならないような気がしたからだ。

僕は、当時すでに関西クイズ愛好会の会員であり、同じく関クイの会員だった松尾さんとは、当然のことながら知り合いだった。8月末の関クイの例会でもご一緒していた。クイズの大先輩とはいえ、松尾さんの気さくなお人柄もあり、気心の知れたクイズ仲間だった(と思う)。
もちろん、ウルトラクイズをめざしていた僕たちにとって、栄えある第1回ウルトラクイズのクイズ王である松尾さんは、とりわけ特別な存在だ。まだRUQSを始めたばかりでなんらクイズ番組等でも実績を挙げていなかった頃、そして関クイにも参加していなかった頃、KBS京都のスタジオで行われた「100万円クイズハンター」の予選で、自分のすぐ前の席に座っていた松尾さんがふりむいてその存在に気がついた時、口から心臓が飛び出しそうに驚いたことがある。
そんな松尾さんと、ウルトラクイズの本番の、しかもあと少しでニューヨークという場面で、相対する。不思議で複雑な気分だった。

元の早押し席を立ってクイズの入った封筒を選び(他の3つの封筒も落としてしまったのはわざとじゃない)、その封筒を留さんに手渡した僕は、早押し席でウルトラハットをつけると、クイズの始まる前の刹那、松尾さんの顔をみて一言、マイクに入らないような小声で話しかけた。

「松尾さん、真剣でお願いします」と。

ここでの勝負は、そもそも松尾さんにとっては全く不利益な勝負だった。松尾さんは心優しきプレイヤーで、しかも大人である。ここで僕たちを阻止したとしても、賞金がもらえるわけでもない。せっかく苦労してここまでやってきた僕たちの夢をつぶすだけのことなのだ。もちろん歴代クイズ王としてのプライドはあるだろうが、若くて血気盛んな森田さんや石橋さんならばともかく、松尾さんのお人柄からは、自分のプライドよりも僕たちへの思いやりのほうが先に立って、結果的に本気になりきれないかもしれない。
クイズの内容も、松尾さんに有利な問題が多かったわけでは決してない。だいたいが、スタッフ側の事情から言っても、松尾さんに有利な問題をふやしてもメリットはない。むしろ、全く不利な問題も多く含まれていた。
そしてもう一つ、松尾さんに決定的に不利なルールが一つあった。実は、ここでは誤答してもマイナスはないというルールだったのだ。このルールは一見平等だが、僕たちが間違えても失うものが何もないのに対して、松尾さんにはクイズ王としてのプライドがある。この差は大きかったはずだ。

そして実戦。
現場での瞬間瞬間のことは、実はあまり覚えていない。よほど緊張していたか、集中していたのか。テレビをみて、初めてそのときそのときが思い出される。
松尾さんは、自分が答えるべき問題を的確に答えている。解答のポイントも、僕のときが一番早かったかもしれない。「ポール・ニューマン」と僕が答えたときは、本当に無理やりしぼりだしたといった感じだった。

そしてラスト問題。
Q.「将棋で、勝負を翌日に持ち越す/場合〜 (その日の最後の一手を指さずに紙に書いて次の日まで立会人が保管することをなんという?)(A.封じ手)」

このときの僕の押しは相当早かった。「会心の押し!」と現場では思った。
でも、テレビでみてみると、僕がボタンを押すよりも一瞬早く、松尾さんの指が動いているようにみえる。ただ単に指が少し動いただけなのか。それとも押すのを躊躇したのか。
たぶん手を抜いたわけではないだろう。でも、本能的に躊躇した可能性はある。
だが、僕はそれを松尾さんに確認することはしなかった。松尾さんにも失礼だと思ったし、1ヵ月間を人生を賭けて戦った自分に対しても、許されることではないような気がした。

ニュージャージーをヘリコプターに乗って飛び立った僕は、いったんはイーストリバー沿いにあるヘリポート(注:観光用ヘリコプターの乗り場があるヘリポート)に降り立ち、ここで長時間待たされた。
戦いをふりかえってみて、やはり松尾さんには勝たしてもらったような気がしていた。とはいっても、仲間だから手を抜くとか、そんな低俗なことではない。松尾さんは自分らしさをだしながら戦い、結果的に僕の背中を押してくれた。そんな気がして、妙にすがすがしかった。

その後、高橋が到着していよいよ決勝かと思ったら、さらに待たされた挙句、なんと山賀までが到着して、前代未聞の3人による決勝になったことを悟る。
そのときに僕の脳裏をよぎったのは、ニュージャージーで唯一の敗者になった宇田川のことだった。

「早押しクイズで雌雄を決しよう」。その機会は永遠に失われてしまったのだ。


その後、僕たちを乗せた3機のヘリコプターは、3機ゆえに撮影が難しかったのか、世界貿易センタービル(今はない)とエンパイアステートビルの間を、時計回りに何回も何回も飛び続けた。たぶん1時間30分くらいは飛んでいただろう。
そして燃料も尽きかけた頃にようやく着陸。しかしそこはリバティ島ではない。実は、リバティ島にはヘリポートがないため、対岸にある川沿いのヘリポートに着陸し、そこからは小舟でリバティ島に向かったと言うのが本当だ。そう、その小舟こそが、ハドソン川に飛び込んだ僕が引き上げられた小舟だった。

その後、決勝が行われ、決着がついた僕たちをのせた船がリバティ島の桟橋を離岸したのは、もう午後3時半を回った頃のことと記憶している。制限時間ぎりぎりだったと、スタッフは胸をなでおろしていたに違いない。

(終わり)

お久しぶりです。それと、前回のブログではたいへん多くの書き込みをしていただき、ありがとうございました。やっぱりブログはこうでなきゃ! 元々コミュニケーションツールとしての可能性を試そうと思って始めたので、いろいろな人と交流できるのはうれしい限り。これからもよろしくお願いします。

(以下、前回のつづき)・・・・・敬称略

それでは、前回提示した3つの謎について、その真実をお教えしよう(ちょっと幻滅する部分があってもご容赦あれ)。

まず、松尾さんとの1対1のクイズで、勝ったのが1人、もしくは全員が敗退してしまった場合はどうする予定だったのか?

実は、その場合は、松尾さんとの対戦で得たポイントを持ち点として、残りの挑戦者(3人ないしは4人)で早押しクイズ(正解1ポイント、不正解−1ポイント)を行い、3ポイント先取した挑戦者が勝ちぬけて決勝に進出、決勝進出が2人となった時点で終了することになっていた。つまり、例えばすでに1人が松尾さんに勝って決勝進出決定、残りの3人がそれぞれ3対2で敗退していた場合、2点ずつを持ち点として、3人で早押しクイズを行い、3人のうちの誰かが3ポイントになった時点で決勝進出者が決定して準決勝は終了となる。たぶん、早ければ1問、どんなに遅くとも10問とかからずに、2人の決勝進出者が決定して準決勝は終了していただろう。
僕はこのルールを聞いたとき、あまりの安易さに驚きを通り越してあきれてしまった。結局は史上初めてそして唯一3人が決勝に進出したために、番組としてはそれなりにおもしろくみえたが、それはむしろスタッフにとっては想定外のこと。実際に松尾さんに勝ったのが1人だけ、もしくは全員が敗退してこのルールが適用されていたならば、まるで尻切れ蜻蛉のような結末となり、後味の悪さを残したに違いない。
どうしてそんな中途半端なルールを採用したのかは、ここでは言わない。つづきを読めばわかる。

次に、ここで本来予定されていて、直前に変更されてしまったルールとはどんなものだったのか。

それは、松尾さんによる通せんぼクイズだった。
つまり、4人で早押しクイズ(正解1ポイント、不正解−1ポイント)を行い、3ポイント(2ポイントにしていたかもしれない)を獲得した挑戦者が松尾さんと1対1で対決、ここで解答権を得て正解すれば決勝進出、不正解、スルー、もしくは松尾さんに答えられてしまった場合は0ポイントに戻って再び4人で早押しクイズというものだった。誰が考えてもこのクイズが自然だし、ここでのセットにも合点がゆく。前回ブログのコメントで、正解者多数だったのもある意味当然だと思う。

そして、このクイズが直前で変更されてしまった理由とは?

第11回ウルトラクイズでは、準決勝と決勝が同じ日に行われていた。そして、リバティ島で行われた決勝には、重大な制約があった。
もはやYoutubeもないので確認できない人が多いと思うが、決勝が行われたリバティ島の桟橋には、大小2つの船が係留されていた。そのうち小さい船はハドソン川に飛び込んだ僕が引き上げられた船、この船も実は重要な役割のある船なのだが、ここでは言わない。もう一つの、バンドが乗っていた大きな船、これが問題だ。この船は決勝が終了した後、僕たちを乗せてニューヨークへ連れて行ってくれた船なのだが、この船が干潮時になると離岸できなくなるため、この日の決勝は、どうしても午後4時までに終了しなければならなかったのである。

「時間的制約」。そう、全ての理由は、準決勝と決勝が同じ日に行われるための、時間的制約によるものだった。


だがしかし、そんなことはだいぶ前からわかっていたはず。それが直前まで決まらなかったのは?

第11回ウルトラクイズには、企画段階で「過去の10回のウルトラクイズを超える」という基本コンセプトがあった。後楽園でのオープニングで歴代クイズ王が登場してエキシビションマッチを行ったのもその伏線だし、それゆえ準決勝には挑戦者4人による通せんぼクイズではなく、松尾さんによる通せんぼクイズを行うことになっていた。一説には、後楽園でのエキシビションマッチで高得点をだした2人のクイズ王=森田さんと石橋さんが通せんぼをするばずだったとも言う。
しかしながら、こうしたコンセプトとは裏腹に、後楽園での○×クイズの気まぐれゆえか、この年後楽園を突破した100人、ひいてはグアムに到達した40人+αには、クイズ経験者が少なかった。そしてクイズが進行していくに従い、スタッフの間に「準決勝でなかなか決勝進出の2人が決まらなかったらどうしよう」との不安が広がる。「数回の通せんぼで決まるならばまだよし、ひょっとして10回、20回、いやいや永遠に勝ち抜け2人が決まらなかったらどうしよう」ということで、結局はリスクを回避し、ルールの変更を決断した、ということではないだろうか。

これは杞憂かもしれないし、現実にありうる問題だったかもしれない。通せんぼする側と突破しようとする側の実力差がある場合だけにこうした問題が起きるのではなく、例えば第13回のボルチモアのように、全員が一定以上の実力を備えている場合にでも、十分に起こりえるものなのだから。確かに、結果論として時間的な問題は起きなかったわけだし、3人が決勝進出となったことで、それなりの話題性ももちえた。逆に、第13回ボルチモアのような長丁場となれば、クイズの進行にも重要な影響を及ぼしたかもしれない。

・・・・・

次回は、準決勝の模様と決勝への道程について。

(つづく)


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