たいまつ

体調不調により、ブログをお休みします。

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ヤーマン!




三宅洋平です(笑)。

 
前回の記事は、人に何かを伝えようとする姿勢が皆無であったにも関わらず、
貴重なお時間を割いてまで、長い動画に最後までお付き合い頂き、
ナイスやコメントを寄せてくださった皆様、ほんとうにありがとうございました♪
そして、不躾な書き方をしてしまい、すみませんでした。
 
なので、今回の動画は、どこか途中をクリックして、1分間だけ視聴され、
その先が聴いてみたい、もしくは、最初から観てみたいと思われた方だけ、
寝ようとしているのに、あと1時間は眠れそうにないと思われた方だけ(笑)、
動画のどこかを、ポチッとしてくだされば幸いです♪
 
僕も、「政治的話題」は、この国の「政治」が余りにもつまらないので、書きたい衝動もなく、
あまりコミットして来なかったのですが、三宅さんの動画を観て、思い直しました。
 
今回ばかりは、や・べ・え・ら・し・い」と。


 
国民主権、民主主義、基本的人権、個人の尊厳、国防軍の創設、
「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」の違い、あの戦争時のように天皇を国家元首へ、
そのための国家緊急事態発動権…


僕は、これらのことを、むしろ、自民党、公明党、おおさか維新などの「改憲勢力」を
支持している人たちと、緩やかに対話できることを望みます。


 
個人的なエピソードを、ひとつ。
「介護の世界」で働いていると、例えば、創価学会など、様々な宗教団体に所属している
多くの人たちと触れ合う機会が多いです。
だから、勧誘も、すさまじい(笑)。


なぜなのかと言うと、ただ「生きる」、或いは、そのために「呼吸する」という
素朴なことさえ苦痛であるために、何かすがるものがないと、自らの生を支えられないほど、
彼や彼女は、不運と呼ぶにはあまりに酷なその理不尽に、追い詰められているからだと思います。


例えば、全盲の人たち、肢体不自由な人たち、重度の認知症を患っている人たち、
手や足がない人たち、精神に障がいを負っている人たち、寝たきりの人たち…
 
けれども、彼や彼女と直に触れ合ってみると、濁りない清純さに、こちらの不純を
自覚しなければならないほど、心が綺麗で美しい人たちが多い。
そして、その、彼や彼女の繊細な優しさに付け込んで、巧みに「政治利用」している最たる例が、
例えば、公明党の山口党首のような、狡猾な政治家たち。


 
今、三宅洋平さんの「選挙フェス」を巡って、様々な妨害行為が公然と行われています。
例えば、彼らのメッセージが、広く拡散しないよう、ツイッターやフェイスブックが、
「何者か」によってブロックされ、「多くの人たちにシェアされない事態」が進行しています。
 
少し脱線すると、「皆様のNHK」なんて、「安倍様のNHK」どころか、
何十年も前から「国家権力のヨイショ放送局」であることは、
元「クローズアップ現代」のチーフプロデューサーであった永田浩三さんの著書である、
「NHKと政治権力」(岩波新書)に描かれている“内部告発”を知るだけでも、歴然です。
 
因みに、この本の中では、2001年のスペシャル番組で、「従軍慰安婦問題」を取り上げようとした
永田浩三さんたちのチームに対し、現総理大臣である安倍晋三氏が中心となり、
NHKの上層部を自分らのエリアに呼びつけて、「従軍慰安婦など存在しなかった」と恫喝し、
結果、その番組が大幅に改変され、「元慰安婦の人たち」の存在が消されていく過程が、
“当事者ならではの生々しさ”で、克明に描かれています。
 
騙されないでください。
 
 
話しを戻します。
三宅洋平さんや山本太郎さんたちは、それでも怒らずに、彼らを許そうとしています。
あの手この手で、融和で親和な知恵を駆使して、「妨害」や「脅迫」を乗り越えているからこそ、
彼らの表情からも、心の中にさざ波一つ、立ってはいないことが窺える。
そもそも、そのように些末な事どころか、真っ向、対峙しているはずの「安倍政治」でさえも
「これまでのことは許そう」と、三宅さんは主張している。
 
そして、常に「命の危機」に晒されながらも堂々と、文字通り、命を賭して、
「否定」や「批判」だけではなく、その先にある「自らのビジョン」を、
冷静に、クリエイティブに、そして優しく、僕らに語りかけてくれている。


 
今回ばかりは、や・べ・え・ら・し・い」という、三宅さんのヤバい訴えが、
なぜ、僕の心には、サラサラと流れ込むように無理なく浸透するのだろう。
 
三宅洋平さんの主義主張以前に、彼の顔つきや眼差し、或いは、発声などに、
「人としてのまっとうさ」を感じるのは、僕だけだろうか。
彼の“語り”が、他のどんな政治家の言葉よりも、生き生きとして聴こえるのも、
僕の判官贔屓のせいだからだろうか。
 
「素顔の三宅洋平」を形作るそれらの要素に魅力を感じるのは、それが、
「選挙の時のためだけに取り繕われたペルソナ」ではなく、
とりとめのない日常の、一コマ一コマにおける主体的な選択の積み重ねに根差したものであり、
日々の瞬時における能動的なチョイスや判断が、外へ向けては心広く開かれていて、
内へ向けては良く咀嚼され、内と外との融合が、素敵にコーディネートされたものだからだと僕は思う。
 

彼の心は、とても繊細で、温かな方へ小刻みに震えていながら、実は、とても頑丈。
つまり、「強さと優しさとが、ひとつの心に無理なく共存している」。
 
そうあれるのは、恐らく、細やかで傷つきやすく、人のみならず、あらゆる生命やまるごと地球に対して、
どこまでも優しい彼の感性が、究極には「赦し」の精神に向かっているからであり、
「赦す」ことは、「人を信頼する」ということであり、
「人の可能性を信じ切ることのできる人が、人を恐れるはずはない」という、
必然の帰結に支えられているからかもしれない。
 
↑ここは、説教臭くなったね(苦笑)。

そして何より、三宅洋平さんは、「主張」よりも「受容」の人だと思う。
「良く聴く」ことができるからこそ、人は「良く語る」ことができるのだと思うから。


 
…などと持ち上げつつも、僕自身当然、三宅さんと価値観の異なる所もあり、
例えば、2年前の沖縄県知事選挙で、現職である「翁長雄志」沖縄県知事ではなく、
歌手で政治家の喜納昌吉さんを応援されていた事は、個人的に、“らしくない”と思っています。
 
けれども、騙されないでください(笑)。
 
過ちのない人間など、言うまでもなく、この世に一人も存在しはしない。
三宅洋平さんや山本太郎さんの些細な揚げ足取りではなく、もっと見るべき
彼らの愛を、勇気を、誇りを、心ときめくビジョンを見据えた志を、
僕は信じ切り、それらのことを、心から讃えたいです。


 
今、現在、福島で起きていること。
僕らの税金のゆくえのこと。
地球環境が、明らかに変調を来していること。
「自民党改憲草案」が、ギリギリ寸前まで、“やべえらしい”こと。
改憲勢力に勝利を許したら、“彼ら”は、間違いなく「やる」であろうこと。


やられてしまえば疑いなく、素敵な記事で僕の傷んだ心身を癒してくれている
皆さんのブログの中での自由な発言や、“素敵”が生まれる現実ライフでの法に則った自由でさえ、
「彼らの法」に則って、順調に平和裏に奪われて行くこと。
否、実はもう、僕らの脳内ではすでに、8割がた奪われていること。


本当のことを言っているのは、一体、誰なのかということ。
 
そして、微力な個人が、巨大な組織に立ち向かうための、果てしない勇気や覚悟やしんどさと、
そのために流した、人知れぬ涙…


 
もし、これらのことに、少しでも興味を抱かれ、皆様の貴重なお時間を、「1分」、
この場へ費やして頂けたなら幸いです♪
 
この国の政治の有り様や、どこの政党が云々…ではなく、
ひとりの人間が、今を真剣に生きている姿」と、
「三宅洋平や山本太郎を、一人にさせてはならない」という
僕個人の思いを伝えたい一心で、身体のキツさでヨレヨレになりながらも、
今宵、僕なりにがんばりました(笑)。
 


でも、ホントはネ…


日々の酷使で、「身体中が、いてぇ!」と、町のど真ん中で泣き叫んだら(笑)、
百人くらいの見ず知らずの人たちが、どれひとつとて同じではない個々の主体的な意思を携えて、
「ひとつの弱い存在」へ向けて、駆け寄り集ってくれるような世の中を夢見て…
 





 





(ここへ挿入していた写真は、煩わしいので消しました。)





 






 

※参議院選挙が終わるまでは、拙写真と音楽とのコラボも、封印しようと思います。









 

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