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11月20日(土)は、ハバナのホセ・マルティ国際空港からメキシコのカンクンに移動する日です。 4泊5日のキューバ旅行はあっという間に終わりました。 キューバ、もう少し居たかったな〜。 午前10時に宿泊していたカーサをチェックアウトして、市バスのバス停がある旧国会議事堂前 に行くと、なんとマラソン大会をやっていました。 バスの他にタクシーも1台も停まっていなく、どこかに移動したようです。 マラソン大会が前もって分かっていれば、もう少し早めに来て見たかったな〜残念。 13時発のフライト時間も迫っているので、この場を離れて流しのタクシーを探して空港に向いました。 約2時間前に空港に着くことができました。 国際空港にしては待合室も狭く免税店やレストラン、売店もほんの数軒ある程度でした。 空港ロビーの天井には各国の国旗がぶらさがっていました。 その中にアメリカの国旗があったのにはビックリでした。 国営クバーナ航空機。 ロシア製の飛行機だそうです。 古いエアバス機内は満席でした。 シートの上には送風器とライトがあります。 スクリーンとイヤホーンは付いていませんでした。 トイレも狭いです。 カンクン空港着陸20分前に、機内後方から突然白煙が。??? スチュワーデスが補助椅子から立ち上がって、{乗客の皆様!機内に異常が発生した訳でも 何でもないので心配しないで下さい}と言っているように聞こえました。 それを聴いた乗客はほっと胸をなでおろし我に帰ったようです。 それにしてもあの白煙はなんだったのでしょうか? 14時に無事カンクン国際空港に着きました。
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キューバ
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ハバナ旧市街に日本人の支倉常長(はせくら つねなが)の銅像がありました。 仙台藩の伊達政宗の家臣だった支倉常長は、1613年政宗の命令で慶長遺欧使節となり、 船で大洋、大西両洋を横断し、スペインに入りそこで洗礼を受ける。そのあとローマでローマ 法王パウロ5世に会い謁見し、スペインとの貿易交渉をしたが失敗に終わったそうです。 銅像を囲むように日本の古くからの伝統の写真を、みかげ石に貼り付けた衝立が立っていました。 七夕、お神輿、鳥居、それにこけしです。 ヨーロッパに約2ヶ月半滞在して帰国した常長は、キリスト教に改宗した彼をを喜んで迎える者は 誰もいなく2年後に不運のなかに没したとのことです。 そのあと、華人街のゲートをくぐって中華料理を食べに行きました。 ゲートをくぐって少し歩くと、中国語の看板を掲げたレストランが10店くらいある中華街に出ます。 中華街の1番奥の店に入ってビール(缶ビール小缶)を頼みます(3CUC)約300円。 焼きそば(6CUC)約600円。 チキン入りスープヌードル(7CUC)約700円。 ギョーザ、春巻きも食べましたがいずれもリーズナブルな料金で食べられました(*^_^*) キューバには世界各国のレストランがありますが、中国レストランが1番安いようです。
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旧市街にある革命博物館。 コロニアル様式の建物は元は大統領官邸だったものを、博物館に改装したとのことです。 館内には革命関連の写真や資料、武器の他にゲバラコーナーも設けてありました。 裏の広場にはカストロが政府軍の船を沈めた戦車が展示されています。 同じく広場には戦闘機が。 制服を着た軍人のような人が、団体で見に来ていました。 ミサイルもありました。 そのほか革命戦争に使った武器や車が展示されています。 1956年11月25日の未明、パチスタ政権を倒す為にメキシコからキューバに密航した際に 乗ってきたヨット(グランマ号)がガラスケース内に展示されています。 警備員がいて近づいて見ることができませんでした(^0_0^ この小さなヨットに、ゲバラ、カストロの他に80名の同士が乗って来たのだからビックリです。 沈まなかったのが不思議なくらいです。 近くにの建物には革命家幹部3人の顔が描かれています。 革命博物館のならびにあるのが、国立美術館。
コロニアルアート、現代アートの他にキューバ人作家によるモダンアートが展示されています。 |
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フエルサ要塞。 1555年〜最初は木造だったが、フランスの海賊に襲撃されて焼失し、今の石造りの要塞 となった。 運河に停泊してる軍艦乗り場には、現地のキューバ人が列作っていました。 プンタ要塞。 錆びた大砲がずらりと並んでいます。 要塞広場にはマキシモ・ゴメス像。 1869年ドミニカで生まれて、キューバに亡命した独立革命指導者。 床には、鉄製の要塞見取り図。 これは錆びてないので、たぶんステンレス製だと思います。 プンタ要塞の下には海底トンネルがあって、ここが入り口です。 海底トンネルをくぐると運河を抜けてモロ要塞に出ます。 運河の切れ目はメキシコ湾で、その先端にモロ要塞があります。 1762年イギリス軍がモロ要塞を襲撃、1年間に渡って立てこもりハバナはイギリス領となり、 1年後スペイン政府はフロリダと引き換えにここを取り返した。 メキシコ湾にある堤防に激しく波がぶつかっています。 波打ち際のはるか先には、新市街の町並みが見えます。 運河沿いはおだやかで、まったく波が立っていません。
運河の先には、カバーニャ要塞が見えます。 この要塞にはゲバラ博物館もありますが行きませんでした。 |
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旧市街の旧国会議事堂前のバス停から市バスに乗って、新市街があるべダード地区に行 ってきました 革命広場。 毎年1月1日と5月1日にはカストロ議長の演説があり、数十万人の国民がこの広場を埋め尽 くすとのことです。 広場を囲むように共産党本部(カストロ前議長のオフィス)や政府関連の建物が建っています。 革命広場の内務省建物には、チェ・ゲバラが描かれています。夜になるとネオンに明かりが 点灯します。 アルゼンチン生まれの異邦人ゲバラは1959年カストロ兄弟達と、アメリカ寄りのパチスタ 政権を倒し革命に成功しています。 しかし、革命戦士ゲバラは1967年にボリビア山中でゲリラ戦を展開していたが、ボリビア軍 に摑まり39歳の若さで、ボリビア政府軍に射殺されてしまったのです。 郵政省の建物にはカミーロ・ロシエンフェゴスの顔が。 カストロ、ゲバラと供にキューバ革命を主導した人物です。 カストロ、ゲバラは富裕層であったのに対しロシエンフェゴスは庶民階層出身として知られて います。 背後には、キューバの英雄ホセ・マルティ記念博物館があります。 1868年の第一次独立戦争に16歳で参戦。1895年に革命党を結成し、第2次戦争を指導 したキューバの英雄です。 109mの星型の搭には、ホセ・マルティが遺した写真、自画像、原稿の複写や銃が展示されて います。彼が革命家であり、詩人であったことを改めて思い知りました。 革命広場を後にして、ナポレオン博物館に足を向けます。 この家の主だったオレステス・フェララ氏は、20世紀初めのサトウキビ農園王だった人で 儲けた何億という金を費やして、ヨーロッパからフランス帝国時代(ナポレオン等)のコレク ションを買いあさったが、1959年に革命戦争が起きると、全てのものを置いてアメリカに 亡命してしまったとのことです。 ナポレオン博物館の少し先にはハバナ大學があります。 ハバナ大學付近の町並。 通りの民家の塀に描かれたチェ・ゲバラとカミーロ・ロシエンフェゴスの絵。 ショップの店頭にもチェ・ゲバラのTシャツが売られています。 おみやげに持ってきたチェ・ゲバラのコインと紙幣。 上の紙幣がCUC3ペソ(外国人用)と下の紙幣がCUP(キューバ国民)3ペソ。
右のコインはCUP(キューバ国民)3ペソ。 |

あけおめよろ





