|
いつもはひとりで静かに飲むのだが、そのときは隣りのハゲオヤジと盛り上ってしまった。といっても、ほとんど聞き役だったけれど。向いの席はなんども入れ替りがあり、閉店間際に女の客が座った。
浅草すしや通りの古くからあるその店は、客の顔ぶれも見た目ちょっと柄が悪く、当時女の客は珍しかった。女の客がひとりで入ってくるなど、それだけで奇異だった。
隣りのハゲオヤジは得意になって、外国で買った女の話をしている。この手の話はいつもなら閉口するのだが、憎めないオヤジだったからいやではなかった。
「まったく、日本の恥さらしだな」
適当な合いの手を入れると、「そんなことはない」とオヤジは胸を張った。
「おれのものは、でかくて立派なんだ」
そしてガハハハと笑った。
「どれ」オヤジの股間に手を伸ばすと、笑い声はいっそう大きく店内に響いた。向いの女客の眉を顰めるのが目に入った。
「しょんべんしてくらあ」
オヤジが席を立つと、マグロのぬたをつつき日本酒を飲んでいた女客が、すかさず話しかけてきた。
「あの方、下品な方ですね」
ぽかんと見とれてしまった。すこし酔いがさめたようだ。女は痩せていて顔の造作も小さく、そのせいかちらと見たときには気付かなかったが、あらためて見れば結構年を食っているようだった。
「あんな下品なおじさんと話すより、女の人と喋ったほうが楽しいでしょう?」
ぼくはわざとらしくため息をついて、「そうでもないけど」と言ったが、女客はめげなかった。
「怪しいものじゃありません」
「怪しくったって、かまわないよ」
「わたくし、こういう者です」
女客が細い指先で押して寄越したのは、名刺ではなく診察券だった。
「ま、おかまいなく」
診察券を押し返しながら、何科にかかっているのかと好奇心がうごめきだしたが、あえて見ないようにした。
下品なハゲオヤジは小便しながらもずっと笑っていたのか、笑いながら戻ってきた。女客は顔を背けた。
「もう帰るわ。それか、一軒付合うか?」とオヤジは言った。
「今日はもう飲みたくない」
「そっか」
勘定を済ませ、ぼくの首に腕を回して頬に分厚い唇を押し付けてから、オヤジは賑やかに出ていった。とたんに寂しくなった。飲みたくなくてもそこまで一緒に帰ればよかった。すぐにおあいそを告げたが、追いつくことはないだろう。
「20円、細かいの、ない?」と店のおばちゃんが言った。
「ないんだよ」
すると女客がまた口を出してきた。
「わたくし、持ってます」
ぼくが言う前に、店のおばちゃんが言った。
「あんた、関係ないでしょ」
同性にぴしゃっとやられて、さすがにしゅんとなったようである。立ち上って女客に軽く会釈をすると、彼女は「ごめんなさい」と小さくつぶやいた。
|