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昨日、そぼ降る雨の中、次の訪問介護の時間を待つために、
僕は、とある小さな公園の軒下で雨を凌ぎながら、
目の前にある植え込みの中に小さく揺れる、
幾枚かの赤茶けた枯葉を、ぼんやりと見つめていた。
もうほとんど命の宿らない、風景の中の骨のような寒々とした枯れた葉っぱなのに、
眺め続けていると、命眩しい新緑の輝きを見るよりも、なぜだか不思議に心が落ち着く。
運命に殉ずる無様な姿を、あけすけに人目に晒す、潔い痩せた枯葉の心意気に、
自分には、そうはできないゆえの憧れを抱いたからかもしれない。
そんな僕のちっぽけな忖度さえ意に介さず、深々としたしじまの中で、
折りからの雨に打たれながらも、葉はひっそりと、潔く在り続けていた。
ある時、その人は、潔く言った。
「今の私の身体は、幼子のように痩せ細り、35㎏くらいしかありません。」
僕は不遜にも、その言葉に、慎ましく控えめでありながら、
ほんらい拡散せず、小さく凝縮していることが至当な、
“凛々しい”という言葉とその意味を重ね、
そのサイズを、「彼女に相応しい」と、好もしく思った。
日が当たり、眩しく輝く新緑のように脚光を浴びることもなく、
むしろ、枯葉のように「浴びることから無縁でいたい」ような気配さえ、
その人の紡ぐ端正な文章からは感じられ、そんな彼女の「忘れられたさ」に
却って、強く惹かれもした。
そして、「今の時代」を憎しんでおられたけれど、自らは決して誰をも憎しまず、
その憎しみが、平然と弱者の心を踏みにじる者たちへの怒りと、
踏みにじられた人たちの悲しみへの慈愛や共感に根差すものであったことを、
僕を含む彼女を知る、誰もが知っている。
「時代」は、また、ひとつの偉大な良心を失った。
すなわち、つい先日、彼女の訃報を知りました。
愛、優しさ、真心、誠実…
僕たちは、もうとっくに、「言葉に見放されている時代」に生きているけれど、
ほとんど奇跡的に、広告やCMに安く躍るこれらの言葉に見かぎられることなく、
言葉の意味合いに正しく引き合う「愛や優しさや真心」を、最後の最後まで、
誠実に貫かれた彼女の生涯は、幸せなものであったと同時に、
彼女を知る誰一人とて、生涯忘れることはないでしょう。
時代の喧噪に翻弄されることもなく、雨にも負けない枯葉のように
じっと立ち止まり、心に築かれた静かなしじまの中で、ひっそりと、
”立ち向かうための凛々しさ”を燻らせておられた彼女の存在じたいが、
これから先に訪れるであろう困難な反時代への、希望であり指標であり、
僕らの時代に刻印された、忘れ得ぬ墓標のように…
彼女が、僕らに残してくれたブログのアドレスです↓
P.S
他人には、決して弱音や愚痴を言われない、真から心の強いお人でしたが、
日々、蝕まれて行く病への恐怖や痛み、或いは、
残されるご家族の将来や、日本や世界の不穏な行く末の事などを、
寡黙に一人で背負い込み、どれほど心を痛めておられたことでしょう…
どうか、どうか、天国では、いつまでも安らかに…
この曲と拙写真を、我が最愛の友でいてくださった、
Alf.momさんへ捧ぐ―
..:。:.::.*゜ .+:。(*´ェ`*)゚.+:。 ..:。:.::.*゜
時代
詞/曲:中島みゆき
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今はこんなに悲しくて
涙も涸れ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど…
そんな時代も あったねと
いつか 話せる日が来るわ
あんな時代も あったねと
きっと 笑って話せるわ
だから今日は くよくよしないで
今日の風に 吹かれましょう
まわる まわるよ 時代はまわる
喜び悲しみ 繰り返し
今日は 別れた恋人たちも
生まれ変わって 巡り会うよ
旅を続ける 人々は
いつか 故郷に出逢う日を
たとえ 今夜は倒れても
きっと 信じて ドアを出る
たとえ 今日は果てしもなく
冷たい雨が 降っていても
めぐる めぐるよ 時代はめぐる
別れと出逢いを繰り返し
今日は 倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩き出すよ…
まわる まわるよ
時代はまわる
別れと出逢いを
繰り返し
今日は 倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩き出すよ
今日は
倒れた旅人たちも
生まれ変わって
歩き出すよ…
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