|
前回に続き、昔むかしのお話。
・・・・・
1982年4月、僕は京都の立命館大学法学部に入学した。
1年間の浪人生活を経ての大学生活。とにかく地元からは離れて生活したくて、もっぱら東京の大学を中心に受験したがことごとく失敗、唯一合格したのが、最初に受験したこの立命館大学だった。
だが、何の目的もなく入学して、勉強する気もさらさらなかったくせに、なにを思ったか法学系4サークルのうちの1つ、「法友会」(名前からして本格的な法律サークル)に入会した僕は、すぐに行き詰ってしまう。GW期間中、湖西線沿いにあった蓬莱セミナーハウスで行われた合宿で、窓の外を1時間ごとに通過する特急雷鳥をみていて、「なんでみんなが休んでいるときに、勉強しなければならないのか」とつまらない疑問を抱き、5月末には早くも退会してしまうのだ。
それからしばらくの間(実は卒業するまでずっとそうなのだが)は、たまに大学に行き、毎日のようにゲーセンに行っては、思い切り怠惰な毎日を送っていた。元々議論好きだったので、学生大会にも好奇心からでてみたが、学生のくせに平和と民主主義を第一に唱える執行部に思ったままに疑問をぶつけたのに、まともな返答は得られず、さらにむなしさが増すばかり。同じクラスだった数人の仲間とともに、合コンにも参加してみたが、彼女ができることもなかった。高野悦子の「二十歳の原点」を途中まで読んでいて、当時の自分の精神状態に近いものを感じ、恐ろしくて最後まで読めなかったのもこの頃のことだ。
8月には、浪人時代からの友人とともに、第6回ウルトラクイズに出場したが、2回目の挑戦となったこの年も、第3問であえなく敗退。初めてグラウンドの感触を確かめることができたのが、唯一の救いだった。
このまま終わっていれば、僕の学生生活はどうなっていたか、たぶん何もないままだったに違いない。
・・・・・
だが、11月に入り、少しずつではあるが、僕に転機が訪れる。
最初のきっかけは、他の大学での学園祭でのことだ。
これといって刺激もないままに学生生活を送っていた僕は、クラスの仲間とともに、他の大学の学園祭に遊びに行った。
最初に行ったのは、京都女子大学。だが、ここでは目の保養をしただけでなにもなかった。
次に行ったのは、ノートルダム女子大学。ここでのステージイベントで、僕は青のスタジャンを着た数人の男子学生が、女子学生たちと楽しそうに談笑しているのを目撃した。そしてその男子学生たちが着ていたスタジャンの背中には、なんと「KYOTO SANGYO UNIVERSITY QUIZ STUDYING SOCIETY」の文字が……。「ラブアタック(だけ?)で有名な京都産業大学に、クイズサークルもあるのか」と妙に納得するとともに、「おくてで女性とは趣味でも一緒でないとまともに話せない」と勝手に思い込んでいた僕は、「クイズをやるのも悪くないか」と漠然と思うのだった。
「そういえば、高校時代の休み時間、自分で勝手にクイズを作成し、クイズ・スランプリ(グランプリではない)と題してやっていたっけ」
その後、京都大学の学園祭でクイズ大会があり、京都大学にもクイズサークルが存在することを知った僕は、クイズサークルへの関心をさらに高める。
そして、11月30日。僕がRUQSへと踏み出す大きな契機となるイベント、この年だけ開催されたイレギュラーのウルトラクイズである「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」が、全国6会場で一斉に開催された。
・・・・・
僕が参加したのは、大坂球場を会場としていたブロック。大坂球場はその後野球場して使われなくなり、しばらくはグラウンドが住宅展示場などに使われていた。今では取り壊されて再開発され、なんばパークスになっていると、ついさっきインターネットで調べて知った。
・写真=第6回ウルトラクイズ(右)と史上最大の敗者復活戦の参加規定。ウルトラクイズの参加規定は毎回青色1色刷りだったが、敗者復活戦の参加規定だけは、緑色だった。
|