もつれるチーズ

今夜の酒の肴は何にしようかと、朝から考えています。

ひとりの団欒

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ひきこもりがちなおじさんの、それでもまあまあしあわせな日々のつれづれ。パソコンとセットで、デジタルカメラなるものをついに手に入れてしまい、おじさんはすこし持て余しています。
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魚が食いたかったのに

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 長く図書館を利用していて、ついに今回、返却期限に遅れてしまった。「今日は借りられますか?」と聞けば、「はい」とあっさりした返事。罰則はないのだろうか。点数制にでもなっているのだろうか。今日のところは、しつこく聞くのはやめておいた。
 図書館にはずいぶん世話になっている。路上生活の頃には、行き場所は他になかった。そして現在、出来るだけ本は買わないことにしている。かって蔵書を処分するとき辛い思いをしたことが、忘れられない。

 図書館の帰りに、スーパーへ。何が食いたいのかも思い浮ばないまま、無難なところで鶏肉とネギとおでんの具を買った。帰って冷蔵庫を開ければ、豚肉が残っていた。片栗粉が切れかけている。砂糖も。あまり役に立たない買物だった。
 おでんを煮て、鶏肉を鍬焼みたいにした。豚肉もその中に入れた。大して動かないのに肉ばかり食うのはよくないと、頷きながら残さず食った。魚を買えばよかったとは、あとで思うこと。

蕪の葉っぱ

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 一昨日昨日と、二日間一歩も外に出なかった。なんだか人目を避けているようである。当然風呂にも入っていない。流しに爪先立ちになって部分的に洗っている姿など、他人には見せられないだろう。
 冷蔵庫もすっかり空で、残っているのは蕪の葉っぱぐらい。よし、これだけで済まそうと、いったんはそう考えた。だいぶ萎れているが、刻んで甘辛く炒めた。前にも一度やったことがあり、そのときはしらす干しをふんだんに使ったにも関わらず、大したことはなかった。今回のは上出来。俄然食欲がわいてくる。食欲がわけば、これだけでは物足りない。意を決して、買物に出掛けた。
 肉屋で鶏の唐揚とポテトサラダと卵を買い、ゆで卵を作ってポテトサラダと混ぜ合せる。こんなことをするぐらいなら、一から作ればいいのだけれど。

とりとかぶシチュー

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 蕪が丸々として、うまそうだった。昔たまに作った鶏肉と蕪のクリームシチューを思い出した。六年は確実に作っていない。十年ぐらいになるかもしれない。好きなのに忘れていたのだ。、クリームシチューにまつわる何か思い出があったかなと考えてみたが、べつにそういうのもないようだ。
 顆粒を入れる段になって、仕上げに牛乳を入れると書いてあるのに気付いた。昔は牛乳を入れると一層おいしくなるというような、多少控えめな書き方がしてあったはずだ。買いに走るのも癪に障る。えいくそ、と牛乳なしでやったが、これで十分だった。
 適当な器がなくて、平たい皿に盛ったが、食い辛かった。丼のほうがよかったか。

クリームシチューを作ると、部屋の空気が優しくなる。

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 ハローワーク品川に初めて行った。いつも行くワークプラザの親玉が品川で、求職活動を支援する部署から、たびたび電話を貰っていた。とにかく親切で、頭の下る思いなのだが、あまり役には立たないようだ。時間があったから、まあ顔つなぎにと、行ってみた。
 つらつら思うに、品川駅から外に出るのも、東京に住んで四十年近く、初めてのことだ。上野浅草よりこじんまりした駅周辺を思い描いていたのだが、すっかり予想は外れた。改札を抜けるのに手間どり、「ハローワーク品川」の看板をすぐのところに見つけてからも、地上に降りるのに手間どり、同じところをさんざんうろうろする始末である。地図で場所を確かめ、十分余裕を持って出掛けたのに、約束の時間に3分遅れてしまった。そのうえ、下にも置かないもてなしぶりで、わあわあと労いの言葉が連発されるままに、ついに遅れた侘びも言えずじまいだった。こういったもやもやは半日ほど消えそうもない。
 ところで首尾のほうだが‥‥。一年間にわたって、マンツーマンの形で指導支援するというものだが、途中で断った場合、迷惑をかけたり不快にさせたりすることはないのかと尋ねると、ご自分の都合だけを考えてください、と言われ、とりあえず申し込んだ。まあどうということはない。たいして役に立ちそうもない。髭を剃れだの髪を伸ばせだのと言われてすぐやめてしまうのじゃないかと、今から悪いほうへ想像している。
 終って写真機片手に、駅前をぶらぶらした。まったくおのぼりさんの半日だった。

黄身が好き‥‥

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 ここ数年、ゆで卵や目玉焼きの好みが変った。半熟を好まなくなった。思い当たる節があるとすれば、胆嚢の検査だろう。卵の黄身を二個、検査の前に飲んだのだが、あれはマズイを通り越して苦痛だった。せっかくの卵をあんなことに使うなんてと、医学の野暮を恨んだものである。
 それにしても、胆嚢の検査はずっと若い頃の経験である。どうして今頃になって思い出すのだろう。当時も二、三日は卵が食えなかったが、すぐに回復したものである。若いときは忙しさにかまけてやり過ごしたものを、今頃になってこだわっているのだろうか。年のせいなのか、あるいは性格的なものなのか。
 生卵が駄目になったわけじゃない。すき焼きには生卵だし、熱いご飯にかけるのも嫌いじゃない。なのに黄身の半熟は嫌なのだ。皿に垂れた黄身にパンをつけるなどというのは、どうにもおぞましい。
 昔から、黄身の方が白身より上等と思っていたようなところがある。子供の頃、「ねえねえ、卵の白身と黄身とでは、どっちが好き?」と女の子に聞かれて、「黄身が好き」とためらわずに答えていたほどだ。それがそうでもないぞと、半世紀を生きぬいて、考えが変ったのである。白身あっての黄身、黄身あっての白身、よくしたものだとあらためて感心している。



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