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第2楽章は、アンダンティーノ。やはりソナタ形式によっていますが、緩徐楽章らしく展開部が短いため歌謡形式のようにも見えます。 この楽章の特徴は、ハ短調で書かれていることです。 これ以前に、モーツァルトの長調の協奏曲やシンフォニーで、短調の中間楽章を持つものはありませんでした。当時の協奏曲はいわば社交的な場としてのコンサートでの花形音楽で、楽しく華麗なものが好まれていたわけで、ここに短調の厳しく哀しげな響きを持ち込むというのは、バロック時代ならいざ知らずかなり大胆なものだったはずです。 しかも、この第2楽章は、すでに後期の短調作品をも思わせ、ロマンティックとも形容したくなるような哀感を持った印象的な響きと旋律で満たされています。まず冒頭、重々しくもため息をつくような旋律が弦のみで示され、次にピアノがさらにメランコリックな美しい旋律を奏でると、冒頭の弦の旋律がそのままその伴奏となっていくのです。 第3楽章はプレスト。ロンドーと表記されるフランス風のロンドですが、その中間部に前後の部分と全く対照的なカンタービレの優雅なメヌエットが挿入されているです。 この楽章も斬新で個性的な形式を有し、とびきりの愉悦感に満ちた上機嫌な音楽が展開されます。 まず、冒頭34小節にわたってピアノのみで無窮動風の非常に活気のあるロンド主題が提示されます。次いで管弦楽が加わってさらに推進力とスピード感を増していきます。ロンドなので、AとBの2つの主題があるはずなのですが、あまりに流れがよくて聴いていてもその境目がわからないほどです。 第1のアインガング(カデンツァよりは短い本来は指ならしを意味する即興的な部分)を披露する部分が来て、再度ロンド主題が帰ってきます。 そのあと、ピアノだけが残ってフェルマータのついたアインガング的な1小節を経て、ロンドのCの部分となる中間部のメヌエットなります。ここはゆったりと落ち着いたテンポとなって、それまでとは違う世界に来たかのようなとても優しく美しいところです。 また第2のアインガングを経ると、ロンド主題が戻ってきて、例のごとく縦横無尽に走り回った後、コーダでは勢いを落としつつ、最後はきっぱりと曲を閉じます。 なお、この曲のために、モーツァルトは、第1楽章と第2楽章のカデンツァをそれぞれ2種、第3楽章の2カ所のアインガングをそれぞれ3つも残しています。このことは、いかにモーツァルト自身がこの曲に自身と愛着を持ち、後年になってからも繰り返し演奏したことを物語っています。 こうしたカデンツァ的な部分以外にも、ピアノがソロで活躍する部分が多いのも特徴です。 昨年5月の「熱狂の日」音楽祭で、ジャズ・ピアニストの小曽根真がこの曲を弾いたコンサートをNHKの番組でやっていました。そこで彼はそのカデンツァやアインガングを長い即興で披露し、クラシックがジャズに変容し、再びモーツァルトの協奏曲に戻ってくるといったとてもスリリングで愉快な演奏を聴かせてくれました。これもそうした自由で即興的な展開をも許容する懐の大きさをこの曲が持っている証かもしれません。 この曲は、さすがにモーツァルト後期の協奏曲(旧番号で20番以降)に比べたらCDの数は少ないですが、コンサートでも比較的取り上げられる機会も多く、初期の協奏曲の中ではダントツの人気を誇っています。それは、決して「ジュノム」という愛称のためばかりではなく、やはりこの曲の持つ自由で闊達な雰囲気と充実した内容が人気の理由だと思います。 現在手元にあるこの曲のCDは10種ほど。ピアニスト名で挙げると、ハスキル、ゼルキン、アンダ、ティーポ、ペライア、エンゲル、ヘブラー、ビルソン、インマゼール、内田となりますが、思いつくまま紹介していきたいと思います。 なお、このほか未入手CDでは、ラローチャ盤とシフ盤は聴きたい。それに往年のハスキルやリリー・クラウスは知らず現代では最高のモーツァルト弾きの一人であるピリス盤は押さえておきたいところと思っています。 まず、クララ・ハスキル盤。ハスキルはこの曲の録音を何種か残していますが、手元にあるのは、カール・シューリヒト/シュトゥットガルト放送交響楽団との演奏(ANDROMEDA1952年録音)です。 録音年からもわかるとおり古い放送音源のモノラル録音の上、私のCDはレコードからのいわゆる盤起こしと思われるので、ややこもり気味の音で、音質は万全とは言えないかもしれません。 それでも、この曲を好んで取り上げたハスキルの演奏がシューリヒトのバックで聴けるのはうれしいことです。演奏は、今日の感覚からはややロマンティーク寄りの解釈かもしれません。でも、ハスキルの病弱なイメージに反して、意外に明確でしっかりした感じの演奏という印象を持ちました。 これに比べると、イングリット・ヘブラーの演奏(PHILIPS1968年、ロヴィッキ/ロンドン交響楽団)のほうが、ずっと柔らかい感じです。 次は、ゲザ・アンダがザルツブルク・モーツァルテウムのカメラータ・アカデミカを弾き振りした録音(DG1968年)。 これはしっかりした構成感があって、しかもメリハリがあり、モーツァルトの、この曲を聴く愉しみというところにも不足を感じない演奏です。 アナログ全盛期の録音で音質にも不満はありません。 弾き振りによる演奏では、マレイ・ペライアとイギリス室内管弦楽団による録音(SONY1976年)も定評がありますが、こちらのほうがやや肉厚な感じ。 むしろ、私の好みとしては、カール・エンゲルとレオポルト・ハーガー/ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の演奏(TELDEC1978年)が、一見地味ながらとても安心してきていられ、モーツァルトらしさにも欠けていない好演だと思います。 ルドルフ・ゼルキンとアバド/ロンドン交響楽団の演奏(DG1981年)は、晩年のゼルキンのピアノに深みがあり、たとえば第3楽章の中間部メヌエットのようにテンポのゆったりしたところなど非常に美しい。 ただ、アバドの指揮ともども、テンポの速い部分などはもう少しこの曲特有の愉悦感がほしいような贅沢な不満を持ってしまいます。オーケストラにももっと明るい響きがあったらさらに良かった。 日本では知名度が低いのですが、イタリア人のマリア・ティーポとリッカルド・シャイー指揮ロンドン・フィルハーモニーによるCDは、この曲の愛聴盤の一つです。(PLATZ1983年) ティーポのこの曲の演奏は、ラテン的な明るさ、軽やかさとでもいうのでしょうか、実に魅力的です。 同じことが、古楽勢のマルコム・ビルソンとジョン=エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏にも言えるような気がします。これも非常に安定感があって、見事な演奏なのです。ただ、欲を言えば、あの第3楽章のプレストで踊り出したくなるような気分があふれ出るという感じがもっとほしいのですね。 古楽系では、ジョス・ファン・インマゼールがアニマ・エテルナ管弦楽団を弾き振りした演奏のほうが、むしろ楽しさが出ていて、この曲には合っているのかもしれません。 というわけで、今回は、名曲揃いのモーツァルトのピアノ協奏曲から、「ジュノム」協奏曲をお届けしました。
ではまた。 |
樹公庵さんの「今月のこの1曲」
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<曲目一覧>
2004.1月 モーツァルト・交響曲第38番
2004.2月 ビゼー・交響曲第1番
2004.3月 ハイドン・交響曲第100番
2004.4月 ベートーヴェン・交響曲第3番
2004.5月 ストラヴィンスキー・春の祭典
2004.6月 ディーリアス・二つの小品
2004.7月 ベートーヴェン・交響曲第5番
2004.8月 ショスタコーヴィチ・交響曲第5番
2004.9月 ブルックナー・交響曲第7番
2004.10月 シベリウス・ヴァイオリン協奏曲
2004.11月 シューベルト・ピアノ三重奏曲第2番
2004.12月 J.S.バッハ・クリスマス・オラトリオ
2005.1月 モーツァルト・エクスルターテ・ユビラーテ
2005.2月 チャイコフスキー・交響曲第2番
2005.3月 ベートーヴェン・ミサ・ソレムニス
2005.4月 モーツァルト・弦楽四重奏曲第1番
2005.5月 シューベルト・交響曲第8(7)番
2005.6月 メンデルスゾーン・真夏の夜の夢
2005.7月 ヴォーン=ウィリアムズ・ロンドン交響曲
2005.8月 ブリテン・戦争レクイエム
2005.9月 ドビュッシー・ベルガマスク組曲
2006.8月 ホルスト・組曲「惑星」
2007.1月 モーツァルト・ピアノ協奏曲第9番
2007.3月 テレマン・パリ四重奏曲集
2007.4月 J.S.バッハ・フルートソナタ ロ短調
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2004.1月 モーツァルト・交響曲第38番
2004.2月 ビゼー・交響曲第1番
2004.3月 ハイドン・交響曲第100番
2004.4月 ベートーヴェン・交響曲第3番
2004.5月 ストラヴィンスキー・春の祭典
2004.6月 ディーリアス・二つの小品
2004.7月 ベートーヴェン・交響曲第5番
2004.8月 ショスタコーヴィチ・交響曲第5番
2004.9月 ブルックナー・交響曲第7番
2004.10月 シベリウス・ヴァイオリン協奏曲
2004.11月 シューベルト・ピアノ三重奏曲第2番
2004.12月 J.S.バッハ・クリスマス・オラトリオ
2005.1月 モーツァルト・エクスルターテ・ユビラーテ
2005.2月 チャイコフスキー・交響曲第2番
2005.3月 ベートーヴェン・ミサ・ソレムニス
2005.4月 モーツァルト・弦楽四重奏曲第1番
2005.5月 シューベルト・交響曲第8(7)番
2005.6月 メンデルスゾーン・真夏の夜の夢
2005.7月 ヴォーン=ウィリアムズ・ロンドン交響曲
2005.8月 ブリテン・戦争レクイエム
2005.9月 ドビュッシー・ベルガマスク組曲
2006.8月 ホルスト・組曲「惑星」
2007.1月 モーツァルト・ピアノ協奏曲第9番
2007.3月 テレマン・パリ四重奏曲集
2007.4月 J.S.バッハ・フルートソナタ ロ短調
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みなさま 処暑も過ぎ、いくぶん朝晩は過ごしやすくなってきたかなとはいうものの、やはり毎日蒸し暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。 昼間は相変わらず蝉たちが最後の夏を惜しむかのように鳴いていますが、夕暮れともなると蟋蟀が秋の音を聞かせてくれるようになりました。自然の季節はようやく暦に追いつこうとしているかのようです。 8月も残り少なくなって、先週はまた、雷様が続けて来駕された週でもありました。こちらでは夜半に雷雨ということもありました。雨雲が去ったあとは、夜空の星がきれいな気がします。 さて、星空と言えば、やはり先週、天文学界の国際的機構である国際天文学連合(IAU)が、プラハで総会を開きました。今年の総会では、新しい惑星の定義について協議が行われ、太陽系の惑星の数をめぐる見直しが注目を集め、新聞報道で関心を持たれた方も多いかと思います。 初めは、近年発見著しい小天体の中から新たな惑星が追加され、太陽系の惑星は12個になりそうだと伝えられていたのですが、一転、最終的には、冥王星が惑星から外され、矮惑星とされることになって、惑星は従来の9個から8個に減るという結果となりました。 新聞も各紙がこの経過や混乱ぶりを報道し、新定義が採決されるや、「冥王星格下げ」などといった見出しが紙面をにぎわせました。 冥王星は、20世紀に入った1930年に発見され、最も新しい惑星となったわけですが、21世紀に入って間もなく惑星から外されることになってしまったわけです。 地球以外の惑星としては、古くは肉眼で見ることのできた水星、金星、火星、木星、土星の5つとされていたところ、望遠鏡による天体観測が進み、18世紀に天王星が、続いて力学的な計算上の天王星の軌道のずれから、19世紀に海王星が発見されました。これら太陽系惑星が、天体としての直径、質量、密度の比較により、水星から火星まで(地球型惑星と呼ばれる)と木星から海王星まで(木星型惑星と呼ばれる)の2グループに分けられているのは周知のとおりです。 これに対して、冥王星は、直径、質量、密度ともに他と比べて極端に小さく、上記のどちらのグループにも当てはまらない。公転軌道面もずれているなど、もともと冥王星については他の惑星と異なる点が多く、その惑星としての位置づけには議論もあったようですので、今回の結果も天文学者の間ではそれほど意外なことではなく、長年の論争が落ち着いたということのようです。大騒ぎしたのは一般紙などのマスコミだけだったのかもしれません。たしかに教科書の書き換えなど、その影響は結構あるようですが。 もっとも、冥王星を外すことは大方の支持を得たものの、肝心の「惑星」の新定義のほうはあまり評判が良くないとのことで、また遠からず見直しがあるかもとの見方もあるようです。 そうした冥王星問題をめぐる報道の中で、クラシック畑のある音楽作品がしばしば言及されていました。お気づきだったでしょうか。 それは、ホルストという英国の作曲家による組曲「惑星」です。 この曲、実際どのくらいポピュラーで、一般の音楽ファンにどれほど親しまれているのかわかりませんが、今回の惑星数騒ぎでは格好の話題を提供してくれるものであることも事実です。 と言うのは、この組曲は、7曲から構成されていて、各曲は地球を除く水星から海王星までの7つの惑星に充てられているのですが、曲が作られたとき、まだ冥王星は発見されておらず、そのために冥王星の名を冠した曲はなく海王星で終わっているからなのです。 しかも、20世紀の終わりに、コリン・マシューズ(1946−)という英国人作曲家が、指揮者のケント・ナガノとハレ管弦楽団の依頼により、新たに「冥王星」の曲を作曲したばかりで、この曲を付加した「惑星」のCDも出回り始めていたというおまけまで付いているのですから。(さて、こちらの冥王星の運命やいかに?) グスターヴ・ホルスト(1874−1934)は、以前取り上げたヴォーン=ウィリアムズの2歳下で、互いに親交があり、同じ時期に民謡採譜活動などを行って近代英国音楽の興隆期に寄与した作曲家です。 ミリタリー・バンドのための組曲という作品があって、多少吹奏楽をやっていた人には知られているのかもしれませんが。そのほかの作品は、いかにも英国人作曲家らしい、そして特に控えめな人だったホルストの、節度ある(地味な)作風のため、イギリス以外ではポピュラリティを得ているとは考えにくいのですが、まさに突然変異のようにこの組曲「惑星」が生み出されたのです。 そして、この曲は、英国音楽史上最大のヒット作とまで言われる作品となったのです。(ビートルズなどのポピュラー・ミュージックは除いています。あしからず。) 実際、ホルストの作品中、これほど大規模なオーケストラのための音楽を書いたのも、全曲で50分にも及ぶ管弦楽作品も、この他には見当たらないくらいなのです。 なにより作曲者自身が、この曲の人気に当惑していたというのです。(「惑星」のスコアへのコリン・マシューズによる序文には、娘イモージェンの「父は人気作曲家には不似合いだった」という言葉や、同様な作品を望む聴衆のために、本来の彼らしい他の作品が十分な評価を得られなかったという悲喜劇が紹介されている。)この作品が、ホルストの名を不朽にした最大の成功作であることは確かですが、では、これがホルストの作風の代表作かということとは別のようです。 ホルストという人は、作曲家として世に出るまではトロンボーンを吹いていて、また作曲家としても、教職の傍ら創作活動を行うといういわば日曜作曲家のような存在であったようです。 そのため、作品数もさほど多くはなく、「セントポール組曲」、「エグドン・ヒース」などの佳曲はあるものの、今日コンサートなどのプログラムを飾る知られた作品というのは、少なくとも本国イギリス以外では、「惑星」だけだと言ってもよい状況です。 では、その組曲「惑星」はと言うと、さすがに20世紀初頭の作品で、昔ながらのいわゆる泰西名曲のようなわけにはいきませんが、しかし、近代の、しかも他ならぬ英国音楽としては、空前の成功作と呼んでも過言ではないと思います。 エルガーやヴォーン=ウィリアムズの交響曲、ディーリアスやブリテンの管弦楽・声楽作品なども、これまでそのいくつかを紹介してきたように、聴いてみると結構良い曲なのですが、どうしてもブラームスやチャイコフスキー、マーラーなどのように普遍的な人気を得て、コンサートのメインを常に占めるというのは難しい英国音楽のイメージがあります。しかし、このホルストの「惑星」は、なかなかどうしてコンサート・ピースとして十分通用する魅力があると思えるのです。 ホルスト自身は、現代のスペース・オペラ風の宇宙を舞台にした音楽を書こうという意図はなく、後に触れるように占星術的なイメージからの惑星を取り上げているだけなのです。が、R.シュトラウスばりの特大編成オーケストラを用い、しかもその音楽が、旋律や変化に富み、難解な現代音楽的手法は用いずに斬新な響きを生み出していること、現代人の宇宙への憧れや関心と合致したことなどが、今日の人気をもたらしたと考えられます。 私自身は、この組曲を意識して聴いたのは、比較的あとになってから、たぶんCD時代になってからなのですが、実は、このうちの「木星」だけは、早くも中学生のときに聴いたことがあるのです。 それは、まだ音楽を聴き始めたばかりの頃。私はモーツァルトのジュピター交響曲というのを聴いてみたいと思っていました。すると、友人の阿部くん(シューベルトの「未完成」交響曲の稿でも登場)が、家にその曲のレコードがあると言うのです。早速遊びに行って、ステレオの試聴用として付いてきたという件のレコードをかけてみたのです。スピーカからは弦のさざ波がだんだん強く大きくなっていき、金管が堂々とした旋律を吹き鳴らす音楽が流れてきました。 なるほど、これが有名なジュピター交響曲かと、しばし二人で耳を傾けていたのですが、ところが第1楽章だけで終わってしまったのです。おかしいなぁと思って盤面を見るとびっくり。確かに「ジュピター」とは書いてあるのですが、作曲者はモーツァルトではなく全然知らない名前だったのです。ジュピターってローマ神話の神様の名前だけど、木星のことだったんですね。クラシック聴き始めの頃のお粗末ながらも懐かしい思い出です。 |

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組曲「惑星」作品32は、第一次世界大戦勃発の直前1914年5月に作曲に着手し、1917年にはほぼ完成していたとされています。 その第1曲「火星」について、ホルストは、大戦の勃発とは無関係だと言っていますが、初演を聴いた聴衆は、その不気味で荒々しく戦闘的な音楽に世界大戦の予感を聴き取り衝撃を受けたと言われています。組曲は、こうした時代背景の中で作曲されたのです。 初演は、1918年9月29日に、友人の作曲家ヘンリー・バルフォア・ガーディナー主催の私的な非公開の演奏会で、エイドリアン・ボールトの指揮で行われました。その後、5曲ないし3曲の公開演奏の後、全曲の公開演奏は1920年11月。 組曲「惑星」は、「惑星−大オーケストラのための組曲」というのが正式な曲名で、実際きわめて大きな編成のオーケストラのために書かれています。 すなわち、木管楽器:フルート4(うち2本はピッコロと、1本はバス・フルートと持ち替え)、オーボエ3(1はバス・オーボエ持ち替え)、イングリッシュホルン1、クラリネット3、バス・クラリネット1、ファゴット3、コントラファゴット1、金管楽器:ホルン6、トランペット4、テナー・トロンボーン2、バス・トロンボーン1、テナー・テューバ1、バス・テューバ1、打楽器:ティンパニ6、大太鼓、小太鼓、シンバル、鐘、トライアングル、タンブリン、グロッケンシュピール、木琴、タムタム各1、弦楽器5部(ヴァイオリン2部、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)に、ハープ2、チェレスタ1、オルガンというものです。(さらに、終曲には女声6部合唱が加わる。) すでに、世にはマーラーやR.シュトラウスの例があったとは言え、かなりの大編成であることは確かです。 また、この組曲、各曲に惑星名の標題が付いていますが、先にも触れたように、当時ホルストは占星術に凝っていて、あくまで占星術的な意味が着想のきっかけであり、その中には標題音楽は全くないと、作曲家自身が述べています。(もっとも、当時各惑星の探査などは遠い未来の話で、各惑星を標題的に描くなど到底不可能でしたが。)そして、各曲のサブタイトルを広義に解釈してもらえれば十分だとも言っています。 そういう意味では、よくこの曲のCDジャケットに描かれているような火星や土星といった天体そのものを音楽で描いたものではなく、「・・・する者」というサブタイトルから連想される気分や性格といったものをイメージとして音楽化したものとして聴くべきなのでしょう。 第1曲は、「火星 戦争をもたらす者」と名付けられている。 アレグロ。まず、初めは弱く、ティンパニ、ハープ及び弦(コル・レーニョ奏法=弓の背側で弦を叩く)によるダダダ・ダン・ダン・ダダ・ダンというリズムが打ち鳴らされて始まります。執拗に繰り返されるこのリズムは、オスティナートとしてこの開始の曲を支配します。これをバックに低音管楽器が和音を伸ばすような暗い主題を吹き始め、楽器を増やしてフォルティシッシモに高まると、冒頭からのリズムも威嚇するような猛々しさで吹奏されます。 やがて、ホルンに波打つような付点リズムを持った重々しくも力強い第2の主題が現れ、重武装した軍団が次々展開するように次第に力を増していきます。 中間部ではやや明るくなり、ホルンやトランペットを中心に進軍ラッパのような新しい主題が活躍します。 再び冒頭のリズムと第2の主題が戻ってきて頂点に達しますが、急に暗く沈むかと見えて、金管楽器が砲撃するような威嚇的なリズムを断続的に強奏し、最後は崩れるような轟音で終わる。 第2曲は「金星 平和をもたらす者」。前曲とは対照的に、静かで平安な、きわめて美しい楽曲となっている。全7曲中、最も優雅で耽美的な曲。 まず、アダージョの部分では、ホルンが平和な上昇音階的な主題を吹き、木管が下降音型で応える。やがてフルートやハープが美しい和音をかき鳴らすうちに、ホルンと木管の応答が再現し、チェロからヴィオラに静かに湧き上がるような弦の調べをヴァイオリンが引き継ぐと、ヴァイオリンのソロが夢見るような美しい旋律を奏で出す。木管とホルンがシンコペーションでたゆたうようなリズムを刻んでいく。 オーボエの甘い主題に先導され、中間のラルゴの部分に入る。木管とハープがやはり静かなリズムを刻んでいる。弦に動きが出て、チェロのソロがオーボエの主題を模倣すると、再びアダージョ。 さらに、アンダンテと速度を変化させながら、美の女神ヴィーナスの名にふさわしく美しい音楽が続いていく。最後は、柔らかなフルートの音色とチェレスタの透明で煌めくようなアルペジオが溶け合いながら消えていくように終わる。 第3曲「水星 翼のある使者」は、その名のとおり翔るようなヴィヴァーチェ、無窮動的な性格の一種のスケルツォと考えられます。 ファゴットとチェロに現れた、めまぐるしく旋回し羽毛が舞い上がるような動機がさまざまな楽器に波及していって、一息入るかと思うと、すぐに、楽しく妖精が跳ねながら下降してくるような主題を、まずチェレスタ、次いでオーボエとイングリッシュホルンが奏し出します。 やがてこれが弦の刻みに落ち着くと、5小節ばかり4分の2拍子に変わり、再び8分の6拍子に戻ると中間部となり、ソロ・ヴァイオリンが控えめながら軽快に流れるような旋律を出し、さまざまな楽器が受け渡し繰り返していきます。 再び旋回し舞い上がるような動機が現れ、しばし無窮運動を繰り広げたあと、チェレスタが下降主題を再現、中間部の主題も顔を出し、最後は旋風に舞い上がった羽毛が静かに落ちてきて、中空でぽっと消えたように終わる。 第4曲が、前述のジュピター。「木星 快楽をもたらす者」で、全曲中で最も有名な曲。 たしかに堂々として喜ばしい旋律に溢れ、親しみやすい音楽(ポップスにも賛歌にもなる)で、かつ寸分の弛緩もないゴージャスで愉快な気分になれる楽曲となっている。これと言って新奇な楽器も特別な技巧も何もないのだけれど。見事です。 その中間部に出てくる有名なメロディには愛国的な歌詞が付され、賛歌「I Vow to My Country(私は祖国に誓う)」となり、故ダイアナ妃の葬儀の折にも歌われたと言う。(最近、平原綾香という歌手が、このメロディに日本語の歌詞を付けてヒットしたJupiterという歌もある、らしい。と言うのは未聴のため。) |

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さて、「木星」は、まずアレグロ・ジョコーソで、4部に分けられたヴァイオリンのさざ波のようなアルペジオで始まる。そこにホルンが(「非常に重々しく」と表示があるが、むしろ力強く広がりを感じさせるような)シンコペーションが印象的な第1の主題を奏し出し、低音管楽器が繰り返す。さざ波は弦楽器全体と木管楽器にまで広がる。 金管を中心に主題の断片を吹き交わしながら展開するうち、速度を落とし強奏で一瞬立ち止まって、直ちに元のテンポで、またホルンを主に行進曲風の喜ばしげな第2の主題(また荘重にとあるが、むしろ軽快な感じすらする主題)が現れる。 これが木管などで繰り返されていくと、突然速度を落とし、リズムも3拍子に変わって、弦の重厚な和音をバックに、6本のホルンによる斉奏で、鐘が鳴り響くかのような祝典舞曲的な第3の主題となる。これが発展するうちに速度を速め、2拍子、元のテンポに戻る。 と、急にテンポが半分になり、再び4分の3拍子となってアンダンテ・マエストーソの中間部となる。ここでもまた、ホルンが主役となり例の有名な民謡風の旋律が第4の主題として登場する。このいかにも晴れ晴れしい主題が繰り返されるうちに全管弦楽による賛歌合奏に達する。 初めのテンポ(2拍子)に戻って、第1主題から各主題が再現し、第3主題で高まると、レント・マエストーソ、テンポを3分の1に落とし、木管と弦は非常に細かいアルペジオを奏す中、バス・トロンボーンとバス・テューバがゆったりと第4主題の引き延ばした変奏を吹かせたあと、速度を上げてコーダに突入、最後はプレストで高らかに盛り上げて終わる。 第5曲は、「土星 老年をもたらす者」。アダージョで、一転、暗く物憂げな音楽が始まる。 フルートとハープが拍節感の希薄な単調でうつろな和音を繰り返していく。テンポが速まり、リズムが低弦のピッチカートに変わると、トロンボーンが明るさを帯びたゆったりとした行進曲風のコラール主題を吹奏し、木管や弦楽器に広がっていく。 元のテンポに帰ると、フルートのまるで葬送のような重々しい足取りの行進となる。これが厚みを増していって、金管や鐘による強奏となるが、やがて音量を減じていく。 アンダンテ2分の3拍子に変わり、ハープやフルートが静かなアルペジオを奏で、音型を次第に細かくしていく中で、音楽はすべてを成就した満足感を感じさせるようなおおらかさも滲ませる。弦が非常に動きの少ない旋律を奏し、和音を長々と引き延ばしながら、消えるように終わる。 第6曲「天王星 魔術師」は、アレグロで金管による呪文のような強奏に続き、ファゴットがスタッカートで、デュカの「魔法使いの弟子」を思わせるような、ちょっと剽げたような旋律を吹き始め、楽器を増やしていく。木琴がひとしきり加わったあと、ファゴットと弦のピチカートでスタッカートな性格の軽快な主題が奏される。 やがて、さらに元気で楽しげにレガートな旋律がホルンに現れ、他の楽器も巻き込んで高まってから、急に音量を落とす。そこで、再び冒頭の呪文が響くと、ティンパニがドンガラ景気を付け、テューバが調子の良い行進曲調の新しい主題を吹き出す。これが金管を中心に盛り上がって、カーニバルのパレードよろしく賑やかに進んでいく。 陽気な行進が、その頂点でオルガンの強烈なグリッサンドでブレーキをかけられると、一転、急に速度をレントに落として神秘的なハープの爪弾きを聴かせ、またアレグロでのおどけた部分を経たあと、最後はラルゴのコーダとなって、強烈な不協和音から次第に力を減じて、最後はやはり消えるように終わる。 最後の第7曲は、「海王星 神秘主義者」。 この曲では、女声6部合唱によるヴォカリーズ(歌詞のない母音による歌唱)が加わるが、スコアの注には、「合唱は隣接する部屋に置かれ、そのドアは、最後の小節でゆっくりと閉じられるまで開けておく。合唱や合唱指揮者、部屋のドアは聴衆から見えないほうがよい。」と書かれている。 また、オーケストラについても、「全体にずっとピアニッシモで演奏する。」とされています。 曲はアンダンテ、静かなフルートによる神秘的な旋律で始まるが、その後しばらくはあまり旋律らしい旋律はなく、ハープやチェレスタを中心にアルペジオがずっと続く。 やがて、女声合唱が静かに入ってきて、後半部となる。伴奏はハープ、チェレスタ、フルートなどが中心で、女声合唱はあまり変化のない似たようなフレーズを繰り返して、まことに天国的な不思議な音楽がひたすら続いていくのです。 最後の小節は、小節線がリピート線で挟まれており、ディミヌエンドしながら何度も繰り返される。この箇所には「この小節は、音が聞こえなくなるまで繰り返す。」と注記されています。この曲の終わりは、本当に虚空に消えるよう。いつどこで終わったのかわからないくらいです。 この作品のCDでは、やはり何と言っても英国系の指揮者、オケによるものが多いようです。 私の手元にあるのも、ほとんどが英国のオケ又は英国人指揮者によるものです。今回はその英国系4種をご紹介します。 まずは、エイドリアン・ボールト指揮のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(+ジョフリー・ミッチェル合唱団)による1978年の録音(EMI)。 ボールトは、1889年生まれ、1983年に亡くなった英国指揮界の長老的存在として尊敬を集めた指揮者でした。19世紀ドイツの名指揮者ニキシュに師事し、帰国後はエルガーやヴォーン=ウィリアムズ、ホルストらの作品を初演するなど英国近代音楽の隆盛期を支えたのです。 この曲の初演者でもあり、「惑星」の録音盤も生涯に5種ほど残しているそうですが、これはその最後のもの。私がこの曲を初めて聴いたCDです。 ボールトは器用なタイプではありませんが、小細工を弄さず、けれんみのない堂々とした演奏解釈を身上としています。この曲については、やや速めの淡々とした演奏ながら、初演者として楽曲を隅々まで手の内に入れた、安心して聴くことのできる演奏です。この曲のCDではまず指を折るべき名盤といえましょう。 録音もアナログ期の最後期のもので、いまでも十分通用する音質です。 次は、アンドリュー・デイヴィスがBBC交響楽団(+同響合唱団)を指揮した1993年録音のCD(TELDEC)。これ以降はデジタル録音。 A.デイヴィスは、ロンドン名物プロムスの常連指揮者ですが、単なる元気でいけいけだけの指揮者ではないようです。特に個性があるとかスケールが大きいというわけではありませんが、どんなレパートリーでも一定の水準以上のできで注文に応じられる手堅さと器用さを持っているように思います。 この曲の演奏でも、万人向けの「惑星」と言えるものとなっていますが、だからと言ってつまらない演奏だということではなく、適度にメリハリがあり、つぼは押さえつつ、柔軟で、どの曲にも出来不出来のない演奏を行っています。難を言えばこの人ならではという強烈な個性を感じさせるというタイプではないということでしょうか。 次のヒューズ盤ともにワーナーのapexというシリーズの中の1枚で、比較的新しい録音でありながら、価格が安い(特に輸入盤)のはありがたいところです。 ホルストの「タピオラ」とも言われる晩年の作「エグドン・ヒース」がカップリングされています。 3つ目は、オーウェン・アーウェル・ヒューズ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(+ケンブリッジ・シンガーズ)による2004年録音盤(Warner)です。 この人については、CDのブックレットでも詳しい情報が得られず、生年もわからないのですが、ラトルよりも若干若い世代の指揮者かとも思われます。 なお、このCDには、コリン・マシューズ作曲の「冥王星」と、ホルストの「サマセット狂詩曲」がカップリングされていて、「冥王星」を含む初の廉価版による録音などと書かれていました。 私がこの盤を購入したのも、実は「冥王星」付きに惹かれたためでした。しかし、この演奏は、決して安かろう悪かろうの類ではなく、解釈の深さやスケールはともかく、メリハリもあって各曲の描き分けも悪くなく、わかりやすく聴きやすいものにはなっている(多少軽量級?)と思います。録音も良く、ともあれ「惑星」を聴いてみたいという人には十分お薦めできるものと思います。 最後は、最新盤、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(+ベルリン放送合唱団)の2006年3月のライヴ録音(EMI)。 ラトル/ベルリンの「惑星」という先入観で聴き始めたのですが、意外におとなしいというか、落ち着いた感じのする演奏です。 管も弦も超一流のベルリン・フィルという世界の名器による演奏は、さすがにライヴにもかかわらず全く破綻もなく、上質のオーケストラ音楽を楽しませてくれますが。金管の咆吼する部分でも優雅な感じがするくらいです。優雅?ヴィーンでなくベルリンなのに。このあたりがラトルの意図なのかしらん。正直もっとベルリン・フィルらしい豪華でキラキラするような「惑星」を期待していたのですが。そのせいか、派手な「火星」などより、むしろ「金星」や「海王星」など静かな曲が印象に残る。 実際には速い曲はハイテンポで、緩徐な曲はじっくりとと、緩急は付けられいるようなので、おとなしい印象は、このレーベルらしいオフマイク気味でやや録音の音量レベルが低いせいもあるのかもしれませんが。 これは、2枚組のCDで、マシューズの「冥王星」のほか、新たにラトルにより委嘱された4人の現代作曲家による小惑星や宇宙を題材にした新作初演がカップリングされています。 このほかには、2種あるアンドレ・プレヴィン盤が評判がよいようです。また、かつて、英国以外でこの曲を普及させた功績のあるものとして、カラヤン盤(これも2種ある)もあります。いずれも未聴なので、紹介はできませんでしたが。 なお、たびたび触れているコリン・マシューズの「冥王星」について、一言。 作曲家のマシューズは、ホルストの愛娘でその作品の校訂や整理に力のあったイモージェンとも親交があり、ともにホルストの楽譜の校訂や出版に協力した人のようです。 この新曲は、ケント・ナガノとハレ管弦楽団の委嘱により2000年に作曲、初演されました。マシューズ自身は、「惑星」の続きとしてではなく、ひとつの付録として考えたというようなことを言っています。 気分的には似通ったものを出そうとしていることは感じられますが、20世紀初頭に作曲され、決して前衛的な作曲家ではなかったホルストによる原組曲と並べると、やはりその現代的な音楽語法に違和感はあります。ラトル盤に登場する宇宙連作にも言えますが、所詮ホルストの「惑星」は、「宇宙」や「天体」そのものを描こうとしてのではなかったのだという事実に行き着くのかもしれません。 ホルスト自身は、生前のうちに冥王星発見に立ち会っているにもかかわらず、「惑星」に新たな曲を付け足そうとは考えなかったという事実にも。 人生や世界への深い思索や精神性を音楽に求めるのにはあまり向きませんが、7つの曲それぞれに個性があり、変化に富み、平易な語法を用いながら斬新でセンスの良い、まさに音楽を楽しむひとときをもたらす者。「惑星」は本来の意味で第一級のエンタテイメントとしての音楽作品となっています。 英国音楽なんか面白くないと疑り深いそこのあなた、お薦めですヨ。 というわけで、今回は、惑星をめぐるホットな話題から、ホルストの組曲「惑星」を取り上げてみました。 ではまた。 |

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みなさま おかげさまで、この「今月のこの1曲」も2周年を迎えることができました。 秋9月といえば、お月見ですが、実際には長雨の時期と重なり、なかなか姿を見られない中秋の名月ですが、今年は、どうやらまずまずの天気で、きれいな月が眺められました。 日本では古くから花鳥風月といって、月は、風趣の深い自然の代表ですが、ギリシャ神話の昔はともかく、キリスト教が普及して中世以来の西洋では、月というのは、あまりしげしげと眺めるべきものとはされていなかったようです。 むしろ、かつてヨーロッパでは、長らく月は狂気や魔性のものを誘う、いわばまがまがしさを象徴するもののように思われてきたような話もどこかで読んだ覚えがあります。 そうした雰囲気は近代以降になっても多少は尾を引いている部分もあるのでしょうが、さすがに啓蒙時代を経て、19世紀ロマン主義の時代になると、月がただ忌むべきものではなく、西洋においても、ようやく美的、詩的な対象としてクローズアップされてくるのでしょう。 ドイツ・ロマン主義絵画のフリードリッヒやクラウゼン・ダールの月光や月夜をモチーフにした風景画などを見るとそれを感じますし、詩や音楽にも月が登場してきます。 さて、ここに月の光を題材にした私の好きな1曲があります。 ベートーヴェンの「月光」ソナタでは?って。あの曲もよい曲ですが、残念ながら、あの「月光」は、作曲者自身は全くあずかり知らぬ曲名です。 え、そう、そうなんです。 その曲とは、ドビュッシーの「月の光」です。 実は、私は、本格的なクラシック音楽に、オーケストラ曲から入ったもので、ピアノ音楽には比較的遅く接したものですから、若い頃はどちらかといえばピアノ曲を苦手にしていました。(これまでの今月のこの1曲にも明らかにそうした偏りが反映されているようです。) もちろん、LP時代にもベートーヴェンやモーツァルトの有名なソナタのいくつかは聴いていましたし、ロマン派の作曲家シューマンやショパン、リストなどの曲も知らなかったわけではありませんが、その頃は、同じ聴くなら交響曲や協奏曲、大編成の声楽曲のほうが面白かった。 で、自分で楽器が弾けるわけでもなく、なかなかピアノ音楽の世界が拡がらないままに過ぎてしまったのです。 ところが、ふと何かの折に、たぶんFM放送だったとは思うのだけれど、ドビュッシーのピアノ伴奏の歌曲を耳にし、それ以来、急にフランスのピアノ音楽、それもオーケストラ曲の分野では当時さほど好んでいたわけでもなかったドビュッシーのピアノ曲を聴きたくなったのです。 それでも、すぐには聴く機会を得ず、さらにだいぶ経って、CD時代になってから本格的にドビュッシーを聴くようになったのでした。 そこから、ラヴェルやフォーレの作品に関心が拡がり、サティやスペインのファリャ、モンポウなども聴くようになったのでした。また、こうしたフランス近代のピアノ音楽を聴くようになってから、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトといった独墺系やショパンなどのピアノ音楽もより聴くようになり、バッハやクープラン以前の古い鍵盤音楽から、メシアン、武満徹の現代ピアノ曲などまで手を広げて聴くようになったのですから、ずいぶん変わったものです。 そのきっかけとなったのがドビュッシーの小さな作品だったというわけです。 ご存知のように、ドビュッシーのピアノ曲「月の光」は、ベルガマスク組曲という4つの小品からなるピアノ組曲の第3曲に当たります。 そこで、以下は、この「ベルガマスク組曲」全体を一つの作品として取り上げていきたいと思います。 クロード・ドビュッシー(1862−1918)は、フランス近代音楽を代表する作曲家です。しばしば彼の音楽を指して「印象主義」音楽という呼び方がなされますが、それはある意味、その代表的な管弦楽作品のいくつか(「牧神」や「海」など)には当てはまるかもしれませんが、その全てを印象主義という言葉で括るのは無理があり、誤解を招くもとかもしれません。 印象主義かどうかはともかくとして、ドビュッシーがそれ以前の明確な調性音楽に対し、新しい和声・多様な音階を用いた音楽の扉を開いたことは事実です。 つまり、長調・短調の調性音楽は頻繁な転調や半音音階を多用するロマン派の作曲家たちによって次第に拡張され、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」で無調の手前ぎりぎりまで行き着き、袋小路に入ってしまったときに、ドビュッシーは、古い教会旋法やアジアの五音音階、全音音階などを用い、新しい地平を開いたのでした。ドビュッシーが現代音楽の扉を開けたと言われる一つの理由です。 もっとも、それは、音楽史の書物や専門的な音楽解説書に書いてあることで、私などは、その何%もわかりませんが。 ただ、ややもわっとしたオーケストラ作品よりも、その歌曲やピアノ曲のほうに、私が何か新鮮な感銘を受けたことだけは確かです。 ベルガマスク組曲は、1890年に書かれ、その後1905年の出版までに改訂の手を加えられた作品です。 専門家からは、ドビュッシーのピアノ音楽としては、まだサロン音楽的な性格を残し、のちの「子どもの領分」(そう言えばこの曲集は中学の音楽の授業でも聴いたっけ)や前奏曲集など後期の傑作に比べると、やや低い評価のようですが(彼の同じ時期でも、管弦楽曲や歌曲では新しい音楽語法の成熟が早く見られるのに対し、ピアノ曲分野は遅かったとされる)、それだけにより聴きやすく、しかも後年のドビュッシーの音楽も十分に感じさせる佳曲、いな名曲だと私は思っています。 曲名の「ベルガマスク」には、イタリア留学中旅行したベルガモ地方の記憶とか、ヴェルレーヌの詩に出てくる「宮廷的」という意味のことばに由来するだとか、諸説があります。が、私は、仮面とパッチワークのアルルカン、ベルガモの人々を象徴(揶揄)したイタリア喜劇の重要なキャラクターとしてのベルガマスクに、そして、ドビュッシーが歌曲に作曲したヴェルレーヌの詩「月の光」の中に、彼らが「楽しげに歌い踊りながら.....仮面の下に悲しみを押し隠している」とあるようなことなどに関わっているのでは、という説に強く惹かれます。 ベルガマスク組曲は、「前奏曲」、「メヌエット」、「月の光」、「パスピエ」という4曲でできています。 メヌエットもパスピエも、18世紀の舞曲で、実際の音楽書法はまさしく新しいのですが、こうした舞曲名を用いるところが、20世紀にあって、F.クープランやラモーなど、栄光のフランス・バロック時代のクラヴサン音楽の伝統との繋がりを標榜したドビュッシーらしいところでしょう。 全曲でも15分前後の小さなピアノ組曲です。 前奏曲(プレリュード)は、冒頭、低音から立ち上がり、分厚い延ばした和音の響きから一転して高音部での細かい音符による珠を転がすようななだらかに下降するアルペッジョ(分散和音)的な旋律が繰り返される印象的な音楽です。ピアニスティックであると同時に、一種クラヴサンを思わせるような硬質な響きが個性的です。 第2曲のメヌエットは、スタッカートな旋律と休符を多用した伴奏で、初めは少しおどけたような感じで始まりますが、すぐに宮廷舞曲に相応しいデリケートで雅な音楽が続きます。優雅に踊るための音楽というよりは、ダイナミックスと変化の大きい、やはり20世紀のメヌエット? そして、第3曲目が「月の光」。この曲だけが、なにやら思わせぶりな標題を持っています。 この曲集中、いなドビュッシーのピアノ音楽中、最も有名で、後世、他人による管弦楽曲版やシンセサイザー曲への編曲もあるポピュラリティの高い作品です。 ピアノの美しい高音域が生かされ、ゆったりとした旋律が月の光が差し込み揺らめく情景を一編の音詩に描き尽くしているかのような名品です。もう何も言うことはありません。 終曲はパスピエ。バロック期のみならず18世紀の交響曲や四重奏曲などの楽章にも使われたメヌエットと異なり、パスピエという舞曲はあまり馴染みがないのですが、バッハの管弦楽組曲第1番の終曲がこのパスピエでした。 しかし、ここでのパスピエは、それとはかなり趣の異なる優雅な中にもきびきびとしたイメージ。 これも、フランス古舞曲の形を借りて、古き革袋に新しき酒を盛った音楽か。この終わりのほうではなぜかドビュッシーがあまり好まなかったサン・サーンスを思い出す。 |


