もつれるチーズ

今夜の酒の肴は何にしようかと、朝から考えています。

ひとりの団欒

[ リスト | 詳細 ]

ひきこもりがちなおじさんの、それでもまあまあしあわせな日々のつれづれ。パソコンとセットで、デジタルカメラなるものをついに手に入れてしまい、おじさんはすこし持て余しています。
記事検索
検索

イメージ 1

 近くで火事があったようだ。
 すぐのところにある消防署は、現在建替え中とかで移転している。やたらにサイレンが聞えるので、初めは営業を再開したのかぐらいに思っていたのだが、そうじゃないらしい。消防車が出ていくのではなく、集ってきているようである。そのうち窓の外で実況中継が始まった。「10メートルほどの火柱」などと刺戟的な表現も混じったりする。
 どうやら消防署の近く、ガソリンスタンドの裏だということである。写真機を持って飛び出していきたい気持ちはあったが、ちょうど自分で散髪しているところだった。頭の右半分に鋏を入れたところで、細かいところはともかく、せめて左半分も同じぐらいにしたいものである。
 実況を聞いているぶんには、大したことにはならないようである。ガソリンスタンドも平然と営業をつづけているという。これはなかなかの情報だった。
 終った、終った、と聞えた。何はともあれ安心した。
 どこそこで大根が安かった、そんな声も聞えて、次第に人は散っていたようである。
 それからヘリコプターが来た。二機、三機と来たようだ。髪の毛がなくなったせいか、ことさら響く。凄まじいほどに響く。なんだか戦争が始まったかのようである。爆弾を落されそうで、火事よりもこちらのほうが気がかりだった。
 散髪が終って掃除機をかけてる間も、ヘリコプターは頭上を旋回しつづけていた。いつもはうるさい掃除機の音も、今日に限ってはとても静かだった。なんでそんなにぐるぐる回らなければならないのか、腹立たしいことだった。
 まあ、止っているわけにもいかないのだろうが。
 早く帰れば叱られるのだろうか。
 一時間近くも旋回していたのだ。火事はとうに収まり、大根を買いにいったおばさんも、食事の仕度にかかっていることだろう。

 結局一歩も外に出なかったのではあるが、なんだか充実した一日だったような気さえする。頭も刈ったし。いや、火事を面白がる気は、これっぽちもない。誰にとっても毎日が平和で安全でありますように。
 酒の肴は、鯵の干物、ほうれん草のお浸し、海苔の佃煮、卵焼き。旅館の朝飯みたいなのが食いたかったのだが、やっぱり足りない気がして、豚肉に卵をつけて焼いた。

イメージ 1

 漁獲高削減でマグロが高くなるとニュースで聞いて以来、多少なりとも気にしているのかもしれない。べらぼうに安いのを見つけた。おっ、やけっぱちに乱獲し始めたか、そう思ったのだが、中国産だった。結構大きな固まりで、骨付きと書いてある。骨が付いていれば有難いのか面倒なのかはよく分らないが、いかにも下品で不味そうである。でも買ってしまった。「ねぎとろ巻」も特売で、それほど好きじゃないのに、マグロづくしになってしまった。

 百円庖丁での解体作業は思いのほか難航した。半分は刺身に、半分は明日のぬた用にぶつ切りにした。刺身とぶつ切りの、形の違いはあまりなかったが。
 ちょうど解けかかっていて、赤い汁の滲んでくるのが気になり、ぶつ切りは醤油に漬けてしまった。明日の「まぐろぬた」は、どうなることやら。
 骨に着いた身もしつこくこそぎ取り、「ねぎとろ巻」におまけとして添えた。

イメージ 1

 酔うほど飲むわけじゃない。発泡酒を少し、焼酎を少し、たまに電気ブランを少し飲むぐらいである。
 ある時間になると、ひどく眠くなる。目を開けていられなくなる。夜はこれから、そういう時間にもかかわらず横になる。二時間ほどして目を覚ましたとき、記憶が一部、失われているのである。

 めし、食ったのかな‥‥?

 思い出せない。鯖の味噌煮を作り、残っていたサツマイモとカボチャを一緒に煮て、飲み始めた、そのあたりの記憶は鮮明なのだが、最後に飯を食ったかどうか、どうにも思い出せないのだ。いつも食っているから、今日も食っているんだろうと、それぐらいの自信であり、しかし、腹具合からすると、食っていないような気もする。ボケるには早すぎる、一人でボケると、どうなるんだろう。
 手がかりを求めて、流しを見にいく。皿とスプーンと、お碗と箸、それらが水に漬けてあり、食った形跡はたしかにあった。味噌煮や煮物の器、コップなどはすでに片付いていた。冷凍庫を見れば、鶏ごぼうごはんがなくなっている。だけど思い出せない。誰かが食ったとしか思えないのだが、鍵はちゃんとかかっている。
 迷宮入りである。
 紅茶を入れ、スイスロールを一本食い、腹はなんとか宥めた。

イメージ 1

 有名な天ぷら屋に入ったことがある。もちろん他人の奢りで。
 揚げたてがひとつずつ出てくる。そのどれもが飛び切りうまかったはずである。けれど、落着かないのだ。ビールは瓶で、注いだり注がれたりしなければならない。黙ったきりでいるわけにもいかない。そこへ次々と揚げたてが出てくる。遅れてはいけない。頃合よく出てきているはずなのに、気が急くのである。そして心の準備が出来ないうちに、これが最後です、と言われる。「あと、何か頼む?」と聞かれても、「いや、十分です」と答えたことだろう。
 まあ、慣れていないから落着かなかったのだろう。
 ご馳走になった相手を思い出せない。知らないおじさんだったのかと思えるほどである。店の名前も場所もすっかり忘れて、あのときの気分だけが残っている。
 ひとつに盛って出されるほうが性に合っているのだろう。食べる順番は自分で決める。一番好きなものは最後である。途中で生ビールのお代りをし、天ぷらがなくなっても、お新香やらお浸しでぐずぐず飲みつづけ、よしこれで最後にしようと決心して最後の一杯を頼み、うまくいけばそれで終る。

 久しぶりに天ぷらを揚げる。サツマイモとカボチャと海老を買い、あとは冷凍のインゲン、冷蔵庫に残っていたちくわ。
 衣を使い切るのに、冷凍の枝豆と、残っていた長芋を刻んで、カキアゲにする。とくにうまくはなかったが、面白い食感である。

イメージ 1

 好きな食べ物は? と聞かれれば、「麩」と答える。つづけて、好きな色は? という問いならば、答えは「黄」である。このあたりは質問者とのなれあいであり、もし面白がって「それじゃ‥‥」などと言い出す第三者がいても、それ以上は用意していない。「もういいよ」と、いっそう無口になったかもしれない。
 つるんで飲み歩いていたのは、遥か昔の話。そのあともたまに集ったりしたものの、もうほとんどが死んでしまった。年上が多かったのだから、仕方のないことではある。思い出しながら、ひとり部屋で麩を食っている。

 それにしても麩は重宝している。すき焼きにも入れる。どちらかといえば、麩を入れるのは関西風なのかもしれない。煮汁をきっちり吸うのだから、あまり濃くないほうが合っているということだろうか。
 肉じゃがの煮汁に麩を入れ、丼にした。始末料理といったかんじだが、なかなかのものである。それと、浅蜊の味噌汁。

 大勢で鍋をやったとき、生麩が入っていて感激したことがある。自分でもやってみようと思いながら、二十年が経つ。気に入ったことは憶えているものの、どんな味だったかは、すでに前世の記憶のようである。手近に求められないということもあるが、高いので覚悟が必要なのである。安い麩と、高い生麩、どこにでもある麩と、取り寄せなければ手に入れられない生麩、つい較べてしまうのだ。それでもこの冬には、ひとりの鍋に入れてみようと思う。



プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事