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			<title>もつれるチーズ</title>
			<description>どんづまりの暮しからようやく脱け出たものの、そのあとどう生きればよいのか分らない。あがいていた頃の情熱が懐かしい。この雑文集は、不要になったおじさんの、魂の叫びでもあります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>もつれるチーズ</title>
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			<description>どんづまりの暮しからようやく脱け出たものの、そのあとどう生きればよいのか分らない。あがいていた頃の情熱が懐かしい。この雑文集は、不要になったおじさんの、魂の叫びでもあります。</description>
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		<item>
			<title>親孝行な少年</title>
			<description>&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　「道徳」の授業は好きだった。あれにも教科書がありテストがあり成績が付いたはずなのだが、そのあたりはよくおぼえていない。その時間を使って井上先生がいろんな本を読み聞かせてくれたこと、それだけは記憶している。&lt;br /&gt;
　先生の読んでくれるのは圧倒的に怪異譚が多かったのだが、たまには「道徳」にふさわしい話もあっただろう。「孝行」「正義」「勇気」などという題目を、先生は好んでいたはずである。「礼儀」だって、必ずしもおろそかにはしていなかったようだけど。&lt;br /&gt;
　親孝行で評判の若者がいて、どれほど親孝行なのか様子を見にいくと、若者は外から帰ってくるといつも、老母に足を洗わせていた、なんていう話も、先生の読んでくれた本にあったような気がする。え？　どこが親孝行やねん、とすかさず突っ込まれそうな話だが、先生は「ま、人生いろいろ、親子もいろいろやからな」とでも答えたのだろうか。ちなみにぼくは、それぐらいの親孝行なら出来なくもないと思ったものである。&lt;br /&gt;
　死者が枕元に座ったという怪異譚ですら、先祖への礼につながりそうだった。してみればたいていの本は、不道徳ですらも「道徳」なのだろう。&lt;br /&gt;
　読み終って感想を聞かれることのないのが、何よりも好ましかった。それでもぼくたちは口々に短い感想を、わあわあと言うことはあったのだが。&lt;br /&gt;
　「なかなかええ話やったな」&lt;br /&gt;
　そんなふうに先生は呟いて、同意を求めるでもなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「国語」の二時間つづきの一時間を割いて、本を読んでくれることもあった。&lt;br /&gt;
　「二時間もつづくと、退屈やろ」と先生は言うのだが、先生がまず退屈していたのではなかったのかと、あとになって思うことはあった。何はともあれ生徒たちは「やったあ」ぐらいの声は上げたものである。&lt;br /&gt;
　高学年になるにつれ、先生が本を読んでくれる時間はすこし減り、代って図書館を借り切る時間が増えた。めいめいがその時間好きな本を読むのである。「道徳」でも「国語」でもない時間が、突如そうなることがあった。&lt;br /&gt;
　「先生、飲みすぎて、しんどいんやろ」と、分析する生徒もいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　地図を手帳に書き写していた。夢中になっていて、机の向う側から井上先生が覗き込んでいるのに気づかなかった。&lt;br /&gt;
　「うまいもんやな」&lt;br /&gt;
　野太い声がしてとっさに手で覆ったが、別にこそこそとそんなことをやっていたわけではなかった。すぐに手をどけた。&lt;br /&gt;
　「それ、どこや？」&lt;br /&gt;
　「広島」&lt;br /&gt;
　「なんで、広島なんや」&lt;br /&gt;
　「広島の人が、来てはったから」&lt;br /&gt;
　そんなふうにしてぼくの手帳には、見知らぬ街の地図が増えていた。&lt;br /&gt;
　「広島に、親戚おったか？」&lt;br /&gt;
　「よう分らんけど、お母さんの友達みたい。そこの子供がこっちの大学受けに来はったのや」&lt;br /&gt;
　「そうか」&lt;br /&gt;
　「大学行くぐらいやから、きっと金持なんやろな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ある日、学校から帰ると、休みをとっていたはずの母の姿はなくて、明るい窓際に広島の親子が仲良さそうに並んで座っていた。ふたりはバナナを食っていた。六畳の部屋も板の間もすっかり片付いていて、アパートのよその家に紛れ込んだみたいだった。上ろうか板の間に鞄を置いて出ていこうか。土間に立ったまま迷っていると、「おかえり」とおばさんは言った。&lt;br /&gt;
　「食べなさい」と、おいしそうなバナナを一本ちぎって差し出してくれたことまでは、記憶している。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/32943116.html</link>
			<pubDate>Tue, 05 Jun 2007 18:31:00 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>あこがれの先生</title>
			<description>&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　四年生になれば学級編成がある。このときぼくは思いつめていた。新しく担任になるのは井上先生でなければいけない。それ以外の先生に当れば、三年間拗ねたままで過すことになり、そうなればぼくの人生は狂う、と。確率は六分の一、淡い期待などというのではなく、有罪か無罪かの最高裁の判決を待つほどの気持ちだった。&lt;br /&gt;
　他の先生のことはまったく知らない。井上先生のこともよく知っていたわけではない。それなのに思いつめ重い心で発表を待っていたのである。&lt;br /&gt;
　井上先生の評判は、あまり芳しくなかった。怒りっぽいというのである。暴力も振うらしい。酔っ払っている姿もたびたび目撃されていた。酔っ払うといっそう凶暴になるという噂もあった。はっきり井上先生じゃいやだと口にする子もいたぐらいだが、そのあたりのことはあまり気にしていなかった。怖いもの見たさということでもなかった。ぴんと来なかったのである。&lt;br /&gt;
　母と出掛けた帰りに、ねんねこで幼児を負ぶっていた井上先生に出会ったことがある。母が何度も頭を下げると、先生も何度も頭を下げた。背中の幼児は先生が頭を下げるのが嬉しいらしく、しきりに笑い声を上げていた。その後も夕暮れ時に幼児を抱いている姿をぼくはたびたび見た。口を聞いたことはなく、気づけば近づかないように走って逃げていたのだ。それがいつの間にか強い憧れを抱くようになっていたのである。思えば子供の頃からぼくは変った趣味を持ち合せていたようだ。&lt;br /&gt;
　あの先生がいい、あの先生じゃいやだと、口にする子が多い中で、ぼくは思いを胸にしまったままだった。見事六分の一をぶち当てたときにも、小躍りするでもなかった。誰にも知られずに、胸を撫でおろしていただけである。&lt;br /&gt;
　新しいクラスになって間もないうちに、先生の爆弾は落ちた。誰かが二階の窓から鉛筆の削りカスを捨てたのだ。「拾ってこい」と、先生は怒鳴った。削りカスを拾うのは容易なことじゃないと思うのだが、そのあとどう収拾がついたのかは記憶にない。叱られたのが誰だったのかも忘れた。ぼくではなかったような気がするのだが‥‥。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ぼくたちのクラスは三年間、しょっちゅう遠足に行っていた。学校から行くのを合せると、夏休みも含めてほぼ毎月のように出掛けていた。&lt;br /&gt;
　はじめての遠足で、何人かの女の子は先生にまとわりついていたが、ぼくは控えめにすこし遅れて歩いていた。山道を歩いていて見晴らしのいい場所に出ると、先生は彼方の山を指して、「あの山、キンツリ山、と言うのや」と大きな声で言った。体の前で両手を使って三角形を作ると、徐々に持ち上げながら逆さにし、彼方の山に合せた。「キンツリいうのは、運動するときに履くサポーターのことや」&lt;br /&gt;
　「そんならパンツ山でもええやんか」と誰かが言えば、「パンツより、締っとる。あの山、きゅっと締っとるやろ」と応じていた。&lt;br /&gt;
　憧れの先生はぼくを振り返って、こんなことを言うのだった。&lt;br /&gt;
　「サポーター知ってるやろ？　ちんちんぶらぶらせんように履くやつや」&lt;br /&gt;
　「知らん」&lt;br /&gt;
　ぼくはとても内気な少年だった。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/31757190.html</link>
			<pubDate>Sat, 05 May 2007 08:46:08 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>憂い顔の少年</title>
			<description>&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　校内清掃の時間というのがあって、そのときぼくたち六年二組の持ち場は、土手と校舎に囲まれたテニスコートだった。生徒にテニスは無縁だったが、木の茂った土手は恰好の遊び場だった。&lt;br /&gt;
　小石や落ち葉を拾うのにリヤカーなんて必要だったのだろうか。誰かがうまいことを言って、用務員さんから借りてきたのかもしれない。それはたちまち遊びの道具になった。初めはひとりふたりを乗せてそのあたりをぐるぐる回っていたのだが、そのうち乗せたまま土手にぶつけると、それが気に入ったらしい。乗り手が交代して、繰返し土手にぶつけていた。&lt;br /&gt;
　男子生徒の半数ほどがそうやって遊んでいるのを、ぼくは離れたところで見ていた。ぼくは大人しく、記憶が正しければ絵に描いたような優等生だった。学級委員でもあった。もうひとりの学級委員のＭ君と相談して、やめさせようということになったのは、当然のなりゆきだった。&lt;br /&gt;
　悪ガキたちは学級委員の注意をまともに聞こうとはしなかった。「あと一回だけ」と言うので一回待っても、やめようとはしない。ぼくとＭ君は実力行使におよんだ。リヤカーに上り、乗っていた子をおろした。そこでぼくたちもすぐに飛び降りればお役目終了なのだが、ちょっとした間があった。リヤカーの上は気分がよかったのである。&lt;br /&gt;
　乗り手が交代したところで、リヤカーが動き出した。「あかん」「やめろ」と、口々に言ったものの、リヤカーはどんどん速くなる。つい「突撃！」などと言いながら手を振り上げてしまったそのとき、&lt;br /&gt;
　「こらっ」&lt;br /&gt;
　担任の井上先生の登場だった。リヤカーは土手に突入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ぼくとＭ君は職員室に立たされた。&lt;br /&gt;
　井上先生が、なんでそんなことをしたのかと問い詰めるのなら、言い訳したかもしれない。たいていの場合、言い訳をする機会はなかった。&lt;br /&gt;
　「あれれ、学級委員がふたりとも立たされていますな。何やらかしたんですか？」と、一組の先生が聞けば、&lt;br /&gt;
　「こいつら、代表して立っとるんですわ」と、井上先生はこともなげに言った。&lt;br /&gt;
　そうか、代表して立っているのかと、すこしだけ納得したものである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　優等生のぼくには叱られた記憶というのはあまりない。あとひとつだけ思い出せるのだが、これがリヤカーの件とじつによく似ているのだ。&lt;br /&gt;
　修学旅行で伊勢に一泊したとき、消灯のあと枕投げが始まったのだ。ぼくはこれには断じて参加していない。あれのどこが面白いのか。だいいちぼくは枕がないと眠れない。それを投げるわけにはいかないだろう。&lt;br /&gt;
　すぐやむと思った枕投げは、いつまでもつづいた。たまにどすんとぼくの腹の上にも落ちてくる。やめろやめろといくら言っても、誰も耳を貸してくれない。腹に据えかねてついに起き上り、暗闇の中で飛んできた枕を見事にキャッチした。「このやろ」枕を振りかざしたそのとき、パッと灯りが点いた。&lt;br /&gt;
　「こらっ」&lt;br /&gt;
　出番を待っていたかのような井上先生の登場である。&lt;br /&gt;
　腕をつかまれ、廊下に引きずり出された。&lt;br /&gt;
　「立ってろ」&lt;br /&gt;
　先生が言うのはそれだけである。&lt;br /&gt;
　次に先生が来て、「もういい、寝ろ」と言うまで二十分ぐらい、ぼくは伊勢の旅館の廊下に立たされていたのである。部屋に戻ると、皆寝ないで待っていた。「ごめんな」「ごめんな」と口々に言うのに、何も言えず頷いていた。涙が出そうだった。&lt;br /&gt;
　アルバムを開くと、修学旅行二日目の集合写真で、ぼくは井上先生の前に立っていた。ぼくの肩に手を載せた先生はいかにも上機嫌で、対するぼくは憂いを含んだ顔である。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/31297036.html</link>
			<pubDate>Mon, 23 Apr 2007 11:43:14 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>蜂印香竄葡萄酒</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-8e/hqfnh116/folder/951110/14/30091214/img_0?1174910613&quot; width=&quot;320&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　夏に神谷バーの売店で電気ブランを買ったとき、一応聞いたのだ。&lt;br /&gt;
　「蜂印香竄葡萄酒（はちじるしこうざんぶどうしゅ）って、ある？」&lt;br /&gt;
　若い女の子が狭い売店にふたりもいて、振付けのように同時に首をかしげた。ピンクレディみたいだと、こちらが連想するものは当然古い。&lt;br /&gt;
　ひとりが無難なことを言った。「今あるのは、こちらに並んでいるものだけですが」&lt;br /&gt;
　もうひとりもしっかり頷いた。それ以上聞くのは野暮である。そのときは電気ブランだけ買って帰った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　べつに捜し求めるほどの酒ではない。神谷バーで何回か飲み、一度か二度買って帰った。甘ったるいだけの、ようするに蜂ブドー酒である。まあそれに薬草が入っているらしいが、酒を飲んで健康になりたいとは、とくに望んではいない。ただラベルが気に入っていた。出来ればもう一度ぐらい目にしたいものだと、それぐらいの思いだった。&lt;br /&gt;
　ラベルの両端に、世界の国名が、漢字で書いてあった。亜米利加、英吉利、仏蘭西、伊太利、独逸、‥‥あとはなんだったろう、希臘、葡萄牙、印度、西班牙なんていうのもあったはずだ。国旗はあったような、なかったような‥‥。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　雷門の並びの酒屋に蜂印香竄葡萄酒を見つけたのは、つい最近のことである。とうとう見つけた、というほどのことではなかった。「ほら見ろ、あるじゃないか」と胸のうちで呟いたのは、神谷バーのピンクレディに向って言ったのかもしれない。その日は荷物になるのを嫌い、買わなかった。そのていどのことだ。&lt;br /&gt;
　今日ついに買ったのだが、昔見たのとラベルが違っていた。すっきりしたデザインである。ローヤルゼリー、ドクダミ、蓬、花梨から始まって、体によさそうなエキスが２５種羅列してあり、「医食同源」なんて言葉が、表のラベルのみならず、裏のラベルにまでしつこく書いてある。&lt;br /&gt;
　垢抜けているというほどのことでもないのだが、時代錯誤の匂いは消えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうですか、そんなに体にいい飲み物になったのですか。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/30091214.html</link>
			<pubDate>Mon, 26 Mar 2007 21:03:33 +0900</pubDate>
			<category>失業、無職</category>
		</item>
		<item>
			<title>新しいテレビ</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-8e/hqfnh116/folder/951110/42/29772542/img_0?1174301808&quot; width=&quot;320&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　テレビを買い換えた。吉永小百合がコマーシャルに出ているやつである。それだけで信用できると思いたいぐらいのものだ。一番小さいのを選んだのだが、部屋に置いてみると、結構でかい。そこだけ見てると、ブルジョアになったような気がするぐらいだ。&lt;br /&gt;
　路上生活から転々として、やっとアパートに落着いたとき、別になくてもよかったのだが、形だけでもと思い、リサイクルショップでテレビを買った。いまさら言ってもしょうがないことだけど、安い買物ではなかったようだ。三年持たなかった。あの三倍ほどの金を出せば、こんな贅沢なのが買えるのだから。&lt;br /&gt;
　室内アンテナだというと、あまりよく映らないかもしれないですよ、ということだった。なんとか見られればそれでいいよ、そう言っていたのだが、くっきりと映っている。&lt;br /&gt;
　「あ、このアンテナで、デジタルが入りますね」と、取り付けに来たあんちゃんは言った。&lt;br /&gt;
　「え？」&lt;br /&gt;
　「ああ。これはいいですよ」&lt;br /&gt;
　「はあ。きれいだね」&lt;br /&gt;
　デジタルがどうのと言われてもぴんと来ない、アナクロ人間である。アナログからデジタルに変るときも何もしなくてよいと言われて、ただただ儲かったような気がするだけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今夜の夕食は、五時前にスタートした。何はともあれ、テレビを点ける。「水戸黄門」をやっている。&lt;br /&gt;
　「清太郎」&lt;br /&gt;
　「おとっつぁん」&lt;br /&gt;
　いきなりのそんな場面に、いきさつも分らずとりあえず涙ぐんでしまった。酒もまだ飲んでいないというのに。何はともあれ、新しいテレビは感動的である。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/29772542.html</link>
			<pubDate>Mon, 19 Mar 2007 19:56:48 +0900</pubDate>
			<category>失業、無職</category>
		</item>
		<item>
			<title>銀ダラの煮付けと銀シャリ</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-8e/hqfnh116/folder/951110/90/29478090/img_0?1173746196&quot; width=&quot;320&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　面倒だからというか、待ちきれなくて、最近飯を炊くことが少なくなった。午後ずっと家にいたとしても、晩飯のことなど忘れている。腹が減って初めて何を食おうかと考える。それから米を研ぎ始めるのでは、もう遅い。待てるのは、炊飯器のスイッチを入れて炊き上るまで。一時間がいいところで、それ以上待つとなると、酒を飲みすぎることになる。冬場水に浸すのは２時間と、教わったことを律儀に守っているから、冬になって炊く機会が減ったのかもしれない。買ってきた鮨か、冷凍の炊き込みご飯や炒飯、冷凍のうどん、冷凍のたこ焼きなどですませてしまうことが多い。&lt;br /&gt;
　炊きたての飯が何よりうまいと、思ってはいるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　家主から辛子明太子を貰った。これは飯を炊かなくては、そう思えば、午後出かけることもやめるしかなかった。もちろん、用があったわけではない。腹の減らないうちから早々と米を磨ぎ、買物に出掛けた。&lt;br /&gt;
　銀ダラの煮付け、ひじきと油揚げの煮物、マカロニサラダ、それに明太子。毎日ちゃんと食っていたはずなのに、久しぶりのまともな献立という気がする。そういえば煮魚が久しぶりなのだ。ほとんどの魚が年々高くなっていくようにかんじているのだが、どうなのだろう。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/29478090.html</link>
			<pubDate>Tue, 13 Mar 2007 09:36:36 +0900</pubDate>
			<category>失業、無職</category>
		</item>
		<item>
			<title>降るなら降れ</title>
			<description>&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　決断力に乏しいのだろう、きっと。行動が遅い。若いときからそうだったのだろうか。よく思い出せない。&lt;br /&gt;
　やめるときの決断は早い。それでもこれを決断力とは言わないだろう。実際あとになって、やっぱりやろう、なんてことにもなるのだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最近では、映画――。&lt;br /&gt;
　気になる映画があって出かけた。ここまでは素早かった。そして料金表を見上げ、断念するのも早かった。一般料金が1800円、シニア料金が1000円。シニアまであと少し、それまで映画は我慢しようと、決意までしたのだ。&lt;br /&gt;
　その足で浅草へ行き、公園でぼんやり日向ぼっこ。話し相手が出来、その人はまだ勤務時間中でこれから商談だというのだが、同年輩でもあり、映画のシニア料金の話から始まって、年金のこと、高齢になってからの転職、ワークシェアリングと、日向ぼっこにはふさわしい話題で弾んだ。&lt;br /&gt;
　それにしても、映画の1800円というのは、高いのだろうか。自分の現在の生活ぶりからいえば、抵抗なく出せる金額でないことは確かである。だけど、テレビがタダだからといって、比較してこれを高いというのもなあ、と急に映画料金の肩を持ちたくなったのである。株主優待券がどこかから手に入って、気が向いたら行ってみようなんて、いつの頃からか甘く見すぎていたようだ。それに映画全盛期の太秦で幼少の時代を過し、粗製濫造のチャンバラ映画とはいえ、小学校に上る前にはエキストラで出演して米代を稼いでいた元けなげな少年である。思い直すのは当然だった。見たいと思ったのだから、決して高くはないのだ。&lt;br /&gt;
　翌日また出かけた。&lt;br /&gt;
　入口の階段で躓いた。これがよくなかったのだろう。前日も同じところで躓いたのである。ちょうどよそ見をしたくなるような造りになっている。設計ミスだろう。そして決定的なことは、上映時間まで１時間以上あるということだった。それでも待とうといったんは思ったのだが、１０分が限界だった。入場できない、座るところもない、やっぱり縁がないのだと思うしかなかった。&lt;br /&gt;
　そして三度目に行ったのは、だいぶ経ってからだった。&lt;br /&gt;
　料金の1800円も納得している、上映時間も記憶している、まだやっているかどうかが問題だけれど、やってなければあきらめがつくというものだ。そう思っていたのだが、予想外の展開だった。料金が高くなっていて、小人もシニアもなく一律2500円、というのである。あっけにとられてしまった。プラス700円の心の準備がなく、足を踏み出せなかったのである。&lt;br /&gt;
　まあ、決断力が鈍いと、手に入れたいものがちょっとずつ遠ざかってしまうという、なにやら教訓のようなお話でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、今日は今日で。&lt;br /&gt;
　浅草に行くつもりで支度をし、表に出ると雲行きが怪しい。部屋に戻り折畳み傘を持って再度出かけると、今度はパラパラっときた。それで外出は中止。まあ銭湯でも行こうかと、タオルと石鹸に折畳みじゃない傘を持って出ると、今度はやんでいる。銭湯から帰ってくるときもまったく降らない。もやもやした気分でいると、夜になってひどい降りになった。やっとすっきりしたものである。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/29200457.html</link>
			<pubDate>Wed, 07 Mar 2007 09:24:11 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>他人の鞄――解決篇</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d5-8e/hqfnh116/folder/1545357/02/28972702/img_0?1172812604&quot; width=&quot;199&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　ふだんはだらだら歩くくせに、下り坂になるとめっぽう速い。権之助坂を次々に追い抜きながら下るうち、ふと気になった。今の鞄がよかった‥‥。少し行って振り返ったが、鞄の主は横断歩道を渡るところだった。&lt;br /&gt;
　いつまでも他人の鞄ばかり気にしているわけにもいかない。よし決着を付けようと、数日前鞄を買いに行った。金に糸目はつけない、なんてことも思いはしたのだが、百貨店は避けて、近くのダイエーへ。&lt;br /&gt;
　なんだか並んでいるのは似たようなものばかり。色もほとんどが黒。まあそれでいい、このうちのどれかに決めようという気になった。あとは店員の一押しである。「鞄をお探しですか」と寄ってくれば、もうそれで決るだろう。ところが見渡しても、店員の姿は見えない。近くのレジにも誰もいない。独力で決めるのかと思えば、また迷いだす。それでもどうにか、ひとつ選んだ。&lt;br /&gt;
　そのひとつだけが、一回り小さい。だから選んだようなものだが、これでも寸法が足りてるのか確かめたい。鞄を持ってうろうろしていると、やっと店員を見つけた。素知らぬ顔をして行きすぎようとするのを呼び止めた。&lt;br /&gt;
　「Ａ４判が、入るだろうか？」&lt;br /&gt;
　即答はなく、それからちょっとした騒ぎになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　鞄に合せてみるＡ４判の適当なものを、彼女は一生懸命探してくれたのである。レジの回り、陳列棚の下の引出し、ひととおり探したようだった。&lt;br /&gt;
　「申し訳ありません、ちょっとお待ちください」&lt;br /&gt;
　そう言って彼女は、フロアの中央へと小走りに消えていった。しばらくして若い店員を連れて、ともに小走りで戻ってきた。&lt;br /&gt;
　「お待たせして、申し訳ございません」&lt;br /&gt;
　若い方が鞄売場もついでに担当しているのだろうか。先の店員が派遣であとの若いのが正社員なのだろうか。かんじるところはあったが、紳士たるもの、余計なことは言わないものである。若い店員がレジの回りを探し始めても、そこはさっき探したよ、などと言うのもこらえた。&lt;br /&gt;
　「こういうのって、いざというときには、なかなか見つからないものなんだよね」&lt;br /&gt;
　優しく言っても、若い店員は恐縮するばかりである。どうやら、とんだ難問を吹っかけてしまったらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　気の短い客ならとうに怒り出してもおかしくない時間が経過して、店員はやっとＡ４のコピー用紙を一枚持ってきた。鞄に重ねて、&lt;br /&gt;
　「入らなくはないと思いますが、皺になるようですね」&lt;br /&gt;
　「製本したものなら無理だね」&lt;br /&gt;
　「無理かと思います」&lt;br /&gt;
　騒がせて「またね」と帰るわけにもいかない。結局別のに決めた。適当に選んだようだったが、最高の選択だったような気もして、早速枕元に置いて寝た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、ここ数日の懸案は決着を見たのであるが、今日も浅草に行って用もないのに百貨店に入り、鞄売場に直行したのはどういうことだろう。行き帰りの地下鉄で、年配者の提げている鞄に目がいくのはどういうことだろう。変な癖がついたものである。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/28972702.html</link>
			<pubDate>Fri, 02 Mar 2007 14:16:44 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>一万円のシャツ</title>
			<description>&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　着る物には無頓着、という顔をしている。そうでもないのだが。&lt;br /&gt;
　まず買物がうまくない。陳列されている中から気に入ったのを選んで買っても、いざ着る段になると、とたんに自信がなくなるのだ。もちろん何を着たからといってぐんと男ぶりが上るとは思っていないのだが、それにしても一番似合わないのを選んだのじゃないかといつも後悔してしまう。だから自分で買うことはあまりない。大昔までさかのぼっても、気に入って着ていたものといえば、貰ったもの、ないしは取り上げたものだった。貰ったものなら、たとえ似合わなくても後悔はしないだろうが、それどころか、不思議にしっくりくるものが多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　二十年も前のこと――。&lt;br /&gt;
　西武百貨店で一万円もするシャツを買ってしまった。あとになって、その頃何か自棄になるようなことがあったのかと考えてみるのだが、思い当ることはなかった。社員旅行を控えていたのはたしかで、そうすると一丁決めてやろうとでも思い立ったのか。「ラコステ」なんてブランド名は、そのとき初めて知った。&lt;br /&gt;
　シャツの色は上下でくっきりと別れていて、上半分はぼけたような山吹色、下半分が紺色、本当にそんなのが気に入ったのかどうかもよく分らない、いけないことでもしているみたいに、そそくさと買い求めた。&lt;br /&gt;
　さすがにこのときは一万円のシャツを買ったという昂揚感もあって、家に帰ってすぐ後悔したわけではなかった。着てみると、案外いいかもしれないと思えた。何よりも、寸法が合っていた。&lt;br /&gt;
　社員旅行に着ていくと、女子社員たちは目ざとかった。&lt;br /&gt;
　「あら、素敵ね。ラコステじゃない？」&lt;br /&gt;
　「よく知らないけど」&lt;br /&gt;
　「いいものなのよ。今はシャツに負けていても、着てるうちに似合ってくるから」&lt;br /&gt;
　「ワニのマーク、右左逆じゃなかった？」&lt;br /&gt;
　「べつにいいんじゃないの？」&lt;br /&gt;
　おおむね評判は良かったようだ。&lt;br /&gt;
　ところが旅行から帰って、洋服ダンスに放り込んでおくと、三日ほどして虫食いに気づいた。背中に小さな穴が開いてしまった。他の衣類が無事なことを思えば、高いシャツは味もいいのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一万円と思えばあっさり捨てるわけにもいかず、外へ着ていくこともかなわず、その後何年もタンスの中で眠っていた。&lt;br /&gt;
　あるとき、山谷に飲みに行くのに、このシャツを引っ張り出してみた。上半分が山吹色で腹から下は紺色、白いズボンを穿くと、紺色の部分が目立った。虫食い穴があるので、コールテンのジャケットを羽織り、これはもう滅多なことでは脱げない。そして下駄履き。すでに高いシャツではなく、あくまでもちょっとそこまでの恰好である。&lt;br /&gt;
　日が暮れかかっていて、まもなく飲むには最適の時間となる。途中公園に寄った。隣接する神社はお祭りだった。屋台の並んだ境内から少し離れて、ベンチに腰掛け煙草を吸っていると、通りがかりのおじさんが煙草の火を借りにきた。おじさんはそのまま、隣のベンチに腰をおろした。&lt;br /&gt;
　「祭りの季節だね」と、おじさんは言った。&lt;br /&gt;
　「そうだね」&lt;br /&gt;
　「一番忙しい時期だ」&lt;br /&gt;
　「はあ」&lt;br /&gt;
　「稼ぎどきだね」&lt;br /&gt;
　「え？」&lt;br /&gt;
　要領を得ない返答をしていると、おじさんもちょっとためらったようである。&lt;br /&gt;
　「テキヤさん、だよね？」&lt;br /&gt;
　「おれ？」&lt;br /&gt;
　「違った？　テキヤさんかと思った」&lt;br /&gt;
　「違うよ」&lt;br /&gt;
　「魚屋さんってかんじでもないし‥‥」&lt;br /&gt;
　おじさんはこちらの腹の辺り、シャツの紺色の部分を指さした。「シャツの上に腹巻出して、ステテコ穿いてるから、テキヤさんかと思ったよ」&lt;br /&gt;
　ステテコではなく白いズボン。腹巻ではなく、「ラコステ」のシャツの柄‥‥なのだけど。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/28778783.html</link>
			<pubDate>Mon, 26 Feb 2007 09:36:38 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
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			<title>他人の鞄が気になる</title>
			<description>&lt;font size=&quot;3&quot; color=&quot;black&quot;&gt;　財布ちり紙ハンカチ煙草はポケットに振り分けて、手ぶらでいるのが一番いい。どうしてもというときには、手提げの紙袋を持つ。旅行鞄は別にして、仕事にも仕事探しにも、鞄を持ったことはなかった。&lt;br /&gt;
　図書館の行き帰りも、手提げの紙袋である。重宝している。それでも、帰途スーパーで買物をするときにこの紙袋を持ち込むのは、ちょっと気が引けてしまう。&lt;br /&gt;
　万引きを疑われるのでは、と気になるのだ。まあ、しなければいいだけのことだが。&lt;br /&gt;
　レジで清算のとき、紙袋をいかにも無造作に、店員の視界に置く。無造作どころか、気にしているのである。おかしなものが入っていないか、確認することもある。どうなのだろう、ぽっかり口を開けた紙袋が、店のほうでは気にならないのだろうか。&lt;br /&gt;
　それでも雨の日に、濡れると破れるのではと心配してくれ、紙袋ごと入る大きな買物袋をくれたこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最近、背広を着る機会があった。背広の上には、新調したコート。結構紳士らしいじゃないかと、鏡に見とれてしまった。そんなときに、鞄を買おうかなと、ふと思いついたのだ。&lt;br /&gt;
　ただし買うにしても、ひとつですませたい。Ａ４判がすっぽり入る寸法、弁当箱が入るぐらいの厚みというのは問題ないのだが、背広のときには実直そうな紳士を際立たせ、ラフな恰好にも合うもの、と思えば、これはしっかり研究しなければいけない。外出するたび、他人の提げている鞄を気にするようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　駅のホームで、ちょっとよさそうな鞄を見つけた。年配の男性が鞄を隣の椅子に置いて、文庫本を読みふけっていたのだ。勤務時間中といった恰好である。じっと見ていると、気がついたのかその人は、不安そうに鞄を引き寄せた。&lt;/font&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hqfnh116/28552513.html</link>
			<pubDate>Wed, 21 Feb 2007 09:24:26 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
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