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みなさま 4月に入ってからは、あまり好天に恵まれず雨の日もけっこう多かったのですが、晴れればやはりもう晩春。月の後半には初夏のような気温となる日も増えてきました。いかがお過ごしですか。 さて、先月は、テレマンの「パリ四重奏曲集」を紹介しました。 フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ(又はチェロ)とチェンバロによる四重奏曲ですが、楽想からも音色の点からもフルートの活躍が目立つ曲でした。 なお、その後、先月には間に合わず紹介できなかったブリュッヘン、シュレ ーダー、ビルスマ、レオンハルトによるチェロ版のCD(1964年録音、TE LDEC)も届きました。この曲の往年の名盤とされたものですが、今日の眼(耳?) からすると、やはりこのモダン楽器による演奏は先に紹介した2種のようなピ リオド楽器による演奏の魅力には抗し切れないような印象を持ちました。 今回は、前回に引き続きというわけではありませんが、このフルートに焦点を当てて、この1曲を聴いていきたいと思います。 フルートという楽器は、高声部を担うその晴れやかで輝かしい音色でしばしば独奏旋律楽器として親しまれ、バロック時代には王侯貴族が嗜む楽器としても好まれたといいます。やがて18世紀半ば以降にはオーケストラの中にも定位置を占めるようになりますが、独奏楽器としてのフルートの黄金時代はこの18世紀、後期バロックからロココ、前古典派の時代なのかもしれません。 この時代に、高名なフルート教則本を著したドイツのクヴァンツ、さきのテレマンの曲を初演したメンバーの一人フランスのブラヴェなど、フルートの名手が多数輩出しました。彼らは自らもフルート曲を作曲し、また多くの作曲家が彼らに刺激されて作品を書き残しています。 その後、フルートは、管弦楽の一員として交響曲や管弦楽曲の中で重要な役割を演ずることは多くなりますが、反比例して(モーツァルトのフルート協奏曲などを例外に)室内楽や独奏者としてのフルートは少なくなります。再びフルートが協奏曲や器楽曲の独奏で活躍するのはむしろ近代になってからとなるようです。 また、バロック時代には、フルートといったとき、縦笛系のブロック・フローテ、いわゆるリコーダーと横笛系のフラウト・トラヴェルソの2種があったと言われています。後者が現代のフルートにつながっていることは言うまでもありません。 この横笛フルート(フラウト・トラヴェルソ)は、18世紀に入ってから急速に広まったと言われています。 日本にも雅楽の篳篥をはじめ篠笛や能管などがあります。新羅三郎義光や平敦盛の逸話など、横笛というのは何とはなしにロマンティックな感じがするものですが、西洋バロックの作曲家にとってもフラウト・トラヴェルソというのは、やはり魅力的な楽器であったようです。 テレマンと同世代のドイツ、後期バロックの大作曲家ヨハン・ゼバスチャン・バッハ(1785−1850)も、そうした一人であったのでしょうか。彼も、有名な管弦楽組曲第2番など横笛フルートを活用した作品を残しています。 J.S.バッハは、独奏フルートのための曲も残しています。文字どおりフルート一本で対位法的な音楽を表現しようとした名曲、無伴奏フルート・パルティータをはじめ、フルートとオブリガート・チェンバロ又は通奏低音のためのフルート・ソナタを複数書いているのです。 このうち、バッハのフルート音楽、いな古今のフルート音楽の中でも、最高傑作との評価も高い、この分野屈指の名曲が、フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタロ短調BWV1030です。 (そういえば管弦楽組曲第2番もロ短調でした。) バッハのフルート・ソナタには、オブリガート・チェンバロとの二重奏ソナタBWV1030や1032と、複数の通奏低音楽器(普通はチェンバロとチェロやヴィオラ・ダ・ガンバなど)とのソナタBWV1034や1035があります。(BWVはバッハ作品目録番号の意) このロ短調作品は前者で、まさに対等な関係でフルートとチェンバロが協演する協奏風ソナタとなっています。 ここでは、フルートとチェンバロの右手(上声部)、左手(下声部)とが独立したパートを構成し、あたかもトリオ・ソナタ(これはバロック期特有の楽曲形式)のような趣を持って、しかもフルートとチェンバロが競い合い、歌い交わす近代的な二重奏ソナタをも思わせるような形になっているのが特徴です。 フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタロ短調BWV1030は、今日1836年から37年頃の自筆譜によって知られており、前回のテレマンの稿で述べた、バッハがライプチヒのトーマス・カントルに就任した後のいわゆるライプチヒ時代に書かれたと考えられています。(この曲の前身になる曲がこれ以前のケーテン時代にあったのではないかという説もありますが。) 当時、バッハは、トーマス・カントルの職務の傍ら、かつてテレマンがライプチヒ時代に創設したコレギウム・ムジクムの指揮も務めており、少しあとの管弦楽組曲第2番やチェンバロ協奏曲などと同じく、コレギウム・ムジクムとの世俗的なコンサート音楽の関わりがあるのかもしれません。 バッハのフルートとオブリガート・チェンバロとのソナタは、通奏低音とのソナタが4楽章構成なのに対して、3つの楽章でできていて、このロ短調ソナタも3楽章から成っています。 第1楽章は、アンダンテ。ロ短調。 フルートとチェンバロとが三声(トリオ)による見事な対位法を展開しながら、半音階も含む美しい楽想を聴かせてくれます。 冒頭チェンバロの分散和音風のつまびきをバックに、フルートが少し哀感を帯びた格調の高い主題旋律を奏して始まります。この主題を第1主題とすると、次により細かな動きを持った第2主題が示され、第1主題による主楽節が4回、第2主題による副楽節が3回と、それぞれの楽節が交互に変形展開されて楽章を形作っていきます。 |
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2007年06月19日
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第2楽章は、ラルゴ・エ・ドルチェ。ニ長調。 いかにも、穏やかで美しい楽章。ここでは、チェンバロは和声を支える役割に徹し、その上でフルートがのびやかな旋律を奏でていきます。 第3楽章は、プレスト−アレグロ。ロ短調。 この曲唯一の快速な楽章で、2つの部分に分かれ、まず前半のプレスト部分は、フルート、チェンバロ上声部、下声部の順で提示される主題に基づく3声のフーガとなっています。 後半のアレグロは、前半のフーガが半終止すると、一転気分が変わり、ジーグ(舞曲の一種)による軽快な曲調となります。 現在、私の手元には3種のこの曲のCDがありますが、ヘンスラー音源のバッハ大全集中の演奏は、1990年代終わり近くの録音にもかかわらず、モダン・フルートはともかく、オブリガートパートがチェンバロではなくピアノによる演奏という点でやや違和感があり、一般的とは言えないので、他の2種で紹介したいと思います。 1枚目は、オーレル・ニコレのフルートとクリスティアーヌ・ジャコッテのチェンバロによる演奏。(1984年録音、DENON) ニコレは、20世紀におけるフルートの演奏で、一時代を築き、専門家からも一般の聴衆からも尊敬されたフルートの巨匠です。 ニコレはモダン楽器を使用していますが、その清澄な音色と自在でありながら品格のある表現はやはり格別です。 ニコレには、バッハ演奏の巨匠リヒターとの60年代旧録音があり、そちらは今も定盤とされていますが、より自在さを増しながら、一層深くバッハの音楽にせまったこの新録音も魅力的です。 次は、わが国の誇る名フラウト・トラヴェルシスト、有田正広とチェンバロの有田千代子による演奏。(1989年録音、DENON) これは、有田の最初のバッハ/フルート・ソナタ全集で、のち2度目の全集録音(こちらは真作5曲のみ)を2000年にしているが、現在では疑作とされるに至ったが魅力的な佳曲も含むもの(*)という意味では貴重な録音。 ここで有田は3種のフラウト・トラヴェルソを使い分け、BWV1030は1750年製の楽器を使用している。有田のフルートは、まだ楽器としてのシステムが不完全だった古い時代の楽器を使っているとは思えない冴えた技巧と、古楽器特有のまろやかさに有田らしい温かみを加えた演奏をしていて心地よい1枚です。 * ちなみに、バッハ作曲のフルート曲は、バッハ作品目録(BWV)では当初オブリガート・チェンバロ付きのソナタ4曲(BWV1020,1030-1032)、通奏低音付きのソナタ3曲(BWV1033-1035)、無伴奏パルティータ1曲(BWV1013)の計8曲とされていた。しかし、新バッハ全集が出版された際、校訂者からBWV1020, 1031,1033の3曲が疑作とされ、バッハの真作は5曲とされた。 ということで、今回は、J.S.バッハのフルート・ソナタロ短調をとりあげてみました。
ではまた。 |
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みなさま 春も名のみか、3月の声を聞いてからはかえってしばらく寒い日が続き、暖冬に慣れた身体には真冬に戻ったようでしたが、ようやく桜の便りも聞かれる季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。 私が日頃よく聴く音楽は、古典派以降のものが多く、中でもモーツァルトは別格として、どちらかというとロマン派から近代の音楽をけっこう聴いています。それは、この拙文のシリーズでも明らかですが。 しかし、体調や気分がすぐれず疲れたときには、情感の変化の激しいロマン派の音楽や、不協和音や無機的な響きに満ちた近現代の音楽というのは少々辛いかもしれません。 そんなときには、バロック音楽もいいですね。 それにしても、従前、バロック音楽というのは、一般に「さわやかな」、「肩の凝らない」音楽というイメージが強いような気がします。実際には、語源としての「バロック」の意味が「いびつな真珠」であるように、バロック音楽は必ずしも軽く爽やかなものばかりではありません。むしろ大胆で劇的な表現、おどろおどろしいものや辛気くさいものも少なくないのですが。 やはり、かつてのNHK−FMの人気番組「朝のバロック」の影響でしょうか。コレッリやヴィヴァルディらに代表されるイタリアの器楽音楽などの明るく愉しい音楽がバロック音楽を代表するものとして人気を保ち、こうしたイメージをつくっているようです。 まだ学生の頃、こうした「さわやかな」バロック音楽を好んでいた女子の友人がいて、よく薦められたのですが、その頃の私には、なんだか物足りない気がしていました。 結局、私がバロック以前の音楽を聴くようになったのは、いわゆる古楽演奏が普及して、往事の楽器や奏法で聴くようになってからで、古典派ハイドン、モーツァルト以降の音楽に比べると親しむのが遅く、まだまだなじみが薄いのです。(この今月の1曲でもバロックは少なかったですね。) バロック音楽最盛期の先進国といえば、やはりイタリアとフランスです。ルイ14世のフランスではイタリアに対抗して、リュリらによるフランス様式の音楽が尊ばれましたが、そのフランスでもクープランらが両国の様式の融合による音楽を試みていました。 ドイツでも、初期にシュッツのようにイタリアで学びドイツ音楽の基礎を開いた作曲家がいますが、バロック後期になって偉大な作曲家バッハやヘンデルを輩出するドイツも、この時代、しばらくは音楽の後進圏に甘んじていました。まずはイタリアの音楽とフランス趣味の音楽が愛好され、やがてその両者を融合した新たなドイツ音楽の方向が模索されていったとも言えます。 こうした中で、まさにイタリアとフランスの音楽とを融合し、逆に先進国フランスをはじめヨーロッパ中で人気を博した作曲家が現れます。 ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681−1767)です。 テレマンの音楽は、ドイツ・バロックの作曲家の中で、先に挙げたさわやかで愉しいバロック音楽のイメージに最も適うのではないでしょうか。 実際、テレマンは、当時の作曲家の中でも売れっ子ともいうべき活躍をした作曲家であり、生涯に、数十曲のオペラや受難曲、管弦楽から協奏曲、室内楽などの器楽曲を数百曲、教会カンタータに至っては千曲という膨大な作品を残したということです。あまりに膨大すぎていまだ完全にその作品の整理が終わっていないため、全貌が解明されていないというほどです。 今日では、同世代のバッハやヘンデルに比べて演奏され聴かれる頻度はずっと低く、知名度でも及びませんが、当時の音楽界では、テレマンはバッハなどよりもはるかに高い名声と人気を持っていました。 たとえば、バッハの伝記で必ずふれられるエピソードがあります。それは、バッハがライプツィヒの音楽家として最高の地位とも言える「トーマス・カントル」に就任したときの有名な話です。 実は、ライプツィヒ市では、本当はテレマンにトーマス・カントルへの就任を打診したのですが、すでに「ヨハネス・カントール」としてハンブルク音楽界の中心で活躍していたテレマンに多忙を理由に断られ、仕方なく、より知名度の低いバッハで我慢した(しかもバッハの前にもう一人候補者があった)というのです。 もっとも、テレマンはバッハがやってくる直前にライプツィヒに数年いて、後にバッハも指揮することになるコレギウム・ムジクムを創設するなど、ライプツィヒの音楽活動を活発にする活躍をしていました。 また、テレマンとバッハとは親交があり、バッハの次男カール・フィリップ・エマニュエルの名付け親にもなっているほどなので、バッハをライプツィヒに推薦したのはテレマンだったのではないかとも言われています。 テレマンは、オペラや教会音楽でも多くの作品を残していますが、彼の作品で今日よく聴かれているのはむしろ器楽作品でしょう。 有名な「ターフェル・ムジーク」(食卓の音楽)3巻は、その集大成とも言うべきものです。そのほかにも数多くの管弦楽組曲や様々な楽器のための協奏曲、ソナタなどが書かれているようですが、今回は、その中から室内楽の名曲を取り上げたいと思います。 それは、「パリ四重奏曲集」と呼ばれる室内楽作品からの1曲です。 国際的な名声にもかかわらず、テレマンは、バッハに似てその生涯をドイツ国内で過ごし、ヘンデルのように外国に移って活躍したわけではありません。 しかし、テレマンの作品は印刷譜を通じヨーロッパの各都市で愛好されていました。とりわけパリでは、当地を代表する高名な音楽家たちからもテレマンの音楽は高く評価されていました。 そうした中、パリにテレマンを招いたのは、当時最高のフルート奏者で作曲家でもあったミシェル・ブラヴェらのパリ楽壇を主導していた音楽家たちでした。 1730年にテレマンがハンブルクで出版した四重奏曲集(今日、印刷譜の表紙に書かれた四重奏のイタリア語表記で「クァドリ」と呼ばれる)が、パリでも好評を博し、彼らからテレマンはパリへ招かれたのです。1737年のことでした。 テレマンは、後年出版された本の中の自伝でも、次のように、この折のことを特に書き残しています。 「私の長年の念願であったパリ旅行は、私の作品を気に入ったパリの何人かの演奏家の招きによって実現し、1737年に出発し8ヶ月を過ごした。パリでは、国王の認可を得て、新しい四重奏曲と6曲のソナタを出版した。フルートのブラヴェ氏、ヴァイオリニストのギニョン氏、ガンバ奏者のフォルクレ氏(息子のほう)、チェロのエドワール氏などの人たちによって、この四重奏曲がいかに見事に演奏されたか、言葉では言い尽くせない。」と。 ここで、触れられている新しい四重奏曲こそが、1738年に出版され、今日、「パリ四重奏曲集」の名で呼ばれる美しくも愉しい6曲からなる室内楽作品です。(先の「クァドリ」の6曲もパリ四重奏曲に含める場合があり、その場合にはクァドリに対してこちらを「新パリ四重奏曲集」と呼ぶことがあります。) これこそは、テレマンがパリの一流の音楽家たちとの交流の中から創り出した傑作で、雅で洗練されたフランス趣味と新しいイタリアの協奏曲様式とを見事に融合させた音楽となっています。 |
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「パリ四重奏曲」は、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ又はチェロとクラヴサン(チェンバロ)による四重奏曲です。 全体は6曲からなり、各曲はプレリュードやそれに続く舞曲風、性格小品的な楽曲6曲(第3番のみ7曲)で構成されるフランス風組曲の形式で作られています。(外観はフランス組曲ですが、プレリュードをはじめとする各曲の中では協奏曲的な扱いや変奏などイタリアの様式がふんだんに盛り込まれています。) ここには、バロックと言うよりもロココ様式と呼びたい優雅で色彩的な18世紀前半の室内楽の頂点があるような気がします。 それは、やがてこの世紀の後半に主流となる弦楽四重奏曲の世界とは全く異なるもので、雅な時代の室内楽の世界を聴かせてくれます。 6曲のうち半数が短調作品ですが、この時代は短調であっても決して暗くはならず、長調作品はもとより、そのすべてがテレマンらしく深刻なところなど全く感じさせない心地よい音楽となっています。 また、テレマンの音楽は過度に対位法的な手法を用いず、むしろ和声的で新鮮で、聴く人、演奏する人を楽しませるエンターテインメントな性格が、当時にあって人気を博した理由でもあったのでしょう。(こうしたある意味楽天的、娯楽的な性格が、逆に深みがないとして、今日テレマンがバッハより低く見られている一因でもあるのですが。しかし、エンターテインメントとしての音楽として極上のものだとは思います。) 6曲は、統一された趣味の中でそれぞれに個性的で、そのいずれもが洗練された趣味と典雅な響きで愉悦に満ちた音楽を聴くひとときをもたらしてくれます。 第1番はニ長調、最も快活でさわやかな印象を与え、イタリア風コンチェルトを思わせます。開始のプレリュードからして、まさにヴィヴァルディを聴くようであり、しかもより上品な雰囲気に溢れています。 第2番はイ短調で、メランコリックな(決して深刻な暗さではない)味わいを秘めています。この曲だけ開始曲がプレリュードでなく、冒頭チェンバロがかき鳴らす和音はバッハを思わせますが、すぐにラテン的なフルートの旋律が続きます。 また、第3番ト長調のみは7曲で構成されていて、澄明な色彩を感じさせる曲で、ロココ風の優美で雅やかな情感に満ちています。不思議な明るさを感じさせるプレリュードも良いですが、私は第5曲モデレ(穏やかに)が特に気に入っています。その中間部、ヴィオラ・ダ・ガンバのピチカートを伴奏にフルートとヴァイオリンが歌い交わす箇所などは本当に美しい。 ヴィオラ・ダ・ガンバが活躍するプレリュードで始まる第4番は、ロ短調という調性のわりにはあまり暗さは感じさせず、他の楽章でも低声部に存在感があるためか、全体に落ち着いた色調を持っているような気がします。 第5番イ長調は、全体に伸びやかで穏やかな曲想が支配していて、田園的、牧歌的な性格を持っているように思います。ここでは、テンポの速い曲にも、なんとなしにくつろいだ雰囲気が感じられます。 第6番ホ短調は、唯一フランス式序曲を曲頭に持ち、儀式張った荘重な雰囲気で始まります。もっともじきにイタリア風の軽快で名人技的な音楽も出てきますが。何と言ってもこの曲の最大の聴きものは、この曲だけでなく曲集全体を締めくくるシャコンヌでしょう。 今月の「この1曲」のはずが、6曲の曲集となってしまいましたが、これはどの曲にもその曲の良さがあり、なかなか1曲に絞れなかったためです。あえて言えば、現在の私の好みは第3番に傾いていますが、第1番も劣らず好きですし、あとは皆さん自身が実際に聴いて、6曲の中のこの1曲を選んでいただければと思います。 バッハやモーツァルトなどと違って、パリ四重奏曲のCDはまだそれほど多くはありません。 私の手元にあるのもまだ2種のみですが、まずは、日本の誇る古楽奏者たちによる録音から(DENON、1992年録音)。フルート・トラヴェルソの有田正広、ヴァイオリンの寺神戸亮、ヴィオラ・ダ・ガンバの上村かおりに、フランスのチェンバリスト、クリストフ・ルセが加わった4人による演奏です。 これは、現在クレスト1000という廉価盤シリーズに2枚組で出ており、最も入手しやすく、かつ非常に優れた演奏です。パリのコンセルヴァトワールで行われたデジタル録音で音も良い。 ここで、有田ら4人は、緊密な中にもまろやかで温かみのある演奏を繰り広げています。 もう一つは、バルトルド(Fl.)、シギスヴァルト(Vn.)、ヴィーラント(Vdg.)のクイケン兄弟と、グスタフ・レオンハルト(Cemb.)による演奏です(SONY、1997年録音)。 こちらは、ハンブルクで作曲された「クァドリ」も含む12曲を収めた3枚組で出ています(これも国内盤。輸入盤は見つからず)。 これは、すばらしく均質で透明感のある演奏で、4つの楽器が融けあって、文字どおりの精妙なアンサンブルで、極上のテレマンを聴かせてくれます。 実はもう1種、フランス・ブリュッヘン(Fl.)、ヤープ・シュレーダー(Vn.)、アンナー・ビルスマ(Vc.)、レオンハルト(Cemb.)による往年の名演奏(と言っても60年代)のCDを注文していた(この曲でのヴィオラ・ダ・ガンバ又はチェロという指定楽器について、それぞれの楽器用に別々のパート譜が用意されているので、チェロ版も聴いてみたかった)のですが、現在入手困難とかで入荷が遅れていて、間に合わず、これは未聴です。 でも、上記2種のセットを聴ければ、現時点でのこの曲集の最上の演奏を楽しむことができると思います。 ということで、今月は3月14日生まれのテレマンの作品から、パリ四重奏曲をご紹介しました。春の宵に相応しい風雅な「この1曲」(6曲)です。 なお、この間、能登半島周辺で大きな地震がありました。震災に遭われた方々には心からお見舞いを申し上げたいと思います。 それでは、また。
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みなさま 本年もよろしくお願いします。 年が明けても、今年は依然として暖冬の気配が改まらず、雪国でも積雪が少なく、一部のスキー場などでは困っているようです。 これが年ごとの変動によるものならいいのですが、地球温暖化の進行の影響といったことなどが頭をよぎります。 さて、今月27日はヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(1756−1791)の誕生日でした。 昨年はモーツァルト生誕250年ということで、世界中でモーツァルトを記念する催しや企画が行われ、この今月のこの1曲でも何度かモーツァルトを取り上げました。 そんな祝祭の年もあっという間に過ぎてしまったのですが、今年もやはり、年の最初の月はモーツァルトで明けました。1月最初に聴く音楽はモーツァルト、というのは、ずいぶん久しい習慣ですが、近年はますますモーツァルトの音楽が好きになっている自分を感じます。 モーツァルトの音楽は、当時のあらゆるジャンルを含み、非常に幅広い曲種を網羅しています。交響曲もハイドンの100曲余には及ばぬものの5〜60曲近い作品を残しており、協奏曲や室内楽ではさまざまな楽器を主役にした組み合わせを試みています。クラヴィーア(ピアノ)曲や歌曲の分野でベートーヴェンやシューベルトの先駆とも言うべき成果を残しているのもモーツァルトです。 そうした幅広く多数の作品の中でも、最も重要なのはやはりオペラと(教会音楽、)クラヴィーア協奏曲でしょう。 このうち、オペラと教会音楽の分野からはすでに何曲か取り上げていました。 が、器楽の分野での最重要な曲種であるクラヴィーア協奏曲を取り上げる機会を逸していました。 そこで、今回は、モーツァルトの誕生月にちなんで、彼こそがまさにこのジャンルの完成者とも言うべきクラヴィ−アのための協奏曲を取り上げたいと思います。(モーツァルトの時代は、ピアノという楽器が大きく発展をし始めた時期に当たり、今日の意味でのピアノはまだ完成していなかったので、それをも含むドイツ語のクラヴィーアとしましたが、煩わしいので以下では便宜上ピアノ協奏曲と呼ぶことにします。) そもそもバロック期に発達した協奏曲という曲種の中でも、鍵盤楽器のための協奏曲は、弦楽器や管楽器のための協奏曲に比べるとずっと遅く、J.S.バッハのチェンバロ協奏曲がその最初期のものとされていますが、モーツァルトの時代ヴィーンではバッハのそれらの作品は忘れられており、彼はバッハのチェンバロ協奏曲は知らなかっただろうと言われています。 バッハ後もチェンバロ協奏曲は書かれていたのでしょうが、それらはまだ器楽の主流たる楽曲とはなりえなかったようです。 そうした中、モーツァルトは、チェンバロからフォルテピアノに移り変わる時期のクラヴィーアのための協奏曲を数多く書き、その形式の完成者となったのです。彼の協奏曲こそは、古典派ピアノ協奏曲の規範であり、音楽史上、ハイドンが交響曲と弦楽四重奏曲の父だとするならば、モーツァルトこそはピアノ協奏曲の父とも言うべき位置にあるのです。 神童として幼くして音楽に特異な才能を発揮したモーツァルトにとって、最も親しく得意とした楽器は、ピアノの前身のクラヴィーア(初めはチェンバロ=クラヴサンやクラヴィコード、やがてフォルテピアノ)でした。 モーツァルトの父レオポルトは、当時最も評価の高かったヴァイオリン教則本の著者であり、その教えを受けたモーツァルト自身、ヴァイオリンやヴィオラについても相当の腕前を持っていたと言われています(13歳でザルツブルク宮廷楽団の首席ヴァイオリン奏者となっている)。実際、ザルツブルクで宮廷音楽家としての活動においては、ヴァイオリンを弾くことが多かったようです。 しかし、モーツァルトの関心はむしろクラヴィーアにありました。 青年音楽家としての独り立ちの準備ともいうべきマンハイム・パリ旅行の途次、立ち寄った父の故郷アウクスブルクでは、有名なシュタインの最新のフォルテピアノに出会い、歓喜して、手紙に書いているほどです。 後年、モーツァルトは、ザルツブルクの大司教と衝突して、フリーランスの音楽家となってヴィーンに出たのち、まずはクラヴィーアの名手として、新しい協奏曲を次々と書いては発表し、一世を風靡することになるのです。 しかし、今回取り上げるのは、それらヴィーン時代のピアノ協奏曲ではありません。 ザルツブルク時代の後期、21歳になろうとしていた時期に書かれた1曲のピアノ協奏曲が、今月のこの1曲です。 それは、ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271。しばしば「ジュノム」又は「ジュノーム」というニックネームで呼ばれることの多い作品です。 「ジュノム」協奏曲は、第9番と表記されることが多いのですが、実は、この番号は19世紀の旧全集による番号付けによるものです。 が、そこで第1番から第4番とされた4曲は、実は他の作曲家の書いたクラヴィーアソナタ楽章をモーツァルトが協奏曲に編曲した習作でした。このため、今日モーツァルトのオリジナルのピアノ協奏曲は、第5番から第27番までの23曲とされていますので、この曲も9番目の協奏曲ではないのですが、曲名に定着しているため、今でもこの旧番号が使われることが多いのです。 また、ニックネームの「ジュノム」は、この曲がフランス人の女流ピアニスト、ジュノム嬢の依頼により、又は彼女のために書かれたことに由来するとされてきました。 このジュノムというピアニストについては、長い間素性がよくわからないまま、謎の女性とされ、その実在を疑う論評すらあったほどでした。 しかし、2003年に発表されたミヒャエル・ローレンツの研究により、彼女の本名はルイーズ・ヴィクトワール・ジュナミということが判明したのです。 彼女は、高名なフランス人舞踏家ジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘で、モーツァルトより7歳年上の1749年生まれで、父親がヴィーン宮廷に雇われたため、1767年に移住し、その翌年に富裕な商人ヨーゼフ・ジュナミと結婚したということです。 モーツァルトは、このノヴェール親娘と遅くとも1773年のヴィーン旅行の折に知り合ったのではないかと言われていますが、ヴィクトワールは1776年末か77年初頭にヴィーンからパリに戻る途次、ザルツブルクに立ち寄り、この協奏曲を受け取ったのではないかとされています。 (のち、パリに滞在中のモーツァルトは、オペラ座の振り付け師となっていたノヴェールからの依頼でバレエ音楽「レ・プティ・リアン」を作曲しており、おそらくヴィクトワールとも再開したであろうと思われます。) いずれにしても、ヴィクトワールは当時ピアノの名手として知られていたということで、その技量と音楽性を熟知していたからこそ、モーツァルトはそれまでにない独創的で見事なこの協奏曲を書いたのだろうと考えられます。 ピアノ協奏曲(第9番)変ホ長調K.271「ジュノム」は、1777年1月に作曲完成されたとされています。いまからちょうど230年前になります。 さきほども述べたように、この作品はきわめて斬新で充実した内容を持っており、神童、天才であったモーツァルトとしてもそれまでになく大きな飛躍を成し遂げています。この曲は、独創性と完成度、そして何よりも感情の豊かさを持っている点において、当時のモーツァルト作品の中でも突出しているのです。 それは、まず第1楽章(アレグロ)の開始に現れます。 当時のというより、古典派時代の協奏曲では一般に、ソナタ形式の開始楽章においては、まず管弦楽による主題提示部があり、それから改めて独奏楽器が加わって提示部を繰り返し、そののち展開部、再現部となるのが普通であり、独奏者の腕の見せ所であるカデンツァは、再現部の後、コーダの前に置かれることが多いのです。 それがロマン派の協奏曲のように、始めからいきなり独奏楽器が登場して華々しく演奏するという形はベートーヴェンの第4及び第5協奏曲に始まるというのが多くの音楽史家、楽曲解説者の説くところだったわけです。 ところが、何と、すでにこの「ジュノム」協奏曲で、冒頭オーケストラの短い呼びかけにピアノ独奏が応答して曲を開始するのです。 基本的には優美な性格を持ちながらも、勢いがつけばそのまま駆け出しそうな運動性と愉悦感も内に秘めた、その主題旋律もいかにもモーツァルトらしい個性を刻印しています。 この曲は、後年ヴィーン移住後のシンフォニックなピアノ協奏曲と異なり、管楽器は少なく(各2本のオーボエとホルンのみ)、小編成の管弦楽ですが、独奏部分と管弦楽部分とが対比や掛け合いの妙を生み、協奏曲らしさ、醍醐味を満たしてくれています。 |


