ハウエバー稲川のパチンコ島通信

コミュニケーションツールとしてのブログに期待しています。いろいろと意見交換したり、交流を広めたりしたいですね。

クイズ

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お久しぶりです。それと、前回のブログではたいへん多くの書き込みをしていただき、ありがとうございました。やっぱりブログはこうでなきゃ! 元々コミュニケーションツールとしての可能性を試そうと思って始めたので、いろいろな人と交流できるのはうれしい限り。これからもよろしくお願いします。

(以下、前回のつづき)・・・・・敬称略

それでは、前回提示した3つの謎について、その真実をお教えしよう(ちょっと幻滅する部分があってもご容赦あれ)。

まず、松尾さんとの1対1のクイズで、勝ったのが1人、もしくは全員が敗退してしまった場合はどうする予定だったのか?

実は、その場合は、松尾さんとの対戦で得たポイントを持ち点として、残りの挑戦者(3人ないしは4人)で早押しクイズ(正解1ポイント、不正解−1ポイント)を行い、3ポイント先取した挑戦者が勝ちぬけて決勝に進出、決勝進出が2人となった時点で終了することになっていた。つまり、例えばすでに1人が松尾さんに勝って決勝進出決定、残りの3人がそれぞれ3対2で敗退していた場合、2点ずつを持ち点として、3人で早押しクイズを行い、3人のうちの誰かが3ポイントになった時点で決勝進出者が決定して準決勝は終了となる。たぶん、早ければ1問、どんなに遅くとも10問とかからずに、2人の決勝進出者が決定して準決勝は終了していただろう。
僕はこのルールを聞いたとき、あまりの安易さに驚きを通り越してあきれてしまった。結局は史上初めてそして唯一3人が決勝に進出したために、番組としてはそれなりにおもしろくみえたが、それはむしろスタッフにとっては想定外のこと。実際に松尾さんに勝ったのが1人だけ、もしくは全員が敗退してこのルールが適用されていたならば、まるで尻切れ蜻蛉のような結末となり、後味の悪さを残したに違いない。
どうしてそんな中途半端なルールを採用したのかは、ここでは言わない。つづきを読めばわかる。

次に、ここで本来予定されていて、直前に変更されてしまったルールとはどんなものだったのか。

それは、松尾さんによる通せんぼクイズだった。
つまり、4人で早押しクイズ(正解1ポイント、不正解−1ポイント)を行い、3ポイント(2ポイントにしていたかもしれない)を獲得した挑戦者が松尾さんと1対1で対決、ここで解答権を得て正解すれば決勝進出、不正解、スルー、もしくは松尾さんに答えられてしまった場合は0ポイントに戻って再び4人で早押しクイズというものだった。誰が考えてもこのクイズが自然だし、ここでのセットにも合点がゆく。前回ブログのコメントで、正解者多数だったのもある意味当然だと思う。

そして、このクイズが直前で変更されてしまった理由とは?

第11回ウルトラクイズでは、準決勝と決勝が同じ日に行われていた。そして、リバティ島で行われた決勝には、重大な制約があった。
もはやYoutubeもないので確認できない人が多いと思うが、決勝が行われたリバティ島の桟橋には、大小2つの船が係留されていた。そのうち小さい船はハドソン川に飛び込んだ僕が引き上げられた船、この船も実は重要な役割のある船なのだが、ここでは言わない。もう一つの、バンドが乗っていた大きな船、これが問題だ。この船は決勝が終了した後、僕たちを乗せてニューヨークへ連れて行ってくれた船なのだが、この船が干潮時になると離岸できなくなるため、この日の決勝は、どうしても午後4時までに終了しなければならなかったのである。

「時間的制約」。そう、全ての理由は、準決勝と決勝が同じ日に行われるための、時間的制約によるものだった。


だがしかし、そんなことはだいぶ前からわかっていたはず。それが直前まで決まらなかったのは?

第11回ウルトラクイズには、企画段階で「過去の10回のウルトラクイズを超える」という基本コンセプトがあった。後楽園でのオープニングで歴代クイズ王が登場してエキシビションマッチを行ったのもその伏線だし、それゆえ準決勝には挑戦者4人による通せんぼクイズではなく、松尾さんによる通せんぼクイズを行うことになっていた。一説には、後楽園でのエキシビションマッチで高得点をだした2人のクイズ王=森田さんと石橋さんが通せんぼをするばずだったとも言う。
しかしながら、こうしたコンセプトとは裏腹に、後楽園での○×クイズの気まぐれゆえか、この年後楽園を突破した100人、ひいてはグアムに到達した40人+αには、クイズ経験者が少なかった。そしてクイズが進行していくに従い、スタッフの間に「準決勝でなかなか決勝進出の2人が決まらなかったらどうしよう」との不安が広がる。「数回の通せんぼで決まるならばまだよし、ひょっとして10回、20回、いやいや永遠に勝ち抜け2人が決まらなかったらどうしよう」ということで、結局はリスクを回避し、ルールの変更を決断した、ということではないだろうか。

これは杞憂かもしれないし、現実にありうる問題だったかもしれない。通せんぼする側と突破しようとする側の実力差がある場合だけにこうした問題が起きるのではなく、例えば第13回のボルチモアのように、全員が一定以上の実力を備えている場合にでも、十分に起こりえるものなのだから。確かに、結果論として時間的な問題は起きなかったわけだし、3人が決勝進出となったことで、それなりの話題性ももちえた。逆に、第13回ボルチモアのような長丁場となれば、クイズの進行にも重要な影響を及ぼしたかもしれない。

・・・・・

次回は、準決勝の模様と決勝への道程について。

(つづく)

ウルトラクイズには、長い歴史の中で培われてきた伝統がある。いろいろな場所で、いろいろなクイズが試されては消えていく中、いくつかのクイズ形式は人気がでて定番クイズになっていく。後楽園(東京ドーム)の○×クイズ、成田のジャンケン、機内ペーパークイズ、グアムのドロンコクイズ………決勝の10ポイント先取の早押しクイズもまた、ファンにとってははずせないクイズ形式といえるだろう。

こうした定番クイズの一つとして、準決勝といえばやはり!第13回ボルチモアに代表される「通過クイズ(通せんぼクイズ)」じゃなきゃいけないと考える人が多いことだろう。何を隠そう、かくいう僕もその一人である。
では、第11回ウルトラクイズではなぜ、これほどまでに支持の高い通せんぼクイズを行わなかったのだろうか?

・・・・・(ここからは例によって敬称略)

準決勝前夜、ニュージャージーの(場所はよくわからなかった)ホテルで国内の知人親戚に電話をかけるシーンの収録を終えた僕たち4人は、それぞれの部屋に帰って行った。
この日僕は宇田川と同室だった(注:ウルトラクイズの旅は基本的に二人部屋)。そして僕と宇田川は、どちらが言い出すともなく、「明日は正々堂々と戦い、雌雄を決しよう」と誓い合う。実は、第11回における僕の真のライバルはといえば、高橋ではなく宇田川だったのだ。もちろん、高橋は実力者だったし、何度も勝ち抜けで先を越されていた。でも、いろいろな意味での真のライバルは宇田川だった。たぶん彼もそう意識していただろう。(その理由は後日述べる)

そして夜が明けてロビーに集合した僕たちは、いきなりアイマスクをさせられてそのままバスに乗り込み、どこかへと向かっていった。バスに乗っていて外をみるなとか、部分的に目隠しされることはあったが、ホテルからずっと目隠しは初めてだった。
そして手をひかれてクイズの解答席らしきところに座らされた僕たちは、ようやくアイマスクをはずすことができた。この瞬間が、ニュージャージーの最初のひとコマで、僕たちがまぶしがっているのは、その直前まで目隠しをさせられていたからだ。

ここで、栄えある初代クイズ王・松尾清三さんの登場。

そして、いよいよルールの発表。

僕はその意外なルールに驚いた。てっきり通せんぼクイズが行われるものと思っていたからだ。

ここで実際に行われたクイズは、松尾さんと1対1で対戦し、3ポイント先取すれば勝ってそのまま決勝進出、負ければ敗退というものだった(と、テレビをみる限りでは理解できる)。そしてそのルールゆえに、本来は「ニューヨークまでたどりつけるのは、たったの二人」のはずなのに、史上初めて(そして唯一)決勝に3人が進出することになるのである。

しかし、テレビでは全く説明されていないものの、これでは一つの疑問が残る。

松尾さんと1対1で対戦した結果、全員が敗退、あるいは松尾さんに勝ったのが1人だけだった場合は、どうなっていたのだろうか?

また、実はここで行われるべきクイズは、直前まで別のルールが予定されていたという。

そのクイズのルールとは?

どうしてそのルールが直前で変更されてしまったのか?

これらすべての解答の先に、第11回ウルトラクイズで通せんぼクイズが行われなかった理由が存在している。

・・・・・

今回のネタは1回で終わると思ったけど、思わぬ長話に。ちょっともったいをつけて、次回にのばしてしまおう。もしよければ上記3つの問いに対する答を考えてみてください。正解者には記念品を差し上げます(っていうのはウソ)。

(つづく)

※個人的に思うところがあって原文の一部を変更させていただきました。

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まるまる一週間中抜けしての書き込みです。急に仕事が忙しくなってきたので、書き込んでいる時間がとれませんでした。申しわけありません。当分この状態が続きそうで、放っておくとそのまま本当に終了になってしまいかねません。で、ちょっと無理して書き込むことにしました。乱筆乱文はご容赦ください。

・・・・・

ウルトラクイズの賞金・賞品というと、毎回の奇想天外で、ときにはブラックジョークの利いた優勝賞品が思い浮かぶ。たいていは何の役にもたたなくて、話のタネ程度にしかならないものも多い。かくいう僕のパチンコ島も、島の資産価値よりも島へ行くための旅費のほうが高いくらいなので、実際には話のタネ程度にしかならない賞品のひとつかもしれない。

では、優勝賞金はいくらだろうか?

ウルトラクイズのスケールの大きさからいえば、1000万円くらい、あるいは1億円でもいいと思う人がいるかもしれない。まあ、80年代の頃の優勝賞金の上限は100万円だったので、それは無理というもんだが、じゃあ上限いっぱいの100万円か?

実は、ウルトラクイズに優勝賞金はない。全くのゼロである。

もちろん、国外脱出してからの旅費は、宿泊費や飲食費、移動費など、基本的に全て番組がみてくれる(国内の移動費は再招集時を含めて個人負担)。でも、ふつうの海外旅行と同様、飲食時の飲物は各自負担の場合が多いし、長期間旅行していれば、着るものやなにやらと、いろいろと買い物をするので金がいる。珍しいところに行くので記念品やお土産も買い込むことになる。そしてバカにならないのが電話代。僕の場合は定期的に会社に連絡を入れることになっていたし、国内のクイズ仲間にも連絡をとっていたから、相当電話代がかかっていた。
第11回ウルトラクイズに再招集されるとき、僕はなけなしの貯金30万円ほどの全額をおろして持っていった(前々回参照)。でも、1カ月間におよぶ旅でその30万円を使い果たし、最後はスタッフから4万円ほど借金して、ようやく日本に帰ってきた。ちなみに当時新入社員で日給月給制だった僕は、ウルトラクイズのために連続15日欠勤することになり、翌月の給料がわずかに3万円余りだった。寮生活をしていたので朝晩の食事には困らなかったが、昼食には同期におごってもらったりして過ごしたおぼえがある。

賞品についてはどうだろうか?

メインの優勝賞品については皆さんもよくご存知の通りで、裏話や後日譚もその回ごとにいろいろある。パチンコ島は今思えば相当に恵まれていた部類の賞品になるのだろう。でも、年1回届く資産通知書以外には自分の手に残るものがなく、形の上では優勝の実感に乏しい。番組内では優勝旗を手渡されるが、これは番組の中だけで、自分が持ち帰ることはできない。まあ、優勝旗のリボンには歴代優勝者の名前と都道府県が書かれているが、自分で確認する機会はほとんどないので、これもさびしい限りだ。
ふつうだとここまでで終わりなんだけど〜

もう一つ、ウルトラクイズのトロフィーがある。(写真)

このトロフィーは、第11回ウルトラクイズのスタジオ収録時にもらったもので、オンエアはされていない。そして持っているのは、僕と、第1回から第10回までの優勝者の、11人だけである。というのは、第11回の冒頭に歴代クイズ王を招聘してエキシビションを行う際に、歴代クイズ王たちから要望があり、記念品として特別につくられたものだからだそうだ(12個つくられたらしいが最後の1個は瀬間の手には渡らなかったらしい)。
自由の女神像がたいまつの代わりに?を持っているこのトロフィー、独立宣言書には日付の変わりにULTRAQUIZと書かれていて、けっこう重い。つくりは少々粗い気もするが、記念品としてはこの上ない。もらったときには本当にうれしかった(パチンコ島をもらったときよりもうれしかった)。

その後、我が家に置かれたこのトロフィー。10年くらい前に、息子が棚の上から落として左手部分がとれてしまい、今はべったりとボンドで接着してある。なんとも痛々しい。

・・・・・

当分は、毎日更新は難しいと思いますが、まあこつこつと、ひまをみつけて。

次の大作にいったんはとりかかったんだけど、思うところがあって中断してしまいました。
つづきは来週にします。申しわけありません。

20年も前のウルトラ話をつづけるのもどうかと思っていましたが、ここにきてちょっと開き直っています。こうなったら話題のつづく限り、リクエストのある限り・・・なんて考えています。
まあ、なにかご意見とか、ご質問があれば自由に書き込みしてください。どちらにも関係のない気軽なメッセージも歓迎です。もともとこのブログを始めたのは、ブログの可能性を探るため。そして交流を広めるためなのですから。

でも、他人のことをとやかくいうのはマナー違反だと思いますし、自分の知りえないことを推測だけでだらだら書くのも無責任なので、そういった質問には答えられません。無視するかもしれないので悪しからず。
とりあえずこの後は、

・日の出タイムショックで大暴走
・第11回ウルトラクイズ準決勝で通過クイズ(通せんぼクイズ)が行われなかった理由
・リバティ島で泳いだ話
・ウルトラクイズのトロフィー

といった内容を考えていますが、まあどうなるかはわかりません。このまま終わってしまうかもしれませんしね。

・・・・・

それでは、また来週。

ウルトラクイズは最後まで勝ち抜くとおおよそ1カ月くらい会社を休む羽目になるが、実は後楽園(東京ドーム)から決勝までを通しで行っているわけではない。8月のお盆前に後楽園(東京ドーム)で国内第1次予選が行われてから、9月初旬に再度招集されて成田で国内第2次予選(第11回は久伊豆神社)が行われるまで、3週間ほどのブランクがある。
ビザをとったりする時間が必要などの事務的な理由もさることながら、最高で1カ月もの休みをとるために、いろいろと準備や根回しが必要であり、そのための時間ともいえる。中にはせっかくとんでもない倍率を突破して勝ち抜けながらも、結局まわりとの調整がつかずに参加を断念して辞退する人もでてくる。スタッフ側としては、辞退者がでた場合はすばやく補欠(○×クイズの最後のほうで惜しくも敗れた人)の人たちと連絡をとり、あらかじめ決められた挑戦人数を確保しなければならない。

この○×クイズは、いわずと知れたウルトラクイズの最難関で、かつてウルトラクイズに批判的だったクイズプレイヤーを含む、幾多の猛者たちの挑戦を、ことごとく退けてきた。僕も全部で13回挑戦して2回しか(2回も?)勝ちぬけていない。
ところが、なぜか勝ちぬけてもそのまま続けて参加できないような状況をつくったりすると、するっと勝ち抜けてしまえたりする。第11回のときの僕がまさにそれだった。

1987年4月。僕は一浪一留を経て立命館大学を卒業し、某大手印刷会社の関西支社に就職した。4月の1カ月間は東京で集合研修があり、関西に戻ってからの2ヵ月も引き続き研修ずくめ、ようやく7月に配属されたものの、ウルトラクイズのある8月の時点ではまだ1カ月くらいしか経っておらず、クイズからは相当遠ざかっていたし、なによりとても長期間会社を休めるような状況ではなかった。
当時の僕たちにとって、ウルトラクイズに参加することはもはや年中行事だったから、後楽園に行くことはまるで違和感がなかったが、たとえ勝ち抜いたとしても、勝者弁当だけ食べて辞退しよう(辞退せざるをえない)というのが正直な気持ちだったのだ。

ところが、こんな状況だからこそか、7年目の挑戦にして初めて後楽園を突破する。勝者たちはグラウンドから地下のトンネルを通って隣の建物に移り、ひと通りの説明を受けた後に勝者弁当が配られ、プロフィール用紙への書き込み、そして個別面接などを行った。
ちなみにウルトラクイズでは放送時にしばしば名前と都道府県名がテロップとして表示されるが、ここにでてくるのは現住所が基本になっている。にもかかわらず、当時大阪府箕面市の会社寮に住んでいた僕が岐阜県と表示されたのは、プロフィールと面接で強硬に「岐阜県にしてほしい」と言い張ったからである(とにかく岐阜県人としてでたかった)。テレビでは岐阜県になっている僕が、ウルトラ本では大阪府箕面市となっているのはそのためだ。

そして翌日に出社。僕はだめもとで上司に相談することにした。説明会の折にA4サイズの用紙2〜3枚に書かれた行程表が配られていたので、それをもって課長、そして部長に相談した。「行程表の1枚目だけをコピーしてくれ」と言った部長が、人事と協議してだした回答は「有給休暇の分だけならばよい」というものだった。新入社員の僕がもっていた有給休暇は6日間だけ。それでもその回答は、僕には最大限の厚遇のように思われた。行程表をみながら部長が「ハワイまでにしておこうな」(大陸に渡ると6日間を超えるから)と言ったとき、僕は「たぶんハワイまで行ったら帰ってこないだろうな」と思いつつ、うなずくしかなかった。
このときに課長からは「6日間以上休むと、君の将来のためによくない」と釘をさされた。これが決勝前のヘリコプターで飛んでいたときに紹介されたのを知ったのは、テレビ放送をみたときが初めてだ。

以上が、僕が「辞表覚悟」をキャッチフレーズとした経緯だが、これらのエピソードについては、僕はウルトラクイズの旅行中(そしてもちろん旅行前にも)、留さんやスタッフに一言も話してはいない。では、なぜこのエピソードが引用されていたのだろうか。

実は、ウルトラクイズに再招集される1週間ほど前、朝日新聞の記者が関西クイズ愛好会の例会に取材(注:ウルトラクイズの取材ではなく、何回かのシリーズでクイズブームにまつわるコラムを書いていて、そのための取材だった)に来ていた。そのときに第11回の勝ち抜け組だった僕ともう1人が集中的に取材され、精神的に追い詰められていた僕が話した内容が、ウルトラクイズの旅の最中に新聞記事になった。そしてそれが日本テレビ関係者の目に留まり、テレビで使われたというわけだ。

そのときの記事は、「名誉か?仕事か?」で始まり、大事なものを賭けてまでクイズに打ち込む人たちをとりあげたものになっており、最後は「16日現在(ウルトラが中盤にさしかかった頃でこの記事のでた前日)、稲川はまだ勝ち続けている。この番組の模様は11月に放送される」で結ばれていた。
ウルトラクイズの制作中に挑戦者の実名がでるのは極めて異例なことであっただろうし、その挑戦者がその後そのまま優勝したことで、この記事の価値は数段高まったことだろう。

だが、当時の僕はそんなことをまるで知らなかったし、ウルトラクイズの旅を無条件に楽しむ余裕もなかった。「ウルトラクイズでの敗退=帰国して辞表提出」がはっきりしていた僕にとって、それぞれのチェックポイントでのプレッシャーはとんでもなく重かったのだ。

ウルトラクイズ再招集の前日、なけなしの貯金30万円ほどの全額をおろしてスーツケースなどを買い込んだ僕は、寮の自室でほとんど徹夜をして準備をした。会社のみんなにはなんと言われるだろう。なんの相談もなく出発したことを知った両親はなんというだろう。などなど、いろいろなことを考えながら・・・

そしてこのときにはまだ、再招集の日にクイズがあることも、翌日の成田から始まる1日が長い長い1日になることも、僕は知る由もなかった。


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