もつれるチーズ

今夜の酒の肴は何にしようかと、朝から考えています。

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相客(2)診察券

 いつもはひとりで静かに飲むのだが、そのときは隣りのハゲオヤジと盛り上ってしまった。といっても、ほとんど聞き役だったけれど。向いの席はなんども入れ替りがあり、閉店間際に女の客が座った。
 浅草すしや通りの古くからあるその店は、客の顔ぶれも見た目ちょっと柄が悪く、当時女の客は珍しかった。女の客がひとりで入ってくるなど、それだけで奇異だった。
 隣りのハゲオヤジは得意になって、外国で買った女の話をしている。この手の話はいつもなら閉口するのだが、憎めないオヤジだったからいやではなかった。
 「まったく、日本の恥さらしだな」
 適当な合いの手を入れると、「そんなことはない」とオヤジは胸を張った。
 「おれのものは、でかくて立派なんだ」
 そしてガハハハと笑った。
 「どれ」オヤジの股間に手を伸ばすと、笑い声はいっそう大きく店内に響いた。向いの女客の眉を顰めるのが目に入った。
 「しょんべんしてくらあ」
 オヤジが席を立つと、マグロのぬたをつつき日本酒を飲んでいた女客が、すかさず話しかけてきた。
 「あの方、下品な方ですね」
 ぽかんと見とれてしまった。すこし酔いがさめたようだ。女は痩せていて顔の造作も小さく、そのせいかちらと見たときには気付かなかったが、あらためて見れば結構年を食っているようだった。
 「あんな下品なおじさんと話すより、女の人と喋ったほうが楽しいでしょう?」
 ぼくはわざとらしくため息をついて、「そうでもないけど」と言ったが、女客はめげなかった。
 「怪しいものじゃありません」
 「怪しくったって、かまわないよ」
 「わたくし、こういう者です」
 女客が細い指先で押して寄越したのは、名刺ではなく診察券だった。
 「ま、おかまいなく」
 診察券を押し返しながら、何科にかかっているのかと好奇心がうごめきだしたが、あえて見ないようにした。
 下品なハゲオヤジは小便しながらもずっと笑っていたのか、笑いながら戻ってきた。女客は顔を背けた。
 「もう帰るわ。それか、一軒付合うか?」とオヤジは言った。
 「今日はもう飲みたくない」
 「そっか」
 勘定を済ませ、ぼくの首に腕を回して頬に分厚い唇を押し付けてから、オヤジは賑やかに出ていった。とたんに寂しくなった。飲みたくなくてもそこまで一緒に帰ればよかった。すぐにおあいそを告げたが、追いつくことはないだろう。
 「20円、細かいの、ない?」と店のおばちゃんが言った。
 「ないんだよ」
 すると女客がまた口を出してきた。
 「わたくし、持ってます」
 ぼくが言う前に、店のおばちゃんが言った。
 「あんた、関係ないでしょ」
 同性にぴしゃっとやられて、さすがにしゅんとなったようである。立ち上って女客に軽く会釈をすると、彼女は「ごめんなさい」と小さくつぶやいた。

相客(1)二杯目

 なぜか平日の早い時間。会社をさぼったのかもしれない。そのせいか神谷バーは空いていた。浅草自体が冷え込んでいて、日本人によく似た外国人もあまり歩いていなかった頃である。
 窓際の席に着くと、従業員が食券を取りにくる。まず運ばれてくるのは飲み物。生ビールの大と、電気ブランが二杯、うち一杯はロックで。ロックの一杯はすぐになくなる。生ビールもたちまち半分ほどになる。ここまでは早いが、それからは時計の針の方が早い。
 フライドチキンが出てきた頃に、やっと向いの席が埋った。恰幅のいい年配の男が軽く会釈し、ぼくも返した。やがてグラタンが運ばれてくる。とりあえず最初に頼んだものは揃った。向いの客の前にあるのは、小さなグラスの電気ブランが一杯と、氷の入った水だけだった。
 「これをね、二杯飲みたかったな」と男がつぶやいた。
 目が合うと男は照れたように笑った。

 「昔ね、兄さんぐらいの頃だな、たまに来て、一杯だけ飲んだ」
 「はあ」
 「とくに貧乏していたわけじゃないのだけど、弟や妹がいっぱいいて、ちょっとでも多く仕送りしてやりたかったから。そんな殊勝なことを言うぐらいなら飲まなきゃいいんだけどね」
 「はあ」
 「一杯だけ。そう思って、来た。もう一杯飲みたい、そう思いながらいつも一杯で帰った。結局二杯飲んだことはなかったな」
 「そうですか」
 「でも、その一杯がおいしかった」
 「今もこの近くにお住いですか?」
 「いや。田舎で小さなおもちゃ工場をやっていてね。これから東武線で帰るとこなんだけど、懐かしくて、ちょっと入ってみた」
 「そうですか」
 「この近くで住込みで働いていた。うん、辛いことはなかったな」
 よかったらフライドチキンつまみませんか。その台詞をなんども頭の中で練習したが、ついに言えなかった。

 「邪魔して、悪かったですね」
 男は椅子を引いて立ち上ると、頭を下げた。
 「いいえ」
 ぼくも立ってお辞儀をした。
 男が出て行ったあと、ぼくは従業員を呼び止めて、追加の注文をした。電気ブランを二杯、それと煮込み。

 窓の外のモノクロの風景の中に、外套にソフト帽の人の姿があった。さっきの人はあんなかんじだったろうかと思っても、服装すらよく思い出せなかった。路面電車のあとを追うように、荷馬車が橋を渡っていく。

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 百合根を砂糖と塩の味付けで煮た。作るのはこれだけ。あとは出来あいで、伊達巻と黒豆。黒豆は奮発して「丹波黒豆」を買おうとしたが、並んでいるのは高いのから安いのまで、すべて「丹波黒豆」。まあ、いいでしょう。
 なんとも半端なおせちで、今年は重箱を出すまでもないと思っていたのだが、家主のおばちゃんが煮しめの詰合せを持ってきてくれた。ほとんど大晦日に食ったのだが、残ったものを重箱に詰めてみた。
 あとは白味噌の雑煮。これでお正月である。寂しいおじさんのところにも、正月は来るようだ。クリスマスは気付かなかったが。
 恒例により、朝から飲んでいる。

将棋やりませんか

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 自立のための寮にいたときにはよく将棋を指していたのだが、ひとりで暮し始めると、とたんに相手がいなくなった。昔に較べて将棋をやる人が減ったなとかんじているのだが、まあこれは当てにならない。減ったのは付合いである。顔を合わすのはせいぜいレジのおばさんぐらい。誘うわけにはいかないだろう。
 そんなわけでもっぱらパソコン将棋である。これがまたいやな相手なのだ。筋が悪いくせに読みだけはしっかりしている。とにかくしつこい。とことん不愉快な手を指す。そんなにまでして勝ちたいのかと、駒を投げつけたいぐらいの気持になることがたびたびある。もう二度としないと、何度も思った。
 勝てているあいだはまだよかった。パソコンを買い換えてソフトを入れ直したとたん、まるで歯が立たなくなったのだ。どうやらこれまでのは学習したせいで弱くなっていたらしい。

 ひとりで暮し始めたとき、どうにもやりたくて区民の将棋大会に参加した。4局すべて勝って、賞品にグリルパンなるものを貰った。ただこのとき気になることがあった。主催者席で「賞品目当てに手合を低く申告する人がいる」と囁いていたのを聞いてしまったのだ。手合は勝敗に影響する。手合の近い者同士で対戦を組むし、差があるときには上位者が駒を落すことになる。聞えたのは開始前のことで、誰のことを言ったわけでもないのだが、あとになって平気ではいられなかった。ちなみに2級と申告したのだが、途中から1級にされ、すべて平手で勝って賞品獲得である。次回は初段か、「段」なんておこがましいと思えば、半年に一回ある大会だけれど行けなくなってしまった。

 下品なパソコン将棋を別にすれは、この数年無敗を誇っているわけである。

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  古いソフト 伊達にかぶり 笑いながら 出ていった
  何も言わず 手だけ振って 帰るうちも ないくせに
  今頃どこに いるのかな 同じ刑務所を 出たあいつ 
  クリスマスに ひとりぼっち 思い出せば 雪が降る

  おれも同じ ひとりぼっち 酒場の隅の ろくでなし
  酒癖 女 からかって あとはひとり寝 橋の下
  さよならだけの 人生も しみじみ奴が 懐かしい 
  賛美歌なんか 歌ってみても 聞いてくれるは 雪ばかり


 十代の頃からこの歌が好きだった。いっときのきどりだったはずだ。ところが年をとるにつれて、この歌がどんどんしっくりしてくる。あまりいい生き方をしていないせいかもしれない。
 実際に聴いたのは、40年近く前のこと。歌詞はすでに少し違っているかもしれない。曲はもうでたらめかもしれない。たまに思い出しては口ずさんでいる。

 刑務所にクリスマスは関係ないのだろう。朝は、刻んだ沢庵と昆布の載った麦入りの飯、昼はパンにジャムとマーガリン、夜は唐揚のひとつも付くのだろうか。‥‥あくまでも想像である。


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