もつれるチーズ

今夜の酒の肴は何にしようかと、朝から考えています。

つぼ焼の呟き

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降るなら降れ

 決断力に乏しいのだろう、きっと。行動が遅い。若いときからそうだったのだろうか。よく思い出せない。
 やめるときの決断は早い。それでもこれを決断力とは言わないだろう。実際あとになって、やっぱりやろう、なんてことにもなるのだから。

 最近では、映画――。
 気になる映画があって出かけた。ここまでは素早かった。そして料金表を見上げ、断念するのも早かった。一般料金が1800円、シニア料金が1000円。シニアまであと少し、それまで映画は我慢しようと、決意までしたのだ。
 その足で浅草へ行き、公園でぼんやり日向ぼっこ。話し相手が出来、その人はまだ勤務時間中でこれから商談だというのだが、同年輩でもあり、映画のシニア料金の話から始まって、年金のこと、高齢になってからの転職、ワークシェアリングと、日向ぼっこにはふさわしい話題で弾んだ。
 それにしても、映画の1800円というのは、高いのだろうか。自分の現在の生活ぶりからいえば、抵抗なく出せる金額でないことは確かである。だけど、テレビがタダだからといって、比較してこれを高いというのもなあ、と急に映画料金の肩を持ちたくなったのである。株主優待券がどこかから手に入って、気が向いたら行ってみようなんて、いつの頃からか甘く見すぎていたようだ。それに映画全盛期の太秦で幼少の時代を過し、粗製濫造のチャンバラ映画とはいえ、小学校に上る前にはエキストラで出演して米代を稼いでいた元けなげな少年である。思い直すのは当然だった。見たいと思ったのだから、決して高くはないのだ。
 翌日また出かけた。
 入口の階段で躓いた。これがよくなかったのだろう。前日も同じところで躓いたのである。ちょうどよそ見をしたくなるような造りになっている。設計ミスだろう。そして決定的なことは、上映時間まで1時間以上あるということだった。それでも待とうといったんは思ったのだが、10分が限界だった。入場できない、座るところもない、やっぱり縁がないのだと思うしかなかった。
 そして三度目に行ったのは、だいぶ経ってからだった。
 料金の1800円も納得している、上映時間も記憶している、まだやっているかどうかが問題だけれど、やってなければあきらめがつくというものだ。そう思っていたのだが、予想外の展開だった。料金が高くなっていて、小人もシニアもなく一律2500円、というのである。あっけにとられてしまった。プラス700円の心の準備がなく、足を踏み出せなかったのである。
 まあ、決断力が鈍いと、手に入れたいものがちょっとずつ遠ざかってしまうという、なにやら教訓のようなお話でした。

 さて、今日は今日で。
 浅草に行くつもりで支度をし、表に出ると雲行きが怪しい。部屋に戻り折畳み傘を持って再度出かけると、今度はパラパラっときた。それで外出は中止。まあ銭湯でも行こうかと、タオルと石鹸に折畳みじゃない傘を持って出ると、今度はやんでいる。銭湯から帰ってくるときもまったく降らない。もやもやした気分でいると、夜になってひどい降りになった。やっとすっきりしたものである。

他人の鞄――解決篇

イメージ 1

 ふだんはだらだら歩くくせに、下り坂になるとめっぽう速い。権之助坂を次々に追い抜きながら下るうち、ふと気になった。今の鞄がよかった‥‥。少し行って振り返ったが、鞄の主は横断歩道を渡るところだった。
 いつまでも他人の鞄ばかり気にしているわけにもいかない。よし決着を付けようと、数日前鞄を買いに行った。金に糸目はつけない、なんてことも思いはしたのだが、百貨店は避けて、近くのダイエーへ。
 なんだか並んでいるのは似たようなものばかり。色もほとんどが黒。まあそれでいい、このうちのどれかに決めようという気になった。あとは店員の一押しである。「鞄をお探しですか」と寄ってくれば、もうそれで決るだろう。ところが見渡しても、店員の姿は見えない。近くのレジにも誰もいない。独力で決めるのかと思えば、また迷いだす。それでもどうにか、ひとつ選んだ。
 そのひとつだけが、一回り小さい。だから選んだようなものだが、これでも寸法が足りてるのか確かめたい。鞄を持ってうろうろしていると、やっと店員を見つけた。素知らぬ顔をして行きすぎようとするのを呼び止めた。
 「A4判が、入るだろうか?」
 即答はなく、それからちょっとした騒ぎになった。

 鞄に合せてみるA4判の適当なものを、彼女は一生懸命探してくれたのである。レジの回り、陳列棚の下の引出し、ひととおり探したようだった。
 「申し訳ありません、ちょっとお待ちください」
 そう言って彼女は、フロアの中央へと小走りに消えていった。しばらくして若い店員を連れて、ともに小走りで戻ってきた。
 「お待たせして、申し訳ございません」
 若い方が鞄売場もついでに担当しているのだろうか。先の店員が派遣であとの若いのが正社員なのだろうか。かんじるところはあったが、紳士たるもの、余計なことは言わないものである。若い店員がレジの回りを探し始めても、そこはさっき探したよ、などと言うのもこらえた。
 「こういうのって、いざというときには、なかなか見つからないものなんだよね」
 優しく言っても、若い店員は恐縮するばかりである。どうやら、とんだ難問を吹っかけてしまったらしい。

 気の短い客ならとうに怒り出してもおかしくない時間が経過して、店員はやっとA4のコピー用紙を一枚持ってきた。鞄に重ねて、
 「入らなくはないと思いますが、皺になるようですね」
 「製本したものなら無理だね」
 「無理かと思います」
 騒がせて「またね」と帰るわけにもいかない。結局別のに決めた。適当に選んだようだったが、最高の選択だったような気もして、早速枕元に置いて寝た。

 さて、ここ数日の懸案は決着を見たのであるが、今日も浅草に行って用もないのに百貨店に入り、鞄売場に直行したのはどういうことだろう。行き帰りの地下鉄で、年配者の提げている鞄に目がいくのはどういうことだろう。変な癖がついたものである。

他人の鞄が気になる

 財布ちり紙ハンカチ煙草はポケットに振り分けて、手ぶらでいるのが一番いい。どうしてもというときには、手提げの紙袋を持つ。旅行鞄は別にして、仕事にも仕事探しにも、鞄を持ったことはなかった。
 図書館の行き帰りも、手提げの紙袋である。重宝している。それでも、帰途スーパーで買物をするときにこの紙袋を持ち込むのは、ちょっと気が引けてしまう。
 万引きを疑われるのでは、と気になるのだ。まあ、しなければいいだけのことだが。
 レジで清算のとき、紙袋をいかにも無造作に、店員の視界に置く。無造作どころか、気にしているのである。おかしなものが入っていないか、確認することもある。どうなのだろう、ぽっかり口を開けた紙袋が、店のほうでは気にならないのだろうか。
 それでも雨の日に、濡れると破れるのではと心配してくれ、紙袋ごと入る大きな買物袋をくれたこともあった。

 最近、背広を着る機会があった。背広の上には、新調したコート。結構紳士らしいじゃないかと、鏡に見とれてしまった。そんなときに、鞄を買おうかなと、ふと思いついたのだ。
 ただし買うにしても、ひとつですませたい。A4判がすっぽり入る寸法、弁当箱が入るぐらいの厚みというのは問題ないのだが、背広のときには実直そうな紳士を際立たせ、ラフな恰好にも合うもの、と思えば、これはしっかり研究しなければいけない。外出するたび、他人の提げている鞄を気にするようになった。

 駅のホームで、ちょっとよさそうな鞄を見つけた。年配の男性が鞄を隣の椅子に置いて、文庫本を読みふけっていたのだ。勤務時間中といった恰好である。じっと見ていると、気がついたのかその人は、不安そうに鞄を引き寄せた。

待合せの不安

 先日、目黒の駅前で待合せをした。
 約束すること自体気が重いのだが、待合せとなると、これはもう苦痛である。
 待合せ場所には必ず早く着いてしまう。相手も早く来てすぐ会えれば問題はないのだが、ちょっと時間が経つと、古い付合いであっても、顔を忘れてしまったのではないかと不安になってくるのだ。絵心がないせいか、相手の顔を思い描けない。すっかり禿げていたり、頬に傷でもあったりすればいいのだが、そういった特徴がないと、頭の中の人相書きは頼りなげな輪郭だけである。その輪郭すら、時間の経過とともに薄れていく。人待ち顔の人やちょっと立ち止った人を、似ても似つかぬ人まで含めて、この人じゃなかったよなと、すべて点検してしまう。
 そして約束の時間になっても会えないときは、死んじゃったのかなと、心配してしまう。

 今から家を出ると電話がかかってきたのだから、すっぽかされることはないだろうし、その時点での生存は確認できたわけだ。それでも不安は残った。
 「アルタ、みたいな名前だよ」
 「アルタって新宿だろ? 新宿がいいの?」
 「新宿じゃなく、目黒。アルタじゃないの、アルタみたいな名前なの」
 アトレだとはあとで分るのだが、こんなやりとりをしたせいで、間違って新宿に行かないだろうかと、余計な心配をしなければならない。そのうえ、相手は老眼で近眼で乱視でもある。キスをするぐらい近づかないと人の顔は判別できないそうだ。そっちで見つけてくれるようにということである。

 早めに出たのだが、バスが駅前を通過してしまった。降車ボタンを押さなかったのが悪いのだが、通過するとは意外だった。次の停留所で降り、歩いて戻りながら気が気ではないものの、もう足早になることもなかった。携帯電話どころか、時計も持っていないのだ。じたばたしても始まらない。
 駅前に着くと、待合せの相手は遠くから手を振っていた。あまり早くからそんなことをされても困る。横断歩道も渡らなければならない。ちょっと手を上げて、あとは信号が変るまで、知らん顔をしていた。
 「よく分ったね」と言うと、
 「すぐ分った。背中丸めているし、だらしない歩き方してるから」
 早く判別出来て、その人は嬉しそうだった。

役に立たない足

 毎朝乗る京葉線の各駅停車はほどほどの混み具合なのだが、途中で快速に待合せしたあとは座れることもある。対する快速のほうはぎゅう詰めである。たまにどんなものかとぎゅう詰めを味わってみることもあるが、夜勤を終えての帰りで急いでいるわけではなく、ほとんどの場合そのまま各駅停車に乗っていく。ごく当り前の選択だろう。
 その日はうまく目の前の人が降りていき、しかも端っこの座席。こんなことでも幸運な一日を予感させてくれる。まあぼくの場合、一日は終りに近づいているのだけれど。
 終点まであと少しというところで、荷物をいっぱい持ったおばさんが乗り込んできた。しばらくきょろきょろしていたが、すいてはいても座席は埋っている。あきらめたようで、彼女はぼくの前に立った。もちろん席を譲る気はなかった。
 彼女はまず両手に提げていた荷物を床に広げ始めた。風呂敷包み。鞄。紙袋と布の手提げは安定が悪そうだった。その中から、鞄をまず網棚に上げた。結構腕は太そうだった。
 次に風呂敷包みも網棚に上げようとしたのだが、そうすると紙袋と布の手提げがパタパタと倒れる。彼女は持ち上げた風呂敷包みを床に降ろし、倒れた荷物をまた立て始めた。手順のまずさが気になるのだが、まあ関係のないこと、と思っていた。
 紙袋に手を入れ、中のこまごましたものを均したのか、それはなんとか立った。問題は布の手提げである。厚みがなく、どうしても単独では無理だった。紙袋に持たせかけると、どちらも倒れた。紙袋をもう一度立てる、そして思案の末、彼女は布の手提げを、ぼくの右足に持たせかけたのだった。

 もう他人の手順を云々している場合ではない。こちらの応対が評価される番である。とりあえず我慢した。風呂敷包みを網棚に上げるまでのことだ。ところが彼女は風呂敷包みを上げてしまうと、つり革につかまり、しばし物思いにふけるようだった。
 全神経が、手提げと右足の接点に集中する。なんだか痒くなってくる。たまらず足をずらした。手提げはぱったりと床に伏せ、彼女は黙って取り上げた。ほどなくして八丁堀に到着である。
 ここで電車はがらがらになる。彼女は少し離れた座席を、紙袋と布の手提げを置いて確保した。そのあと二往復して、網棚の鞄を降ろし、風呂敷包みを降ろし、せっせと運んだ。ゆったりと四人分ほどの座席を確保出来て、彼女は満足そうだった。終点東京までの1、2分は、彼女にとってもぼくにとっても、平和な時間だった。

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