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皿に盛った写真映りのよくない料理、実物もまあこんなものである。「牛すきあまりもの風」と名づけてみたが、それだけでもう説明は不要だろう。卵でとじないほうがかえってうまいんじゃないかと、思わないでもないのだが、まあ賑やかでいいのではないかな。卵を使うか使わないかは、そのときの在庫に関係する。現在在庫過剰である。おおよそ半世紀前、遠足の卵焼きがなによりのご馳走だった。その頃より安い卵を見つけてしまうと、因果なことについ買ってしまうのである。
長命寺の桜餅を買いに、向島へ。死に損なったあといろいろあがいてみたもののどうにもならず、翌年八月路上生活を始めた。鞄ひとつ肩から提げてうろうろしていたのがこの界隈である。有り金使い果たしたあとも拾い食いをするなどはなから思いつかなかったし、炊き出しにもよほど気が向いたときしか並ばなかった。こんどこそ死ねるかな。ぼんやりした頭で繰返しそう考えていた。それなのに、長命寺の桜餅が食いたかった。いつかきっと食おう、なんてふうに思っていたのである。こだわりの一品というところ。
家主の老夫婦がこれを喜んでくれる。長生きするようにってことね、ほんとに優しいんだね、ということになってしまう。はじめてのときは6個の箱入りをあげて、何でこんなにちっこいのに高いんだと思えばもったいなくて、あれほど食いたかったのに自分のためには買えかった。次には、ばらで買えばいくらか安いことに気づいて、ばらで6個と自分用に2個、このときついに食ったのである。年寄りにこんなにいらないだろう、そう思いだしてからは、4個と2個に定着している。そういえばそれほど高いとは思わなくなりつつある。生活水準がすこし上ったのかもしれない。
ああ、桜餅の写真も撮っておくべきだったな、こだわりの一品なのにと、食ってしまってから思う。ああ、それよりもカメラを持っていけばよかったなと、思うのがずいぶん遅い。機会があれば向島のかって自分が寝ていたあたりを写真に収めよう、とくに川べりの石のベンチのあたりは工事中で変りつつあるから、たびたび撮っておこうと、考えていたはずなのに。手ぶらがいいというのもあるけど、カメラを持つと、たいそうな荷物を抱えているみたいに思ってしまうのは、馴れていないせいなのだろう。屋外でカメラを構えるとき、ひどくうしろめたい気がして、早く終らせなければ、などとつい考えてしまう。馴れていないというのは、文明に馴れていないということだろうか。
発泡酒(500ml)一本、焼酎のウーロン茶割り数杯、ご飯もしっかり腹に入れ、そのあとはお茶と甘いもの。いつもひとりでこの調子である。わびしくはないけれど、いくらか飽きてきたみたいだ。
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長命寺の桜餅って、どんな味なんでしょう。
よその桜餅よりも一味ちがうのですね。
たまに、むしょうに甘いものが食べたくなることがあるけど、あれはなぜでしょうねえ。体が欲しがってるからでしょうか。
私は、粒あんのものが食べたくなることがちょくちょくあります。あんこの缶詰で好きなのは、井村屋よりも、甘さを抑え、こってりした生協のものが好きです。これをたっぷり、トーストやホットケーキを焼いた上に載せて頬張りまふ。^^
2008/12/5(金) 午後 4:03 [ ののかかし ]