|
2008年が明けて早くも3週間余りが経過してしまいました。いまさら新年のごあいさつでもないので控えますが、このままではこのブログ、日刊、週間、旬刊、月刊としだいに投稿周期が長くなっていって、ついには季刊(それとも廃刊)にまで落ち込んでしまいそうです。あらかたネタも出し尽くしたので、ちょっと苦しいのですが、まあ、とりとめもなくつづけてみましょうか。
それはそうと、某ウルトラクイズコミュでは、今年ウルトラクイズが復活するのではないかと、ちょっと盛り上がってますね。まあ、たとえ復活しても、いまさら長期の休みはとれないだろうし、それ以前に勝ち抜くことも不可能なんでしょうが、やはりあの後楽園=東京ドームの雰囲気だけでも、何物にも代えがたい。復活させられるものなら、ぜひ復活してほしいものですね。
・・・・・
僕とウルトラクイズの出会いは、第1回大会をテレビでみたときにさかのぼる。僕が中学3年のときのことだ。
当時の僕は、そのとてつもないスケールの大きさ、奇想天外なクイズスタイルに、たちまち魅了されてしまった。そして、その後ウルトラクイズが毎年恒例となり、毎年の放送を楽しみにするとともに、自分が出場できるようになるのを心待ちにしていた。
そんな僕がようやく出場年齢に達したのは、1981年の第5回大会でのことだ。
そのとき僕は浪人生で、名古屋の代々木ゼミナール名古屋寮に住んでいた。毎日代ゼミ名古屋校まで片道歩いて20分、まじめに勉強するでもなく、気楽な浪人生活を送っていた。困ったことに、寮の部屋はテレビの持ち込みが禁止されていたので、やむなくラジオのアンテナにテレビチューナーをつけて、ようやく音声だけが拾える程度。ウルトラクイズが放送されていたときには、いろいろと理由をつけては大垣の自宅に帰っていた。それでもさすがに毎週は家に帰れなかったので、第5回の放送の半分は、音声だけしか聴いていない。
さて、そんな僕の、ウルトラクイズ初挑戦。
待ちに待った後楽園でのウルトラクイズ。ふだんは降りることのできないグラウンドに降り立ち、思い切りクイズを楽しもう。勝ち抜けないまでも、○×走りクイズだけでも楽しもう。そんなことを考えつつ、東京へと単身乗り込んだのだった。
ところが、午前8時頃だったか、ようやく後楽園に着いた僕は、入口のゲートで呆然と立ちつくすことになる。
「問題:ニューヨークの自由の女神は裸足である、○か×か?」
あろうことか、ゲートの上に○×クイズが掲げられていたのだ。
昨年の第4回までは、スタートはグラウンドでの○×走りクイズからだった。グラウンドに集まった挑戦者たちに留さんから第1問が出題され、○か×、正解と思うほうのボールを途中で手にして、○か×のエリアに走りこんでいく。少なくともこのクイズは無条件で参加できるはずだった。
それが、いきなり裏切られることになるのだ。
原因は挑戦者数が第4回の2700人余りからいきなり倍増したためだったからだが、そんなことは事前に知る由もなかった。
そして、僕はこの第1問を間違えて、あっけなく散った。
僕のウルトラクイズ初挑戦は、突然出現したゲートでの○×クイズによって、グラウンドにさえ降りられずに終わった。
・・・・・
一言で説明できるほどの、なにもなかった初挑戦でした。
次に挑戦するのは、立命館大学に入学してから、のことです。
|