樹公庵さんの「今月のこの1曲」

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<曲目一覧>
2004.1月 モーツァルト・交響曲第38番
2004.2月 ビゼー・交響曲第1番
2004.3月 ハイドン・交響曲第100番
2004.4月 ベートーヴェン・交響曲第3番
2004.5月 ストラヴィンスキー・春の祭典
2004.6月 ディーリアス・二つの小品
2004.7月 ベートーヴェン・交響曲第5番
2004.8月 ショスタコーヴィチ・交響曲第5番
2004.9月 ブルックナー・交響曲第7番
2004.10月 シベリウス・ヴァイオリン協奏曲
2004.11月 シューベルト・ピアノ三重奏曲第2番
2004.12月 J.S.バッハ・クリスマス・オラトリオ
2005.1月 モーツァルト・エクスルターテ・ユビラーテ
2005.2月 チャイコフスキー・交響曲第2番
2005.3月 ベートーヴェン・ミサ・ソレムニス
2005.4月 モーツァルト・弦楽四重奏曲第1番
2005.5月 シューベルト・交響曲第8(7)番
2005.6月 メンデルスゾーン・真夏の夜の夢
2005.7月 ヴォーン=ウィリアムズ・ロンドン交響曲
2005.8月 ブリテン・戦争レクイエム
2005.9月 ドビュッシー・ベルガマスク組曲
2006.8月 ホルスト・組曲「惑星」
2007.1月 モーツァルト・ピアノ協奏曲第9番
2007.3月 テレマン・パリ四重奏曲集
2007.4月 J.S.バッハ・フルートソナタ ロ短調
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 第1楽章は、冒頭アレグロ・モデラート、弱音の弦のきざみをバックに、やや高い音で、北方的な、でもロシア的なものとも異なる、メランコリックな感じのする第1主題を独奏ヴァイオリンが奏でて始まります。
 この冒頭はとても印象的で、管弦楽提示で開始されるベートーヴェン、ブラームスの古典風協奏曲はもちろん、メンデルスゾーンやチャイコフスキーのようなロマンティックな協奏曲とも、明らかに違う独特の雰囲気があります。
 管弦楽の部分も、時折金管やトゥッティによる強奏もあるものの、全体の印象としては、弦や木管の美しいパッセージや遠くで轟くようなティンパニの響きなど、いかにもシベリウスらしい静的、内省的な、北欧的とでも言うしかない一種神秘的で悠然とした音楽で満ちています。

 それでいて、独奏はかなり技巧的にも難しそうな走句や重音奏法など、華やかな動きも示すのですが、それもいわゆるパガニーニ、サラサーテ型の技巧顕示タイプではなく、音楽の進行、論理的展開上に意味のあるものとなっています。
 しかもそれが全体の極北的ムードに実にふさわしい雰囲気を生み出してすらいるのです。
 コーダでは、静かな第1主題に基づくムードから、一転して速度を速め、ソロが高揚して終わります。


 第2楽章は、アダージョ・ディ・モルト。木管による柔らかな感じの導入に続き、独奏ヴァイオリンが第1楽章とは異なる低めの音で暖かみのあるムードの主題を奏していきます。
 この曲は、第1楽章に比して、あとの2楽章がやや霊感に乏しいと評されることが多いのですが、でも、この第2楽章のたゆたうような感覚というのも、私は好きです。
 終わりのソロが消えていくようなところなんか、いいと思いますけどねぇ。


 第3楽章は、アレグロ・マ・ノン・タント。
 再び雰囲気を一変させ、低弦とティンパニによるリズム(リズム・オスティナート)に乗って、独奏がちょっと踊り出したくなるような感じすらする律動的な主題を提示して始まります。
 その後の分厚いオーケストラのトゥッティと細身な感じのソロの対比もよい。
 この楽章は、玄人筋には第1楽章のような深みがないなどと言われ、評判がいま一つのようなのですが、でも、ヴァイオリン協奏曲たるもの、最後はこういう一種ジプシー音楽的なところもなくちゃ、と思うんですけどね。
 あの愁いとしかめっ面のブラームスだって、協奏曲の終楽章はみなハンガリアン、ジプシー音楽みたいなのを書いてるじゃないですか。
 シベリウスなんかまだおとなしいもんです。
 ここには、最も上機嫌なシベリウスがいる、という感じがします。



シベリウスのVn.協奏曲を聴く
 ヴァイオリン協奏曲というと、古来、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、チャイコフスキーないしはブラームスというのが○大協奏曲などと呼ばれ、親しまれているのですが、昨今では、このシベリウスが急成長株でコンサートなどでも取り上げられる機会が多く、人気が出ているようです。
 録音も戦前はさすがに少なかったようですが、戦後急速に演奏頻度が高まっていった事情を反映して、現在はCDも決して少なくはないようです。日本人ヴァイオリニストの録音もけっこうあるみたいです。


 私が、この曲を初めて聴いたのは、キョンファ・チョン(鄭京和)の独奏、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の演奏(1970年録音)でした。レコードは持っておらず、大学生時代、FM放送からエア・チェックしたテープで聴いていました。
 で、CDで最初に買ったのもこの演奏で、しばらくの間、この曲はずっとこればかり聴いていました。
 いまでは、私はあまりチョンの演奏を聴かなくなりましたが、この当時のチョンは、ややエキセントリックなイメージはあったようですが、非常に緊張感の高い演奏をしていたように思います。ここではプレヴィンの好サポートもあって、アナログ絶頂期の音質も後押しして、この曲の出会い方としては、まずまずの幸福なものだったと思っています。
 そういえば、まだ珍しかったヴォーン=ウィリアムズの交響曲のレコードくらいしか知らなかったプレヴィンを意識したのもこの盤が最初でした。
 チョンの演奏は、いかにも自分が感じたままに弾いているという感じで、比較的速めのテンポでテンション高く一気呵成に弾ききっています。


 プレヴィンは、この曲をパールマンとも録音していますが、最も新しいアンネ=ゾフィー・ムター(近年二人は結婚したそうな。随分年が離れてるけど。)と入れた録音(1995年、オケは何と、老舗ドレスデン・国立歌劇場管!)がよかった。
 ムターといえば、昔カラヤンが見いだした天才少女というイメージだったけれど、いまではお爺ちゃんキラーとまで言われる妖艶な美女系ヴァイオリニスト。
 しかし、決して容姿だけでなく、音楽的にも大人の女性を感じさせる落ち着きと艶が備わったような気がします。
 この演奏では、冒頭かすれた、二胡のような音で始め、すぐに肉厚な音に変わり、以下さまざまなニュアンスと音色の変化を示します。
 これを聴くと、上記チョン盤がかなり一本調子的な印象にすら聞こえてしまう。
 オーケストラがドレスデン・シュターツカペレというのも効いているのかもしれませんが、プレヴィンの指揮も老練の域に達したと言えるようです。
 全体的にはテンポがチョン盤と比べて特に遅いというわけでもないのですが、カデンツァ部分の絶妙な間の取り方や、また曲調、独奏のテンションに合わせてテンポを伸縮させる指揮で、変化に富んだ印象となっています。
 終楽章も、決して軽くならないのがよい。


 これらに比べると、レオニダス・カヴァコス独奏、オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団による録音(1990年)は、かなりおとなしい印象です。
 しかし、そこはシベリウス演奏に長じたヴァンスカとその手兵ラハティ響だけあって、音楽の呼吸や響きにおいて、いかにもシベリウスらしさを感じさせる演奏となっています。前二者に比べるとテンポもゆったりしています。
 ギリシャ出身の独奏者も丁寧で共感に満ちた、安定感のある演奏をしているように思います。
 独奏者は違いましたが、ヴァンスカ&ラハティ響が数年前に来日して、シベリウスの全交響曲チクルスを行った折にも、このヴァイオリン協奏曲も演奏し、すみだトリフォニーホールでその実演を聴くことができました。

 また、このCDのももう一つの聴き所は、この曲の最初の稿による演奏が併録されていることです。
 これは、1903年に作曲され、翌年初演されたもので、その後作曲者が改作した現行版と比較して聴くことができます。
 シベリウスは、改作後、初稿の演奏を封印したそうですが、遺族の承諾を得て、1991年に復活録音されたものだそうです。
 これによると現行版よりかなり長く、40分近くかかります。誰かも書いていましたが、第1楽章でブルックナーの交響曲にでも出てきそうなオケの合いの手(動機)が繰り返し出てきて、独奏パートにも妙に微温的なパッセージが現れたり、第3楽章などもリズムの持続感が弱いなどと、確かに現行版に比べると緊張感の保持や締まりの点で見劣りがするし、改作した効果は大きくその甲斐はあったと思われます。
 ただ、こうした作曲の舞台裏を覗くような面白さにもまた別の楽しみがありますが。


 このほか、定評のあるハイフェッツ盤は聴いてみたいものの一つです。
 また、どうも、この曲は美女系のヴァイオリニストで聴いてみたいもので、御前橋の師匠推薦のムローヴァ盤(バック=小澤がやや不安ですが)とともに、諏訪内晶子の盤などもそのうちぜひ聴いてみたいと思います。



 秋も深まり、朝晩はもとより急に気温も下がってきました。
 秋の日のヴィオロンの...というイメージとは少し異なりますが、こんな、北の大地を思わせるようなヴァイオリン協奏曲もなかなか良いものです。


 今回も、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
 では、また。


                  樹公庵  日々     恐惶謹言

みなさま

 今年の夏は、記録的な猛暑と台風の当たり年となりました。

 このところ、だましだまし使ってきて17年目のCDプレイヤーの調子があまり思わしくなく、電源を入れて数時間が経たないと何度も途中でストップしてしまい、と言って途中からは聴けず、1曲まともに聴けるようになるまでが一苦労。 そこへパソコンまでが一時危機的状態(一部のアプリケーションを残し、マイコンピュータやインターネットのウィンドウも開けなくなった)になってしまい、やっと月末に復旧。
 というわけで、9月中には「今月のこの1曲」が間に合わなくなってしまい、10月に入ってしまいました。


 それでも、おかげさまで、この「今月のこの1曲」も、去年の9月に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番で始まって以来、なんとか1周年を迎えることができました。
 これも、日頃みなさまの暖かい見守りと励まし、ご指導の賜と感謝しております。



 さて、9月は、オーストリアの作曲家アントン・ブルックナーの誕生月でもあります。
 そこで今回は、そのブルックナーの交響曲第7番を取り上げたいと思います。


ブルックナーの音楽
 ブルックナーは、1824年9月4日に生まれ、1896年10月11日に亡くなっていますので、ベートーヴェンの第9交響曲作曲の年、シューベルト最晩年期に生まれ、メンデルスゾーンやシューマンが活躍した時期に青年期を送り、その作曲家としての円熟期にはワーグナーの音楽が欧州を制した時期に重なり、と、まさにロマン派音楽爛熟の時代、19世紀の典型的作曲家ということになりそうなのですが、その音楽はちと毛色が変わっていると言えそうです。

 それには、まず、ブルックナーがオーストリアでも田舎のアンスフェルデンという小さな村に生まれ、早くから音楽の才能を現したとは言え、教会のオルガニストといった限られた環境で、当時の最新の音楽動向や当時の古典期からロマン期への独墺音楽の主流に接するのが遅かったことや、対位法等の学者として高名なジーモン・ゼヒターのもとで、30代後半まで理論的な学習にかかりきっていたことなどが、理由として挙げられるようです。

 それでも、十代の終わり頃から30歳頃までに、ミサ曲やレクイエムなどを書き、早くから宗教音楽の方面では才能を現していました。
 のちにヴィーンに出てからも、今日ブルックナーの創作の中心と目される交響曲はなかなか認められず、むしろ長らくミサ曲等の作曲家として評価されていたようです。
 ヴィーンに出て、交響曲を次々と発表し始めたブルックナーを酷評し、その天敵ともいうべきブラームス派の評論家ハンスリックも、むしろ初めはブルックナーのミサ曲は評価し、ヴィーンに出てくることを勧めたと言われています。
 修業時代のものを除いて、ブルックナーには3曲のミサ曲があり、その第3番はこの分野の名曲だと思います。

 が、今回のテーマは交響曲です。


 と言うより、今日、ブルックナーといえば、交響曲作家ということになるわけですが、その交響曲は同時代のロマン派的なもの、国民楽派的なものとは異質なものだと考えられています。ブルックナーはロマン派ではなくバロックだと言う人までいるようですが、そこまではともかく、かなりユニークなものではあります。

 もっとも、ロマン派の時代というのは、むしろ皆他人と異なる個性を尊び、その違いを競ったようなところはありますし、ハイドンやモーツァルトの時代に比べたら、シューマンやブラームスの交響曲も、ましてマーラーなどは非常に個人的でユニークです。
 ただ、そうした個性豊かなロマン派交響曲にも、それぞれの書かれた時代や地域に共通の雰囲気というか空気はあるわけで、その中で作曲家個人の個性に由来する語法なり姿勢、スタイルといったものが出てくるのだと思います。
 ところが、ブルックナーの場合には、そうしたロマン時代の空気とは異質というか、作曲家本人の主体的、意図的な個性の発露というよりも、なにか初めからそういったことを超越してしまっているような、意識的自覚的に目指したというのとは違うような感じがするように思います。

 そもそもベートーヴェン以降の意識的な作曲家にあっては、交響曲を書くことの意味というか、強い自意識のようなものがあり、そのために1曲1曲に込める思いというか、意図的かどうかはともかく各曲ごとの個性も重んじているようなところがあります。
 しかし、ブルックナーの場合は、ほんとうにどの曲も同じというか、もちろん1曲1曲鳴っている音は違うけれど、それぞれの作品の本質的な「かたち」や「表現内容」は違っていないようにも思えてきます。


 ブルックナーの交響曲は、習作的なものを含め、全11曲。
 楽章構成(第8と第9ではアダージョとスケルツォが入れ替わるが)も、初期(と言っても本格的交響曲創作は40代以降)から最晩年まで一貫したというより、墨守というような感じで基本的な4楽章制を堅持しており、よく指摘されるトレモロ上の開始とか、コラール主題や三連符リズムの偏愛といった特徴的な造作に至るまで、どの曲もみな似通っています。
 作曲上理想型イメージとしてはベートーヴェンの第9を模範(声楽は含まない)としつつも、実際の楽曲の有り様は、シューベルトの最後のハ長調交響曲の延長ないしは拡張した変形のようなスタイルと言ったらよいでしょうか。
 和声や書法は別にして、外見からはどちらかというと保守的な交響曲の伝統を守っていると言えましょう。

 その形姿からは、シューベルトからマーラーへと続くオーストリアン・ロマンティックの交響曲の主流にふさわしいものと言えますが、その音楽は、歌心溢れ耽美的な旋律をたっぷり歌わせるというものではなく、その意味では純器楽ながらオペラに通ずる面を思わせるモーツァルトや、まさに歌と器楽の融合の途を進めたシューベルトからマーラーへと至るオーストリアの歌謡的旋律的な交響曲とは一線を画しています。
 オーケストレーションの面でも、ワーグナーに心酔して、テナーチューバ別名ワーグナーチューバを交響曲に持ち込む(それがまたハンスリックらを刺激した)という新機軸も一部あるものの、ハープも入る8番以降はともかく、基本的にはシューベルトからシューマンあたりの管弦楽編成をベースとしていて、その書法も多彩で革新的な管弦楽の用法に感嘆させるという類ではありません。


 その交響曲の構成があまりに判で押したように共通しているので、ブルックナーは、同じ交響曲を何通りもの書き方で繰り返し書いたんだと揶揄される所以でもあります。
 とは言え、それはヴィヴァルディが同じような協奏曲を何百と書いたとか、古典派の交響曲がみな一定のスタイルで書かれていたというのとは明らかに違うのですが...。
 少なくともバロックや古典期の作品のような意味の同一性ではなく、ブルックナーのみの個性はある。ただ、その個性はショパンやワーグナーのような意味ではなくて、「天然○○」という感じのユニークさではと思うのです。

 その音楽も、古典的な明朗さを持つというのでも、ロマンティックな陰翳に溢れているというのでもなく、教会でオルガン演奏を聴くような、壮大ではあるけれど、あまり官能性や愉楽性は感じられない、どちらかというと無骨なと言うと少し誤解を招きますが、まじめな音楽(人より神への捧げものだから?)という感じがします。

 ブルックナーの音楽は、分析的批評的に聴くよりも、その流れに浸ってしまうべきものなのだと思います。
 そういうところが、ブルックナーにあまり馴染んでいない人には、変化やドラマ性のない退屈なものと映ってしまう理由なのかもしれません。しかし、その音楽に演劇や文学的な意味での論理性やドラマ性を求めるのは筋違いなのだと思います。ブルックナーは劇場人でも詩人でもないのです。交響曲という世俗的な音楽にもかかわらず、むしろ神の祭壇に捧げるオルガン演奏に近いものなのでしょう。
 ひとたびその魅力を知ると、なかなか良いものなのですが。


版について
 もうひとつ、少しブルックナーに親しんでくると、今度は、版の問題という厄介なことがらが出てきます。
 よくブルックナーに関する書き物などに、これがブルックナーを聴きづらくしている一因だなどというのを目にしますが、むしろこういうのが気になるのは多少馴染んできてからだと思います。
 楽譜に作曲者本人の自筆譜があり、出版譜や他人の写譜があり、さらに長年の演奏慣行などが重なれば、大なり小なりこういう問題は起きてきて、現にモーツァルトの新旧全集やベートーヴェンの交響曲の新しいベーレンライター版などが話題になるのもその例ですし、本人の改訂の決定稿問題はマーラーなどでも問題になっています。慣例的なカットも、オペラではヴェルディなどでも今もありますし、ラフマニノフの交響曲などはかなり近年までカットされて演奏されてきました。
 それにもかかわらず、ブルックナーの版がこれほど問題になるのは、歴史的な所産としか言いようがありません。

★★★その2へは[前の記事へ]をクリック下さい。

 ブルックナーの交響曲は、その死後はもとより生前も、ブルックナーの支持者、弟子とか友人によって改訂(当時の感覚でのよく鳴るようにとのオーケストレーションの変更や聴きやすくするためのカットなど、改竄というようなものも)された楽譜で長らく演奏され、定着してきたという「史実」は別として、その最大の原因は、もちろんブルックナーその人にあります。
 まずは、その改訂癖。マーラーなどが自身で指揮した結果、手を加えたのと異なり、ブルックナーの場合は、実演もされないうちから改訂を被ったり、それも自ら自信が揺らいでの改訂や友人、弟子らの「助言」を受けての改訂などが複雑に絡み合い、どこまでが本人の真意なのかわからなくなってしまったということが指摘されています。
 もっともこれらの点は、ブルックナー自身が、周囲の改竄?や不本意な出版譜を懸念し、自らの自筆総譜を遺言で宮廷図書館に寄託し、後年の再生に備えるという対策を講じてはいるのですが、そうして残された総譜がひとつの決定稿ではなく、複数稿あるために、結局原典版編纂においても論争を生じてしまうことになったのです。

 その原典版というのも大きく2種あり、今日ハース版、ノヴァーク版といわれるものです。ともに国際ブルックナー協会刊行の原典譜で、前者は第2次世界大戦前にハースを中心に編纂されたもの、後者は戦後ノヴァークを中心に進められたハース版に対する批判全訂全集版です。
 その特徴は、おおざっぱには、ハース版が、最終稿をベースにしながらも早い時期のスコアから補ったり、他人の関与した部分を削ったりしてブルックナーの「真に意図していたところに最も適うであろう」決定稿を目指したのに対し、ノヴァーク版は、ブルックナーがその都度書き残した同じ曲の各総譜を初稿、第2稿、第3稿という具合に別の版稿に起こして出版したものと言えます。
 これだけなら、後者のほうがより客観的で間違いがないと言えそうですが、実は、テンポや演奏指示、オーケストレーションの変更やカットの扱いなど、音符だけではない微妙なブルックナーの音楽に対する両者の音楽観の違いが横たわっているので、ことは簡単でなくなってくるのです。

 実際、取り上げる指揮者のほうでも、楽譜としては、ノヴァーク版と表示しながら、演奏指示や楽器の使用はハースに従っていたり、いわゆる改訂版(つまり弟子ら他人による手の入った改竄版)からの変更の部分採用などまで、かなり複雑な様相を呈しているというのが実態のようです。従ってCDなどでも、あるものはハース版、ノヴァーク版と表記され、あるいは単に原典版とか1890年版というように様々な表記が見られます。
 大物クナーパツブッシュなどは、楽譜には無頓着で、最後までブルックナーは改竄盤でした。仮に原典版を使ってもその中での相違なんかそれこそどうでもいいやと考えたでしょう。

 もっとも、その違いは、曲によっても異なり、第3番、第4番、第8番のように初稿と後の稿とで別の曲想や楽章になっているほどに変わるものもあれば、第5番から第7番までのように両版で本質的なほとんど違いはないというものもあります。
 こうした版や稿、あるいは指揮者による違いを楽しむというのも、ブルックナーの楽しみ方の一つだと思えば、これはこれでなかなか面白いのですが、唯一解を求めないと気持ちが悪いという人には悩ましい作曲家です。(もっとも今や音楽学の進展によりベートーヴェンのスコアにも唯一解はないのですが。)

 それよりも、いっそ版の違いや指揮者の選択も含めて、ブルックナーを聴く楽しみだと割り切ってしまえば、それはそれでまた別の面白さもあります。いまはCDも安くなっているので、いろいろな版や演奏の盤を買ってきて、聴いてみるというのもさほど負担でもないですから。


 なお、ブルックナーのカットについて一言。彼の交響曲は、生前から弟子たちの改訂版で大幅なカットが施されて流布していたわけですが、これらのカットは、まだ当時の聴衆には馴染みが薄く長すぎると感じられた師の曲を普及させるための善意の所産(本人には迷惑?)だったとされています。
 が、こうしたシャルクらの改訂版スコアやさらにマーラーの使用スコアなどの近年の研究からは、こうしたカットはそれだけではなく、ブルックナー独特の書法が、当時のプロの作曲家・指揮者には落ち着きが悪かったためではないかとも言われています。

 たとえばブルックナーの三部形式すなわちABAで、最後のA(ダ・カーポ)について、ブルックナーは当時としては極めて珍しく完全にシンメトリックな形にしているらしいのですが、ベートーヴェン以後、ハイドン時代のように完全なABAよりABA’のように再帰後のAを変化させる方向に移っていき、さらにロマン派全盛時代にはあとのAを極端に変化縮小して、わざとシンメトリックを崩すというのが美学になっていたようなんですね。
 なので、当時の名指揮者でもあった人々、ブルックナーの周囲にいたシャルクやレーヴェも、ニキッシュやマーラーも、この完全ダ・カーポ復帰のA部分は皆カットや書き換えを加えているらしいのです。

 同様に、今日ブルックナーの個性と認められているブロック的な構成、つまりある主題群なり楽想部分と、次の部分とが、スムーズに流れながら変化していくのではなく、全休止等で区切って、突然に変わるという書法(オルガン演奏の手法に由来するらしい)も、当時の指揮者たちにはどうにもぎくしゃくした感じがしてならなかったようで、そういう部分に手を加えている傾向があるようです。
 いずれにしてもそういう近代ロマン派的美学とずれているのがブルックナーらしさであり、いまではそうした改訂版をあからさまに使う指揮者はいないでしょうが、実は原典版でも、ノヴァークでは、カットのうちのいくつかはブルックナーも承知してのこととして、「カット可能部分」の指定をしています。
 実際にするかどうかは指揮者の判断ですが。



ワーグナー派?ブルックナー
 日本の感覚では、ブルックナーというと、比較的近年聴かれるようになった作曲家というイメージがありますが、実は、生前なかなか理解されなかったブルックナーも、独墺では第2次大戦前からよく演奏されており、特に戦前のドイツ第三帝国下では、ベートーヴェン、ワーグナーとともに好まれ、シンボリックに重視された作曲家であったという見方があります。
 たしかに音楽的傾向としてブラームスより壮大で硬派の感じもあり、オーストリア出身であったヒトラーには懐かしさも感じる音楽(他の多くのオーストリア音楽はワーグナー流壮大さに欠けるか、又はユダヤ人作曲家の手になるものばかり?で気に入らない)だったのかもしれません。

 このためか、当時は長くてレコード向きではなかったにもかかわらず、戦時下のドイツでは、フルトヴェングラーをはじめブルックナー演奏の録音がけっこう残っています。
 また、そうした第三帝国での支持にもかかわらず、ワルターなど亡命ユダヤ人指揮者も、まだ一般によく知られていたとは言いがたいブルックナーをアメリカで取り上げています。世紀末ドイツ・オーストリアで育った人々にはやはり一種懐かしい音楽だったのでしょうか。(ワーグナーと違ってブルックナーは反ユダヤ主義的言動を残していないし。)
 なお、先ほどの版の問題に関連して、ドイツ国内にとどまったフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュがずっと改訂(改竄)版を使い続けたのに対し、アメリカに移ったワルターは早くから原典版主義(時代的にハース版)であったというのも興味深いところです。


 ブルックナーの交響曲は、こうして次第にドイツ圏以外でも聴かれるようになっていくわけですが、ここまで来るにはたいへんな労苦があり、生前、後半生を暮らしたヴィーンはおろかオーストリア国内でも、ブルックナーの交響曲が認められるようになるには非常に長い時間がかかっています。
 当時の保守的なヴィーンの音楽家や一般の音楽愛好家には、ただとんでもなく長くて退屈な音楽と思われていたのでしょう。たしかにヨハン・シュトラウスなどとは百八十度正反対、異質な音楽ではありますが。
 また、当時のヴィーン音楽界を二分したワーグナー派とブラームス派の対立の渦中の人となってしまったのも災いしました。
 ブルックナーは熱烈なワーグナー信奉者であり、第3番はワーグナーに捧げていますし、ワーグナー協会にも入会しました。こうした行動が、反ワーグナー派の大立て者エドゥアルト・ハンスリックの怒りを買い、もともとは田舎にいたブルックナーに好意的であったこの評論界の大物を敵に回してしまうことになり、ブルックナーはその激しい批評に悩まされ続けることになります。

 もっとも、私には、ブルックナーの音楽はどう見てもワーグナーの音楽とは違う性格のものだとしか思えないので、どうしてそうなってしまうのか、主義主張による対立が実際はその本来の思想とは無関係な意地や面子で行われている実例がここにあると思っています。
 つまり、ブルックナーの音楽は、文学性や標題性とは無縁で、むしろハンスリック好みの絶対音楽路線に近いのではないか、むしろその伝で言えば、ハンスリックが担ぎ出したブラームスやブラームスの恩人シューマンのほうがはるかに文学的詩的であり、特に後者は標題性も持っていると思うのです。
 ところが、そのブルックナーが、ワーグナーを信奉=ハンスリックの敵=ワーグナー派=ブラームスの対立者という具合に色づけされ、そこに互いの取り巻き連などがさらに対立を煽り、結局は不倶戴天のような間柄になってしまう。
 実際の音楽は、どちらも絶対音楽系なのに!

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 かくして、とにかく、ブルックナーの交響曲は、ヴィーンではなかなか認められない。本人にはハンスリックらの酷評に反論する術もなく、ブルックナーは後年皇帝に拝謁した折、望みを聞かれ、ハンスリックに酷評しないように命じてくれなんて、とんちんかんなことを言っているくらいです。
 もっともブルックナーという人自身、かなり変わり者だったようですが。
 また、ヴィーンが好意的でないなら、他で初演を考えればよさそうなものと思う(たとえばやはり生前ヴィーンでは作品が好意的に迎えられなかったマーラーは、自作の初演をヴィーンでしようとはしませんでした)のですが、性懲りもなくヴィーンで演奏しようとして、ヴィーン・フィルに演奏不能などと拒否されたり、やっと初演にこぎ着けても不評のうちに終わり、それでまた飽くなき改訂のスパイラルに陥ってしまうという繰り返しなのです。



交響曲第7番について
 そうした苦戦の中で、初演から成功を収め、ブルックナーの交響曲が認められる最初の勝利となったのが、交響曲第7番ホ長調だったのです。

 このブルックナーの出世作ともいうべき交響曲は、1881年の9月から83年の9月にかけて作曲され、やはり9月に縁があります。
 一般には、この曲からブルックナーの後期様式が始まるとされ、規模の雄渾さでは次の第8番に、深遠さでは最後の第9番に譲るとはいえ、ブルックナーの交響曲中でも、珍しく旋律が豊かで、最も美しい叙情性にあふれた作品です。
 そのゆえに初演から受け入れられたとも言えましょうが、その初演の成功を得るために、弟子のヨーゼフ・シャルクの尽力とその懇請を受けて初演のタクトをとったニキッシュの周到な準備に負うところが大きいと思われます。
 ともあれ、これまた珍しくヴィーン以外の地ライプチッヒでの初演は大成功で、これでブルックナーの交響曲がようやく日の目を見るわけです。
 さらにミュンヘンで、レヴィ指揮での再演も成功し、勝利は確実になります。
 曲は、ノイシュバンシュタイン城などで有名なルートヴィッヒ2世に献呈されています。
 もちろん、その後のブルックナー作品の普及は、多く改竄版でなされ、真のブルックナーの響きで受容されるにはさらに半世紀以上を要するのですが。
 初演後すぐに受け入れられたので、ブルックナーには珍しく大きな改訂もなく、後述のような部分を除き(ほかにも細かいテンポ設定や専門的な違いはあるようですが)、比較的版の問題に悩まされなくて済むのもこの曲の特徴です。


 ブルックナーの交響曲第7番は、主調がホ長調という管弦楽にはあまり向かないとされる珍しい調性によっているのですが、上述のように旋律的で、雄大さと叙情性とが両立した見事な作品です。
 ただ、充実した前半2楽章に対して、後半2楽章が短く、前半と後半でややバランスが悪いのが少々気になりますが。
 また、ブルックナーとしては破格の聴きやすい音楽なのが、かえってブルックナー通の人たちには複雑でゴシック的な第5番などと比べてもの足らないという面もあるようです。
 しかし、ブルックナーにあまり馴染みがなく、これから聴いていこうという人には、「ロマンティック」という副題が付いてポピュラーな第4番以上に聴きやすく、お薦めだと思います。


 第1楽章は、恒例の弦のトレモロの上に、第1主題が提示されて始まります。この主題は、要するに主和音の分散和音なのですが、のびやかに上昇していく、いかにも悠然として広々とした感じの旋律で、とても好きな主題です。
 むかし、よくこの主題を口ずさみ、本来上昇しなければならないのを、声が出ず音を下げてしまい、友人に笑われたものです。
 ブルックナーも、この主題には期するところがあったようで、指揮者のハンス・リヒターの問いに答えて、「あれは、夢の中でドルン(リンツの歌劇場の指揮者で、リンツのザンクト・フローリアン時代のブルックナーの親しい友人)が口笛で吹いて、『ブルックナーさん、このテーマで幸運をつかんでください』と言ったので、起きてすぐに書きとめたものなのです」と語ったという話が伝えられています。
 一度聴くと忘れられない印象的な冒頭主題です。
 歌謡的な第2主題とユーモラスな感じのする第3主題と続き、ここでは珍しくコラール主題は大きく取り上げられません。
 このコーダは輝かしく充実感があります。
 ブルックナーのコーダは、短調の楽章でもコーダになって長調になるのですが、しばしばそれが唐突に転調されるので、専門家にはあまり評判がよくないのですが、この楽章は初めから長調なので、そういうこともなく気分良く終わります。


 第2楽章は、一転して荘重な感じのチューバを主体とした葬送風の主題で始まります。
 この主題と、弦によるやや明るい感じのもう一つの主題が、交互変奏的に繰り返されるのですが、冒頭主題が三度目にでた後、クライマックスが築かれます。
ここで、打楽器を付加するか否かが、この曲における最大の版の違いによる問題部分となっています。
 すなわち、この頂点で、当初の総譜では打楽器はティンパニだけなのですが、あとから簡易スコアが貼付され、そこではシンバルとトライアングルが加わるのです。しかも、その紙片に、鉛筆書きで「無効」と書いてあるらしいのです。
 ハースは、これらの金属的な打楽器はブルックナー本来の響き、管弦楽法にそぐわず、他人による付加又は入れ知恵でブルックナーの真意ではないと考え、シンバル等を不採用としています。
 これに対し、ノヴァークは、「無効」の文字がブルックナーの筆跡ではないと判断し、たとえ他者の助言でも本人も納得して受け入れたと考え、シンバル等を採用するのです。

 これについては、各指揮者の解釈も分かれているようで、ハース版を基本的にそのまま使うワルターや同じくノヴァーク版を使うジュリーニは、そのスコアどおりですし、ヴァントや朝比奈隆もシンバル等は不要と考えているようです。
 他方、マタチッチやヨッフムは付加打楽器を採用しているらしい。
 インバルは、スコアはノヴァーク版を使っているけど、この部分だけは音響様式的な判断からティンパニのみにしているとのことなのです。
 まぁ、聴いてるとあっという間ですし、シンバルはともかくトライアングルなど大音響の中に埋没してしまっていますので、実際上はさほど気にはなりません。

 終わりのほうで、有名なワーグナーチューバ四重奏による葬送音楽らしいコラール部分が出てきます。
 これは、この曲を書いている間に死去したワーグナーの訃報に接したブルックナーが追悼の意を込めて追加した部分と言われています。
 そして、この後に続く、弦やフルートによる部分、またチューバやホルン、この後奏部分は非常に美しい。
 第9番のやはりワーグナーチューバのコラールとともに、非常に感動的な音楽です。


 第3楽章のスケルツォは、この曲の中で、唯一の速い感じのする楽章です。
 ブルックナーらしい田園舞曲風スケルツォ。
 トリオ部分でのフルートのさえずりが美しい。


 第4楽章は、冒頭から明るい感じのフィナーレで、ただ、ブルックナーの、しかもこの曲の前半楽章とのバランスで言うと、どうしても軽量級な感は否めないのです。
 提示部での第1主題から第3主題が、再現部では逆順で出てくるという、ブルックナー後期のアーチ型構造のソナタ形式という意味では、新機軸なのですが、まだこの楽章では、形式に見合った規模が得られず(展開部が弱いのかも?)、十分な成果を挙げ得たとは言いがたい気がします。
 最後のコーダも、相当に輝かしく、かなり盛り上がるのですが、もう一押しあってもいいかなという感じで、開放感も中くらいなりというところでしょうか。ブルックナー通の人たちが、やや7番を軽んずる原因はこういうところにもあるのかもしれません。



録音盤あれこれ
 しかし、さすがはブルックナー大出世のきっかけとなった曲だけあって、全体にはよくできた、何より聴きやすい名交響曲だと思います。
 うまくできている音楽というのは、演奏もしやすいのか、この曲に関しては、CDでも、そう大きな当たりはずれはないような気がします。


 私がブルックナーを初めて聴いたのは、中学2年生くらいの時、FMで聴いた第3番で、初めて買ったブルックナーのレコードは、半年くらい後に、第4番
でした。第7番を買ったのは、大学時代で、比較的遅かったのです。
 いま手元には、思いつくところで、ワルター/コロンビア響、シューリヒト/ハーグ・フィル、マタチッチ/チェコ・フィル、レーグナー/ベルリン放響、ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管、シャイー/ベルリン放響、インバル/フランクフルト放響、ジュリーニ/ヴィーン・フィル、スウィトナー/ベルリン国立管、ヴァント/ベルリン/フィル、チェリビダッケ/シュトゥットガルト放響、同/ミュンヘン・フィル、ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ管、スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放響、ザンデルリンク/シュトゥットガルト放響といったところがCDであり、ほかにアナログレコードで、私にとってのこの曲の初のレコード朝比奈/大阪フィルのザンクト・フロ−リアン・ライブ盤があったはずなのですが。

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 ヴィーン・フィルとの8番などで名高いシューリヒト盤ですが、これはいわゆる改訂版に基づくためか、ややキンキンする感じの演奏で、特にシューリヒトを聴きたいという方以外はお薦めしかねます。

 ワルター盤は叙情的な面がよく出ていて、私は好きですが、ブルックナー通の人たちにはあまり評価が高くないみたい。でも、アメリカ移住後、ワルターがこの作曲家の普及に果たした役割は大きいと思う。

 マタチッチ盤も、名盤と言われたもので、豪放磊落なブルックナーが聴けます。
アナログ時代、カセットに録音して車の中で聴いていたのは、この演奏でした。

 ヨッフム盤は、とにかくブルックナーを大切にした指揮者らしく、丁寧な演奏です。

 インバル盤は、第3や第8の初稿版録音で有名になりましたが、この曲もきちっと聴かせる演奏で、録音も良いです。ノヴァーク版を使い、ブロックごとのテンポ設定をしてわかりやすい。が、第2楽章のシンバル等は不採用という独自の様式的判断も。

 ジュリーニ盤も、さすがヴィーン・フィルとの相性もよく、美しい響きで聴かせます。ブルックナー通の人には、流れがスムースすぎて、らしさがないと言われる可能性もあるけど。

 メジャーではなく、オケも有名ではありませんが、ティントナー盤とスクロヴァチェフスキ盤は、演奏、録音ともにすぐれた、隠れた(近年はすっかり顕れた感がありますが)名盤だと思います。
 価格的にも手に入れやすいし。
 ティントナー盤の冒頭から美しいこと。わが国でこの指揮者の知られるのが遅く、そして死の早かったことが悔やまれる演奏。
 また、スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケンは、先年3夜続けて実演を聴きましたが、特にこの曲をやった第2夜では、終わった後も、東京の聴衆がしばらく拍手もできず、ましてや安っぽいブラヴォーなど叫べなくなるほどの感動的なコンサートでした。

 チェリビダッケ/ミュンヘン盤は、やはり遅いテンポながら、ブルックナーの場合は遅いのはあまり気にならない。悔しいけどよい演奏でした。シュトゥットガルト盤はさほど遅いテンポではないが、同様の趣ながらややおとなしい感じ?。この指揮者らしさではやはりミュンヘン盤のほうが徹底されているかな。

 シャイー盤は確かに美しい...、評価を下すのはもう少し聴き込んでから。

 ザンデルリンクの引退少し前の録音は、ゆったりと悠々としたものです。

 レーグナー盤は、速いテンポで淡々と進め、さらっとした演奏かしら。

 ヴァント盤も、あまり思わせぶりなところはないけれど、わが朝比奈隆と同様、ブルックナー指揮者として定評があっただけあって、手の内に入った演奏。

 朝比奈盤(ザンクト・フローリアン・ライブ)は、ブルックナーをよくしたこの指揮者としても一期一会的な特別な好演だという記憶があります。たぶんCD化もされているんだろうけど。
 朝比奈さんの晩年の演奏会はずいぶん行きました。奇しくも、学生時代初めて聴いた朝比奈隆のコンサートがこの曲で、最後に聴いたのもこの曲だったような...。


 これ以外でも、よほどひどいのでなければ、どの演奏でも、この曲の良さは伝わると思います。もともと曲がよくできているのですから。
 比較的演奏時間のかかる長い交響曲ですが、秋の夜長にはちょうどよいかもしれません。


 さて、月内に間に合わなかったのをよいことに、また、つい長くなってしまいました。
 今回も、おつきあいいただき、ありがとうございました。


 ではまた。


                     樹公庵  日々   敬白

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