たいまつ

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2016年05月

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500マイル





その日は、いつもより体調が悪く、悪い分だけ、早めに車を走らせた。
“ジョウさん”のお宅に着いたのは、だから、介助開始時刻の10分前のこと。
 
“ジョウさん”とは、僕が「家事援助」を担当する、御年74の男性の利用者さんで、
精神に障がいを持ち、彼に対する僕の役割は、
ジョウさんの家事や掃除のやり方を、上手くサポートすること。
 
車一台がギリギリ止められるジョウさん宅の駐車場に車を停め、
降りた直後に、家の中から、罵声に近い険しい言葉が、
家の外へ漏れ聞こえるほどに轟いていた。
声の主は、御年90を超え、ジョウさんと二人暮らしをされている彼のお母様だった。
 
「そんな恰好で、どこかへ出かけるつもりか!ズボンの裾を引きずって!
ちゃんとした着こなしをしてたら、みんなによしよししてもらえるけど、
そんなだらしない恰好をしているから、いつまでもみんなに注意されるんよ!」
 
それから先の言葉は、全て「沖縄言葉」で語られていたので、
僕には意味が分からなかった。
生粋の沖縄生まれの人たちは、身内だけの時や、本気になった際などに、
自らのアイデンティティーを支えるほどになじみ深い“自分たちの言葉”が、
時に意図せず、口を突くのだろう。
 


気まずい心と重たい身体を引き摺りながら、玄関を開け、
努めて明るい声で、「おはようございます」と、二人の母子へ声を掛けると、
深々と頭を下げたお母様の口から、罵声の代わりに、
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」と、
いつもの優しい言葉が返って来た。
 
そして、表向きは“庭の手入れ”のために、お母様は、そそくさと家の外へ去って行かれる。
けれども、それは、「ヘルパーのやり方に干渉しないためのお母様の配慮」であることを、
僕は知っている。
介助の終わり頃を見計らうようにテーブルに付き、和菓子や季節に合わせた温冷のお茶などを
僕に勧めてくださり、そのお母様の一連の動作が、全くさりげないものであることも。
 


ジョウさんはといえば、片言しかしゃべれないながらも、
ズボンの裾を引きずりながら僕の方へ歩み寄り、
「新聞あるよ」と、同じセリフを、何度も何度も繰り返す。
 
以前、ジョウさんのお宅の物置部屋に古新聞の束があるのを見つけた僕が、
「いつも部屋中が尿だまりで、処置に困っている利用者さんがいまして。
よろしければ、少し古新聞を分けて頂けないでしょうか?」と、
お母様にお願いした事を聞きつけて以来、
「新聞あるよ」は、ジョウさんの、僕への挨拶代わりになった。
 
 
ジョウさんは、複雑な作業が苦手だ。
例えば、「床を拭く」という単一の行為はできるのだけど、「床を、隈なく効率的に拭く」
ことができない。
掃除機も、漫然と動かすことはできても、組み立てや分解は不可能だ。
つまり、「全体を視野に入れ、頭の中で作業の順序を組み立てて実践する」ことができない。
だから僕は、「焦って雑にするよりも、時間を掛けて丁寧にする」ことを、
お母様ほどには厳しくない調子で、それとなく彼に言い含める。
 
だから、たまに、ジョウさんが掃除機の柄の部分を上手く外せた時など、
たったそれだけのことに、僕の心は小躍りする。
かつての公務員時代、会計課に配属された時、札束を高速で数える先輩たちの
華麗な指さばきには、全く心躍らなかったけど。
 
いつだったか、74年間、一度も働いたことのないジョウさんが、
台湾へ旅行した際の記念写真を見せてくれたことがある。
写真の中のジョウさんは、どのシーンでも、ニコリともしていないけれど、
人から「よしよし」してもらえそうなほど、身だしなみは、とてもキレイだった。
 
 
その日の帰り際、狭い駐車場の傍らに設えられた小さな庭をふと見遣ると、
お母様の心を映しているように美しく整えられた庭の片隅に、
野イチゴのような赤色をした実が成っていた。
少し握れば潰れるほどに、儚い小さな粒粒だった。
 
実の色合いは、陽射しのゆくえに左右され、時に濃く、時に淡く、
時の移ろいを、営々と自らに刻んでいた。

その実の色の不確かな移ろいは、
“ため”を思うがゆえの、見捨てない我が子への母の厳しさと、
「新聞あるよ」程度のごく限られた世界に住む人の、精一杯の人への優しさを、
かわるがわるに孕みつつ、定めの中で、定まることなく、もだえているように見えた。
 


風が止み、雲の流れが静止した刹那、
彼らは、本来の“見通す力”を取り戻したのだろうか?
 
老練に熟したことを示す朱色を露わにした”彼ら”実の粒たちは、74年の二人の刻を、
すなわち、二人の母子が、人知れずこらえ続けて来た数知れぬ屈辱や辛酸の刻と、
苦と苦の谷間に、ほんの一瞬、せせらいだ幸せの刻を、
一日も休むことなく見届けながら、触れれば、コロンと鳴りそうだった。












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500マイル
 
詞/曲:へディ・ウェスト
訳詩:忌野清志郎
唄:コバソロ & Akane
 
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次の汽車が 駅に着いたら
 
この街を離れ 遠く…

 
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five hundred miles  five hundred miles
 
five hundred miles  five hundred miles

 
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Lord I’m five hundred miles
 
from my home
 
500マイルの見知らぬ街へ 僕は出て行く…)

 
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ひとつ ふたつ
 
みっつ よっつ
 

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思い出 数えて
 
500マイル

 
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優しい人よ 愛しい友よ
 
懐かしい家よ 

 
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さようなら…



 
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汽車の窓に


映った夢よ

 
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帰りたい心
 
抑えて

 
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抑えて 抑えて
 
抑えて 抑えて
 

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悲しくなるのを
 
抑えて…

 
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次の汽車が


駅に着いたら

 
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この街を離れ



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500マイル…

 

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若者たち




今回は、特別な”物語”もなく、
ただ、「月に4回」の更新を、辛うじてクリアするためだけの記事です(笑)。
なので、「音楽と拙写真のコラボ」だけでも、楽しんで頂ければ(*^^*) 


5月に入ってから、「訪問介護」の仕事が激増したのに伴い、
今週始め頃から、極度の体調不良に陥ってしまい、
仕事のノルマをこなすのが精いっぱいで、
記事を書くどころではなかったのですが、昨日辺りから、
ようやく、少し身体が楽になり始めました。
 
ただ、自分としては、今回の「極度の不調」を、マイナスとしてのみ捉えてはおらず、
これまでもそうして来たように、困難に直面した時、
険しい断崖絶壁に挑む過程で、幾度も無様にずり落ちながら、
それでも頂上を目指すに似た面持ちで、自らを眺めており。
 
今、直面する困難は、踏み止まり、避けては通れぬ壁であり、
この壁を乗り越えた暁には、更なるステージの上に立てるような気がするのです。
それが、肉体の快復ではなく、心にもたらされる何らかの変容であったとしても。
 
                                  
この曲”を、初めて知ったのは、確か、小学校低学年の頃だったと記憶しています。
まだ、何ものをも知らない底なしの不安と自由が、幼心の中でせめぎ合っていたあの頃、
この曲を知った日の夜のお風呂の中で、自然と込み上げてくる熱い思いと共に、
何度も何度も、この曲を口ずさんでいました。
 
この曲に脈打つ何かへ素直に心躍らせた、未だ世界の何ものをも知らない少年は、その後、
いつかのときにその甘さを笑い、いつかのときにその清らかさへ反発し、いつかのときには忘却さえし、
そして、世界と自分の哀しみを幾らか知ったこんにち、この曲に静かな力を感じています。
 
「まだ間に合う」と、背中を押されるように…
あの頃より、弾むほどには踊らなくなった心で…
 









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若者たち
 
詞:藤田敏雄
曲:佐藤勝
唄:Kobasolo
 
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君の行く道は


果てしなく遠い

 
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だのに なぜ


歯をくいしばり

 
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君は行くのか


そんなにしてまで

 
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君の あの人は


今は もういない

 
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だのに なぜ


なにを探して

 
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君は行くのか
 
あてもないのに…

 
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君の行く道は


希望へとつづく

 
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空に また


陽が昇るとき

 
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若者は また


歩きはじめる

 
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空に また
 
陽が昇るとき…


 
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若者は


また

 
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歩きはじめる…


 
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明日への手紙






母の姉が死んでこの病院から運び出されたのは秋だったから、

コスモスは咲いていたはずだ。

いつも物思いにふけっていた彼女のその儚い命と

コスモスの薄く淡い花弁の儚さが重なり合う。

人の生まれる季節も、人が死ぬ季節も、

その人に似合うように仕組まれているのかも知れない。


   
    (藤原新也 著 『日本浄土』 より)
 
 
 



先日、兵庫県の「I町」に暮らす、
母の古くからの友人である「Kさん」が、
長い闘病生活の末、亡くなったという知らせを受けた。
 
亡くなられたKさんは、母と同い年で、二人のご子息も、
僕たち兄弟と同学年であったため、彼女のご家族と僕たち家族は、
遠い親戚よりも、親しくお付き合いしていた。
 
親しい交流があったのは、僕が小学生にあがる直前までの話で、
父の転勤に伴い、それまで住んでいた「I町」から、
現在の実家である兵庫県の「H町」に引っ越してからは、
両家の直接的な付き合いは、ほぼ断絶し、
「弟」同士、仲の良かった「S君」との交流も、ほぼ途絶えた。
 
僕が生まれてから4歳までの記憶なので、
「Kさんご家族」や「Kさんの次男であるS君」と過ごした日々の思い出も、
断片的にしか覚えておらず、ただ、亡くなられたKさんが、
「人にも自分にも厳しく、凛々しい風格を備えた人」という印象だけが、
今でも鮮烈に、脳裏に焼き付いている。
 


「Kさんご一家」は、地方銀行の経営者で、「I町」のように小さな田舎町では、
大富豪として君臨しており、一方、当時の我が家は、文字通り「掘っ立て小屋」のように、
小さくて小汚い教員住宅で、例えば、屋根のトタンは赤錆びていてミシミシと音を立て、
2階へ続くらせん状の階段は、大人二人がすれ違えないほど狭かった。
 
だから、僕は、S君と遊ぶために「K家」の豪邸を訪れる度、
家に帰ってから、よく母を詰問して困らせたものだ。
「ねぇ、どうして僕のおうちは、こんなに狭くて汚いのに、
S君のおうちは、あんなに大きくてキレイなの?」
 
小汚い服装で、何の前触れもなく、S君に会うために、Kさんの豪邸を訪ねても、
一度も拒絶された記憶はない。
どころか、「関係者以外立ち入り禁止」の大事な部屋にも、密かに通してくれたことさえある。
暑い夏場には、必ず、棒状に凍らせた青色の「自家製アイスクリーム」を、
Kさんは、僕の小さな手に握らせた。
 
亡くなられたKさんは、“多くの社員の暮らしを支える立場”としての誇りと風格を
備えていただけでなく、”ひとりの人”としての矜持や品位も確かなものだった。
Kさんは、元来、弱い身体を押してまで、当時、「I町」に、唯一あった、
心や身体に障がいを抱える人たちが通う「作業所」にも、頻繁に出向いておられ、
陰に陽に、この作業所の運営を支えておられたと聞く。


 
Kさんが亡くなる2、3日前、Kさんの容態が急変したという知らせを受けた母は、
Kさんが入院している病院へ駆けつけた。
その時、Kさんは、末期癌で弱り切った手と声の限りを振り絞り、
複雑な間柄で、今も関係がギクシャクしている、二人の息子の手を取って握らせ、
ただ一言、漏らしたと言う。


「仲良く助け合って…」。
 
 
沖縄の今日の空は、うすい青色をしていた。
豪邸で食べた、Kさん自家製のアイスクリームの仄かな青さのように、
やさしい青色をしていた。
きっと、喪失を思わせないように「仕組まれた色」なのだと、僕は自分を励ました。
 
そして、今日もまた、過酷な介護の現場で、
いくらかの愛が、辛辣に、今日の僕をゆき過ぎていった。
記憶に刻まれるには、十分すぎるほどに…
ボロリともがれた幼い記憶の空洞を、あがなってくれるように…











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明日への手紙

 
詞/曲:池田綾子
唄:コバソロ & Akane
 
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元気でいますか。
 
大事な人は できましたか。
 
いつか夢は 叶いますか。
 
この道の先で

 
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覚えていますか
 
揺れる麦の穂 あの夕映え
 
地平線 続く空を探し続けていた

 
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明日を描こうと もがきながら
 
今 夢の中へ

 
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形ないものの輝きを
 
そっと そっと
 
抱きしめて

 
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進むの…


 
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笑っていますか
 
あの日のように無邪気な目で
 
寒い夜も雨の朝も きっとあったでしょう

 
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ふるさとの街は 帰る場所ならここにあると
 
いつだって 変わらずに 
 
あなたを待っている

 
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明日を描くことを止めないで
 
今 夢の中へ

 
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大切な人のぬくもりを
 
ずっと ずっと
 
忘れずに

 
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進むの…


 
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人は 迷いながら揺れながら
 
歩いてゆく

 
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二度とない時の輝きを
 
見つめていたい

 
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明日を描こうと もがきながら
 
今 夢の中で

 
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形ないものの輝きを
 
そっと そっと
 
抱きしめて

 
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進むの…


 
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ふたり



 
アジサイの咲く季節になると、
今でも、頭にこびりついて離れない“あの日”の記憶が蘇る。
 
確か、小学校6年生の時の「美術」の時間でのこと。
当時、他の科目は”からっきし”なのに(笑)、「美術と体育」だけは成績が良く、
僕自身、「絵を描く」という“行為そのもの”が好きだった。
 
その日の「美術の時間」は、担任の先生が、前回の授業の折り、
皆で写生した「アジサイの絵」の中から幾枚かをピックアップして、
「選ばれた絵」について、クラスの生徒で評価を語り合うというものだった。
 
「“良い絵”を見せて、どこがどんなふうに良いのかを、生徒たち自身に考えさせる」
というのが、その授業での先生の主な意図だったと思う。
その数枚の中に、僕が描いた「アジサイ」の絵も含まれていた。
そして、僕は内心、そのことに困惑していた。
 
 
次々に披露される絵が、各々に褒められて行き、
ついに僕の絵が、机の上に、コトンと置かれた。
その音に、僕はドキリとする。
先生は、問うた。
「この絵について、みんなはどう思いますか?」
 
幾人かの生徒たちから、ポツリポツリと手が挙がり、申し合わせたかのように、
彼や彼女はみな口々に、僕の絵を褒めるようなことを言った。
体育祭などのイラスト担当は、必ずと言えるほど僕に任され、
当時の僕は、クラスメイトから「絵が上手い人」と見做されていた。
 
けれども、僕の顔は、もぎたてのりんご色にサッと染まり、
不正がバレた大臣のように(笑)、力なくうなだれた。
僕には、先生の“もう一つの意図”がよく分かっていたし、それ以上に、
誰にも増して、「絵の出来栄え」を分かっていたからだ。
 
僕の「絵」は、“全体”を見ず、花びら一枚という“部分”にこだわり過ぎたため、
一次元のように単調で、アジサイらしい柔らかな雰囲気がなく、まるで、
冬枯れの木立のように貧寒として、内部の輝きを見ようとしない心幼き手によって、
花ほんらいの生気を奪われていた。
 
 
先生は、言った。
「君たちの意見はよく分かった。では、この絵に良くない所を感じた人はいますか?」
誰一人の手とて挙がらず、静かな沈黙が流れた。
「では、今日の授業はここまでにしましょう。」
 
先生に、悪意は感じなかった。
そうではなく、先生の意図が、僕の“不出来な絵”を通し、
「固定観念に捉われてはいけない」という普遍的なことを、
幼い生徒たちに、やんわりと教え諭すことだったことを、
「つまらない絵」と知っていた僕自身が、誰よりも知っていたからだ。
 
僕は、その先生が、「教師」という公職を離れている時間を割いて、
障がい者施設に関わるボランティア活動を寡黙に続けておられたことを、
どこからか伝え聞いてもいた。
つまり、“ほんとうのやさしさ”を知る先生だった。
 
「絵」が“失敗作”であることは、前述の通り、誰の目にも明らかなほどだったし、
心の中で、はっきりと、そう認識した友だちも沢山いたに違いない。
けれども、「友」たちは、“言わない”ことで、僕の心と技の拙さを庇ってくれたのだ。
 
 
“熟した心”から、何かとても大事なことが問い告げられると同時に、
“未熟な心”から、とても重大なことが見逃されたにも関わらず、
先生の厳しい優しさと、クラスメイトの甘い優しさが、どちらも、
“いつわりのないやさしさ”として、今は、好ましい懐かしさで思い出される。


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少なくとも、そんな時代を、敬愛に値する先生や個性豊かな愛すべき「友」たちと
共有できたことは、今思うに、“渦中”にいた当時には気づくことのできなかった、
僕にとっての幸せの一部なのだと。
 
たとえ、それが、今を彩る艱難の刹那に蘇る、
ひと時の思い出であったとしても…










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ふたり
 
 
詞/曲/唄:BEBE
 
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ねぇ…
 
側にいるだけで 何ができるのだろう


暗闇を抜け出すルートもまだ


一つも見つけられない私は

 
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ねぇ…
 
側にいるだけで 何ができるのだろう


肩を抱くことしかできない私を


君はいつも

 
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友達と呼んだ…


 
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光を失う君を


見守るしかできないよ 

 
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無力さばかりが横たわるよ


君を見つめながら

 
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ねぇ…


側にいるだけで


何ができるのだろう

 
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同じ気持ち ずっと分け合えないほど


いつの間にか変わってゆく ふたり

 
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ねぇ…
 
側にいるだけで


何ができるのだろう

 
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並ぶ二つの影 昔のままだよ


変わらない


ものがきっとある…

 
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それぞれの道を歩く
 
恐れた弱さを越えて

 
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見えないこの強い糸を


今は 繋ぎたいから


 
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ねぇ…
 
側に行きたいよ


長い長い夜には

 
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振り返ってもいい


立ち止まっていいよ


私が何度でも 背中を押すから

 
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ねぇ…


遠く離れても


ふたり 寄り添うように

 
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側にいれないほど


信じてみようよ

 
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変わらない


ふたりがいること

 
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そんな ふたりを


 
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友達と呼ぼう…


 
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さよならの夏




 
僕が、訪問介護の仕事で、
「入浴介助」と「家事援助」を担当している利用者さんの一人に、
以前にも記事にした、右足の膝から下が無く、ヘルパーや訪問看護師さんの
顔や訪問日さえ覚えられないほどの、重度の認知症を患いながらも、
小さなマンションの一室で、一人暮らしをされている男性の方がいる。
 
この利用者さんのケアマネージャー(要介護の人たちの介護プランを立てる人)が、
難じるに値する酷い人物で、例えば、僕たち介護士や訪問看護師さんからの報告により、
この方に、毎日のように「失禁」があるのを承知していながら、一切、何の対策も取らず、
およそ半年間、彼の家の中を“尿だまり状態”に放置し続けて、
それらの処理は、現場に丸投げしたり…
 
そして、先日はついに、こんな出来事があった。
このケアマネと利用者さんの二人で、検査のため病院受診に行った時、
車椅子に乗った利用者さんが、道端の段差を乗り越えようとした際、
車椅子ごと後部へ転倒し、頭を強打して意識を失い、救急車で病院へ搬送されたそう。
 
つまり、ケアマネは、傍に付いていながら、段差を越える時でさえ車椅子を押さず、
すなわち、彼には手を貸さず、付き添っている間、利用者さんの行動に、
全く注意を怠っていたということ。
大した怪我には至らなかったのが、不幸中の幸いだったけど、後から聞いた話では、
このケアマネは、全く悪びれる様子もなく、利用者さんへは勿論、
どこへも誰にも、詫び一つ入れなかったという。
 
そして、ついには、「一人で外出させるのは危険だから」という、このケアマネの独断で、
この利用者さんの「足」代わりであった、松葉杖と四足の歩行器さえ取り上げてしまい、
以来、片足のない彼は、一歩たりとも部屋から外へ出ることができなくなったばかりか、
家の中で、居室から廊下を隔て少し離れた場所にあるトイレに行く時でさえ、
四つん這いになり、文字通り、地を這うように移動せざるを得なくなった。
 
だが、ここでは、このケアマネをめぐるその後の処置や状況については、ひとまず置く。
彼を難じることを主題にはしたくないので。
 
 
彼の「足代わり」になる介護用具を奪われて以来、
80㎏前後の体重を擁する彼の身体を抱えての“移動”が、危険かつ困難になり、
僕たちも、浴室での「入浴介助」ができなくなってしまったため、
代わりに、全身を熱い濡れタオルで拭く、「清拭」(せいしき)を行うことになった。
 
顔や頭髪から始め、せめてもと、できるだけ丹念に身体の下部へと拭って行き、
“そこ”へ行き着くと、両足の膝には、四つん這いで移動するために出来たと思われる
大きな擦り傷が、痛々しい。
歯磨きや髭剃りも、フロアの下にタオルを敷いて濡れないように行うのだけど、
とりわけ、髭剃りの最中、どうしても彼と視線が合ってしまう。
 
いや、「視線が合う」という双方の意思ではなく、「彼の目が見えてしまう」と
言った方が正しい。
つまり、彼の目は、何ものをも見てはおらず、
彼の内面は、“悲しみの色”さえ帯びていないほどに、
世界の一切からだけでなく、自らの感情からも断絶されている…
 
 
様々な不運に見舞われながらも、「彼の瞳(ひとみ)が死んではいない」ことを、僕は知っている。
 
例えば、高校時代、インターハイにも出場したことがあると、いつか彼が教えてくれた、
得意の“ボクシング”の話を彼とする時、“当時の雄々しさ”を彷彿させるように、
彼の瞳もまた、みるみると輝きを取り戻す。
例えば、洗濯物を干す作業をしている際、「何かお手伝いしましょうか?」と
僕に声を掛けてくる時の彼の瞳には、他者を気遣う心が穏やかに映り灯っている。
 
そのように、もはや生きることしか残されていないほど人間を剥き出しにされていながらも、なお、
心を失くしていない人が、“髭剃り”の一瞬に垣間見せる、心を失くした目。
 
「瞳」 と 「目」 …どちらが、彼の“真実”なのだろうか…
 

ある日、台所を掃除していた時、明るい陽射しが時折さしこむ正面の窓の傍らに、
適度に水の入った、小さなコップを見つける。
ミクロな小宇宙の中では、一輪の胡蝶蘭が、窓から訪れる柔らかい春の光と爽やかな風を、
花いっぱいに吸い込んで、今ある命を、ひっそりと息衝いていた。

そして、小さな花弁に触れると、“世界にさわっているのだ”という、確かな手触りを感じた。
 見知らぬ誰かのやさしさが、”そこにある”ということを…


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「今度はいつ、おみえになるのですか?」
 
帰り際、その声に振り返ると、そう発した人のかんばせには、
心を失くしていない人の、わずかに輝いている瞳があった。
 











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さよならの夏
 
詞:坂田晃一
曲:万里村ゆき子
唄:BEBE
 
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光る海に かすむ船は
 
さよならの汽笛 のこします

 
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ゆるい坂を おりてゆけば
 
夏色の風に あえるかしら

 
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わたしの愛 それはメロディ
 
たかく ひくく 歌うの

 
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わたしの愛 それはカモメ
 
たかく ひくく 飛ぶの

 
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夕陽のなか 呼んでみたら
 
やさしいあなたに 逢えるかしら…

 
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だれかが弾く ピアノの音
 
海鳴りみたいに きこえます

 
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おそい午後を 往き交うひと
 
夏色の夢を はこぶかしら

 
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わたしの愛 それはダイアリー
 
日々のページ つづるの

 
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わたしの愛 それは小舟
 
空の海を ゆくの

 
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夕陽のなか 降り返れば
 
あなたはわたしを 探すかしら…

 
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散歩道に ゆれる木々は
 
さよならの影を おとします

 
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古いチャペル 風見の鶏
 
夏色の街は みえるかしら

 
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きのうの愛 それは涙
 
やがて かわき 消えるの

 
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あしたの愛 それはルフラン
 
おわりのない言葉

 
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夕陽のなか 
 
めぐり逢えば

 
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あなたは わたしを
 
抱くかしら…

 
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