ハウエバー稲川のパチンコ島通信

コミュニケーションツールとしてのブログに期待しています。いろいろと意見交換したり、交流を広めたりしたいですね。

クイズ

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あれよあれよという間に、1ヵ月以上経ってしまいました。「もう書かないんじゃないかな」と思う人も多かったと思いますし、僕自身も一時期の勢いもネタもなくなった感じだったんですが、とりあえず思いついたので書きます。mixiの日記も2ヵ月以上書いてないので、どっちに書こうかと迷いましたが、とりあえずウルトラクイズにも関係した話なので、こっちにしました。

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いろいろとウルトラクイズファンの間でも話題になっている、第11回ウルトラクイズの人気女性3人組の1人、温井さんのブログを読んでいたら、たまたま僕のことも少し書いてあった。温井さん曰く、僕が夕食のときに早押しの練習をしていたのが印象的だったというのだが、当の僕自身にはとんと記憶がない。そんなことあったっけか?
と、いろいろと記憶やらなにやらをたどっていくと、このこと自体はやっぱり思いだせないんだけど、ひとつだけ思い当たるフシが・・・
そういえば、ウルトラクイズの旅行中、ずっと早押しの仕方が決まらなくて、しっくりせずに悩んでいたんだった。たぶん、そのことで夕食のときにあれこれ早押しの仕方を試していて、そのことを温井さんに指摘されたんだと思う。(別に反射神経を磨いていたわけじゃないよ)

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ウルトラクイズの早押しボタンは、映像でたまにアップになることもあるのでチェックできると思うが、手のひらにすっぽり入るくらいの四角いボックスに、人差し指の先くらいの円柱状のボタンがついている、きわめてオーソドックスなものである。パーツとしても、ごくふつうにそのへんで売っているものだから、自力で早押し判定機をつくったとしても、とりあえずみかけは忠実に再現できる。

第11回ウルトラクイズのとき、僕はこの早押しボタンを、たぶんチェックポイントによって、あれこれと違う押し方をしていた(と思う)。

決勝のときだけは、真横からの映像が残っているのではっきりと思い出せるのだが、右手の親指を除く4本の指をぴったりとあわせ、これを円を描くように曲げて早押しボックスの横に置き、親指をボタンにのせていた。そうして、親指の力でボタンを押すのではなく、手首から先を固定したままで、手首を左回転して押していた。

この押し方、今から考えると、とっても窮屈である。だいたいが、座った姿勢で手首だけを回転させるというのが、動作として早いとはとてもいえない。動きがとにかく不自然なのだ。
では、なんでこんな押し方に行き着いていたのか?

早押しの仕方というと、長戸のクイズ本「クイズは創造力(理論編)」を思い出す。この中には、クイズプレイヤーたちの早押しの仕方を例にとりながら、いろいろな早押しの仕方が解説されていた。
このときに紹介されていた僕の押し方は、「ジジイ押し」(実は別の呼び名があったがその由来がとても不謹慎なのでこの名称にしてあった)ということで、中指の付け根で押すというものだったが、この押し方をしていたのは第11回ウルトラクイズよりもずっと後のことだ。
そして、この本で解説されていたのは、早押しの仕方に違いはありこそすれ、要はいかに早く押すかということだったように思う(詳しい内容は実はもう覚えていない)。

この「いかに早く押すか」というのが曲者で、ふつうに考えれば、いかに無理なく、最短距離で、最少の力で押すかということになるんだろうけど、ごく少数の熟練したクイズプレイヤーを除いては、それだけでは足りない。ウルトラクイズの本番で、勝者と敗者が決まっていく緊迫した場面。緊張しやすい性格の僕としては(そして大多数の人にとっては)、緊張でふるえる手を使い、「いかに躊躇なく押せるか」が重要なのである。

もう一度ウルトラクイズの早押しボタンに戻ろう。
準決勝で1対1に登場した第1回ウルトラクイズのクイズ王である松尾さんは、クイズボックスを親指と中指・薬指・小指の間にはさみ、人差し指の先をボタンにおいて、人差し指の力でボタンを押していた。
これがもっとも基本的な押し方には違いないのだが、このボタンは相当重い。だから、はっきりとした意思をもち、人差し指の先に力を込めてはっきりと押さなければ、ボタンを押し切ることはできない。熟練したクイズプレイヤーの中には、あらかじめボタンの遊びぎりぎりまで押し込んでおいて、最小限の力と距離で押すこともできようが、そんなことができるのはよほどの猛者だ。

緊張で震える僕には到底ボタンの押し込みなんかはできないし、人差し指1本でボタンを押し切るのも、自分には厳しいような気がしていた。だから、もっと安定して、確実にボタンを押せる方法を考えていた。だから、途中であれこれと試したんだと思うし、それは結局決勝になっても十分に改善されなかった。その結果が決勝での窮屈な押し方だったのだ。

前述の中指の付け根で押すジジイ押し(仮称)は、手のひら全体、あるいは右手の重さをつかい、緊張しやすい僕でも手にわずかな力を加えるだけで、いいかえれば手を硬直させるだけでボタンを押しきることができるので、その後使うようになった。だが、中指の付け根も実際にやっていると、指で押すよりはよいが、形がなかなか安定しなくて長時間やっていると疲れてくる。
そこで、さらに研究して改良?したのが、人差し指の付け根よりも少し下、手相でいう感情線のすぐ上あたり(人差し指の拳の裏側のあたりといったほうがよいか)の骨がでているところを使うというものである。これだと、親指と小指で早押しボックスをはさむようにして安定させた上、人差し指の付け根の下をボタンに当てることで、さらに安定する上に最小限の力で押しきれる。これなら僕でも押し込みまでできるかもしれない。

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といいつつ、この5年ほどは早押しボタンそのものに全くといっていいほど触れていないので、この研究も無意味になってしまった。

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コメントで、「史上最大の敗者復活戦の参加規定の中身をみせてほしい」ということなので、アップしてみます。スキャナで読んでみたんだけど、読みにくいかもしれません。

当時、僕は京都に住んでいたから大阪球場が会場でも全く違和感がなかったんだけど、実はこのブロック分け、東海地区を飛ばしているんだよね。愛知県や岐阜県も京都と同じ大阪球場が予選会場のブロックなので、地元の岐阜にいたとしても大阪球場まで行かなくてはならなかったわけだ。

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それと、本編のブログについて、大学時代のことを書こうと思ったけど、あまりにプライベートなことだし、すすんでいくといろいろな仲間たちの名前とかもでてきて、ひょっとすると迷惑をかけるかもしれないので、書くのを躊躇している。

さて、どうするかな。

史上最大の敗者復活戦

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前回に続き、昔むかしのお話。

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1982年4月、僕は京都の立命館大学法学部に入学した。

1年間の浪人生活を経ての大学生活。とにかく地元からは離れて生活したくて、もっぱら東京の大学を中心に受験したがことごとく失敗、唯一合格したのが、最初に受験したこの立命館大学だった。

だが、何の目的もなく入学して、勉強する気もさらさらなかったくせに、なにを思ったか法学系4サークルのうちの1つ、「法友会」(名前からして本格的な法律サークル)に入会した僕は、すぐに行き詰ってしまう。GW期間中、湖西線沿いにあった蓬莱セミナーハウスで行われた合宿で、窓の外を1時間ごとに通過する特急雷鳥をみていて、「なんでみんなが休んでいるときに、勉強しなければならないのか」とつまらない疑問を抱き、5月末には早くも退会してしまうのだ。

それからしばらくの間(実は卒業するまでずっとそうなのだが)は、たまに大学に行き、毎日のようにゲーセンに行っては、思い切り怠惰な毎日を送っていた。元々議論好きだったので、学生大会にも好奇心からでてみたが、学生のくせに平和と民主主義を第一に唱える執行部に思ったままに疑問をぶつけたのに、まともな返答は得られず、さらにむなしさが増すばかり。同じクラスだった数人の仲間とともに、合コンにも参加してみたが、彼女ができることもなかった。高野悦子の「二十歳の原点」を途中まで読んでいて、当時の自分の精神状態に近いものを感じ、恐ろしくて最後まで読めなかったのもこの頃のことだ。

8月には、浪人時代からの友人とともに、第6回ウルトラクイズに出場したが、2回目の挑戦となったこの年も、第3問であえなく敗退。初めてグラウンドの感触を確かめることができたのが、唯一の救いだった。

このまま終わっていれば、僕の学生生活はどうなっていたか、たぶん何もないままだったに違いない。

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だが、11月に入り、少しずつではあるが、僕に転機が訪れる。

最初のきっかけは、他の大学での学園祭でのことだ。
これといって刺激もないままに学生生活を送っていた僕は、クラスの仲間とともに、他の大学の学園祭に遊びに行った。

最初に行ったのは、京都女子大学。だが、ここでは目の保養をしただけでなにもなかった。

次に行ったのは、ノートルダム女子大学。ここでのステージイベントで、僕は青のスタジャンを着た数人の男子学生が、女子学生たちと楽しそうに談笑しているのを目撃した。そしてその男子学生たちが着ていたスタジャンの背中には、なんと「KYOTO SANGYO UNIVERSITY QUIZ STUDYING SOCIETY」の文字が……。「ラブアタック(だけ?)で有名な京都産業大学に、クイズサークルもあるのか」と妙に納得するとともに、「おくてで女性とは趣味でも一緒でないとまともに話せない」と勝手に思い込んでいた僕は、「クイズをやるのも悪くないか」と漠然と思うのだった。
「そういえば、高校時代の休み時間、自分で勝手にクイズを作成し、クイズ・スランプリ(グランプリではない)と題してやっていたっけ」

その後、京都大学の学園祭でクイズ大会があり、京都大学にもクイズサークルが存在することを知った僕は、クイズサークルへの関心をさらに高める。

そして、11月30日。僕がRUQSへと踏み出す大きな契機となるイベント、この年だけ開催されたイレギュラーのウルトラクイズである「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」が、全国6会場で一斉に開催された。

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僕が参加したのは、大坂球場を会場としていたブロック。大坂球場はその後野球場して使われなくなり、しばらくはグラウンドが住宅展示場などに使われていた。今では取り壊されて再開発され、なんばパークスになっていると、ついさっきインターネットで調べて知った。



・写真=第6回ウルトラクイズ(右)と史上最大の敗者復活戦の参加規定。ウルトラクイズの参加規定は毎回青色1色刷りだったが、敗者復活戦の参加規定だけは、緑色だった。

2008年が明けて早くも3週間余りが経過してしまいました。いまさら新年のごあいさつでもないので控えますが、このままではこのブログ、日刊、週間、旬刊、月刊としだいに投稿周期が長くなっていって、ついには季刊(それとも廃刊)にまで落ち込んでしまいそうです。あらかたネタも出し尽くしたので、ちょっと苦しいのですが、まあ、とりとめもなくつづけてみましょうか。

それはそうと、某ウルトラクイズコミュでは、今年ウルトラクイズが復活するのではないかと、ちょっと盛り上がってますね。まあ、たとえ復活しても、いまさら長期の休みはとれないだろうし、それ以前に勝ち抜くことも不可能なんでしょうが、やはりあの後楽園=東京ドームの雰囲気だけでも、何物にも代えがたい。復活させられるものなら、ぜひ復活してほしいものですね。

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僕とウルトラクイズの出会いは、第1回大会をテレビでみたときにさかのぼる。僕が中学3年のときのことだ。
当時の僕は、そのとてつもないスケールの大きさ、奇想天外なクイズスタイルに、たちまち魅了されてしまった。そして、その後ウルトラクイズが毎年恒例となり、毎年の放送を楽しみにするとともに、自分が出場できるようになるのを心待ちにしていた。

そんな僕がようやく出場年齢に達したのは、1981年の第5回大会でのことだ。

そのとき僕は浪人生で、名古屋の代々木ゼミナール名古屋寮に住んでいた。毎日代ゼミ名古屋校まで片道歩いて20分、まじめに勉強するでもなく、気楽な浪人生活を送っていた。困ったことに、寮の部屋はテレビの持ち込みが禁止されていたので、やむなくラジオのアンテナにテレビチューナーをつけて、ようやく音声だけが拾える程度。ウルトラクイズが放送されていたときには、いろいろと理由をつけては大垣の自宅に帰っていた。それでもさすがに毎週は家に帰れなかったので、第5回の放送の半分は、音声だけしか聴いていない。

さて、そんな僕の、ウルトラクイズ初挑戦。
待ちに待った後楽園でのウルトラクイズ。ふだんは降りることのできないグラウンドに降り立ち、思い切りクイズを楽しもう。勝ち抜けないまでも、○×走りクイズだけでも楽しもう。そんなことを考えつつ、東京へと単身乗り込んだのだった。

ところが、午前8時頃だったか、ようやく後楽園に着いた僕は、入口のゲートで呆然と立ちつくすことになる。

「問題:ニューヨークの自由の女神は裸足である、○か×か?」

あろうことか、ゲートの上に○×クイズが掲げられていたのだ。

昨年の第4回までは、スタートはグラウンドでの○×走りクイズからだった。グラウンドに集まった挑戦者たちに留さんから第1問が出題され、○か×、正解と思うほうのボールを途中で手にして、○か×のエリアに走りこんでいく。少なくともこのクイズは無条件で参加できるはずだった。
それが、いきなり裏切られることになるのだ。
原因は挑戦者数が第4回の2700人余りからいきなり倍増したためだったからだが、そんなことは事前に知る由もなかった。

そして、僕はこの第1問を間違えて、あっけなく散った。

僕のウルトラクイズ初挑戦は、突然出現したゲートでの○×クイズによって、グラウンドにさえ降りられずに終わった。

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一言で説明できるほどの、なにもなかった初挑戦でした。
次に挑戦するのは、立命館大学に入学してから、のことです。

ハドソン川で泳いだ話

寒くなってきましたね。元々寒さには弱い(暑さにも強くないが)ので、ちょっとおっくうな季節です。暑いのは冷房で快適だけど、寒いのは暖房をかけても気持ちいいとは思えないですしね。皆さんはどうですか。
さて、ウルトラクイズネタも尽きてきて・・・と思っていたら、この話をしてませんでしたね。
というわけで月刊パチンコ島通信の始まり、始まり〜

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少し前、テレビのスペシャルドラマとして、長澤まさみ主演で「ガンジス川でバタフライ」をやっていた。
原作を読んでいないので、ドラマをみてだけの感想しかないが、第1印象は「よくもまあ、ガンジス川なんかで泳いだもんだ」というものだった。ガンジス川といえば、生活排水や洗濯の場として使われるのはもちろん、ときには死体まで流れてくると聞く。テレビをみた感じでも、川の水は赤茶色に濁っていて、とてもきれいとはいえない。役柄とはいえ、長澤まさみもまさに体当たりの演技というにふさわしいだろう。

でも、よくよく考えてみると、まるで他人事のこの話、自分にも身に覚えがあったんだよね。そうそう、「ガンジス川でバタフライ」ならぬ、「ハドソン川で犬かき」の話が・・・

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第11回ウルトラクイズで優勝し、歓喜の頂点にあった僕が、リバティ島の桟橋の上から飛び込み、ハドソン川を泳いだのは、オンエアの通り。実はこれ、やらせでもなんでもなく、僕がその場で言い出したことで、スタッフにとっては全くのハプニングだった。
前から明確にやろうと考えていたわけではない。第10回の放映をみた当時、桟橋から飛び込んだらおもしろいだろうなあと、思ってはいた。優勝した喜びをあらわすのに、誰もやっていないようなパフォーマンスをしたいと思っていた。だが、これはまだ一人のウルトラクイズファンにすぎなかった頃の話。自分が実際にニューヨークに行くのは、その時点では夢のまた夢だった。それが、実際に優勝した瞬間、昨日のことのように鮮明によみがえり、自然と僕の口をついてでたのだった。

オンエアでは僕が飛び込みたいといってからすぐに飛び込んでいるけど、現場では少し間があった。たぶん、ハドソン川で泳ぐというのは、禁止されているか許可申請が必要か、あるいは危険のある行為として問題になるか、いずれにしてもテレビの収録ですんなりとできることではなかったのだろう。しばらくスタッフが協議した後、「チャンピオンが衝動的に飛び込んだことにする」(まあ実際その通りなんだけど)ということで、実行されることになった。

上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、靴を脱いで身軽になる。桟橋から水面まではよくみると4〜5mくらいはありそうだったが、このときには全く躊躇する気持ちは起きなかった。
そして飛び込み。大きな音が耳に響いた後、自分の上のほうに水面の明かりがみえるのを見て、僕は水面へと上がっていく。そして二度ほどバンザイ。つづいて顔が水につかないように犬かきをしてボートに近づいた僕は、ボートへと引き上げられ、わずか5mほどの「ハドソン川で犬かき」は終了した。

ここまでがオンエアされた「ハドソン川で犬かき」だが、この話には2つほどつづきがある。

再び桟橋に戻った僕は、妙にスタッフ(特にアメリカの現地スタッフ)に心配のまなざしでみつめられた。スタッフ曰く「ハドソン川で泳いで病気にならない奴はいない」とのこと。おいおい、それを先に言ってくれよ。
要するに、ハドソン川はたいへん汚い川で、生活排水やらなにやらと、いろいろと不潔なものが流れていて堆積している。どぶ川というか、極端にいえば、下水の中を泳いだようなもんだということなのだった。
僕は、現地スタッフの指示に従って泳いだままの格好で、リバティ島の管理事務所らしき建物の裏に連れて行かれた。するとそのスタッフが僕に「服を脱いで裸になれ」と言う。仕方なしにシャツもパンツも脱いで真っ裸になった僕の身体に、そのスタッフはホースで思い切り水をかけた。このとき、「まるで、ホロコーストでガス室へ送られたユダヤ人のようだ」と、僕は不謹慎にもそんなことを考えていた。

ちなみに、泳いだときに着ていた服だけど、とりあえずはビニール袋に入れて、そのまま賞品受取地のカナダまでもっていった。だが、ハリファクス(カナダ、ノヴァ・スコシア州)のホテルでスーツケースを開けたとき、あまりに悪臭がひどかったので、とりあえず風呂に湯を張ってつけておくことにした。
するとびっくり! みるみるヘドロ?が浮き出してきて、風呂の湯が真っ黒になっていった。

僕はこのときになってようやく現地スタッフの「病気にならない奴はいない」の言葉を理解した。そりゃあ、ここまで汚れていれば、病気にもなるし、それ以前に誰も泳ぎたいなんて言わないよなあ。

僕は、「ハドソン川で泳いだ唯一の日本人」(唯一は大げさかもしれないな。それに、宇田川氏も泳いだうちに入るかもしれないし)の称号?を手に入れるとともに、その後しばらくは病気にならないかと本当に心配だった。病気の中でも、当時問題になりはじめていた「エイズ」をいちばん心配した。ハドソン川で泳いだからといって、エイズになることはないんだろうが、当時は万が一を恐れてけっこう真剣に悩んでいた。


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