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世界最高峰の指揮者、クラウディオ・アバドさんが伊北部ボローニャの自宅で2014年1月20日朝、享年80歳で他界されました。 2000年胃がんを患い、闘病を続けながらも精力的に音楽活動を続けていました。 カラヤンの後継者としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率い、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場といった世界に冠たる名門歌劇場の音楽監督を歴任。 名実ともにクラシック音楽界の巨匠といえる存在でした。 僕の勝手な選曲 <アバド名演CD> ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ブレンデル(p) ベルリンpo(86) ブラームス ピアノ協奏曲第2番 ポリーニ(p) ベルリンpo(95) ショパン ピアノ協奏曲第1番 アルゲリッチ(p) ロンドンso(68) ヤナーチェク シンフォニエッタ ベルリンpo(87) リスト ピアノ協奏曲第1番 アルゲリッチ(p) ロンドンso(68) モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 グルダ(p) ウィーンpo(75) モーツァルト フルート協奏曲第1&2番 パユ(fl) ベルリンpo(96) プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 アルゲリッチ(p) ベルリンpo(67) ロッシーニ 歌劇 セビリアの理髪師 ロンドンso(71) チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 アルゲリッチ(p) ベルリンpo(94) ヴェルディ レクイエム ミラノ・スカラ座o(79,80)
- Wikipedia より
1933年にミラノの音楽一家に生まれる。1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督に就任する。 1979年に、ロンドン交響楽団の首席指揮者、1983年には同楽団の音楽監督となった。 1986年には、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任し、音楽面に専念する形でグローバル化を図った。ムソルグスキー等のオペラを頻繁に取り上げ、レパートリー拡充に尽力した。また、必然的にウィーン・フィルとの共演も増え、ベートーヴェンの交響曲全集など数々のレコーディングが実施された。 1988 ニューイヤーコンサート クラウディオ・アバド 1990年、マゼールなど他に様々な有力指揮者らの名前が挙がった中、カラヤンの後任として選出されベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任し、名実共に現代最高の指揮者としての地位を確立した。 2000年に、胃がん手術 2003年以降はルツェルン祝祭管弦楽団などや、自身が組織した若手中心のオーケストラ(マーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団等)と活動することが多い。ベルリン・フィルへも定期的に客演を行っているが、ウィーン・フィルとは、同団特有のローテーション制(リハーサルと本番で違う奏者が出てきたりする)に関する意見の相違から、疎遠となっている。 2006年にルツェルン祝祭管弦楽団と来日、ルツェルン・フェスティバル・イン・東京の一環としてサントリーホールにてオーケストラ公演が行われた。夏のルツェルンにての公演でも高い評価を得ていたブルックナー交響曲第4番の演奏がとりわけ評判となった。 2014年1月20日、ボローニャの自宅で胃癌により他界。 楽曲解釈は知的なアプローチをとるが、実際のリハーサルではほとんど言葉を発さず、あくまでタクトと身体表現によって奏者らの意見を募る音楽を作っていくスタイルだという(エマニュエル・パユなどの証言)。比較的長めの指揮棒でもって描かれる曲線は力強くかつ繊細であり、自然なアゴーギクとともに、色彩豊かな音楽を表現するのが特徴である。晩年は大きな音を出すのを嫌ってウィーン・フィルなどには敬遠された。 同郷のピアニスト、ポリーニとの長きにわたる交友関係でも知られる。それぞれに現代最高の音楽家の一人として大成した両者の共演による諸作曲家のピアノ協奏曲の演奏・録音は、ひとつの音楽的方向性における頂点を描き出しているといってもよい。また、マルタ・アルゲリッチとも多くの録音がある。原点版の「禿山の一夜」や「ボリス・ゴドゥノフ」やショスタコーヴィチ版の「ホヴァーンシチナ」のレコーディングを行うなど、ムソルグスキーフリークとしても有名である。 一時期不仲が伝えられたリッカルド・ムーティとは、音楽祭や若手オーケストラを通じて交流が始まっており、お互いに尊敬の念を伝え合うなど関係は良好である。ヴァイオリニストのクレーメルとは相性が悪かったらしく、クレーメルの自伝でアバドとマゼールは無能扱いされている。オペラ監督のダニエル・アバドは息子、指揮者のロベルト・アバドは甥である。一時期ヴィクトリア・ムローヴァと不倫関係にあり、ウィーンで4年間生活を共にしていた。ムローヴァとの間に女児がいる。
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