ハウエバー稲川のパチンコ島通信

コミュニケーションツールとしてのブログに期待しています。いろいろと意見交換したり、交流を広めたりしたいですね。

クイズ

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前回の説明で、第11回ウルトラクイズのクイズサミットでは、指名されないことこそ悲劇であり、「指名される=得点のチャンス」であることが、よくわかったことと思う。テレビで他の挑戦者の集中砲火(とりわけ稲川のいじめ?)を受けて沈没したと思われた中村くんが、実は繰り返し訪れるチャンスをものにできずに敗退したということを知っただけでも、クイズサミットの見え方が大きく違ってくるはずだ。

それでは、実際のクイズサミットはどう展開したのか、僕の心の動きを交えながら追体験してみよう。
※ここからは臨場感を増すために敬称略(失礼の段は平にご容赦)

・・・・・

最初の指名権を争うクイズ「Q.現在のアメリカ大統領はレーガン、では副大統領は? A.ブッシュ」を答えた僕は、とりあえず指名権を得たことに安堵しながら、クイズボードを留めていたテープをひきちぎって中身を確認した。でてきた問題は以下の3問。1は確か六甲山だったと記憶していたし、2はアタック25の問題集でみた問題。そして3は誰に出題しても答えられてしまいそうな常識問題に思えた。

1「Q.日本で最初のゴルフコースができた都市はどこ? A.神戸市」
2「Q.縦割りにしたナスを油で焼き、練りミソを塗った料理を、鳥の名前を使って何焼という? A.しぎ焼」
3「Q.今年話題となっている税制改革。『少額貯蓄非課税制度』を一言で言うと何? A.マル優」

僕の最初の選択は、1のクイズを中村に出題することだった。実力者の高橋と宇田川は答を知っているかもしれなかったし、山賀はあてずっぽうで当ててしまうかもしれない。だいたいがこの手の問題は長崎か神戸、横浜あたりが答に思えるからである。そして中村は、答を知らなければ何も答えない可能性が高いというのがその理由だった。
見事予想通りに1ポイントを獲得した僕だったが、次の出題に当然2を選択したものの、誰に出題するかで大いに迷う。クイズらしい問題なので、やはり高橋と宇田川は答を知っているかもしれない。そして山賀は料理問題に滅法強い。中村はたぶん知らないだろうし、どう考えても中村に出題すべきなんだが、2問続けて同じ挑戦者を指名することが、ずいぶんと悪いことのように思われた。これが悩んだ挙句の「申し訳ないが中村くんにもう1問」というセリフにつながった。

2ポイントを先取した僕だったが、ここまでは得点しても全く表情を変えていない。クイズサミットの恐ろしさをわかっていたからである。ところが3を出題する段になって、急に笑顔いっぱいになる。それもそのはず、3は誰でもわかる問題だと思ったので答えて当然、3回続けて中村を指名したのは、2ポイントくれたお礼?として1ポイントと指名権をプレゼントするつもりだったからである。もちろんそれはその後の僕の苦しい戦いを意味することでもあったのだが……。
中村がこの問題を間違えたため、僕は3ポイント目を獲得した。だが、中村がこの問題をスルーして不正解になった瞬間、僕は首をかしげてくやしがっている。「何やってんだあ、中村」という気持ちのあらわれだった。

手持ちの問題がなくなったので、僕はディーラーから新しく3枚1セットのクイズボードを配られたが、中身をみてびっくり! 目の前が真っ暗になった。3問とも答えられてしまいそうな問題だったからである。
詳しく見てみよう。4は僕もキリンビールの新聞広告(1ページ広告)をみるまでは2本と思っていたので、簡単な問題ではないと思うが、どちらにせよ1本か2本の2択問題。でも、5と6は誰にでも答えられる常識問題だと思った。だいたい6なんか、その場で口ずさめば簡単にわかる。

4「Q.中国の伝説上の動物、麒麟に角は何本? A.1本」
5「Q.選挙の方法の一種で、主に北欧や西ドイツなどで採用され、日本でも参議院選挙で行われている制度は何? A.比例代表制」
6「Q.童謡『はと』『ななつのこ』『ぞうさん』。三拍子の曲はどれ? A.ぞうさん」

僕はとりあえず4を山賀に出題した。このときはなんとなく山賀に出題すれば、2本と答えるような気がしたからだ。こうして4ポイント獲得でリーチ、しかも他の4人は0ポイントのままという圧倒的なリード。しかしながら、僕の気持ちは暗かった。残りの2問で、最低2人が勝ち抜ける。勝負は次に配られる3問。そんな気持ちだった。
ここに至って初めて、僕はどうせ誰かが勝ち抜けるのならば、強い奴から勝ちぬけさせたほうがよいことに気がつく。かといって宇田川に出題するには不安がある(前回参照)。ならば「強敵の高橋くんに」ということで、5を高橋に出題した。たぶん宇田川でも正解していたはずだ。

その後、高橋がストレートで勝ち抜けるとはさすがに予想していなかったが、これは結局は僕にとって最高の形、計算通りというか、計算以上の結果だった。
そして、次の指名権を争う出題「Q.今年行われた世界初の太平洋横断ヨットレース。フィニッシュは大阪、ではスタートの都市はどこ? A.メルボルン」を快答した僕は、「行くぞ!中村くん」と元気いっぱいに6を出題する。「この問題、中村は当然正解する。そして僕は1度も指名されずに次の勝ちぬけがでる。勝負は次の指名権争いのクイズに僕が正解して得られる新しい3問。」僕の気持ちは先の先へと向かっていた。

ところが……
中村が6の問題をまさかの不正解にしたために、不意に僕の勝ちぬけが決定する。僕が一瞬あっけにとられたり、留さんの握手にきがつかなかったのもそのためである。そして、勝者席に向かう僕が発した一言、中村に向かっての「がんばれよ」の一言は、心の底から中村に勝ち抜いてほしいとの思いから、無意識に飛び出した一言だった。(この一言が嫌味のように思われたのはたいへん残念)

・・・・・

その後、実力のある宇田川さんがなかなか指名されず、苦戦したのは周知の通り。彼は大半の問題の答をわかっていた。そしてそれは、一歩間違えば僕がそうなっていたという暗示だ。
もし、エバーグレイズで柳井さんが負けなければ50%くらい、そしてカンクンで高橋(麻)さんが負けていなければ80%以上の確率で、僕はワシントンの敗者になっていたであろう。それほどまでに恐ろしいクイズサミット、後にも先にも実際に行われたのが第11回ウルトラクイズだけなのも、当然といえば当然なのかもしれない。

パチンコ敗者復活のことを書いたら、もうひとつ、どうしてもクイズサミットのことを書きたくなった。ウルトラクイズのコミュとかをみていると、テレビでみた印象と、実際とは大きく異なる場面がいくつかある。第11回ウルトラクイズの場合、その最もたる例は、まちがいなく「クイズサミット」だろう。
よって今回はパチンコ島にも、パチンコにすら関係ない話。これを知ったら第11回ウルトラクイズの年に生まれた会社の部下の女の子にまた「おじさんの昔自慢」と思われてしまうな。とほほ……

・・・・・

ウルトラクイズは、どの回でも残り人数が少なくなってくると、1回は実力者(と目される挑戦者)に圧倒的に不利なクイズを行う。第11回の場合は残り5人のとき、ワシントンで行われた「クイズサミット」がそれだった。
現地でクイズのルールが説明されたとき、僕はすぐにその恐ろしさに気づいた。ビデオ等をもっている人は確認しながらみてもらえばわかるが、念のため紹介すると次の通り。
5人の挑戦者にはまず、3枚1セットになったクイズボードが渡される。そして最初に指名権を争うクイズを出題。正解者に得点はなく、自分がクイズを出題する相手を選ぶ指名権のみが得られる。そして自分が持っている3枚のクイズボードの中から1枚を選んで出題。相手が正解できなければ自分が1ポイント獲得で引き続き次の出題相手を選び、再び手持ちのクイズボードの中の1問を出題する。逆に相手に正解されてしまうと、出題相手が1ポイント獲得になってしまうばかりか、自分が持っていた指名権もその相手に移ってしまう。その繰り返しで進行していき、5ポイント獲得で勝ちぬけ、最後まで残った1人が敗者になるというものである。
これだけだとわからないかもしれないので、補足を2つばかり。手持ちのクイズボードは常に3枚1セットで、最初は5人に1セットずつがディーラーから配られる。そして手持ちのクイズボードはその3枚を使い切らないと(つまり3枚とも全部出題してしまわないと)補充されないし、補充されるときはディーラーがふせてある3枚1セットのクイズボードを1セット配るだけで自分では選べない。また、指名は自分以外の勝ちぬけていない挑戦者であれば、同じ挑戦者を続けて指名してもかまわない。逆にいえば、残り人数が少なくなれば、指名できる挑戦者も当然に限られてくる。もうひとつ、勝ち抜けがでた場合のみ、指名権をもった挑戦者がいなくなるため、改めて指名権を争うクイズが出題される。但し、ここで正解してもやはり指名権を得るだけで得点にはならない。……

おわかりだろうか?
つまりこのクイズは、自分が他の挑戦者から指名されない限り、自力では得点できないルールなのである。もっと言うと、自分が得点できるのは、他の挑戦者から指名されて出題されたクイズに正解した場合と、自分が指名権を得て出題した相手が不正解だった場合の2つだけ。よって、自分が他の挑戦者から指名されなければ永久に自分の解答によって得点できることはないし、苦労して指名権を得ても、出題するクイズの難易度は配られて手持ちとなったクイズボードの難易度に100%左右されてしまう。

残った5人の中で、僕はクイズ番組で優勝経験がある唯一の存在だったので、一番警戒されていたし、残り2人でもならない限り、僕が他の挑戦者から指名される可能性はたいへん低かった。よって、僕は指名権争いのクイズはなにがなんでも答えて指名権を自力で獲得するしかなかった。また、指名権を得た場合、手持ちのクイズから出題するのだが、これが幸か不幸か(仕組まれていたのか偶然なのか)簡単な(と思える)クイズばかりが僕のところに集まってくる。そして、僕が出題した相手が正解して指名権が移ったが最後、僕を指名する人は誰もおらず、誰かが勝ち抜けして再び指名権争いのクイズが出題され、しかもそれに僕が正解しない限り、僕に出番がまわってくることはない。さらにここで運よく指名権を得たとしても、やはり出題できるのは手持ちのクイズからだけで、これが正解されればやはり自分の出番は誰かが勝ち抜けるまで訪れない。……

もうひとつ、このクイズには「必勝法」に近い戦法があることにも気づいた。自分が指名権を得て出題した相手に正解された場合、相手が1ポイント獲得の上、指名権も移動するが、出題者が減点されることはない。つまり、2人あるいはそれ以上が組んでキャッチボール(=つまり出題しあうことを)すれば、仲間内でひたすら得点を伸ばしていける。ルールの性質上、3点以上、ひょっとしたら2点でも致命的な得点差になりうるだろう。
クイズのルール説明があったのは開始の直前で、もちろん事前に打ち合わせることはできなかった。しかし、ことクイズに関する限り、僕と高橋くんはクイズ経験者と言うことでどちらかといえば警戒されていたし、宇田川さんと山賀さん、カンクンで敗退した高橋(麻)さんたちはクイズ未経験同士で仲がよかった。ちなみに、テレビで僕がいじめたかのように言われた中村くんと僕とは仲がよかったが、もちろん組もうとは思わなかったし、たとえそうしても中村くんは返してこなかっただろう。
そんなこんなで、僕は宇田川さんと山賀さんがキャッチボールすることを恐れた。僕が指名権を得ても、よほどのことがなければこの2人は指名できないと思った。(実際には宇田川さんはこのことに気がついてキャッチボールしようとしたが、山賀さんが全く気がついておらずに不発に終わった。しかもそれは高橋くんと僕が勝ち抜けた後の話)

・・・・・

たいへん長くなってしまった。さて、こんなことをルール説明からクイズ開始までの短い時間に考えていたこの日の僕は、たぶん相当冴えていたのだと思うが、実際の戦いはどうだったのか、その真実は次回にお話ししましょう。

パチンコ敗者復活

今回はパチンコ島ではなく、その名前の元になったパチンコ敗者復活について。

第11回ウルトラクイズについてはいろいろな意見があると思うけど、第1週の特に成田のジャンケンから敗者復活、そしてグアムのベッド争奪クイズに至るくだりについては、たいへんおもしろいと思う。やってる自分としては、その前日に寝ていなかったこともあって最後はへろへろになっているが、とにもかくにも、敗者復活が東京以外で行われたのは、これが唯一のことなのだ。

・・・・・

挑戦7年目にしてようやく後楽園(注:第11回までは後楽園球場だったので、僕らは国内第一次予選のことを後楽園と言うことが多かった)を勝ち抜けた僕だったが、成田のジャンケンでいきなり負けてしまい、奈落の底に突き落とされる。敗者復活に一縷の望みを託したが、僕ら敗者を乗せて成田を飛び立った飛行機が名古屋空港に着陸したときには、もはやあきらめざるをえなかった。
なにしろ挑戦者をグアムに運ぶ飛行機は、もう成田を飛び立ってしまっていて、タイムマシンでもない限り乗ることはできない。名古屋縦断ミニトラクイズなんてのも全くのジョークで(実際途中まではジョークだった)、今年の敗者復活はもうない、まあ岐阜県出身で当時大阪に住んでいた僕にとっては、旅費がだいぶ助かったということだけがプラスのように思えた。

名古屋市内をバス2台で巡り、名鉄上飯田駅に着いた僕たちは、徳光さんと一緒にここから電車に乗ることに。電車を待つ間、我々一行を珍しそうにみつめる近くの住人と徳光さんとのやりとり、ここで配られた「天むす」を食べながらの電車での移動。それはそれで不思議ながらも楽しいひとときだった。まあ、それだけでもいい思い出になったことだろう。

ところが、名鉄小牧駅(今の地下駅ではなく旧駅舎)で降りた我々を待っていたのは、前代未聞のパチンコを使った敗者復活戦だった!

今から思うと、僕はここを勝つべくして勝ったように感じている。
まずはほとんど地元といっていい名古屋での敗者復活戦、そしてパチンコ。両親が共働きだった僕は祖母に育てられたが、この祖母が近所でも有名なギャンブルばあちゃんであり、僕は物心ついたときにはすでにパチンコ屋にいた。当然のごとく当時の僕にとってパチンコは趣味のひとつだった。
また、クイズが始まる前に、場所が名古屋だけになんとなく「えびふりゃあ」が出題されるような気がしていた。
そして案の定、第1問がずばり予想通り。200発のパチンコ玉を持った僕は店内に向かう。このとき店内にはすでに相当数の人がいたが、あとから考えるとこれらの人たちは全てサクラだったのだろう。
僕が座った台は奥のほうの台だったが、実はこのときにも一つのドラマがあった。最初に座ろうとした台は、なぜか一瞬ためらった後に座るのをやめて、反対側の島の台に座ったのだが、その後僕が最初に座ろうとした台に座った僕の大学の後輩は、200発の玉をすって再びクイズに戻っているのである。

また、これはネタバレになるが、実はこのときのパチンコ台は、777(当時のフィーバー台は777だけ、もしくは777と333が大当たり)と3つそろわなくても、そのうち2つだけそろうだけで大当たりになるよう調整されていた(と思う)。プレイを始めて最初の回転で数字が2つそろったとき、いきなりワイドアタッカーが開いたので、「少しずつでも玉を拾わないと、なかなか2000発にならないもんな」といったんは思ったのだが、一向に終了する気配がない。結局はそのまま15Rまで開きっぱなし。当時は15Rで2100発くらいの出球だったから、そのままでも勝ち抜けしたと思うが、そのまま続けたら、次の回転でふたたび2つ数字がそろって大当たり(つまり、テレビで777とそろっていたのは僕の台ではない)。結局はもうドル箱に入りきらないところまで入れて計測器にもっていったところ、3499発の大勝利となった。これでもダントツの1抜けだったわけだから、まさに圧勝である。決勝よりも、このときのほうが会心の勝利だった。
僕を育ててくれたギャンブルばあちゃんは、この1年ほど前に病気で亡くなっていた。テレビで僕の圧勝劇をみた親戚の人たちは、「おばあちゃんの霊がついている」と本気で思ったと言う。

このときにもらった「名古屋の敗者復活者」のたすきは、縁が金の布地で飾られていて、相当気に入っていた。グアムのドロンコを勝ち抜けた夜にはみんなで踊りに行ったときにこのたすきをつけていったら、外国人たちに大うけした。その後は僕のトレードマークのようになったんだけど、パチンコ島に埋めてきてしまったのは本当に残念だ。実は収録後に回収しようと思っていたんだけど、撮影のどさくさで忘れてしまった。5年後に再訪したときに探したが、みつからなかった。無理もない。味噌汁を飲んでいたほうに埋めていたのならともかく、岩礁のほうに埋めたのでは、そのまま流されてしまうか、土砂に埋まってしまったのだろう。
ちなみにこのたすきを名古屋でもらったのは7人。そのうち僕のたすきはパチンコ島で失われ、飯田さんと岡田さんのたすきはグアムで泥にまみれた。しかしながら、深夜のブーブーゲートで敗退した残りの4人は、無傷でこのたすきを国内に持ち帰ったはず。

「誰かゆずってくれないかなあ」

パチンコ島へ行こう!

土日はブログを書けないと思うので、今日のうちにもう1つ。今回の話題は前回のつづき、パチンコ島へ行く方法について。


僕がパチンコ島を再訪し、正確な位置を知ったのは、第11回ウルトラクイズからちょうど5年後、新婚旅行のときだった。でも、最初から行き着く自信があったわけではない。僕の手元にあったのは、カナダから年1回送られてくる資産通知書と、カナダの新聞に載った僕の記事のコピーだけで、日本ではノヴァ・スコシア州の地図すら手に入らないのが実情だった。
さんざん旅行パンフを探した結果、阪急旅行社のカナダツアーの中に、トロント、ナイアガラ、バンフ、バンクーバーとともに、赤毛のアンで有名なプリンスエドワード島に立ち寄るツアーを発見した。しかも3日間滞在し、そのうちの中1日は自由行動になっている。さらに幸いだったのは、このツアーの最少催行人数が2人だったこと。僕らが結婚式を挙げたのは5月31日で、このツアーは6月からの開始だったので、夏休みとかならばともかく、6月では僕たち以外に誰も行かないという事態も考えられる。つまり、このツアーならば中止になることもないし、中1日を使えばプリンスエドワード島からノヴァ・スコシアに行ける。同行するツアーコンダクターを説得して、臨時のオプショナルツアーをお願いしようというのが僕の計画だった。

そしてツアー本番。成田空港を出発したときは10人ばかりのグループだったのが、乗り換えのバンクーバー空港で2つのグループに分かれ(カナダの別ルートのツアーと一緒だった)、プリンスエドワード島へ行くのはなんと僕と嫁の2人だけに。以後はバンクーバー空港で待っていた、日本語ペラペラのカナダ人ツアーコンダクターとともに、わずか3人のぜいたく旅行になった。
このバンクーバーでさっそく僕はこのカナダ人に事情を話し、パチンコ島へ連れて行ってくれるようにお願いした。いったんは相当な疑いをもったカナダ人だったが、僕が持っていた資産通知書と新聞記事のコピーをみせると真実であることを理解し、一緒に行ってくれることに。このとき協力が得られなければ、英語もろくにできない僕たちがパチンコ島へたどり着くことはなかっただろう。それに、ツアーコンダクターがカナダ人のしかもノリのいい人だったことが幸いした。こんなイレギュラーなオプショナルツアーを組むことは、旅行会社の規定からは絶対にありえないことらしい。とにもかくにもこの日のうちにプリンスエドワード島からハリファクスに行く飛行機チケットは予約され、僕たちはその日を待ちわびることになった。

そして当日。プリンスエドワード島から飛行機ですぐ隣のノヴァ・スコシア州にあるハリファクス国際空港へ30分ほどで着く。ここでレンタカーを借り、いったんはスーパーマーケットで食料ほかを買い込んで、まずはハリファクスの市街地に向かった。どこへって、資産通知書に書かれていた不動産の事務所である。ここでパチンコ島の正確な位置を書いた地図を受け取ると、一路海岸沿いのハイウェイを北東へ。でも、舟はどうするの?と思っていると、カナダ人ツアーコンダクターは近くの釣具屋の脇に車を停め、店の人に舟をだしてくれる人はいないかを話し始めた。
すると、ここでもラッキーな出来事が。釣具屋の主人が5年前に日本人のクイズ王が島を受け取りに来たことを覚えていて、俺の舟で行こうということになったのである。

舟に乗ったのは、地図にも載っているプレザント・ポイントのあたりから。このときに改めて、このあたりの海は干満の差が大きく、干潮時にも舟を走らせることができる水路は限られていること。そしてパチンコ島は、その水路からは全く離れたところ、言い換えれば、干潮時には干潟のどまんなかにあることを知った。ちょうど干潮の近づいている時間帯だったが、最後は船外機をあげて手でオールを漕ぎ、ついにパチンコ島に再上陸した。たぶん、ウルトラクイズで土地関係の賞品を手にした優勝者が、その地を再訪したのはこれが初めてだっただろう(たぶん今も僕だけだと思う)。

以上がパチンコ島へたどり着くまでの経緯だけど、このときに正確な地図を入手(画像参照)したので、今では誰でもその気になればパチンコ島へ行ける。
行く方法としては、まずハリファクス国際空港へ行く。もしくは、ハリファクスはカナダ鉄道の東の終着駅ともなっているので、鉄道でハリファクス入りしてもよいかもしれない。
そして、レンタカーを借りて、一路北東へ約50km。オストリア湖の東側にあるプレザント・ポイントあたりに行く。そして舟。もちろん地元の人に舟をだしてもらうのが一番だけど、付近は入り江で並もほとんどないので、日本からゴムボートを持参すれば自力で行けるかもしれない。但し、どうみても岸からは1km以上はありそうだけど。

最後にひとつ。この話にも後日譚がある。
パチンコ島で記念撮影した僕たちは、日本に帰ってきてから、結婚報告のはがき(よくある「私た結婚しました」というあれ)を作成して方々に送ったんだけど、反応は特になかった。実は、「パチンコ島にて」というキャプションを入れていなかったのと、記念写真に写っている背景が、どうみてもそのへんの小汚い雑木林で撮ったようにしか思えない写真だったのだ。

パチンコ島は沈まない

とりあえず4日連続でブログを書いている。3日坊主はなんとかクリアした。おまけにパチンコ島ネタだけでも、もう少しは書けそうだ。本当はそのためのブログではないんだけど、とりあえずひと通りは書こうかな。
今回の話はウルトラクイズの裏話について。ちょっとネタバレになってしまうけど、まあ20年もたてば時効だろうし、影響も少ないと思うので、思い切って書いてしまうことにしよう。

・・・・・・

第11回ウルトラクイズの優勝賞品である「カナダの島」。僕が「パチンコ島」と命名したこの島は、テレビでは「沈んでしまう島」と紹介され、僕のことも「畳一畳の島地主」と言われていた。
しかし、実は沈まない。人こそ住んでいないが、ちゃんと登記もされている、れっきとした島だ。

ウルトラクイズで賞品受取に行ったとき、僕と留さんはボートに乗ってその島へ出発した。この日はあいにくの悪天候で、辺り一帯は霧がかかっていて、見通しも悪く、陰気な感じがいっぱい。テレビではリゾートアイランドと銘打っていたが、とてもリゾートには向かないような暗いイメージだった。

そして、最初にたどり着いたのは、立派なログハウスが建っている広い島。テレビでは一瞬だけ室内が紹介されていたところだ。僕はウルトラクイズの優勝賞品には必ずどんでん返しがあることを認識していたので、この島は違うだろうと思った。それどころか、カンクンで優勝賞品が島であることが発表されたとき、ウルトラクイズが本当に島をくれるとは思えなかったので、「たぶんテレビでの命名権だけだろうな」と思っていた。

案の定、この島は賞品ではなく、再びボートに乗って移動。そしてたどり着いたのが、テレビでは僕と留さんが味噌汁を飲んだ島である。
この島に行ったとき、我々の周囲にいたのはウルトラクイズのスタッフだけではなかった。島にはカナダのテレビが取材に来ていた。あとでわかったことだが、その日の夜のニュースに「日本のクイズ王がノヴァ・スコシアの島を優勝賞品として受け取りに来た」ことを流すための取材だった。

すでにフェイクが1回あったこともあり、カナダのテレビ局もいたことで、僕はこの島が優勝賞品として確信した。まあ、そんなに広い島ではないし、カナダの土地の安さから、優勝賞品の価値としてもまあまあ妥当に思えた。

しかし、留さんによってこの期待は一度裏切られる。もう一度ボートに乗り、テレビではここがパチンコ島とされた岩礁へ。僕は味噌汁の島が賞品だと確信していたので、このときは本当にだまされたと思った。テレビでの僕のくやしがる表情、岩礁に上陸したときの半ば開き直ったかのような態度は、全くの素である。

そして、この岩礁に移動した頃から一段と雨が激しくなり、ほとんど罰ゲーム状態の中でもう1シーン。ボートに乗せられて連れて行かれたところは、海の中にぽつんと突き出た岩ひとつ。ここで、沈んだ状態を撮影した。スタッフの「稲川、このあたりは本当に深いところだからな。気をつけろよ」と言う言葉が生々しい。
このときにはまだ、このあたりの干満の差が激しいことは知らなかったが、時間がたてばさっきの岩礁にいても本当に沈んだかもしれない。だが、撮影の都合上、ここだけは別の場所を撮影したというのが本当だ。

たぶん、いつものウルトラクイズなら、ここまでで終わりだっただろう。その後、実は味噌汁を飲んだ島こそが本当の優勝賞品であったことを知らされた僕が、小躍りして喜んだのは言うまでもない。

翌日の晴天時に空撮したパチンコ島の風景を、テレビ放送のときに初めてみたが、本当に美しいと思った。「いつかまた来たい」という思いは強かったが、このときにはパチンコ島の正確な場所は知る由もない。その願いが叶うのは、それから5年後のことだった。

・・・つづく

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