樹公庵さんの「今月のこの1曲」

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<曲目一覧>
2004.1月 モーツァルト・交響曲第38番
2004.2月 ビゼー・交響曲第1番
2004.3月 ハイドン・交響曲第100番
2004.4月 ベートーヴェン・交響曲第3番
2004.5月 ストラヴィンスキー・春の祭典
2004.6月 ディーリアス・二つの小品
2004.7月 ベートーヴェン・交響曲第5番
2004.8月 ショスタコーヴィチ・交響曲第5番
2004.9月 ブルックナー・交響曲第7番
2004.10月 シベリウス・ヴァイオリン協奏曲
2004.11月 シューベルト・ピアノ三重奏曲第2番
2004.12月 J.S.バッハ・クリスマス・オラトリオ
2005.1月 モーツァルト・エクスルターテ・ユビラーテ
2005.2月 チャイコフスキー・交響曲第2番
2005.3月 ベートーヴェン・ミサ・ソレムニス
2005.4月 モーツァルト・弦楽四重奏曲第1番
2005.5月 シューベルト・交響曲第8(7)番
2005.6月 メンデルスゾーン・真夏の夜の夢
2005.7月 ヴォーン=ウィリアムズ・ロンドン交響曲
2005.8月 ブリテン・戦争レクイエム
2005.9月 ドビュッシー・ベルガマスク組曲
2006.8月 ホルスト・組曲「惑星」
2007.1月 モーツァルト・ピアノ協奏曲第9番
2007.3月 テレマン・パリ四重奏曲集
2007.4月 J.S.バッハ・フルートソナタ ロ短調
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 で、次はそのヴィーン・フィルの演奏、イシュトヴァン・ケルテスの指揮(1963年DECCA)。
 初め、低弦による冒頭主題があまりにも小さな音で、また続く第1主題もひそやかに始まったので、他のCDに比べ録音レベルが小さいのかなと思ったら、トゥッティでは決してそんなことはない。つまりは演奏としてのダイナミックレンジが広い(音の物理的特性ではなく)演奏だということなのです。
 木管楽器やホルンのフレーズの何と柔らかいことか。ワルター/ヴィーン・フィルをステレオの良い音で聴けない憾みをはらすかのような、まだよき時代の香りを残すヴィーンの音がここにあります。第1楽章第2主題に移る直前のホルンのブリッジの永遠に続くのではないかと錯覚するような響きのまろやかで雅なこと。
 ワルターに比べたらやはり古き良きヴィーンのという雰囲気には多少不足するのは仕方ない。でも、ケルテスの指揮は、旋律の「間」をたっぷりととり、曲の構造や曲想を十二分に計算し設計していながら、さりとて少しも人工的な嫌みを感じさせず、音楽の流れを損なっていないことに感心します。歌うところは歌いながらも、輪郭の明晰な演奏というのでしょうか。
 このとき、ケルテスはまだ30代前半。ヴィーン・フィルに対し自分の音楽をしっかり伝えているところは立派です。40代半ば前で急逝し、ブラームスの全集を収録中だったヴィーン・フィルからも惜しまれたというのもうなずけます。


 それから、オットー・クレンペラーの演奏。ただし、これは手兵フィルハーモニア管ではなく、1966年、バイエルン放送交響楽団とのライブ録音(EMI)。
クーベリックの下、短期間でベルリン・フィルに迫る西ドイツを代表するオーケストラに成長していた同オケに、クレンペラーが客演したときの録音です。
 ワルターはもとより、ずっと若いケルテスよりも、速めのきびきびしたテンポの演奏で、これがニュー・フィルハーモニアとのあの遅いマーラーの7番の録音と同じ人かと思うほどです。
 若い頃、ベルリンで、現代音楽や同時代のオペラ紹介で勇名を馳せたクレンペラーらしく、過度なロマン的表現を避けたかのような造形的な「未完成」と言えるでしょうか。(シューベルトにしてはやや立派すぎる?)とは言え、「未完成」もまた、これぞ独墺の交響曲という感じで嫌いではありません。シューリヒト/ヴィーン・フィルのやはり世評の高い演奏ほどにはドライな感じ(たまたま私の持っているCDがそうなのか)にはなっていませんし。ワルターは、19世紀人らしく提示部の反復をしませんが、ここでのクレンペラーはきちんと反復をしているのもむしろ現代風で面白い。
 ただ、第2楽章は、やはりワルターの優美さ、哀感、つらい思いを隠して微笑んでいるような雰囲気には一歩譲る感じがします。もっとも、このやや素っ気ないような淡々とした表現も、幾多の災難を乗り越えたクレンペラーが到達した至芸と言うべきなのでしょう。クレンペラーにもヴィーン・フィルとのライブがあるそうですが、そちらではこのあたりはどういう違いが出ているか興味のあるところです。


 そして、昨夏亡くなったカルロス・クライバーがヴィーン・フィルを指揮した演奏(1978年DG)。
 これはまた、クライバーらしい生きのいい演奏。クライバーが振るとヴィーン・フィルが、たとえは悪いけど、ポップス・オーケストラ(もちろん超高級な)のようにリズミックになる気がします。
 この演奏、全体には速めのテンポですが、部分部分ではテンポが伸びたり縮んだりして、特に第1楽章では、クライバーはかなり頻繁にテンポを動かしています。シューベルトの音楽としての時代様式感からはどうかなという気もするのですが、それ以上に実際に聞こえてくる音楽が生きているという感じがするので、まぁいいかと思わされてしまうのです。
 また、そうしたフレーズや楽段、曲の中の部分単位でのめまぐるしいほどに千変万化するテンポ設定の結果、あたかもマーラーの変化の激しいスコアをすら想起させ、まさにこの曲がマーラーの交響曲の遠くない直系の祖であるとの確信を強めてもくれるのです。
 音楽が生々しいのは、下手なデジタル録音よりアナログ成熟期の録音のせいもあるかもしれません。
 そうした第1楽章の後だけに、第2楽章に入ると急におとなしくなりすぎるように感じるのは、ややバランス的に物足りない感も否めないのですが。
 

 最後は、ピリオド楽器(古楽派、時代楽器)による演奏から、ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ響盤(1996年SONY)。
 ピリオド楽器によるオケでは、グッドマン指揮ハノーヴァー・バンドの全集やブリュッヘンの18世紀オーケストラの演奏もありますが、このインマゼール盤は比較的新しい全集の成果です。
 古楽器による演奏というと、初期の頃はなにやらアクセントがきつく、滅法速くてせわしない演奏といったイメージがあったことも事実ですが、さすがに近時は、もはや古楽もエキセントリックなイメージはなく当たり前になって、演奏も練れて個性は持ちながら角の取れた自然なものも多くなってきていますが、このコンビなどもそうした一つだと思います。
 ただ、どうしても、ロマンティックな情感というか雰囲気にはまだもう一歩の感は否めませんが、シューベルトのこの曲や第9番は、木管の扱いに非凡で独特な色彩感があるので、作曲当時の楽器による音色で、往時の響きを想像しながら聴くというのも時にはよいものです。


 このほか、オーソドックスなところでは、ベーム/ベルリン・フィル盤、ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン盤、ヴァント/ベルリン・フィル盤(ヴァントは、最後の来日公演でブルックナーの第9とともにこの曲を演奏したのを聴きました)といったところでしょうか。未聴ですが、モントゥー/アムステルダム・コンセルトヘボウなどは期待できそうです。コンセルトヘボウでは、アーノンクール盤は持っています。クーベリックあたりは曲と相性がよさそうな気もするのですが、正規盤では見あたらないようです。
 
 というわけで、5月の思い出の曲、シューベルトの未完成交響曲をとりあげてみました。雨上がりのまだ明るい夕方、第2楽章など特にお薦めです。
 今後は少し短くと思ったのですが、好きな曲なので、ついまた、思い入ればかりが先行して、まとまりのない長いものになってしまいました。

今回もおつきあいいただき、ありがとうございました。
ではまた。
                             恐惶謹言
                    樹公庵 日々

みなさま

待ちかねた桜の季節もあっという間に過ぎてしまいましたが、晩春のうららかな陽気の中、新年度の仕事や生活が始まった今月は、この「今月のこの1曲」にとっても、ようやく20回を迎えた節目の回となり、何か春らしい、この頃の気分に合う曲はないものかしらと考えておりました。

 折しも、鴻巣のMさんという音楽鑑賞の先達のお宅に伺い、すばらしい雰囲気のリスニングルームで、懐かしいアナログレコードによる室内楽の調べを堪能してきたので、室内楽曲、それも20回目を飾るなら大好きなモーツァルトで、と思っていたのでした。


 ところが、もたもたしているうち、その矢先に、また、尼崎で悲惨な鉄道事故が起きてしまい、衝撃を受けました。すっかり意気消沈、こんなときに脳天気に春の音楽をなどと言っているのは鈍感な罪ではないかとさえ思われ、一度は今月は見送ろうかとも思ったのですが...。
 今度の事故の原因は連日ニュースで論じられていますが、直接にはあきらかに運行上の人為ミス。しかし、その背景には強迫的な管理主義があるのではという指摘もされているようです。働く「人間」を徹底管理するという視点での成果主義、数字主義の行き着く先を暗示させるかのようです。
 おまけに続けて、釜山へ行く船の衝突事故、今日は羽田で航空機の着陸ミスのニュースも入ってきました。よい意味でのパンクチュアルが自慢だったわが国のシステムはいったいどうなってしまったのでしょう。


 それでも、そうした中で、この拙文を楽しみにしていてくださる方々も多少はいてくださることがわかり、それに力づけられて、改めて、こうしてあわてて書いているところです。

 もっとも、連休に入ってからの暖かいを通り越した陽気では、実際はもう春どころではないのですが。



 さて、ちょうど、先月の「この1曲」でベートーヴェンのミサ・ソレムニスを取り上げたときに、”世界中に「パーチェム」を。”と書いたところ、Y先輩から「現在危篤のパウロ二世の三代前のヨハネ23世がおっしゃった「パーチェム イン テルリス」 Pacem in Terris 「地上に平和を」を思い出させてくれました。」というメールのお便りをいただきました。
 今月は、そのローマ法王ヨハネ・パウロ2世も亡くなり、コンクラーベ(この言葉、思わずにんまりしてしまいますね)が開かれ、新しい法王にドイツ出身のベネディクト16世が就きました。この一連の報道番組の中で、当然ながらたびたびバチカンのサン・ピエトロ大聖堂や法王庁、システィナ礼拝堂などの映像が映されていました。

 私も二度ほどバチカンには行っているのですが、残念ながら肝心のシスティナ礼拝堂へは入る時間がありませんでした。
 いまから235年前の1770年4月に、そのシスティナ礼拝堂で、14歳のモーツァルトは、当時門外不出の秘曲とされていた、グレゴリオ・アレグリの「ミゼレーレ」を聴き、この多声音楽を暗譜してしまい、宿に帰ってから譜面に書き起こしてしまったという逸話が伝えられています。
(幸い、このアレグリの「ミゼレーレ」は、いまは門外不出ではなく、と言うか、実はすでにモーツァルトの時代にはかなり外に出ていたという記録もあるようなのですが、耳にすることができます。私は、タリス・スコラーズのローマ・ライブCDで聴いています。そんなに複雑な曲調ではないようですが、それでももし私が音を聞き取れる耳を持っていたとしてもとても覚えきれないでしょう。)
 この有名なエピソードは、モーツァルト最初のイタリア旅行の途次でのできごとでした。


 このローマ滞在に先立ち、モーツァルト親子は、当時のイタリア器楽音楽の中心地ミラノから、ボローニャに行き、そこで音楽理論の大家サンマルティーニに教えを受けたりしています。
 このミラノからボローニャへの旅路の途中、ミラノを出た最初の日の宿泊地が、その南東30キロほどのローディという町でした。
 ここ、ローディで、モーツァルトは、初めて弦楽四重奏曲を作曲したのです。
(なお、古典期の器楽曲では、しばしば3曲ないし6曲を一つのセットとして、作曲、出版等されることが多く、モーツァルトの弦楽四重奏曲でも、第2番から第7番のミラノ・セット、8番から13番のヴィーン・セット、14番から19番からのハイドン・セットなど、多くはそうした曲集になっているのですが、この最初の曲と第20番(通称ホフマイスター)だけは、曲集に入らず孤立しています。)

 おかげで、この第1番の弦楽四重奏曲は、しばしば「ローディ」と呼ばれ、このさして大きくない町の名を後世に伝えています。
 その楽譜には、モーツァルト自身の手で「アマーデオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルトによる四重奏曲、1770年3月15日、夜7時、ローディにて。」と書かれているそうです。
(そういえば、Mさんは近々イタリアへ行くと言ってらしたけど、ちょっと足を延ばしていただいて、ローディのお土産でもお願いしようかしらん。)

 実は、私が最初に買って、長らく使っていたスピーカーが、Lo−D(日立家電のオーディオブランド名)製だったのですが、これとローディとは関係ないのかもしれませんが、偶然とは思えぬこの呼称の共通が、若い頃からなんとなく気に入っていました。(日立関係の方、真偽はどうなんでしょう?)
 だから、というのでは、あまりに安易で恐縮ですが、早くからこの曲が好きでした。もとより後年の傑作四重奏曲群(ハイドン・セットなど)とは比ぶべくもないとは言え、あのモーツァルトの最初の弦楽四重奏曲というのがとても惹きつけてやまないのです。

 実際、この曲は、モーツァルト自身もお気に入りだったようで、最初書いたときはメヌエットで終わる3楽章だったものを、後になってロンド楽章を付け加えて4楽章としたほか、1777年から78年にかけてのマンハイム・パリ旅行にも携えていったり、78年3月の手紙では、ある男爵のために、この「ローディの宿で夕方に作った四重奏曲」を写譜させたということも書き残しているということです。

 ともあれ、この曲は、このジャンルにおける少年期の最初の作というにとどまらず、当時のミラノの四重奏曲の影響か、まだバロック時代のトリオソナタの趣も残した、古典派の弦楽四重奏曲としてはまだかなり初期の形態を残したもので、のちの弦楽四重奏曲という楽種が持つ深みと渋みを感じさせる曲とは言えませんが、イタリアの明るい春空を思わせるような気分のよい音楽です。


 モーツァルト作曲、弦楽四重奏曲(第1番)ト長調K.80は、作曲の初めには3つの楽章からできていたのですが、のち、1773年から75年くらいの間に第4楽章のロンドーが新たに付け加えられて、今日の4楽章の形態となったことが知られています。
 もっとも、4楽章制とは行っても、のちのヴィーン時代の弦楽四重奏曲の4楽章とは異なり、初めに緩やかなアダージョ楽章が来て、第2楽章がアレグロという古典派の標準からすると変則的な構成になっています。
 これについては、第1楽章と第2楽章はイタリア風、第3楽章はザルツブルク風のメヌエット、終楽章はフランス風ロンドーと言われ、バロック時代に理想ともされた諸国民様式の融合とでも言うべき形態をとっているという見方をしている評者もあるようです。
 全体には、弦楽四重奏曲本来の4つの声部が独立して対話をするかのような、これぞ四重奏という趣には乏しいのですが、美しい旋律はそれを補ってあまりあります。

 その第1楽章(父レオポルトの手でアダージョと記されている)は、ヴィオラとチェロが通奏低音的に伴奏を刻む上で、2つのヴァイオリンがまさに春風駘蕩といった趣の旋律を奏でて始まります。
 このかたちは、まさにバロック時代のトリオソナタの書法を思わせます。
 これに続く第2主題もとても美しい、いかにもヴァイオリンという感じのつややかな旋律です。
 春の夕べにふさわしい、時が止まってしまうような美しい楽章です。

 第2楽章(ここもレオポルトにより速度表示)は、一転して、明るく屈託のないアレグロ楽章。ユニゾンも多く、小シンフォニーのような趣もありますが、第2主題は各楽器によるカノン(輪唱)風に出てきて、また短いながら展開部では対位法的な書法で書かれています。
 まさに笑いさざめきながら駆け抜けるような楽章です。

★★★その2へは[前の記事へ]をクリック下さい。

第3楽章は、いかにもモーツァルトらしいおおらかなメヌエット。
 このメヌエットに関しては、モーツァルトが、イタリアから姉ナンネルにあてた手紙で、面白いことを書いています。すなわち「ミラノやイタリアのメヌエットは音符が多くゆっくりしていて小節数も多い」とか、「ドイツ風のメヌエットの趣味をイタリアにも導入できたらなぁと思っている。こちらのメヌエットときたらシンフォニー全曲くらい長く続くのだから」というようなことを言っているのです。で、ここではザルツブルク風のメヌエットというわけです。

 当初はこのメヌエットで曲が終わっていたのですが、フィナーレとして、後年新たに作曲して加えたのが、ロンドーのアレグロです。
 軽やかに弾むような旋律で始まり、途中ト短調の翳りを帯びるエピソードもありますが決して深刻にはならず、全体は明るい音調に支配されています。
 最後は、弱音で、いままで遊んでいた子どもが急に眠くなって、ふっとおしゃべりをやめてまぶたを閉じるかのように終わります。



 この曲は、初期の作品で、15分前後の短い曲であり、これを単独で演奏したり収録するというのは少ないので、単独のCDでなく、どうしても曲集セットの中でということになるかもしれません。
 そのセットでも、傑作とされるハイドン・セットを中心にした録音は、多くの四重奏団が出していますが、第1番となると、どうしても全曲全集を入れているものということになります。
 現在、私の持っているのは、イタリア四重奏団、ドイツのホイトリンク四重奏団とチェコのターリッヒ四重奏団による全集、それにオーストリアのハーゲン四重奏団の初期四重奏曲集のセットです。


 ホイトリンク四重奏団のモーツァルト弦楽四重奏曲全集は1967年から68年にかけての録音(EMI)です。
 一口で言えば端正でさわやかな演奏ということでしょうか。
 巨匠風な個性はあまりないかもしれないけれど、わざとらしいところや深刻ぶったところはなく、よく歌ってはいるが、それでいて軽すぎず、テンポ感がよくてとても聴きやすい演奏だと思う。
 これがいまは、弦楽五重奏曲全集も付いて超廉価なセットで手に入ってしまうのだから嬉しい。


 イタリア四重奏団のCDは、1970年の録音(PHILIPS)。
 こちらは、いかにもイタリアのカルテットという感じで、カンタービレで明るくつややかな美音が惜しげもなく撒き散らされ、この曲、いなモーツァルトの四重奏曲を聴くのにふさわしいという気がします。
 ジュリアードやラサール以来、近年は、どちらかというと、隙のない精密で緊張感の漲るアンサンブルが主流となっている感のあるカルテット界で、もちろんそうしたこれぞ弦楽四重奏の神髄的な演奏もよいですが、こうした歌心をたっぷりと満喫させる演奏は、むしろ今では貴重になっているのかもしれません。


 ハーゲン四重奏団は、少し前まで新進気鋭などと言っていたのが、今では押しも押されもせぬ世界の有力カルテットのひとつとして認められています。これは、1990年の録音(DG)。
 モーツァルトと縁の深いザルツブルク出身のカルテットだが、その演奏はきわめて現代的なものだと言われている。
 たしかにアンサンブルは緊密でメリハリがあり、そういう意味では現代のカルテットなのですが、それでいて、何というかうまく言えないのだけれど、やや思わせぶりな感じすらするかなりロマン主義なとでも言うべき表現をベースに持っているような気がするのです。古風なロマン主義というのとは決して違うのだけれど。


 ターリッヒ四重奏団は、弦の王国チェコのカルテット。その名はチェコの大指揮者に由来する。このCDは1993年の録音です(CALLIOPE)。
 初めはやや鈍くさい印象があったため、手持ちの中では、最も地味でおとなしい感じがしていましたが、こうして聴き直してみると、華やかさやスマートさには欠けるものの丁寧で落ち着いた、地味ならぬ滋味ある演奏であることがわかります。
 生前のモーツァルトをどこより認め、愛したプラハ、チェコの楽団ならではの愛情が込められているのでしょうか。
 

 モーツァルトの弦楽四重奏曲を取り上げるなら、まず、ハイドン・セットだろうと言われるかもしれませんが、このモーツァルトも気に入っていた「ローディ」、なかなかの佳曲です。日長の時期の夕べに、イタリアの小さな町を偲んでお聴きになってみてはいかがでしょうか。


今回もおつきあいいただき、ありがとうございました。
ではまた。


                             恐々謹言

                    樹公庵 日々

みなさま

 さすがに暖かい日が続き、桜の開花も報じられました。いかがお過ごしですか。

 さて、私が初めてクラシック音楽のレコードを買ったのは、1970年の春、3月でした。その前年から、中学の恩師のおかげでクラシック音楽に目を開かれ、少しずつFM放送などで聴き始め、レコードを買って聴くようになったのがこの時期でした。以来、今月でちょうど35年となりました。
 初めて買ったクラシックのレコードは、音楽の授業で聴いたサンサーンスの組曲「動物の謝肉祭」でしたが、次にベートーヴェンの英雄交響曲と出会い、それからは交響曲に夢中になり、マーラーまでいきつくのです。
 しかし、初めは交響曲に偏っていて、他の器楽曲や声楽曲(ベートーヴェンの第9やマーラーの第8といった声楽付き交響曲は別として)は遅れていました。そんな折、レコードを買い始めて1年後の3月に出会ったのがベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」(当時は荘厳ミサ曲という呼び方が一般的でした)と出会ったのです。

 偶々入った高崎市内の古いレコード店の片隅で、この曲の2枚組のレコードを見つけたのです。カ−ル・ベーム指揮ベルリン・フィルの古い録音でした(残念ながら現在CDとしては店頭に見かけないようです)。値段も安かったので、早速購入しました。モノラル録音だったのでしょうが、しばらく気がつかずに聴いていました。これが、ミサ・ソレムニスとの、否、ミサ曲という純粋な声楽曲との出会いでした。
 とはいえ、その時までこの曲のことを全く知らなかったわけではありませんでした。折から私がクラシックと本格的につきあい始めた1970年はベートーヴェンの生誕200年の記念年であり、その年譜、伝記の類を見ると、ベートーヴェンの最高傑作は、第9交響曲と、それ以上に荘厳ミサ曲であると書かれているのにぶつかりました。第9はすでに聴いていましたが、荘厳ミサというのは知らなかったし、何といっても名前が立派だし、かなりの大曲らしいというのが気に入りまして、どんな曲だろうと想像をたくましくしていたわけです。そういうときにグッドタイミングで先のレコードを見つけたわけです。

 もっともその当時の私が、直ちにこの曲を楽しんで聴けていたかというと甚だ疑問なのですが、少なくとも、その後多くの声楽曲、たとえばモーツァルトのミサ作品に親しみ、以来今日までこの曲種が私の興味、鑑賞の対象になっていることを考えると、あながち最初の出会いは悪くない印象を持たらしたものと思われます。
 たしかにミサ曲というのは、キリスト教のそれもカトリック宗派における典礼音楽で、クリスチャンでもない私には無縁なもののようですが、しかし、もともと宗教音楽から始まった西洋音楽の各歴史時代ごとの傑作を伝える曲種であり、古今の作曲家が自らの創作力と技巧を傾けて作曲したものが多く、まさにクラシック音楽の宝庫とも言えます。歌詞はラテン語であまり馴染みのないものですが、ミサ曲の場合は通常文といって、「キリエ」や「グロリア」などの決まった歌詞なので、いったんどういうテクストか知ってしまえば、各時代の様々な作者がいわば同じ歌詞で競作してくれているようなもので、時代や作曲家の個性を聞き比べるのも楽しいものです。


 一方、季節は春というのに、世の中では災害や犯罪などが絶えず、平穏とはほど遠い状況で、世界中で相も変わらず戦乱や飢餓、圧政、偏狭なナショナリズムや宗教観に起因する緊張や摩擦などがニュースをにぎわせています。人類は科学や技術の面では大きな進歩を遂げたものの、こうした根本の所は少しも進歩していないようです。
 おまけに、昨年の新潟の地震やスマトラの津波の記憶もさめやらぬというのに、今月はまた九州で大きな地震が起きてしまいました。被災した方々には心からお見舞い申し上げます。(わが埼玉県でも、伊奈あたりから群馬県の榛名町までの大きな活断層の連続が見つかりました。地震は、この国に住んでいる限り決して他人事ではありません。)

 そこで、今月は、世界の平和と人々の平安を祈るという意味でも、それにふさわしい1曲として、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を取り上げたいと思います。


 ベートーヴェン作曲、ミサ・ソレムニス ニ長調 作品123は、第9交響曲と並びベートーヴェンの後期を代表する大作です。完成時、作曲者52歳。第9とこのミサという二つの大曲を並行して作曲が進められていたとは、ベートーヴェンの創作力には驚嘆するばかりです。
 ミサ・ソレムニスは、ベートーヴェンのパトロンであり、作曲やピアノの弟子でもあったルドルフ大公(時のオーストリア皇帝フランツ2世の末弟)がオルミュッツの大司教に就任することが決まったのを受けて、その式典のために作曲された。実際には、作曲は1819年から23年までの長期に渡り、完成が大幅に遅れたため1820年3月の大公の就任には間に合わなかったのですが、23年3月に完成し、その19日に、ヴィーンに戻っていた大公に献呈されています。
 初演は、翌1824年の4月7日にロシアのサンクトペテルブルクで行われ、ヴィーンでは、1ヶ月後の5月7日に第9交響曲初演の際に、キリエ、クレド、アニュス・デイの3章が初演されています。
 完全な木管2管にコントラファゴット、4本のホルン、2トランペット、3トロンボーンを加え、弦楽とティンパニ、オルガン、4人の独唱と混声四部合唱という編成となっています。これは、オルガンを加えた代わりにピッコロが省かれ、打楽器の数でも第9には及ばぬものの、当時としては最大級のオーケストレーションです。演奏時間は第9のそれを超えて70数分から80分前後かかるという大曲です。

 この曲の自筆総譜の冒頭には、ベートーヴェンにより「心より出で、再び心に入らんことを」と記され、また、書簡中でもたびたびこの曲が「私の最大の作品である」と述べたと伝えられています。実際、出版に先立ちヨーロッパ各国の宮廷に筆写総譜の予約募集を送るなど、この曲に相当の自信を持っていたことを窺わせます。
 この曲名のミサ・ソレムニスは、一般に「荘厳ミサ曲」と訳されていますが、あくまでカトリックの典礼の分類上の呼称で、より相応しくは「盛儀ミサ」あるいは「盛式ミサ」と言うべきもので、司祭のみでなく複数の助祭や副助祭が奉仕する大規模なミサのことを指し、儀式の執り行い方による呼び名です。実際、ミサ・ソレムニスという名の曲は、モーツァルトにもフンメルやケルビーニなどにも同名のミサ曲はありますが、これらを普通荘厳ミサ曲とはあまり呼ばないようです。
 ともあれ、規模としては、バッハのロ短調ミサに並び、モーツァルトのハ短調大ミサ曲が未完に終わっているので、ヴィーン古典派では最大のミサ曲です。
 ベートーヴェンは、ミサ曲を、この曲の他にはもう1曲、ハ長調作品86しか残していないので、先輩のハイドンやモーツァルト、後輩のシューベルトに比べると多いとは言えませんが、その規模、内容では、この楽種に十二分に貢献していると言えるでしょう。

 ベートーヴェンのこのミサ曲は、第9交響曲と同時期に作曲が進められただけあって、その雰囲気、曲調にはかなり似た部分があります。また、モーツァルトのミサ曲に代表されるような当時のオペラ的なアリアや重唱を持ち、各部分が独立した曲をまとめたような作り方に比べ、グロリアやクレドの章句を連続した曲に付曲するといった特徴があります。
 このことは、ベートーヴェンの音楽の器楽的性格と相まって、歌唱的な美しさでは一歩譲るような所はありますが、他方、音楽の統一と一貫性、交響楽的な雄大さを獲得していると言えます。
 曲は、ルドルフ大公の盛儀ミサのための供用を発端としながら、典礼音楽としてはかなり異例で、実際にはミサの礼拝用の枠を超え、儀式にはそのままでは使いにくい面も持っているらしく、今日に至るまでむしろ演奏会での演奏が一般になっているようです。
 ベートーヴェンの多声声楽曲技法の全てをつぎ込み、集大成したような「芸術作品」として聴くべきものとも言え、この点でもバッハのロ短調と共通するところがあります。
 それだけに、これを聴くのは、かなりの気力が要るような気がします。

 曲は、ミサ典礼の通常文を、大きく5つに分けて、「キリエ」、「グロリア」、「クレド」、「サンクトゥス」、「アニュス・デイ」の5楽章としています。(モーツァルトのミサ曲などでは、サンクトゥスとベネディクトゥスを分けて6章立てとする例が多い。)

 「キリエ」は、通例と同様、「キリエ・エレイソン Kyrie eleison(主よ憐れみ給え)」が中間部の「クリステ・エレイソン Christe eleison(キリスト、憐れみ給え)」をはさむ三部形式としていますが、「キリエ」の回帰は全くの反復ではなく、音楽的には多少変化させられています。全体は、祈りの章に相応しい厳かで荘重な雰囲気。
 オーケストラによる導入部の冒頭、ニ長調主和音の開始は、モーツァルトの交響曲第39番変ホ長調の冒頭に似ていますが、その後は静かな前奏が続きます。前奏が一段落すると、合唱が「キリエ」と主に呼びかけます。これに続き、独唱のテノール、ソプラノ、アルトと順次唱和し、同じ詞句を長く延ばすように歌い継いでいきます。
中間部はロ短調となり、ソリストが先行する。それから再び冒頭の主和音が響いて、キリエが戻ってきます。最後は静かに消えるように終わる。

★★★その2へは[前の記事へ]をクリック下さい。

 「グロリア」は、神の栄光を讃美する讃歌。解説者により、大きく6つ又は4つの部分に分けられるとされます。
 冒頭は、オーケストラの急速調で激しい前奏に続いて、合唱が高らかに「グロリア・イン・エクセルシス・デオ Gloria in excelsis Deo(天のいと高きところでは、神に栄光あれ)」と歌い出す力強い讃歌が繰り広げられます。ややテンポをゆるめ、第2部「グラティアス Gratias(主の栄光に感謝し奉る)」は、テノール独唱からの四重唱が合唱を先導する短いが美しい部分。再び冒頭のテンポ、音楽による第3部「ドミネ・デウス Domine Deus(神なる主よ)」が帰ってくる。(ここまでを一つの三部形式楽節と考えると4部構成と見える。)
 第4部は、テンポがラルゲットに落ちて、「クイ・トリス Qui tollis(世の罪を除きたもう)」は神の憐れみを乞う歌詞を反映して、グロリア章の中では重苦しい雰囲気の部分。第5部では一転、アレグロ・マエストーソで、ティンパニが連打に続いて合唱が「クォニアム Quoniam(主のみ聖なり)」と歌う。
 最後の部分は、「イン・グロリア in gloria Dei Patris(父なる神の栄光のうちに)」によるフーガ。最後は激しくたたみかけるようにして、「アーメン」で結びます。
 この「グロリア」は、最も第9との共通性を感じさせる音楽ですが、演奏によってはやや騒々しい感もし、モーツァルトの流麗なアリアや重唱による付曲が懐かしくなります。

 「クレド」は、三位一体の神と教会への信仰告白の章(ニケア信経とも呼ばれる)で、ベートーヴェンが特に力を入れたと言われる楽章です。クリスチャンでない私には最も難解な章ですが、歌詞の内容はキリストの受難と復活などが歌われ、歌詞に沿って曲想も変化が多いので、音楽として聴くにはむしろ聴きやすく、ベートーヴェンらしい器楽と声楽の渾然となった音楽を堪能できます。
 第1部はアレグロ・マ・ノン・トロッポ、非常に印象的で一度聴いたら覚えてしまうような節回しのクレド動機で「クレード、クレード Credo(我らは信ず)」と、合唱各声部がカノン(輪唱)風に歌い出して始まります。
 第2部は、アダージョで、「エト・インカルナトゥス・エスト Et incarnatus est(聖霊により、処女マリアから御身体を受け)」から始まり、前半は静かな音楽。フルートのメロディが美しい。「クルチフィクス Crucifixus(十字架につけられ)」では重苦しい雰囲気となり、「Et resurrexit(復活し)」で明るくなるとアレグロにテンポを速め、「Et ascendit(昇天し)」でさらにテンポを速めて喜ばしく盛り上がり、といった具合に、歌詞に合わせて描写的に音楽が変化します。
 第3部は、クレド動機も再現して、壮麗な二重フーガを形作ったあと、章の結句「アーメン」を歌い継いでテンポを落として、最後は静かに閉じます。

 「サンクトゥス」は、通常のサンクトゥスとベネディクトゥスとをオーケストラのみの間奏部でつないだ独創的な形態となっています。
 まずアダージョで静かに、厳かな調子のオーケストラ前奏で始まり、ソリストたちが「Sanctus(聖なるかな)」と歌っていきます。突然アレグロに変わり合唱が歌い出すと、すぐにプレストの「ホザンナ Osanna in excelsis(天のいと高きところにホザンナ)」となります。
 そのあと、そのまま途切れずに、プレルーディウム(前奏)と名付けられたオーケストラだけの静かでゆったりした間奏部分となり、独奏ヴァイオリンが美しい旋律を紡ぎ出す。これは「サンクトゥス」部分と次の「ベネディクトゥス Benedictus(ほむべきかな、主の名によりて来る者)」との間奏ですが、ベネディクトゥスへの前奏という意味でしょうか。ベネディクトゥスの部分はアンダンテ・モルト・カンタービレ、重唱と合唱の美しい音楽ですが、その全体を通じて、協奏曲風なこのヴァイオリン・ソロがオブリガート(必須伴奏)風に寄り添っています。

 最後の「アニュス・デイ」は、まず、第1部アダージョ、ロ短調の重々しい前奏から、バス独唱による「アニュス・デイ Agunus Dei(世の罪を除く神の小羊)」という切々たる祈りの歌で始まり、「ミゼレーレmiserere(憐れみ給え)」が繰り返され、悲痛な雰囲気に終止する。
 それが第2部の「ドナ・ノービス・パーチェム dona nobis pacem(我らに平安を与え給え)」に入るところでは、突然すうっと明るさが差し込んだように空気が変化するのが何とも言えず美しい。「pacem」を繰り返すうちに、突如軍楽的なトランペットとティンパニが鳴り渡り、いっとき戦争の気配に脅かされそうになるが、再び、平安を求める歌声に満たされ、戦争の影は遠ざかります。
 第3部では、さらに高らかに平和の祈りが歌い上げられていき、おしまいのほうは第6番「田園」交響曲の終楽章を思わせるような平和な気分のうちに、この大曲にしてはあっけないほど簡潔に全曲を閉じるのです。
 この終曲を聴くたびに、私は、まだナポレオン戦争の記憶も生々しい当時、またメッテルニヒ体制下の反動的、国家主義的な社会状況の中で、ベートーヴェンがこの曲に込めた世界と人々の平和への意思を思わずにいられません。


 このベートーヴェン畢生の大作とも言うべき作品については、録音が多いのか少ないのかよくわからないのですが、私の手元には、6種のCDがありました。

 まずアルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団&ロバート・ショウ合唱団ほかの演奏。これは1953年のモノラル録音です。(RCA)
 この一連のNBCの録音はデッドでトスカニーニの本来の姿を伝えていないとして評判が良くなかったのですが、近年のリマスターでだいぶ改善されたのか、迫力もあり、強奏では多少つらいとは言え、フルトヴェングラーのライブ盤などに比べるとずっと聴きやすいものです。
 演奏は、トスカニーニらしく、速いテンポできびきびとした楷書的なものですが、声楽曲ということもあって壮年期の本来カンタービレ(歌うような演奏)を得意とした指揮をも偲ばせます。


 次は、独唱者にソプラノのゼーダーシュトレームなどを配した、オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管&合唱団の演奏。1965年のステレオ録音です。(EMI)
 ステレオながらマスターテープの状態にせいなのか、やや録音の古さも感じさせるところもありますが、こうした大編成の複雑な声部の楽曲ではやはりステレオがいいですね。
こちらは晩年のクレンペラーらしい悠然としたベートーヴェンとなっています。


 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮1975年の録音も、ニュー・フィルハーモニア管&合唱団によるもの。アルト独唱に英国の名歌手J.ベイカーが加わっています。(EMI)
 これは、ジュリーニらしいと言うべきか、きわめてゆっくりしたテンポで演奏しています。演奏時間も88分近くかかるのですが、ブルックナーやブラームスなどロマン派の音楽と異なり、やや遅すぎて古典的な均衡というか流れが損なわれているような気もしますが、さすがに演奏の質は高いと思います。


 レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管&オランダ放送合唱団の演奏は、1978年の録音。もちろんステレオ。(DG)4人の独唱者はバスのクルト・モルらドイツ勢で固めています。
 ハイドンやベートーヴェンなど古典派の音楽を指揮するときのバーンスタインは、晩年のチャイコフスキー録音などに見られるデフォルメも辞さない表現的なイメージからは意外なほど、オーソドックスなアプローチを基本に置いているような気がしますが、この指揮者ならではのバランス感が背景にある気がします。


 古楽派からは、ジョン・エリオット・ガーディナーが手兵のイングリッシュ・バロック・ソロイスツ&モンテヴェルディ合唱団を指揮した89年のデジタル録音盤。(DGアルヒーフ)
 これは、小編成のオケと合唱によるものですが、録音の良さとも相俟って、とても見通しの良い美しい演奏になっています。テンポはかなり速めのはずですが、声楽が美しいせいか、その割にはあまりせかせかした感じはしません。


 古楽派からもう一つ。フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管、シャペル・ロワイエ&コレギウム・ヴォカーレの演奏です。1995年の録音。(仏ハルモニア・ムンデイ)
 これも、宗教音楽を得意とする団体らしく、合唱の美しい演奏です。録音もすばらしい。ラテン的なベートーヴェンということになるのでしょうか。ヘレヴェッヘは、いよいよベートーヴェンの交響曲全集録音にも着手しました。今年は来日してその交響曲の全曲演奏もする予定です。


 さすがに、このミサ・ソレニムスを続けて聴くというのは楽ではありませんが、でも、今回、集中して聴いてきて、改めてその音楽の美しさと偉大さに目を開かれたという感じもしています。おかげで、電車に乗っていても、トイレに入っていても、ミサ・ソレムニスが頭の中で鳴り続けている感じです。
 世界中に「パーチェム」を。

今回もおつきあいいただき、ありがとうございました。
ではまた。
                             恐々謹言

                    樹公庵 日々


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