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昨日の夜、「情熱大陸」という番組に、
中部大学の武田邦彦さんという方が出演されていました。
武田さんは、原発の専門家であり、
約2年前に出版された「偽善エネルギー」という著作で、
すでに、「原発は地震で崩壊する」ことを指摘されていました。
当時は、世間一般の人たちだけでなく、
原発の専門家も、「そんなことが起こるはずはない」と一笑に付し、
大方の人が、彼の指摘を信じようとはしなかった。
かくゆう僕自身、この著作自体、知りませんでした。
武田さんは、長く研究されてきた分野が、「原子力エネルギー」だったため、
必ずしも、「原発」を全否定されていないけれども、
もし、それが一般市民に危険を及ぼすものなら、
絶対に使用してはならない、と断言されています。
そして、今回の事故が起こった。
…
番組での「原発問題」に関する武田さんのご指摘については、
彼のブログで少し勉強していたので、概ね理解できましたが、
原発とは少し離れたところに、僕は興味を持ちました。
それは、武田さんが、こんな主旨のことを言われていたことです。
「僕は、いかがわしいものが好きでね。
僕の著作が、読者のみなさんに、『いかがわしい』と思われるのは、大いに結構。
真実とは、むしろ、多くの『いかがわしさ』の中に散在しているものだから。」
武田さんの言う「いかがわしさ」とは、「自明とされる物事に疑問を持つ」
ということだと解釈しました。
「原発」で例えるなら、極めて単純な真理です。
「日本の原発は、絶対安全だ。何があっても、倒れるはずがない。」
「ほんとうか?」
ただそれだけの「疑問」です。
けれど、武田さんは、この素朴な疑問から出発して、
すでに2年前から、「原発は震度6の地震で倒れる」ことを突き止められていた。
でも、誰も「いかがわしい」と断じて、彼の警鐘を信じようとはしなかった。
このことは、アメリカの作家、レイチェル・カーソンが、その著書「沈黙の春」で、
早くから、農薬などの化学物質が人体や環境に与える悪影響を指摘していたが、
当時はあまり注目されず、四半世紀を経て、彼女の警鐘が、
おおむね真実であったことが解り始めて、漸く注目されることになったことに、
酷似していないだろうか。
言うまでもなく、軍国主義を突き進んだ第二次大戦前夜、
1920年代から30年代にかけての、この国の姿とも…
”真実を言う者”は、大抵の場合、現在進行形の中では、疎まれ、怪しまれる。
そして、”真実”は、四半世紀後に、ふと訪れる。
そんな思いを拭えません。
…
ある作家が、こんなことを書いています。
彼が、カフェでコーヒーを飲んでいる時、
盲導犬に引かれて、男女4名の視覚障害者の人たちが、そのカフェに訪れた。
席はまばらに空いていたが、生憎、4名がゆったり座れる席は空いておらず、
店員に体よく断られ、彼らはしずしずと店を立ち去る。
飲みたかったコーヒーも飲めずに。
なにも問題は起きなかった。
誰にも殊更の悪意はなかった。
カフェには言わば、「無言の諧調」だけがあった…
なぜ、誰も「席を譲りましょう」と言わなかったのだろう。
怠慢か。たぶん、それだけではない。
その場の「諧調」を保つために、みな無意識に、自分の「個」を殺したのだ。
この国ではいつもそうだ。
「私たちは、相席をして、この人たちに席を譲りましょう」
と立ち上がって、大声で言えない、あるいは、言わせない、
くぐもった空気が常にある。
若者が「空気が読めない人」と揶揄したりする。
優れた「個」の表現には、しかし、
空気をあえて無視した、しばしの乱調がつきものだ。
私も言いだせずに、盲導犬を見ていた。
その場で、大問題が出来(しゅったい)していたにも関わらず…
…
番組の最後で、武田さんが言われていたことが印象的でした。
「今回、一番問題だったのは、原発がほんとうに安全かどうか、
誰一人知らないのに、原発を推進したことだ。」
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