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「言葉を憎んでよいのか。あの日以来、言葉が揺れ続け、言葉が怒濤となり、我々に襲いかかり、
言葉が汚染し、漂っている。言葉を恨んでよいのか。」
書評『幸福論』アラン著/神谷幹夫訳(読売新聞 評・松山巖(評論家・作家))
http://bit.ly/hBT162
『幸福論』を読んで感じいったわけじゃない。
この書評の冒頭の一文に、自分も同様に感じていたことをいい当てられてしまったんだ。
この震災を契機に出会った「言葉」とは?
作家が出会ったその内容は知るべくもないが、
あの日以来、新聞、TV、ラジオ、ネットなどから発せられる言葉の数々は
あきらかに震災がなければほとんど出てこなかった、あるいは出会えなかったであろうもの。
自分の発した言葉も含めて。
不安、恐怖、怒り、慰め、嘲笑、批判、反発、悲しみ、希望・・
なんであれ、人間ってのはその言葉と対峙した瞬間、
なんらかココロの中で格闘するんだな。
さしづめ今現在はバトル・ロワイヤルってとこだろう。
時には味方、時には敵、時にはニュートラル、時には逃げ腰、時には退散・・
でもバトルと違うのは最後の勝者などないってことだ。
つまりこの格闘はこれ以降我の中で死ぬまで続くんだ。きっと・・
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