ミハエル・シューナッラ…カートレースでのハンネです

ご訪問ありがとうございます。クルマと洋楽とカープと汽車についてアツく語っているお部屋です♪くれぐれも火傷しないように…

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みなさんこんばんは♪
少しずつ、ごく少〜しずつではありますが、腰ヘルニアの痛みが序々に快方に向かい、ようやく自宅パソコンにあぐらをかいて対峙できるようになったシューナッラです
とは言え、1日中仕事していると午後にはさすがに左足が痛んできて、30分座って仕事我慢しきれなくなって図書室に隠れて10分間横たわる20〜30分座るまた寝る…というのを3回・4回ほど繰り返してしまいますが・・・。少なくとも悪化方向には向かっていないので、このまましばらくジッと辛抱したいと思います。
 
というわけで、しばらくの間中断していたWRC(世界ラリー選手権)マシンのレプリカ・コンテスト記事を再開します 東京モーターショーからはもう5ヶ月が過ぎようとしていますし、最近は腰痛のお話しとこのモーターショー記事ばかりで、特にクルマの話は長くてマニアックで、もう食傷の極みとは思いますが、お付き合い頂けたら幸いです
 
去年12月の東京モーターショー、会場入口手前で開催されていたWRCマシンのレプリカ・コンテスト。
前回は悲運のグループBマシン、イタリアのランチャ・デルタS4を取り挙げました
 
’86年ツール・ド・コルス(フランス)での、ヘンリ・トイヴォネンの大事故をきっかけに終焉を迎えたグループB。翌’87年からはより改造範囲の狭いグループAをトップクラスとして開催される事となりました。
最大のライバルだったプジョーが撤退し、いち早く4WDマシンを持ち込んだアウディもなぜかグループAには及び腰・・・。のちに日本車が続々と戦いを挑むも、それらをことごとくはねのけて何と6年もの間世界チャンピオンを獲得し続けた栄光のマシンが、ランチャ・デルタ・インテグラーレ
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’90年からWRCの虜になったシューナッラにとって、当時最強だったこのデルタ・インテグラーレは羨望の的・特別な存在でして、長いWRCの歴史の中にあってもひときわ輝く伝説の名車であります
何と言っても『6年連続世界王者』いうのは、あのミハエル・シューマッハのフェラーリF1でさえ成し遂げられなかった金字塔なのですから シューマッハの乗ったフェラーリのF1マシンだとか、最新のフェラーリ新車と3台並べて、『あげるよ。どれほしい?』言われたら、何の躊躇もなくこのデルタ・インテグラーレにします。そのくらい、イタリア車の中でも群を抜いて印象に残っているクルマです。
 
この画像はデルタ・インテグラーレの最終バージョン、エボルツィオーネ。’92年にユハ・カンクネン(フィンランド)とディディエ・オリオール(フランス)2人のドライバーを擁し、連続6度目のタイトルを収めました。
見るからにモンスター然としていたグループBのデルタS4に対し、外観(だけ)は市販バージョンと同じ。とは言え、幅広のタイヤを収めるべく大きく張り出したオーバフェンダや、これでもかとばかりにバンパへ設けられたエンジン冷却用の通風孔など、普通の乗用車とは明らかに異なる、並々ならぬオーラを醸し出しています。
ここでのカラーリング組み合わせがまた曲者で、クルマ自体は’92年バージョンなんだけど、青と水色の曲線の入り方は’91年のインテグラーレ16V。しかもランチャのマシンと言えばまず白地のところ、あえて’89年のサンレモ・ラリー(イタリア)で1戦だけ赤地にしたのをレプリカしているという、相当なWRCヲタクでもない限り絶対気付かないマニアックぶり
 
ちなみにエボルツィオーネになる前の年、’91年のインテグラーレ16Vってこんな感じ 
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で、’89年サンレモでインテグラーレが16Vに進化して、デビューした時のカラーリングは…
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タイトルスポンサー『マルティニ』(イタリアのベルモット(という洋酒の一種)ブランド)と赤地から、WRCファンからは通称『赤マル』と呼ばれています。 (赤のマルと言っても、カープの背番号63・丸のことではありませんよ
せっかくランチャ/マルティニのお膝元・イタリアでデビューしたというのに、マルティニから『赤ベースだとウチのブランドロゴが目立たない!!』と苦情が入ったようで、赤マルはこの1戦だけでお蔵入り。次戦からはまた『カンクネン 悲願の1000湖制覇!』のような白地に戻りました。
 
この3者を絶妙に織り交ぜた、1枚目のレプリカマシン。
ふとエンジンフッドに目をやると……
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な・な・なんと、その’89年サンレモで『赤マル』をデビュー・ウィンに導いた、ミキ・ビアシオン(イタリア:’88・’89年のドライバーズチャンピオン)のサインが燦然と輝いているではないですか これはもうとんでもないお宝、紛れもない骨董品・重要文化財ですよ 何と言っても、イタリア人がイタリア車を駆って地元イタリアのラリーに勝利した、そのご本人の直筆サインなんですから!!!
 
ちなみに、’92年のカラーリングはこんな感じ 
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も少し拡大してみると…
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モト冬樹みたいなおっちゃんがディディエ・オリオール。20年前からすでにハゲていた頭、今も昔も全く変わってないですね〜
ランチャには’89年から’92年まで在籍。このエボルツィオーネを駆った’92年は圧倒的な勝率でドライバーズチャンプをほぼ手中にしていたものの、最終戦・ロンバードRACラリー(イギリス)でエンジントラブルでリタイヤ、残念ながら王者にはなれず。2年後の’94年にトヨタ・チームでようやく王座に輝きました。
 
インテグラーレやビアシオン、オリオールへの興奮はさておき、このあたりで落ち着いて稀代の名車ランチャ・デルタ・インテグラーレについて軽く語ってみます。(「軽く」で済むのかオイ!?)
’86年までのグループBからグループAに移行した’87年。改造が許される範囲が相当に狭まった関係で、参戦メーカーの陣容は大きく変わりました。それまでは、例えばFF・ターボなしの市販車を大胆に改造して、ミッドシップ4WDのターボを仕立てて参加できていたのが、’87年からはエンジンの搭載位置や駆動形式は市販車と同一でなければならなくなったのです。
当時WRCで隆盛を誇っていた4WDターボも、市販車ではまだほとんど例がなく、グループAへ参戦するには同型車を5000台量産しなければならない、という規定がメーカーにとっては大きな足かせとなりました。
’86年グループBのチャンピオンに輝いたプジョーがこの年限りで撤退したのは、まさしくこの規定の為…。地元フランスでは道路が100%舗装されている(=2WDで充分こと足りる)うえ、自動車税が日本とは異なりエンジンの排気量ではなく、馬力の大きさによって決められている(=ハイパワーになるだけ税金がかかってムダ)関係で、彼らの市販車ラインナップには、4WDターボのクルマがなかったのです。
ラリーの老舗・(アメリカではなくヨーロッパの)フォードも同様に、『5000台量産』の規定面からFRのシエラで戦わざるを得なくなり、当然のことながら戦力はダウン。技術面での試行錯誤もあって、シエラが4WD化されたのは3年半も過ぎた’90年の後半でした
 
そんな中、市販車で4WDとターボというかっこうの持ち駒を備えていたのがランチャ。この2つを急遽組み合わせたデルタHF4WDをデビューさせました。
グループAに移行した’87年、他の主だった参戦メーカーは前述のフォード、それにアウディとマツダ。アウディはなぜかそれほど注力せず、マツダはファミリア(海外名323)の4WDターボというWRC向きなマシンで参戦するも、デルタの2Lエンジンに対しファミリアは1.6Lと、パワー面で致命的なハンディを負っていました。舗装路では速さを見せるルノーやBMWも、FFやFRではさすがに限界があり、未舗装路ではデルタの敵とはなりえません。
かくして’87年は圧倒的な強さでランチャがチャンピオンに輝きます それはまるで、ライバル・プジョーが車両規定違反した・しないのすったもんだ、政治的抗争の挙げ句プジョーにチャンピオンをさらわれてしまった、前年の鬱憤を晴らすかのようでした。ここからランチャ・デルタの怒涛の6連覇が始まるわけです
 
その強さは翌’88年も変わることがありません。満点と言っていい盤石の内容で王者に。
ただこの年、一つの胎動がありました。
トヨタが前年のスープラ・ターボ(FR)に代えて、セリカ・ターボ4WDで本格参戦を果たしたのです
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(この写真、何とも懐かしい’90年のサファリ・ラリー(ケニア)のもの。46歳だか47歳という、WRC史上最年長でこのラリーを制した、ビヨルン・ワルデガルド(スウェーデン)の雄姿)
 
セリカが参戦し始めた’88年、’89年はランチャの牙城を崩すまでにはいかなかったものの、後を追うように続々と日本車がWRCに参戦し始めます。
’90年前後は日本車が急伸長を見せた時期で、例えば日産スカイラインGT−R(R32型)やフェアレディZ(Z32型)、トヨタ・セルシオ、ホンダNSX、ユーノス・コスモ、ユーノス・ロードスター、マツダRX−7などなど、世界に誇るべき名車が誕生しました。この流れがWRCにも押し寄せたのです。
 
セリカからほどなくして、三菱ギャランが
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’90年のサファリからはスバル・レガシィ
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マツダも、’90年の後半・1000湖ラリー(フィンランド)で1.8Lエンジンの新型ファミリアをデビューさせます
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日本車だけではない。FRのシエラで不遇をかこっていたフォードも、マツダ・1.8Lファミリアのデビューと同じ’90年の1000湖でようやく4WD化
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と、’88年から’90年にかけて、WRCに闘いを挑むメーカーが続々と現れ、ランチャへの包囲網が形成されます。
特にトヨタとの戦いは熾烈を極め、’90年と’92年にはカルロス・サインス(スペイン)の駆るセリカにドライバーズチャンピオンを奪われますが、メイクス(参加チーム/メーカー)部門では前人未踏の6連覇(’87〜’92)を達成しました これは、’70年代から継続参戦して積み重ねてきた経験がものを言い、開発や現場でのサービス体制が他チームとは較べものにならない充実ぶりだったのが大きい。彼らの統制が取れた働きぶりや、圧倒的な物量作戦は、当時の映像を見ていても他チームを明らかに凌駕していましたから。
 
ドライバーのラインナップもまさに盤石。
前述のカンクネン(’87、’91王者・他にもプジョーで’86、トヨタで’93王者)やオリオール、ビアシオンに加え、アレッサンドロ・フィオリオ(イタリア:このランチャチームやF1のフェラーリで監督を務めたチェザーレ・フィオリオ、の息子)、ブルーノ・サビー、イヴ・ルーベ、グスタボ・トレレス、アンドレア・アギーニなど…。まさにそうそうたるメンバーで、いまのプロ野球ふうに言えば、虚人とソフトバンクの打撃陣に、投手は中日とダルビッシュとまえけんとマー君が組んだみたいな、そんな凄味を感じさせたものです。
(※:ランチャを語るにあたって、この人は絶対外せない!!という重要なドライバーが実はもう一人いて、シューナッラ的にはその人を誰よりも尊敬しているのですが、あえて後述する事にします。)
 
 
……と、ここで大変申し訳ないのですが、どうやらこのあたりで5000文字制限を超えてしまうようです
この続きは『…のつづき』で。。。本当に長すぎてスミマセン

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はじめまして。このたびはBLOGに掲載いただきありがとうございました。オーナーがPRしたいポイントをすべて記述していただいているのでニンマリしてます。 今度どこかでお会いした時には、ぜひともお声掛けください。

2012/7/7(土) 午前 9:13 [ mar*i*idel*ajp ]

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mar*i*idel*ajpさん はじめまして。
コメレスが遅くなってしまい、申し訳ありません。
まさかオーナーの方からコメントを頂けるだなんて!と、嬉しい驚きです。勝手に撮影して記事に載せてしまって、ほんとスミマセン・・・。
mar*i*idel*ajpさんのおクルマ、あの時に集結していた中では群を抜いて素晴らしい仕上がりで、すごく感動しましたよ♪特にビアシオンの直筆サインには、デルタS4もかくや!?というくらいの興奮を覚えました。

2012/7/11(水) 午後 0:47 [ ミハエル・シューナッラ ]

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私、レガシィが’90年のサファリからWRCに参戦し始めたのをきっかけにスバリストになった関係で、マルク・アレンに心酔していまして。そういう意味ではカンクネンがいたり、ビアシオンやアレッサンドロ・フィオリオのチームになってしまったり(イタリアのチームだし仕方ないのかも知れないけれど…)、オリオールが急成長を見せたり、どんどんアレンの肩身が狭くなっていった時期なので、グループAのデルタに対しては少々複雑な思いもしていまして・・・。
それだけに、アレンとトイヴォネンやロールのラリー037、デルタS4時代をリアルで体感したくて、そこが残念に思えてしまいます(ToT)

…ああっ!話がすっかりグループAデルタから逸れてしまってすいませ〜んm(_ _)m
トラブルが多いという話も多く、維持が大変な面もあるとは思いますけど、ランチャ・デルタ・インテグラーレは類稀なる名車に間違いないので、ぜひこれからも大事にお乗りくださいね♪
どこかのミーティングでお会いできるのを、楽しみにお待ちしています(*^o^*)
コメント ありがとうございました!!

2012/7/11(水) 午後 0:48 [ ミハエル・シューナッラ ]


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