もつれるチーズ

今夜の酒の肴は何にしようかと、朝から考えています。

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あこがれの先生

 四年生になれば学級編成がある。このときぼくは思いつめていた。新しく担任になるのは井上先生でなければいけない。それ以外の先生に当れば、三年間拗ねたままで過すことになり、そうなればぼくの人生は狂う、と。確率は六分の一、淡い期待などというのではなく、有罪か無罪かの最高裁の判決を待つほどの気持ちだった。
 他の先生のことはまったく知らない。井上先生のこともよく知っていたわけではない。それなのに思いつめ重い心で発表を待っていたのである。
 井上先生の評判は、あまり芳しくなかった。怒りっぽいというのである。暴力も振うらしい。酔っ払っている姿もたびたび目撃されていた。酔っ払うといっそう凶暴になるという噂もあった。はっきり井上先生じゃいやだと口にする子もいたぐらいだが、そのあたりのことはあまり気にしていなかった。怖いもの見たさということでもなかった。ぴんと来なかったのである。
 母と出掛けた帰りに、ねんねこで幼児を負ぶっていた井上先生に出会ったことがある。母が何度も頭を下げると、先生も何度も頭を下げた。背中の幼児は先生が頭を下げるのが嬉しいらしく、しきりに笑い声を上げていた。その後も夕暮れ時に幼児を抱いている姿をぼくはたびたび見た。口を聞いたことはなく、気づけば近づかないように走って逃げていたのだ。それがいつの間にか強い憧れを抱くようになっていたのである。思えば子供の頃からぼくは変った趣味を持ち合せていたようだ。
 あの先生がいい、あの先生じゃいやだと、口にする子が多い中で、ぼくは思いを胸にしまったままだった。見事六分の一をぶち当てたときにも、小躍りするでもなかった。誰にも知られずに、胸を撫でおろしていただけである。
 新しいクラスになって間もないうちに、先生の爆弾は落ちた。誰かが二階の窓から鉛筆の削りカスを捨てたのだ。「拾ってこい」と、先生は怒鳴った。削りカスを拾うのは容易なことじゃないと思うのだが、そのあとどう収拾がついたのかは記憶にない。叱られたのが誰だったのかも忘れた。ぼくではなかったような気がするのだが‥‥。

 ぼくたちのクラスは三年間、しょっちゅう遠足に行っていた。学校から行くのを合せると、夏休みも含めてほぼ毎月のように出掛けていた。
 はじめての遠足で、何人かの女の子は先生にまとわりついていたが、ぼくは控えめにすこし遅れて歩いていた。山道を歩いていて見晴らしのいい場所に出ると、先生は彼方の山を指して、「あの山、キンツリ山、と言うのや」と大きな声で言った。体の前で両手を使って三角形を作ると、徐々に持ち上げながら逆さにし、彼方の山に合せた。「キンツリいうのは、運動するときに履くサポーターのことや」
 「そんならパンツ山でもええやんか」と誰かが言えば、「パンツより、締っとる。あの山、きゅっと締っとるやろ」と応じていた。
 憧れの先生はぼくを振り返って、こんなことを言うのだった。
 「サポーター知ってるやろ? ちんちんぶらぶらせんように履くやつや」
 「知らん」
 ぼくはとても内気な少年だった。

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