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この組曲のCDは、現在、手元に6種ほどあります。 2巻の前奏曲集などに素晴らしい演奏を残したミケランジェリにこの曲の録音がないのが少々残念ですが。 まずは、ワルター・ギーゼキングの全集から。これはモノラル録音(EMI、ベルガマスク組曲は1953年)です。さすがに音質にはわずかに古さを感じますが。 ギーゼキングは、モーツァルトの大家としても知られていますが、このドビュッシーも昔から定評のあるものです。一聴早めのテンポで淡々とした弾き方で、はじめは素っ気ないような感じもしますが、聴いているうちに音の経年変化も忘れて引き込まれていきます。「月の光」では、深々とした表現にモノラルであることすら忘れてしまいます。珠を転がすような高音も十分美しい。 次に、サンソン・フランソワの演奏(1968年、EMI)。 フランソワは天才肌というか、反面かなりムラ気もあるピアニストという印象がありますが、ここでも一見きわめて自由奔放な感覚的な演奏でありながら、決して恣意的に感じさせない、曲に対する独特の感性を伺わせます。 いわゆるフランスのエスプリというのか、この言葉よくわからないものの、そうした比喩を持ち出したくなるような、フランス近代音楽らしい雰囲気、緩急の呼吸が見事な演奏というのでしょうか。終曲など、颯爽と風が吹き抜けていくようです。 パリ生まれの女流ピアニスト、モニク・アースによる演奏(1971年頃、ERATO)は、フランスのエスプリを感じさせるにしても、ずっと柔らかい感じがします。しかし、フランスを代表するエラートレーベルでドビュッシーの全集をまかされ、長くその規範とされた演奏だけあって、上品で端正な仕上がりとなっています。 全体にゆったりした演奏で、特に「月の光」の静かにたゆたうような雰囲気は得もいわれない趣があります。 録音も十分水準以上ですが、ただ、曲により、ペダルの音でも拾っているのか、時折ドン、ドンというような音が背後に聞こえることがあります。 次に、ミッシェル・ベロフのアナログ時代最後の旧盤(1980年、EMI)。 こちらはフランソワに比べるとずっと楷書的。しかし決して堅苦しい窮屈な感じではなく、むしろ構成感がありながらかなりピアノを豊かに鳴らした演奏です。 ドビュッシーのピアニズムが、決して、印象主義というイメージの下、曖昧模糊として雰囲気的なもの、あるいは痩せた神経質なものではなく、豊かな響きを持っていることを伝えてくれるようです。(ベロフは、私が実演で聴くことのできた数多いとは言えない著名なピアニストの一人です。そのときはメシアンを弾いてくれました。) それから、ジャック・ルヴィエによる全集録音(1985年、DENON)から。 ルヴィエのは、ベロフよりもさらに楷書的と言ったらよいのかリズムや強弱がはっきりした明快な演奏と言えましょうか。特にリズムの処理が見事で、メリハリ感と流麗な演奏にその際だった独特のリズム感覚を感じさせます。 舞曲部分のリズムとアクセントをはっきり鳴らした演奏に対して、「月の光」でのしっとりした感じがまた美しい。録音も非常によい。いまなら、国内盤BOXが廉価で手に入ります。 最後に、アルド・チッコリーニの全集新録音盤(1991年、EMI)。 上の三者は、生粋のフランス人ピアニストによるものなのに対して、チッコリーニは、長らくフランスで活動してはいますが、イタリア人ピアニストです。しかし彼は、むしろフランス人以上のサティ弾きとして知られているくらいで、ドビュッシーとの相性も悪くはありません。(ミケランジェリもイタリア人でした。) 全体に遅めのテンポで、すべての音符を紡ぐように弾いています。録音も90年代と新しいのに、フランスEMIの輸入盤BOXは超廉価です。 秋の夜、遠くに虫の音を聞きながら、ドビュッシーのピアノ曲はいかがでしょうか。 ではまた。 |
樹公庵さんの「今月のこの1曲」
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2004.1月 モーツァルト・交響曲第38番
2004.2月 ビゼー・交響曲第1番
2004.3月 ハイドン・交響曲第100番
2004.4月 ベートーヴェン・交響曲第3番
2004.5月 ストラヴィンスキー・春の祭典
2004.6月 ディーリアス・二つの小品
2004.7月 ベートーヴェン・交響曲第5番
2004.8月 ショスタコーヴィチ・交響曲第5番
2004.9月 ブルックナー・交響曲第7番
2004.10月 シベリウス・ヴァイオリン協奏曲
2004.11月 シューベルト・ピアノ三重奏曲第2番
2004.12月 J.S.バッハ・クリスマス・オラトリオ
2005.1月 モーツァルト・エクスルターテ・ユビラーテ
2005.2月 チャイコフスキー・交響曲第2番
2005.3月 ベートーヴェン・ミサ・ソレムニス
2005.4月 モーツァルト・弦楽四重奏曲第1番
2005.5月 シューベルト・交響曲第8(7)番
2005.6月 メンデルスゾーン・真夏の夜の夢
2005.7月 ヴォーン=ウィリアムズ・ロンドン交響曲
2005.8月 ブリテン・戦争レクイエム
2005.9月 ドビュッシー・ベルガマスク組曲
2006.8月 ホルスト・組曲「惑星」
2007.1月 モーツァルト・ピアノ協奏曲第9番
2007.3月 テレマン・パリ四重奏曲集
2007.4月 J.S.バッハ・フルートソナタ ロ短調
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みなさま 今年は、終戦後60年という大きな節目の年にあたり、常以上に世界と人々の平和について思いを致しました。(60年というのを節目と感じるのは、やはり東洋的な感性でしょうか。) 人というものは、反省をしても時とともにすぐにものごとを忘れてしまうもののようで、憲法を定めたときの初心、平和主義や政教分離も、一部の人たちには遠い昔のことになってしまったようです。内外でいろいろきな臭い話も伝えられる中、戦争の悲惨な廃墟の中で誓い、選択した理想を、いとも安易に捨ててしまおうとする人たちがいます。 先の大戦での大きな犠牲の上に、今日の平和と自由な社会が築かれたことに思いを馳せ、「日本国民は、恒久の平和を念願し、.....全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」ったことを、この際、もう一度、思い出したいものです。 心ならずも戦争に行き、あるいは巻き込まれ、命を落とした人々がどれほどたくさんいたことでしょう。 私の叔父の一人も戦争末期にフィリピンで亡くなりました。父は最も仲のよかった弟が死んでも遺骨も帰ってこなかったと今でも残念そうに語ります。 なのに、何も想像できない狂信的国粋主義者ならともかく、同じように肉親を失いながら、いまだに名誉の戦死と戦禍で亡くなった人々の死とを分け、靖国合祀や政治家の公式参拝を喜ぶ、戦前の国家主義思想に洗脳されたままのような人たちの神経が、私にはわかりません。むしろ、強い違和感と不快感すら覚えます。世界中で、いまも聖戦を叫び、テロを繰り返す人たちとも、だぶって見えて仕方ないくらいです。 政治家も、官僚も、政教分離の何たるかを忘れ、政党は憲法第9条の改変に夢中になっています。国旗・国歌や教科書問題をめぐる各地の教育委員会の動きは「二十四の瞳」が描いた戦時教育の愚かさを早や忘れ果ててしまったようです。 戦争で犠牲になった方たちは、こうした今の世相をどういう気持ちで見ているのでしょう。 先日テレビで、広島への原爆投下を避けられる選択可能性がいくつかあったという内容のドキュメンタリーをやっていました。その無能さ、愚かさを責めることは容易です。しかし、それと同じ過ちをまた繰り返しつつあるとしたら。 亡くなった方たちは浮かばれません。 そういえば私が戦争というものの恐ろしさ、理不尽さを最初に意識したのも、小学生の時に、学校の図書室で、太平洋戦争の一連の戦史シリーズのあと、偶々手に取った「げんばくの話」という本によってでした。 その直後、よくわからぬまでも憲法を読み、その前文の掲げる理想主義的な平和主義に惹かれました。それは、長じて憲法を改めて学んだあと、今も変わりません。(まぁ少年の頃から進歩がないと言えばそうなのかもしれませんが。) 憲法9条は理想論だという人がいる。では、したり顔の現実主義は、今日、世界に一体何をもたらしたというのでしょう。 さて、ともあれ今月は、戦争の犠牲者に思いを致し、平和を深く祈念すべきこの月にふさわしい1曲を取り上げたいと思います。 この曲を、私は、ここ何年か、毎年8月15日頃に聴いています。 その曲とは、ブリテンの「戦争レクイエム」作品66です。 戦争レクイエムは、戦後書かれた音楽の中でも、最も深く、感動的な作品の一つだと思います。 この曲は、直接には、1962年、英国はロンドンの北西150キロほど離れた、ウォーリックシャー州のコヴェントリー市のシンボル、聖ミカエル大聖堂再建の献堂式のために委嘱された作品でした。大聖堂は、1940年ドイツ軍の大空襲により破壊されてしまっていたのです。 この献堂式という祝典用に、ブリテンは、レクイエム(死者のためのミサ曲)という、ある意味異例な作品を提出したのです。 しかし、この曲は、先の大戦で亡くなった人々を悼み、そして戦争で敵対し交戦した国民同士の和解のためのミサ曲という性格を持ち、戦争で破壊された聖堂の再建を契機に、戦争を憎み、平和を希求するという目的を持っていたのです。 ところで、レクイエムといえば、ブリテンには、シンフォニア・ダ・レクイエム(1940年)という作品があります。 これは、当時の日本政府が内外の著名な作曲家に皇紀2600年祝典用として作品を委嘱した際、ブリテンが提出したもので、祝典曲にレクイエムとはと日本政府が受け取りを拒否したという曰く付きの作品です。こちらはレクイエムといっても声楽の入らない管弦楽曲です。 閑話休題 ベンジャミン・ブリテン(1913-76)は、20世紀の英国を代表する作曲家の一人で、12歳で作曲家フランク・ブリッジ(1879-1941)に師事し、16歳で王立音楽大学に入学、作曲家として活動を始めてからは、オペラをはじめとして管弦楽、声楽、室内楽など様々な分野に作品を残しています。 ブリテンは、第2次大戦中、良心的兵役拒否者の申請をした人道主義的、平和主義的姿勢が知られていますが、テノール歌手ピーター・ピアーズとのホモセクシュアルな関係など一時世間の冷ややかな視線も浴びたものの、そうした経験からか、オペラ「ピーター・グライムズ」をはじめ社会的弱者に視線を注いだ作品を数多く手がけ、オールドバラ音楽祭の創設など、英国音楽界を代表する作曲家として認められていったのです。 ブリテンの作風は、戦後世界の作曲界を風靡した前衛とは無縁で、その保守的とも言える音楽語法は、英国の音楽の進歩を何十年か遅らせたという評者もいるようですが、同じ時期の前衛音楽とブリテンの音楽のどちらが現在のレパートリーに残ったか歴史が証明しつつあるようです。 ブリテンは、ソ連の作曲家ショスタコーヴィッチや、亡命チェリストのロストロポーヴィチとの交友でも知られています。 戦争レクイエムは、そうしたブリテンの声楽曲分野での大作です。 私の、この作曲家との出会いは、中学の音楽教科書に載っていた「青少年のための管弦楽入門」(この曲も結構好きです)でしたが、その後、長らくその作品とは疎遠でした。(FMで、若書きのシンプル・シンフォニーとか、「春の交響曲」という名の声楽曲を聴いたくらいかな。英国の作曲家では、前回取り上げたヴォーン=ウィリアムズやエルガー、ディーリアスのほうが聴いていた。) そうしたブリテンの音楽で、初めて聴いた大曲が、戦争レクイエムだったのです。それは、偶然、CD化された作曲者自作自演盤が出るということを知り、ふと興味をそそられ、購入したのがきっかけでした。 しかし、こうして偶々聴いた戦争レクイエムは、それまで私がこの作曲家に抱いていたイメージを変えさせるような深く重い真摯な作品でした。 この曲「戦争レクイエム」は、レクイエム(死者のためのミサ曲)という名を持ち、実際ミサ典礼の固有文も用いられていますが、ミサ曲として教会での礼拝に使われるものではなく、ミサ典礼文と併せて、英国の詩人で、わずか25歳で第一次大戦に命を落としたウィルフレッド・オーウェンの反戦的な詩を、その歌詞として用い、両者がほぼ交互に歌われるという斬新な構成を持っています。 (ちなみにミサの典礼文には、日常のミサ式のための通常文と特別の典礼用の固有文とがあり、レクイエムは後者となります。通常文のミサは、以前取り上げたベートーヴェンのミサ・ソレムニスなど。) そして、この二つの全く異なる歌詞−ラテン語のミサ典礼文と英語による詩−の交代、対照と共鳴が、非常に大きな効果を上げて、戦争による死への悲しみ、戦争の悲惨と理不尽さを強く訴えることに成功していると思うのです。 ラテン語ミサ固有文の章は、ソプラノ独唱、児童合唱、混声合唱とフル・オーケストラで、オーウェンの詩による章は、テノールとバリトンの独唱、室内楽的アンサンブルで、それぞれ演奏され、音響的にも明確な対比がつくられます。 スコアの扉には、次のオーウェンの詩句が掲げられているということです。 " My subject is War, and the pity of War.
The Poetry is in the pity...
曲は、大きく6つの章から成り、それは、通常のレクイエムの構成に準じて、「レクイエム・エテルナム(永遠の安息を)」、「ディエス・イレ(怒りの日)」、「オッフェルトリウム(奉献誦)」、「サンクトゥス(聖なるかな)」、「アニュス・デイ(神の子羊)」、「リベラ・メ(われを解き放たせ給え)」となっています。All a poet can do today is warn. " 各章はさらにいくつかの部分に分かれ、ミサ典礼の歌詞は各章に沿った詞が歌われるのですが、その間に交互に、オーウェンの詩による歌唱部分が挿入されていくのです。すなわち、ラテン語による部分(ソプラノと合唱、児童合唱)と英語の部分(テノールとバリトン)が入れ替わり、歌われていくという構成になっているのです。 全曲は80分余りかかり、きわめてシリアスな重い作品で、決して気楽に聴けるといった曲ではありませんが、最後のリベラ・メ章の魂を揺さぶるような味わいなど、ヴェルディのレクイエムなどより遙かに感銘深い音楽だと思います。 まず、第1章「レクイエム・エテルナム」前半。低音楽器と鐘による地中から響いてくるような曲頭、合唱がつぶやくように「彼らに永遠の安息を与え給え」と歌っていく。中間部での児童合唱は天上からの声のよう。 再び冒頭の音楽が戻ったかとおもううち、後半に入り、テンポを速め、テノール独唱が、「虫けらのごとく死んでいく人々を弔う鐘とは?」とオーウェンの詞を歌い始める。また荘重なキリエ(憐れみ給え)の合唱が聞こえてくると第1章は終わる。 第2章「ディエス・イレ」は、最後の審判を告げるラッパよろしく金管群によるファンファーレで始まる。合唱が、初めは静かに、やがて力を増して「ディエス・イレ(この日こそは怒りの日)」と歌い出す。金管と打楽器が加わって、いかにも怒りの日にふさわしく強烈な響きをつくるが、長くは続かず、バリトン独唱が「夕暮れの大気をふるわせて悲しげに戦いのラッパが響き」とオーウェンの詞を歌う。 替わって、ソプラノ独唱が甲高く宣告するかのように最後の審判の場面を歌い、合唱が和す。次いで、小太鼓が鳴り響き、テノールとバリトンが「戦場で、我々は死に向かってごく親しげに歩み寄っていった」とアイロニカルな詩に相応しい陽気さで歌い出す。「彼は死と戦っているのだ。生のために、旗のために戦う奴は一人もいなかった」と。 レコルダーレ・ピエ・イエス(思い給え、慈悲深きイエスよ)と歌う合唱は、やがて律動的な部分となり、バリトンの歌を経て、再びディエス・イレが戻ってきたあと、ソプラノ(と合唱)による「ラクリモーザ(涙の日)」が胸に突き刺さる。このあと、テノールによるオーウェン詩とラクリモーザが、映画のフラッシュ・バックのように頻繁に交代していく。そして、鐘の音に導かれ、合唱がイエスへの安息を求めるラテン詞句を歌い、アーメンの句でこの章を閉じる。 |
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第3章「オッフェルトリウム」では、まず天使のような児童合唱が妙なるオルガンの伴奏で、主イエスに「救い給え」と歌い、これを受けて合唱が大天使ミカエルに、「主がその昔アブラハムと子孫に約束したこと」と明るく歌う。 後半は、これを受けたオーウェンの詞で、アブラハムが生贄に我が子を殺した物語を歌う。このあたりの児童合唱の祈りの歌とテノール、バリトンの二重唱が重なるように対照的な節で歌われるところは印象的。 第4章「サンクトゥス」は、鐘の音を模した(ピアノとシロフォン?)音に伴奏されたソプラノが導く。ホザンナ唱では、ヴェネチア・バロックの金管ファンファーレを思わせる華麗なトランペットを従えて合唱が歌う。 ベネディクトゥスは、やはりソプラノが先導し合唱が和すゆったりした歩みのような曲。再びホザンナ。沈鬱で悲歌的なこの曲の中では珍しく力強く終わる。 と、ティンパニの音がして、バリトン・ソロが、死に対する復活、神の救済を懐疑するかのようなオーウェンの詞を静かに歌う。「私の古の傷痕はもはや讃美されることはないでしょう。量り知れぬ涙は、海となって、もはや乾くことはないでしょう。」 第5章「アニュス・デイ」は短い楽章だが、初めて、典礼文ではなくオーウェンの詩が先行する。静かに。「爆撃された道の裂け目で、絞め殺されるなどということがあるだろうか」、「全人民の記録者たちは、国家への忠誠を叫ぶ」。テノールの歌に、合唱のアニュス・デイがはさまれる。「われらに平和を与え給え。」 終章は「リベラ・メ」。静かだが、深い思いの込められた合唱が「主よ、かの恐ろしき日に、われをば永劫の死より解き放たせ給え」と歌う。打楽器が加わりテンポを速め連打されると、次第に激してきて、怒りの日へのおののきが歌われていく。ディエス・イレのさらに激しい再現と、それからの解放を願う叫び。 この章の第2部分と最後の部分は、全曲の白眉。 第2部分では、一転して不思議な情景を独白するようにテノールが歌い出す。「私は戦場から脱走して、とある深い得体の知れぬ地下道に隠れたらしい...そこにも場所ふさぎな死者どもが呻き苦しんでいた...一人が不意に立ち上がって、悲しげな目つきでじっと見つめた。」 「不思議な友よ、私は言った。ここには悲しむ理由などない。」 バリトンが答えて歌う。きわめて表現主義的な響き。「絶望だよ。たとえ、どんな希望が君のものであろうとも...私の生活もかつては希望に満ちていたのだ」と。「私は、君が殺した敵なのだ、友よ.....さあ、みな、眠ろうではないか.....」 天上の調べをかき鳴らすかのようなハープに導かれ、テノールとバリトンが一緒に「さあ、眠ろうではないか」と歌うと、児童合唱が「イン・パラディウム(天使たち、汝をば天国に導き、)」と歌い出す。ここは何度聴いても身内が震えるような感じを禁じ得ないところ。終章の最後、ここに至って、初めて、テノール、バリトンとソプラノ、合唱とが一緒に歌う。 「彼らに永遠の安息を与え給え、主よ、彼らが上に永遠の光を照らさんことを。」 「彼らを平和の中に憩わせ給え。アーメン」最後は、静かな平安の祈りのうちに虚空に消えるように終わる。 この曲には、現在までにいくつかの録音があるようですが、現在、私の手元にあるのは2種。ブリテンの自作自演盤(DECCA)とジョン・エリオット・ガーディナーによるもの(DG)です。 ブリテンの自作自演には、この盤のほかにも、BBCの録音によるものがあるらしいのですが、これは、作曲の翌年1962年5月30日のコヴェントリー初演から、さらに年の明けた63年1月、ロンドンで行われたレコーディングによるものです。 もともと、ブリテンは、この曲の作曲に当たり、この曲を和解のミサと位置づけ、第2次大戦の交戦国であった英国(テノールのピアーズ)、ドイツ(バリトンのフィッシャー=ディスカウ)、ソ連(ソプラノのヴィシネフスカヤ)の3人の歌手によって歌われることを想定していたと伝えられています。(ヴィシネフスカヤは、チェリストで指揮者のロストロポーヴィチの奥さんです。) しかし、初演には、ソ連政府の出国許可が下りず、ヴィシネフスカヤの参加は実現しませんでした。その3人の歌手の共演が実現したのが、この録音だったのです。指揮は作曲者。オケはロンドン交響楽団です。 さすがに、この盤は、一期一会の生々しさを今に伝えてくれ、指揮者としても一流の域にあったと伝えられるブリテンの指揮も見事です。デッカ伝説のプロデューサー、カルショウによるプロデュウスで、録音も十全です。 ガーディナー盤は、1992年のシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン音楽祭でのライブ・デジタル録音です。こちらもオルゴナソヴァのソプラノ、ロルフ・ジョンソンのテナー、スコウフスのバリトンという現代の名歌手の共演です。オケは、北ドイツ放送交響楽団という、これまた国際的な演奏です。 これは、ライブとは思えないほどの細部まで透明感のある、これまた完成度の高い見事な演奏となっています。 作曲、初演からまだ日の経っていない、まさに創作の現場の息吹と作曲の経緯、背景を伝えるブリテン盤に対し、こちらは、もはや現代の古典ともなったこの作品をある意味客観的にとらえ、かつ共感を持って熱く歌い上げた演奏といえると思います。さすがに録音も良い。 私の持っているこのCDの輸入盤には、併せて「春の交響曲」や「聖セシリアへの讃歌」など、ブリテンの代表的声楽作品が入っているのもうれしいところです。 この曲に関しては、ほかにラトルやヒコックス盤もあるようですが、とりあえずはこの2種を押さえておけば間違いはないのではないでしょうか。 なお、文中のオーウェンの詞の訳は、ブリテン盤CDの対訳から抜粋引用させてもらったものです。 戦後60年の節目にあって、戦争の記憶と平和への願いをもう一度思い起こすこの月に、戦争の悲惨と理不尽さを告発し、敵も味方もともに分け隔てなく永遠の安息と平和を祈る(ここが靖国と違うところです)ブリテンの「戦争レクイエム」を取り上げてみました。 ではまた。 |
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みなさま いよいよ梅雨も明け、夏も本番となりました。いかがお過ごしでしょうか。ここのところはまだしのぎやすい日が続いていますが、またこれから暑くなりそうです。 さて、7月7日は七夕ですが、またMahlerianでもあります私にとっては、今年のこの日は、145年目のマーラーの誕生日でもありました。 そこで、今回は、それを記念して、久しぶりにマーラーを取り上げようかと思っていたところ、その7日に、ロンドンで市内交通機関への同時爆破テロ事件が起きてしまいました。 2012年夏季オリンピック開催が決まった朗報を帳消しにするかのような事件でした。 4年前の9.11ニューヨークの同時テロは、規模も大きく衝撃的でしたが、今回は、昨年のマドリードの場合と同じく、より身近で日常的な交通機関でのテロであり、特に地下鉄というのは例のサリン事件の記憶とも重なり、日頃漠然とした不安感を抱きながら利用している乗り物、空間だけに余計切迫したリ アリティを感じました。 もとより、イラク国内では頻繁に自爆テロが起きて、多数の人々が亡くなっていること、その元にある戦争にも、平然とし無感覚であってはならないと思いますが...。 また、ロンドンは、実際に住んでいた人から見たらとるに足らないようなほんのわずかな時日ではありますが、旅行先として訪問、滞在したことのある土地であり、その折親切にしてくれた方もありましたし、少々懐かしい思い出もありますので。 ここに、謹んで、犠牲になった方々、ロンドン市民の皆さんに、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げるゆえんです。 そこで、今回の「今月のこの1曲」は、ロンドン市民への同情と激励の気持ちを込めて、市民の皆さんに捧げたいと思い、ロンドンの名を冠し、最もこの都市のイメージを喚起すると言われる作品を取り上げることにいたしました。 さて、その曲とは、その名もずばり、A London Symphony(ロンドン交響曲)という作品です。作曲者は、英国を代表するシンフォニストであるレイフ・ヴォーン=ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams 1872−1958)です。 (なお、そのファーストネームは、英語ではラルフですが、本人はレイフと読み替えて呼ばれることを望んだということです。古英語ないしアイルランド風にはレイフと読むらしい。姓が長いので、英国音楽通の評者はしばしばRVWと略すようですが、何だかどこかの車の話みたいな感じになるので、ここでは 使わないことにします。) ヴォーン=ウィリアムズについては、近年はかなりCDも見かけるようになり、知っている人も多くなってきたのではと思われます。それでも、学校時代にブラスバンドをやっていた人の中には吹奏楽用の曲などで彼の音楽に接した人もいるかもしれませんが、そういう経験なしに、彼の音楽に興味を持って聴いている人間というのは、わが国ではまだまだ少数派なのではないでしょうか。 実は、かく言う私は、マーラーやブルックナーよりも早く、まだクラシックのレコードを集め始めたばかりの頃に、ヴォーン=ウィリアムズの名を知っていました。(エヘン。) 種を明かせば、その頃レコードを買うと、店でレコード・マンスリーという広告小冊子を入れてくれました。その中に、ヴォーン=ウィリアムズの南極交響曲の発売予告が出ていたのです。南極交響曲!。英雄交響曲や田園交響曲といった標題付き交響曲を聴き始めたばかりの中学生初心者には、魅力的な名前でした。もちろんヴォーン=ウィリアムズなんて聞いたこともありませんし、値段もレギュラー盤で高かったので、手は出ませんでしたが。以来、その名は私の記憶に刻みつけられたのです。 ちなみに、南極交響曲をようやく聴いたのは、よく通った高円寺のクラシック喫茶「ネルケン」でした。(お世話になりました。今も健在かしら?)リクエストしたのはいいけれど、その日は他に誰もおらず、薄暗い店内で一人、ウィンドマシンによるブリザード吹きすさぶこの曲を聴いたときは少々不気味で、ほんとにうすら寒くなったのを覚えています。 大学の一般教養課程「音楽」の期末試験(現代音楽についての自由な小論文)で、私は、マーラーと現代の交響曲への影響みたいな趣旨で、ショスタコーヴィッチと並んで、このヴォーン=ウィリアムズをポスト・マーラーみたいに書いた記憶がかすかにあります。 何の実証も挙げず、感覚的にマーラーの影響を論じたのが、現代作曲家の教授のお気に召さなかったか、そもそも無茶苦茶なエッセイ風の答案が論文として評価のしようがなかったためか、Aはもらえませんでしたが。 少々脱線しましたが、ことほどさように、比較的早くからヴォーン=ウィリアムズには興味を持っていたのですが、なかなか実際の音を聴く機会は得られませんでした。 もっとも、実際には、その作品とは知らずにグリーンスリーヴスによる幻想曲を聴いていたのですが、FMで、作曲者名を聞き漏らし、しばらくの間、ヴォーン=ウィリアムズとは結びつかずにいました。そうした中、レコードで最初に手に入れたのが、このロンドン交響曲と第8番の組み合わせだったかと思い ます。バルビローリの指揮でした。 当時は、ヴォーン=ウィリアムズの国内盤レコードは少なくて、廉価盤ではこれくらいしかなかったのです。レギュラー盤では、先ほどのボールトの南極(国内ではじきに廃盤になってしまいましたが)やプレヴィンによる進行中の全集がありましたが、なかなか決心がつかなかったのです。 ところが、ここに一人の友が登場します。仮に♯くんとしておきます。彼は小学校時代の親しい友人でしたが、偶然大学で再会したのです。で、話してみると、彼もクラシック音楽、それもブルックナーやなんとヴォーン=ウィリアムズなどを聴いているというのです。(私もすでにブルックナーは聴いていましたが、版の問題などその理解が深まったのは彼のおかげです。私がマーラーを聴いているというと、あまりマーラーを得意としていなかった彼も、その後マーラーを聴くようになりました。) それも、ヴォーン=ウィリアムズの第4番と第9番という標題なし交響曲のレコードを持っていました。早速、彼のレコードを聴かせてもらったのですが、案の定、晦渋な感じの音楽でしたが、未知の作品を知ることができたのは大きかった。プレヴィン/ロンドン響の全集録音の中の2枚でした。 これをきっかけに、その後思い切って「海の交響曲」のプレヴィン盤を買ったりもしました。廉価盤で再発されたボールトの南極は、就職後にようやく手に入れました。 が、当時は、その交響曲全集を揃えるなどとは思いもしませんでした。ところが、今では、国内盤でも輸入盤でもすぐに数種類の全集セットが手に入るのですから便利になったものです。 (もっとも、これには、自国の音楽を大事にする英国人の、自国作曲家の作品を広める戦略があるとにらんでいるのですが。演奏が増えれば印税収入も増えるし。振り返って、わが国の場合は...、日本作曲家選輯シリーズを香港のNAXOSレーベルが出してくれていますが、国内の政治も企業も自国の文化創造には消極的な状況は一向に変わりそうにありませんなぁ。)
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さて、ヴォーン=ウィリアムズですが、あまり馴染みのない作曲家と思われるので、簡単に紹介します。1872年の同年生まれには、スクリャービンがおり、前年にツェムリンスキー、翌年にラフマニノフが生まれ、シェーンベルクは1874年生まれでラヴェルが75年、10年前の62年にはドビュッシーが、10年後の82年にはストラヴィンスキーが生まれています。 19世紀生まれではありますが、作曲家としての本格的な活躍は20世紀に入ってからで、没年も1958年ですから、20世紀同時代の作曲家と言ってよいと思います。ただし、同世代、前後に居並ぶ音楽史上の変革期の上記作曲家たちと並べてしまうと、その作風、位置づけを見誤ってしまうかもしれません。(もっともラフマニノフほどは保守的でもありませんが、基本的には伝統的な調性音楽の枠内にとどまったと思えます。)この中では最も長寿をまっとうした人生ですが、亡くなる直前まで創作力は衰えなかったようです。晩年はGrand Old Man(中国風には老大人?)と、英国民から敬意を込めて呼ばれたという。 ヴォーン=ウィリアムズは、グロースター州のダウンアンプニーという小さな町で生まれ、父は英国貴族の家系の牧師で、母は有名なウェッジウッド家出身ということですが、父親とは幼いうちに死別したようです。幼い頃からヴァイオリンを学び、王立音楽大学で作曲家を志したようです。 その作風は、悠然として恰幅のよい大人の風格を持ったものです。西洋音楽の堅固な基礎の上に、当時の新しい音楽の潮流も吸収しての正統派的な揺るぎないものを感じさせますが、他方一般受けする要素に乏しく、英国以外ではなかなか人気が出ないのも多少わかるような気もします。 彼は、若い時期に友人のホルストやバターワーストらともに英国民謡の採譜・保存活動に取り組むとともに、チューダー朝時代の教会音楽など古い音楽の発掘・研究も積み、そうした英国音楽の伝統を背景に踏まえつつ、ブルッフに正統的19世紀ドイツ音楽を、フランスのラヴェル(この場合師の方が3歳年下)には近代フランスの新しい和声をも学んだという、近代英国音楽の代表旗手に相応しい経歴を持っています。 前代までの英国の作曲家、例えばヴォーン=ウィリアムズの師パリーやエルガーなどが大陸伝来の音楽語法を移入、消化して、英国音楽復興の基礎を作ったとすれば、ヴォーン=ウィリアムズはこれらの遺産に自国の伝統的な音楽や民謡などを加えて、まさに英国近代音楽を確立した存在と言えるのかもしれません。 ヴォーン=ウィリアムズといえば、英国を代表するシンフォニストであり、交響曲を9曲(ベートーヴェンやドヴォルザークと同じ!)書いています。最初の交響曲は、33歳から37歳にかけて作曲し、大器晩成型を地でいく存在です。(それでいて、最初の交響曲は、マーラーの第8番が発表される以前に着 手されながら、同様の声楽カンタータ的な作品となっているといったユニークさをも持っています。) このうち、今回取り上げるロンドン交響曲(第2番に相当)は、海の交響曲(第1番)、田園交響曲(第3番)、南極交響曲(第7番)とともに、こうした名称で発表されており、交響曲第2番「ロンドン」とは呼ばないことになっています。 また、英国合唱音楽の伝統に根ざした声楽作品は特に多く、無伴奏から管弦楽付きのものまで多様です。室内楽分野では数は少ないのですが、弦楽四重奏曲がなかなか味わいがあります。 オペラもいくつか書いているなど、幅広い分野の作品を残していますが、揚げひばり、タリスの主題による幻想曲、グリーンスリーヴズによる幻想曲といった管弦楽小品にも魅力的な作品が多い(特にグリーンスリーヴズはお薦め)ので、むしろこうした曲から彼の作品に親しむのがよいかもしれません。 |
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ロンドン交響曲は、先に述べたようにヴォーン=ウィリアムズの2番目の交響曲となりますが、その交響曲がまだあまり聴かれることのなかった比較的早い時期から聴かれていただけあって、彼の交響曲中でも聴きやすく馴染みやすい1曲だと思います。作曲者もバルビローリへの手紙でこの曲に特別の愛着を持っていることを伝えたということです。 |


